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懐の小文  作者: 葡萄
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茜ちゃんのこと

 川に架かる歩道橋から眼下に、川の堤に腰を下ろし、立てた膝頭の上にちょこんとアゴを乗せ、背中を丸めて川面を見つめる茜が見えていた。その後ろ姿に、日暮れとともに彼女に忍び寄る「孤独」や「独居」といった言葉の影は、そのときまだなかった。あの日の昼下がり、春の景色はただ素朴な色と形で広がっていた。川辺の木立から、鳥の軽やかな囀り声が聞こえてきていた。「遠く見はるかす山々」「遊歩道にほころび始めた桜並木」「流れ行く川の水」──とその時、ここQ町の川辺の春はうららかで、のどやかだった。


 Q町での短い休暇を終えた茜は、また東京へと戻って行った。そして彼女からQ町への音信はぷっつりと途絶えた。それから、彼女がこゝろ通わせた川辺の桜が、何度か咲いては散りを繰り返したある日、ペルーのリマから彼女の一通のエアメールがQ町へと飛来した。若い娘の、路上の治安も定まらぬ南米一人旅、危ない目にも遇ったと文面にはあった。けれど彼女の便りはおおむね、「空は青く、草の色は緑です」「舗道に建ち並ぶビルのガラスの壁面に赤い夕陽が斜めに落ちています。壁面の上の方は夕空を映して薄紅色です。下の方には、反対側のビルと、通りの風景が薄墨色に染まって映っています。それらの幾何学模様のコントラストが抽象絵画を連想させてとてもステキです」とこんなふうにさわやかだった。彼女はペルーの高地を、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの街の光景を、映像作家志望らしい彼女特有の色感による絵詞で語っていた。


 去年、時の流れは渡り鳥のようだった彼女の旅ごころを、結婚へと静かに落ち着かせた。そして風の便りに、茜は彼女の内なる川辺に一本の小さな苗木を得た、と聞いた。時満ちた今、その苗木は外なる川辺に移され、幼子の口からは「マンマ」「シーシー」といった愛らしい声が芽吹いていることだろう。その桜が若木となるまでに、このQ町の川辺の桜もまた、いくたびか春を送り迎え、咲いては散り、散っては咲くことになる。



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