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懐の小文  作者: 葡萄
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言葉のストレッチ

ペンパルサイトでの、若い外国人女性への返信抜粋

「人生は、まるで物語みたいですね。雨の音を聞いたり、風に揺れる木々の姿を見たりするときなど、ことさらにそう思えてなりません。でもわたしには、その風景を絵や文章にする才能がないのがとても残念です」と書かれていましたね。

 ちょっと考えてみてください。人生の本質が物語なら、よく言われるように、「生きるとは、物語を作っていくこと」です。ならば、今この世界で生きているものは老若男女、ただ一人の例外もなく、「生まれつきのアーティスト」のはずです。画家や詩人や小説家といった「業界人」だけがアーティストなのではないでしょう。──そうは思いませんか。


 わたしたちの心は、「言葉」と「絵」そして「感情」でできています。この三者がバランスよく活動しているとき、心の平静は保たれます。しかし、多くの人にとってふだんは「言葉」が支配的になりがちです。そして、ときには言葉が過剰になり、暴走して制御不能になることもあります。その状態のとき、私たちは批評家であり、また評論家になりきっています。そして他人や世間をとめどなくあれこれと論評し、ネガティブな言葉に翻弄されがちです。

 そんなとき、わたしは日々の田舎道での散歩の途中で立ち止まり、目の前の風景を、メモ帳に短くメモすることがあります。内に潜むアーティスト・マインドを呼び起こすためです。また、それは内に凝り固まった言葉を散らし、三者のバランスを回復させるためでもあります。それならスマートフォンでスナップショットを一枚撮れば済むことだ、とも言えます。しかし、それではお手軽すぎて癒しの効果は薄いのです。ここでは、意図的に言葉を使って言葉自身をもみほぐします。それは言葉の集合体のストレッチです。

 その行為は言葉によるスケッチというほどのものではないし、ましてや詩や小説のための取材といった大げさなことでもありません。小学生にも書けるはずの、ただのメモです。もちろん、身内に持つ言葉には、世代の違いがあるでしょう。けれども、彼らにだって、「空は青い」「今カラスが一羽飛んで行く」ぐらいは書けます。さしあたりなんの訓練も技能も必要ありません。目の前の風景を見て一文、さらに見て一文と、それを8回ほど繰り返して書き写すだけのこと。

 こんなふうに──



『大池公園』


落陽がしだいに山の端に近づく。

長く白い帯状の飛行機雲が薄く夕空に浮かぶ。

風が吹き、池周りの樹々先端の枝葉が揺らめく。

池面がさざ波立つ。

水面に落ちた竹林の影がぼやける。

池の周囲の常夜灯はまだ点灯していない。

公園入り口そばの遊び場から少女たちが連れ立って家路につく。


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