おでん神
今日はもう、外出しない方がいい気がする。
そう思いながらも、冷蔵庫を開けると中身はほぼ空っぽだった。
鍋もできず、インスタント麺も切らしている。
「……おでんくらい、いいよな」
近所のコンビニまで歩きながら、俺は祈るように呟いた。
今日は何も起きませんように。
何も……誰も死にませんように。
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コンビニのレジ横で、湯気を上げるおでん鍋。
店員がにこやかに声をかけてくれる。
「影山さん、今日は何にします?」
「あ、あの……大根と卵と……あとちくわ……」
透明なスープをたっぷり入れてもらい、袋を受け取る。
重さにほっとする。
たったこれだけの買い物が、俺にとっては戦場みたいなものだ。
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家までの帰り道、袋の底が微妙に弱いのを感じた。
コンビニの角を曲がった瞬間――
ビリッ……ドバシャァッ!!
袋が破れ、おでんの汁がアスファルトに派手にぶちまけられた。
熱々の出汁が路面を広がっていく。
「あっ、やばっ……!」
慌てて拭こうとしたが、間に合わない。
その時、バイクのエンジン音が近づいた。
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若い男が運転するバイクが俺の横を通過――した直後、
タイヤが汁で滑った。
「うわあああっ!?」
バイクが横転、運転手は勢いよく吹っ飛び、道路に叩きつけられた。
「だ、大丈夫ですか!?」
駆け寄ると、男は血を流しながら呻いていた。
「くっ……お前……死神……!」
よく見ると、この男、裏社会で噂のあるギャングの手下だった。
俺を見た瞬間、恐怖に顔を歪める。
「ひぃぃ……来るな……来るな……!」
俺は助けようとしただけなのに、彼はパニックになり気絶してしまった。
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「も、もしもし警察ですか!?……あの、また俺です……バイクの人が……!」
『影山さんですね、現場住所は?』
パトカーと救急車が到着するまでの数分が永遠のように長かった。
周囲の人がざわつく。
「やっぱり影山だ……」
「汁だけで事故を起こすなんて……」
「死神ってマジなんだな……」
俺は肩をすくめながら救急隊員に事情を説明した。
「俺、ただおでん買っただけなんです……」
だが警察に連行され、またも署で事情聴取。
もう説明の言葉も見つからない。
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夜、家に戻るとスマホが震えた。
『本日の依頼対象:ギャング組織の手下・黒田
結果:重傷(後日死亡確認)
記録:武器を使わず汁だけで仕留める死神、異能認定!』
さらに会長からメッセージ。
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◆ギルド会長からの特別メッセージ◆
『影山幸太殿。
銃も刃も使わず、ただのコンビニおでんの汁で敵を倒すとは……
もはや神話の領域です。
“おでん神”として、今後後進にこの暗殺術を伝授してください。
なお、再現率は限りなく0%だと思われますが、それこそ天賦の才です。』
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翌日、ネットニュースはこれで埋め尽くされていた。
•『死神、汁だけで人を倒す』
•『道路に出汁、事故多発』
•『コンビニおでん禁止令、自治体が検討中』
近所のコンビニには「影山さんへの販売はスープ少なめ」と貼り紙まで出された。
俺は布団に潜って頭を抱えた。
「俺は……ただおでんを食べたかっただけなのに……」
冷めた大根と卵が、玄関先で哀れに転がっていた。