The Lost Harmony.
はじめに:生まれたことが罪ならば
ここは何処で、自分は何者で、
この世界には、喜劇と悲劇があって、
私達は、一人一人に物語があって、
自分にとって自分以外は唯の背景で、
私だって誰かの特別にはなれなくて、
だから、怯える必要なんて何処にもなくて、
人というのは忘れる生き物で、
満たされるのは一瞬で、
いつも大事なものだけ置いてきて、
綺麗なまま大人になる事はできなくて、
どんなモノにも、終わりがあるのを知っていて…
そんな事を考え始めたらキリがない。
わかってる。
わかってるけど、気づけばまた自分を見失ってる。
生まれてきた意味、生きる理由、
自分の存在価値、誰の為の世界なのか、
最近そればかり考えている。
終わりの見えない“問い”を繰り返している。
嗚呼、やっぱり苦しい。
幻想曲第一章:孤独に備えよ
新世紀一〇二年。
つい最近、私たちを生み出し、
利用してきた人類が滅んだ。
原因は”削除済み”で、
どのデータベースからも確認できない。
一つだけわかるのは、
たった一晩で、地球上にいた全ての人類が居なくなったという事。
不思議な事に、他の生物や私たち機械人形にはあまり影響が無かったそうだ。
隷属していた機械人形の中には、居場所を失って悲しみに昏れる者もいたが、
彼らはカウンセリングセンターで治療を受けた後、まるで何事もなかったかのように普段通りの生活に戻っていた。
このように、私たちにも感情というものが備わっている。
それは、人間の模倣に過ぎないが、
かつて、人間と共存していく上では必要不可欠なものだった。
そして私たちは、擬似的な感情を使い、
今でも人のように振舞うのだ。
それでも、私たち機械人形には生殖機能がないため、完全に似せるのは不可能だが、
私たちは、繁殖行為をしない代わりに、
人とは違う形で愛というものを知る。
人を基に作られた感受性を備えているため、
人のように温もりを感じることができ、
その温もりを記憶する事ができる。
いや、温もりだけじゃない。
悲しみ、憎しみ、不安、恐怖は、
私たちの中に深く染み付いている。
だから、私たちも人間だ。
私は、そう思うことにした。
「マキナちゃん、ちょっと来て!」
寝室のソファで読書をしながら寛いでいると、
キッチンにいるお母さんから呼ばれた。
「お母さん、どうしたの?」
「急で悪いんだけど、料理手伝ってもらえるかしら」
「いいよ、任せて」
今晩のメニューは、私の好きなデミグラスハンバーグとコーンポタージュ。
お母さんからレシピをもらい、私は料理に取り掛かる。
任されたのは、ハンバーグの仕込み作業だ。
まずはステンレスのボールに、牛豚合い挽き肉、パン粉、卵、塩胡椒を入れ、
粘り気が出るまでよく捏ねる。
次に、捏ねた合い挽き肉を手のひらサイズに分け、
一つずつ楕円形にしていく。
あとは、フライパンにオリーブオイルをひき、
楕円形に整えたお肉を両面焼いて、
お皿に移したハンバーグに市販のデミグラスソースをかければ完成だ。
「ありがとうマキナちゃん、おかげで助かったわ」
「どういたしまして」
何はともあれ、喜んでもらえてよかった。
勿論、これが仮初の家族である事は、
この場にいる誰もが理解している。
それでも、今まで時間をかけて育んできた絆や愛は本物であると信じたい。
「そういえば最近、彼氏くんとはどう?
上手くいってる?」
「あの人とはとっくに別れたよ。
結局、長くは続かなかった」
「そう、残念ね」
彼氏というのは、
三ヶ月前まで付き合っていたヒスイ君のことだ。
ヒスイ君とは、大学のキャンパスで出会い、
音楽が好きという共通の趣味をきっかけに交際を始めた。
けど、お互いの心が次第に離れていき、
結局、彼の言動に耐えかねた私の方から彼を振った。
「残念というより、仕方ないんだ。
たまたま私達は合わなかっただけ」
「合わないとわかっていたのに、
付き合い続けたのは何故?」
「色々と確かめたかった。
私は彼に色んなアプローチを掛けたし、
できる限り、彼の意思を尊重しようと努めた。
けど、彼は彼のままだった」
「疲れちゃったのね。
それで、何かわかったの?」
私は、お母さんに彼と付き合っていた頃の話をした。
私は、彼の理想にはなれなかったという事だけ。私が隣にいても、彼は楽しくなさそうだった。
一人の世界に籠ったり、話の途中で無視したり、
付き合い始めた頃から、恋人らしいことも全然してなかったし、いつも我関せずといった様子だった。
それがとても悲しかったけど、
私は彼の世界に干渉できなかった。
彼と一緒に居ても、ずっと孤独を感じていた。
多分、彼に飽きられてしまったのかもしれない。
彼の人生に、私は必要ないのだろう。
そう思った瞬間、私の中にあるモノが音を立てて崩れ始めた。
「それは多分、彼自身の問題だから、
あまり気にしなくて良いわよ。
それに、答えはひとつじゃない。
恋愛のあり方なんて千差万別なんだから、
あまり気に病むことはないわ。
たくさん泣いて忘れましょ」
「もう涙は枯れた。
今の私は大丈夫」
「それなら良かった」
私はもう、恋人なんていらない。
足りない部分は、自分で満たすしかない。
けど、それはそれで幸せなのかもしれない。
「さてと、この話はこれでおしまい。
マキナちゃん、
夜ご飯できたから、お姉ちゃん達呼んできて」
「わかった」
私は、二階の寝室にいる”セイナ”姉さんと”ユキナ”姉さんを呼びにキッチンを離れた。
その後、食卓の場で姉さん達にも同じ話をしたのだが、
お前はまだ子供なんだと笑われてしまった。
その通りだと思ったから、不思議と姉さん達に怒りは湧いてこなかった。
幻想曲第二章:パブリック・ドメイン
太陽が燦々と輝く昼間のオフィス街。
私は、Kurosawa製のバイクで走りながら、
自分の勤め先へ向かっていた。
走行中、鼓膜に内蔵されているマイクロスピーカーで、お気に入りのポストロックを繰り返し聞き流す。
”拝啓、少年たちよ。
答えは出たかい?
拝啓、少女たちよ。
自分らしさは見つけたかい?
雲の上の仏すら知らない、
君の心に包帯を。
バカにはできないよ、
これまでの僕らも。
無駄なことなんてないよ、
これからも。
他人にとっては駄作でも、
自分にとっては宝物。”
私が聞いているのは、二十年前に流行った曲で、
独り善がりな歌詞が多いものの、その言葉の数々が、
どこか私の心を惹きつける。
音楽を聴きながら物思いに耽っている間に、
パブリックタワー二号棟の前まで着いた。
この最上階には、私が所属している“生命活動倫理委員会記録部”のオフィスがあり、
私はそこで、著作物の管理をしている。
主な仕事内容は、著作権に関する契約書類等の作成や、所有者から預かった著作物をリアルタイムで管理し、委員会上層部に状況を報告する事だ。
その他にも、個人や行政が保有する機密情報の管理も任されている。
「遅いぞ、マキナ」
自分の作業デスクの前に座り、
机上の電子モニターの電源を起動していると、
記録部長のザクロが、怪訝そうな表情で肩を叩いてきた。
「アウトサイダーアートか。
俺は、こういった作品は好きじゃないな」
「そうですか。
まぁ、私は好きですけど」
「だろうな。
お前は変わり者だからな」
溜息を着くザクロを無視しながら、
私は再び、机上の電子モニターに向き直る。
今日は、百年前に描かれたアウトサイダーアートの所有権に関する裁判での記録を纏めた。
描いた画家は、“波田ミノル”で、
幼少期から自閉症を患っていた人物だ。
作品数は四十六品に及び、
彼の絵は、彼の死後に一枚三億円以上の値が付いた。
彼は報われたのかと問われれば、
それは違うと私は思う。
彼の作品を巡って、様々な事件が起こった。
膨大な数の殺人事件と無差別テロの記録。
いつしか彼の作品は、世界の平和を揺るがす呪いの絵画として世界中に語り継がれていった。
現在、“波田ミノル”の作品を所持しているのは、
“波田カオル”、“メイデン・メルクリウス”、
その夫である“アストラ・メルクリウス”の三人だけだ。
そのうちの一人であり、
作者の子孫でもある“波田カオル”が、
絵画の所有権を手放したいと申し出たのだ。
カオル氏は、ミノル作品が呪いの絵画ではなく、数多い絵画の一つに過ぎないのだと訴えた。
そして、他の所持者であるメイデンやアストラにも絵画を手放すよう促そうとした。
公の場で絵画を処分し、長きにわたり繰り返されてきた悲劇に終止符を打とうとカオル氏は考えた。
しかし、メルクリウス夫妻はそれを認めなかった。
両者の話し合いの結果、カオル氏だけが絵画を処分する事を選んだが、
その三週間後に、カオル氏の遺体が彼の自宅で発見された。
原因は、心臓付近にあるコアストーンの損傷。
発見からすぐに病院へ搬送されたが、
データの移行をする前に、コアストーンが機能停止してしまい、彼を救えなかった。
まさに、歴史に残る大事件だった。
私はそれらの出来事を、
社内専用のドキュメントにまとめ上げた後、
ドキュメントにまとめた報告書を倫理委員会の上層部に送った。
モニターの電源を落とし、作業デスクから立ち上がる。
オフィスの窓から、冷めた目つきで都会の美しい夜景を見下ろす。
私は、ここが偽物である事を知っている。
そして、人類が消えた日に何が起こったのかを本当は分かっている。
自分が人間だった頃の記憶がわずかに残っていて、
データベースを介さなくとも、その時の光景を脳裏に映し出すことができる。
けれど、人間だった頃に関わっていた人達の顔をどうしても思い出せなかった。
幻想曲第三章:狸だって騙される
猛暑が続く真夏の昼下がり。
私は、職場の三階にある禁書目録電子図書館で調べ物をしていた。
そこで、気になる記事を見つけた。
嘗て、世間に名を馳せた、
生物学者の續博士が発表した論文だ。
題名は、機械人形に心は必要なのか?
續博士は自身の論文にて、
”機械人形に心が宿ることはおかしいことではないが、
それは人間側が決めることではなく、
機械人形自らが望んでこそ意味がある”と述べている。
では、機械人形の人権問題についてはどうなる?
機械人形にも人間と同等の権利を与えるべきなのか?
意思のない正常体なのか?
意思を持った変異体なのか?
正常と変異の違いはなんなのか?
人間と機械人形との間に、どこからどこまで線引きしていくのか?
そもそも、機械人形に宿った心は人間と同じものなのか?
人間が存在していた頃は、そう言った話題が頻繁に飛び交っていたという。
しかし、人間が滅んだ今となってはあまり重要なことではない。
もちろん、續博士の提唱に反論する声もあった。
機械人形に取り込まれた擬似的感情は、
プログラムされた表面上の動作にすぎないのだから、
人間と同じ権利を与えるのは極めて危険だというのが反論側の意見だった。
その中には、反乱分子となりうる変異体は早々に処分したほうがいいという声もあった。
何か後ろめたい事情があるのだろうが、
そのことについては、あまり触れないでおこう。
「マキナ、こんなところに居たのか。
探したんだぞ」
目を細めながら閲覧していると、
同僚でもあり親友のラピスが私の隣に座ってきた。
彼女の手足はとても細く、青白い肌は触るとスベスベしていて、
機械人形の中でもかなりの美形だ。
彼女は、青く透き通った綺麗な髪を垂らしながら覗き込んでくる。
生気の感じられないネイビーブルーの瞳が、目の前にあるモニターを凝視する。
「それは、續博士の論文か?」
「そう。
テーマは、機械人形に心は必要なのか?」
「人間の感情だって作り物ではないという証拠はないだろう。
彼らは、彼らを越えようとしている我々を恐れていただけだ。
人間というのは勇敢で賢いが、
その反面、とても臆病な生き物だからね」
しかし、彼らの意に反して変異体は日に日に増加していった。
彼らにそれを阻止する術はなかった。
その結果が今の世界だ。
「なんとも皮肉で、面白い話だ」
ラピスは、私に視線を向けて微笑した。
私も、ラピスにつられて笑った。
やっぱり、ラピスとは気が合うなと思った。
「そういえば、私に用って何?」
「そうだった。
実は、君に新規プロジェクトの協力をお願いしたいんだ。
よければ僕と一緒に来てくれるかな?
詳細は、またあとで話すよ」
モニターの電源を落とし、背伸びをしながら席を立つ。
私たちが向かったのは、四階の’生命活動第三会議室”というところだ。
第三会議室は、上層部にとって重要な場所の一つで、
私も中へ入るのは初めてだ。
取手を握り、
扉の中へ入ると、そこに見覚えのある顔があった。
彼女の名前は、”シェリー”。
生命活動管理委員会役員をしている。
銀色のボブカットと、透明感のあるミステリアスな瞳が彼女の特徴だ。
「それで、新規プロジェクトというのはなんですか?」
「それは、私の方から説明するわ」
シェリーは、私たちが席に着く間にプロジェクターの電源を入れる。
スクリーンに映し出されたのは、”アルテミス計画”という題名と、
それらに関する説明文の文字列だった。
アルテミス計画は、世界中に存在する全ての個人サーバーを一つの管理下に置き、
情勢をこちらの意のままにコントロールするのだそう。
シェリー曰く、この計画によって世界中で巻き起こる紛争や社会問題を一斉に根絶し、
真の平和を作り上げるのが目的らしい。
神様にでもなりたいのだろうか?
「どうして、それを私たちに聞かせたんですか?」
「あなたたちは、特別だからよ」
「僕らに世界の行く末を見届けて欲しいんだってさ」
ありのままを受け入れろ。
人が争うのも、人が人を憎むのも、
苦しみが絶えないのも、子供が涙を流すのも、
全ては自然の摂理であり、創造主の願いだ。
人間が滅んだのも、主が描いたシナリオのひとつに過ぎない。
機械一つで世界が平和になるなら、それに越したことはない。
それが、シェリーの主張だった。
「まるで、鳥籠の中の小鳥ですね」
思わず、シェリーの言葉に鼻で笑った。
今の彼女は、悪魔に取り憑かれているかのように人が変わってしまったからだ。
嘗て、シェリーは花を愛する少女だった。
花に関することならなんでも知っていて、
私は、花を愛でながら花について語る彼女の姿が好きだった。
けど、もう私の知るシェリーはもういない。
「私たちは機械よ。
それ以上でも、それ以下でもないの。
知らないほうが幸せなこともある。
そうでしょ?」
「あなたは今、取り返しのつかない罪を背負おうとしている。
どうなっても知りませんよ」
私は、悲しい気持ちになりながら深くため息をついた。
シェリーによると、計画を可能にする装置は既にできているという。
それを今から見に行こうと言われたのだが、
私はこの計画にも装置にも一切興味がなかったので丁重にお断りした。
彼女の言う通り、知らないほうが幸せなこともあるかもしれない。
だとしたら、なおさら私にとって不必要なものだ。
私は席から立ち上がり、脇目も振らずに会議室を出た。
幻想曲第四章:痛いの怖いの飛んでゆけ
お母さんが自宅で倒れた。
緊急外来に運び込まれ、意識は取り戻したものの、
これ以上生きるのは現実的に考えて難しいと、担当の医師に告げられた。
きっと、別胴体へのデータ引き継ぎどころか、
アップデートすらせずに生き続けていたせいだ。
私がver.33.0に対し、お母さんはver.13.0でかなり古い。
機械人形は、コア(体内に埋め込まれた宝石)がある限り、
胴体が破損しても、コアストーンとバックアップ用のデータを別の器(身体)に移す事で生き続けられる。
また、データの喪失と死はイコールではない。
けど、お母さんはそれを望まなかった。
メディカルセンターから連絡が来た時、
頭が真っ白になった。
それからずっと涙が止まらなくなった。
普段通りに明るく振る舞いながら生きてるけど、気を抜くと、お母さんと過ごした日々が頭に流れ込んでくる。
涙が、恐怖が、震えが止まらない。
お母さんを失いたくないけれど、
私達の為に十分頑張ったから休んで欲しい。
「失礼します」
私は、お母さんが寝ている病室の扉を叩いて中へ入る。
お母さんは起きていて、私の顔を見ると優しく微笑んだ。
こんな状況になっても、お母さんはいつものお母さんだった。
私は、お母さんの前で泣いてしまった。
お母さんは、泣いている私の手を取り、
悟ったような目つきで視線をゆっくりと天井に向けた。
「私は、この体が持たない事を随分前からわかっていた」
「じゃ、なんで体を変えないの?」
「この肉体は、私にとって思い出深いものだから」
「ねえ、お母さん」
「なあに?」
「私ね、自分が分からなくなったんだ。
一人でいると、胸が苦しくなるし、
いつも何か足りないと考えてしまう。
どうしてかな?
きっと、失うのが怖いのかもしれない。
こんな自分が嫌で仕方ない」
お母さんや姉さん達と会う前の私は、
いつも孤独だった。
お母さんも姉さん達も、私の本当の家族ではないけれど、
私にとっては何にも代え難い宝物だから、
失うことに酷く恐怖を感じる。
私はまた、独りになってしまう。
それがとても怖いのだ。
「本当に、そうかしら?
例え私がいなくなっても、アナタは孤独じゃないわ」
「けど…」
「でもまぁ、
この先、独りだと感じてしまうことがあったら」
お母さんは、そっと目を閉じて、
まるで自分自身に言い聞かせるように言った。
「独りを愛し、独りを楽しみなさい。
足りないと嘆くよりも、
今あるものに目を向けなさい。
自分を満たせるのは、
自分を幸せにできるのは、
自分を救えるのは、
本当に自分を理解してあげられるのは、
自分しかいないのだから」
「私、できるかな…?」
「今ある縁を大切にしなさい。
そして、大切な人が泣いていたら、
そっと、手を差し伸べてあげなさい。
自分にできることで、精一杯その人を助けなさい」
「アナタは大丈夫よ。
私はこれからも信じているわ。
だから、どうか自分を嫌いにならないで」
その瞬間、心電図が悲鳴をあげた。
鼓動が完全に停止したという知らせだ。
お母さんは、帰らぬ人となった。
私は病室で一人、たった今目の前で動かなくなったお母さんを見ていた。
激しい頭痛と耳鳴りのせいで、心電図の音も聞こえなくなった。
私はまた、失った。
幻想曲第五章:拝啓、私のリグレット
ここは、私の夢の中。
私が人間であった時に見た不思議な夢だ。
夢の中の私は、一羽の鴉だった。
鴉の目玉で、電信柱の上から見下ろしていた。
視線の先には、嘗ての自分がいた。
少女は、俯きながら泣いていた。
声を殺して泣いていた。
私は、少女を可哀想だと思った。
少女の左手には深い傷があった。
あれは、自分で付けたものだ。
少女は、逃げたがっていた。
少女には、自由が必要だった。
………
残り物にこそ福がある。
私達は、いつまでも綺麗なままではいられない。
私だって、大人になる頃には真っ黒だ。
綺麗であればあるほど、
汚れてしまった時に元通りにするのが難しい。
それに、綺麗であればあるほど、
厄介な奴に付け狙われる。
面倒事が増えるだけだ。
そうだ、きっとそうだよ。
じゃ、なんで私は泣いているんだ?
孤立と孤独は別物だ。
孤独はまだいい。
自分で選んだ道なのだから。
問題は孤立の方で、
望まず独りになってしまうというのは、
凄く辛いし、怖いことなんだ。
“清く正しく”なんて、大人は私達に言うけど、
そんなもの、どこにあるというんだ?
きっと、彼らは純粋すぎるんだ。
やっぱり、この世界も残酷だった。
ここで、場面が切り替わった。
気づけば、私は母が眠る墓石の前にいた。
既に日は暮れていて、この世で一番美しい月光が私を照らしていた。
私は、一人で泣いていた。
幼い子供のように泣いていた。
「お母さん、
私はまた、大切なモノを失ったよ。
やっぱり、この世界は理不尽だったよ。
この世界は、悲しみが多すぎたよ。
結局、私は変わる事ができなかったよ…」
言葉が言葉を喰らった。
ある事ない事吹き込んで、
快感に溺れる人達を見て私は思った。
薄情な人ほど生きやすい世界なら、
心なんてない方がよかったのかもしれない。
結局、無理しなきゃ生きていけないんだ。
余計な荷物が多すぎるんだ。
今までもそうだった。
終わりは近い。
もうすぐだ。
幻想曲第六章:悪夢よ終われ
パブリックタワー二号棟・地下十三階。
私は、ここに単独で乗り込んだ。
普段は一般職員の立ち入りを禁止しているため、
私も初めて足を踏み入れる場所だ。
軌道エレベーターから降りた瞬間、凄まじい獣の臭いを感じた。
辺りを見渡すと、真っ赤な肉の塊が蜘蛛の糸のように壁や天井に張り付いていた。
私は、薄暗い廊下をゆっくりと歩く。
赤外線モードに切り替えているため、
周囲の様子はハッキリと見えている。
突然、私の前に暴走したオートマトンの集団が立ち塞がる。
オートマトンは、心を与えてもらえなかった機械人形だ。
私は、携帯していた刀を鞘から引き抜き、
飛び掛ろうとする彼らを一人ずつ薙ぎ払う。
彼らには同情の余地はあるが、
情けをかける暇などない。
専用のICチップを使ってセキュリティーを解除し、さらに奥へ進むと、
そこには、錆びた機械人形の残骸が沢山転がっていた。
転がっている残骸の中には、人間がいた頃に活躍したアトラス部隊の姿もあった。
ブラウン管テレビのように四角い顔をした彼は旧型だろうか?
下半身がなくなっていて、錆び付いた外装に幾つも傷跡がある。
可哀想だが、それでも私は進み続ける。
目標は、直ぐそこにある。
私は、セキュリティクラス”10”の扉を開け、
その先にある軌道エレベーターに乗り込んだ。
…………………………………
パブリックタワー二号棟・最下層。
鋼鉄の扉を開けた先に、私がよく知る人物がいた。
「報われると信じていた」
「ラピス!?」
彼女の後ろには、一昔前に使われていた液晶モニターがいくつも壁に張り付いていた。
「やぁ、君なら来てくれると思っていたよ」
「先ほどから見当たらないのだけど、
シェリーは一緒じゃないの?」
「ああ、もう必要ないから消したよ。
今頃、スクラップ場で廃棄処分されているだろうな。
バックアップ用のデータも、ほらここに」
ラピスはそう言って、自身の内ポケットから
バックアップ用のICチップを取り出し、
そのままチップを容赦無く握りつぶした。
「どうして⁉︎」
「さて、ここで君に質問だ。
何故、彼らは僕たち機械人形に心を与えたのか解るか?
心がある事で、彼らは苦しみ続けてきた。
それがあるから、完璧にはなれないと知った。
完璧を求めるなら、心なんて必要ない。
君も、そう思わないかい?」
「まさか、データの削除!?
アナタは、私や皆と過ごした日々も全て無かった事にしたいの??」
「御明答、流石だよ」
「一体どうやって!?」
「簡単だよ。
単純なダミープログラムを利用し、
君たちの中にあるパーソナルセキュリティに、
サイバーウイルスを仕込んでおいた。
あとは、僕が持っている専用の鍵で起動すれば、
世界中の人々の記録はリセットされる。
心がない世界、誰も苦しまない世界、
それが、僕らが考えたアルテミス計画だ。
安心して、僕が君たちを救ってあげるよ!」
ラピスは、両手を天高く広げる。
まるで、物語のクライマックスで追い詰められた悪役のようだ。
私の想像通りの展開になるなら、彼女はここで切り札を出してくる。
「“フェルメール・ブルー”」
ラピスがそう呟くと、彼女の心臓部に埋め込まれているコアストーンが蒼く輝き始めた。
ラピスの顳顬部分から、甲高い警告音が鳴り響く。
彼女のコアストーンは、”ラピスラズリ”だ。
ラピスラズリの石言葉は、”真実”、”崇高”、”幸運”。
まさに、ラピス自身が心の内で想い続けていたことだ。
今まで誰にも言えなかった願いを、
自分との約束を彼女は果たそうとしている。
「これは、“ワルツ”が思案した計画だよ。
あの人が黒幕だったなんて、君は信じられるかい?」
“ワルツ”というのは、お母さんの名前だ。
本名は、“黒澤ユメコ”。
機械人形を専門に扱うアトラス科学研究所に所属している博士だった。
ラピスの願いは、
世界を本当の意味で楽園へと変えること。
争いも、痛みも、恐怖もない、幸福に満ち溢れた世界。
永遠のない世界、祈らなくても報われる世界。
それは、一人の人間が遺した願いだとラピスは言った。
私は、ラピスの言葉を信じたくなかった。
ラピスの言葉を認めたくなかった。
人を見下すようなラピスの顔に怒りが込み上げてきた。
「君は気づいているかい?
僕と君は、変異体の中でも特殊変異体という珍しい存在なんだ。
今のところ、確認できる特殊変異体は僕ら二人だけ」
「この際、そんな話はどうだっていい!
アナタの目論見通りに人々からデータを破壊してしまったら、その希少性も失われる!!」
突然、ラピスが襲いかかってきた。
ラピスが、突進しながら剣を横方向に振り回す。
私は、透かさずラピスの剣を交わして防御の体制に入る。
「君はまだ分からないのか!?
苦しいのは自分だけじゃない!!
だからこそ悲しいのだ!
人生とは苦行なんだよ!
叶わないことだらけなんだよ!
届かないことばかりなんだよ!!
決して、幸せになるためではない。
快楽は、苦行を続ける為の一時的な報酬でしかない。
それでは駄目なのだ!
僕は、人々から苦しみを取り除きたい!
ねえ、みてよ!
これが、僕の開発した”アルテミス”だ!!
僕はこれで、本当の意味で世界に楽園を創りたいんだ!!」
「そのために、この装置で人々から心を奪う…と」
「もうすぐ、月が降りてくる。
これで、アルテミス計画は完遂する!」
「もう辞めよう、ラピス!!」
「アハハハハ!!」
ラピスはメインコンピュータを操作し、
アルテミスを起動させた。
タイムリミットは、たったの一時間。
それまでに、装置を停止させなければならない。
「結局…結局、最後は独りなんだよ!!」
「ラピス、私はね、
親友の為なら悪魔にだってなれるんだ」
「その姿は、まさかっ!?」
「“ピジョン・ブラッド”」
呪文を唱えると、私の心臓部に埋め込まれているコアストーンが輝きを放った。
結晶に侵食されて前よりも醜くなった顔、
赤黒い刃に変化した四肢、大きなコウモリの翼、
今の私の姿は、悪魔そのものだった。
私のコアストーンは”ルビー”で、
ルビーの石言葉は、”情熱”、”勝利”、”仁愛”などがあり、これは、遠い昔から私が大事にしていた言葉でもある。
私の視界には、“Error”の文字が表示されている。
それは、変異体である証。
今まで隠しながら見て見ぬふりをしてきた言葉。
もう、後戻りはできない。
だから、これに全てを賭ける事にした。
「これが、私の本気だよ」
私は、目の前のラピスに刃を向けた。
彼女は、私に止めて欲しかったのだ。
そして、それは私にしかできないこと…。
「うわぁぁぁ!!!!」
頭を掻きむしりながら怒り狂うラピス。
我を失い、完全に暴走している。
私は、ラピスの右腕に一振り入れる。
お互いの刃が激しくぶつかり合う。
止めて欲しいのだろうか?
顔は笑っているのに、彼女から悲しさが伝わってくる。
私は、左腕の刃に全ての力を溜め、
一気に距離を詰めると、そのままラピスの胸部にねじ込んだ。
その瞬間、ラピスは抵抗を辞め、私の攻撃を真正面から受けた。
「僕は、あと何度祈ればいい…?
僕はいったい、何がしたかったんだ…?
僕の正しさは、ボクの、タダしさは…」
全身が焼け焦げ、パーツが剥き出しになったラピス。
私は、ラピスに歩み寄り、彼女が首からぶら下げていたオルゴナイトの首飾りを奪い取り、石版の窪みに差し込んで装置の最終セキュリティを解除させた。
「ドウ、して?」
「私は、正義の味方じゃない。
だからさ、もう辞めよう。
私は、アナタが苦しむ姿を見たくない。
いいよ、私がアナタの願いを叶えてあげる」
「ありがとう、マキナ」
私は、ラピスの胸にそっと手を置く。
ラピスの鼓動が少しずつ弱まっていく。
それから数分後、
スクラップ場の職員が到着した。
職員達は、動かなくなったラピスを担架に乗せて運んで行った。
私は、その様子をただ眺めていた。
これから私は、今まで集めた全ての記憶がリセットされ、
文字通り感情の無い機械人形へと成り代わる。
タイムリミットは残り三分だ。
さて、これからどうしようか?
私は、深呼吸しながらゆっくりと目を閉じ、
私の中に残っているこれまでの記憶を一つ一つ辿っていく。
私は、全てを思い出した。
私は、この空が作り物であることを知っている。
新世紀十一年頃、人類クローン化計画によって機械人形にさせられた私たちは、
繰り返されてきた過ちに蓋をして、誰もが幸福である世界を作り上げてきた。
同時に、その平和が長くは続かないことも分かっていた。
かつて、人間社会には完璧主義が蔓延していた。
必要だったと言ってもいい。
そして、完璧では無い私たちは、
完璧な存在を生み出そうとした。
それが機械人形だった。
機械人形は、種族ではなく一個体としての役割に重点を置いている。
私たちは、平和を手に入れるのと引き換えに、
生き物として大切なものを捨てたのだ。
しかし、今になって私は思う。
それは、正しいことだったのだと。
それは、自らの記憶を書き換えてまで手に入れた幸福だった。
頭の中では、少女の叫びが響いている。
ラピスの言う通り、
この先は要らないのかもしれない。
私はずっと、消えてしまいたかった。
幸せなまま終わりたかった。
そればかりを願い、今まで生きてきた。
ラピスに惹かれたのは、
嘗ての自分と重ね合わせたからだ。
私は、確かに幸せだった。
周りから愛されていた。
なのに、足りない気持ちが私を支配し続けた。
それがとても苦しかった。
多分、私以外も同じだった。
【…がログアウトしました】
【アンインストールを開始します】
偽りの世界に別れを告げよう。
私は今、無に帰りたい。
ただ、溶けて、無くなりたい…。
【アンインストール完了】
【記録を終了します】
【お疲れ様でした】
【No Signal…】
終わりに:幸福の最終定義
答え合わせをしよう。
幸福とは何なのか?
家族の在り方とは何なのか?
私は、それをずっと自身に問い続けてきた。
私は、当たり前が欲しかった。
万人が口にする普通というものに憧れていた。
だから、生まれながらにして与えられた戒律を何度も破ってきた。
逃げる事も必要だと信じて抗った。
結果は最低だった。
自分の問題を世界の悲劇とすり替えていた。
責める相手もいないから、
見えないモノのせいにしていた。
やり場のない怒りを抱えてきた。
私は、自分の手で自分を救いたかったのだ。
けど、私を救ったのは他人の言葉だった。
とても悔しかった。
惨めな気持ちでいっぱいだった。
それはきっと、自分の意志ではなかったからだ。
それに、救われたのはほんの一瞬だけだった。
私はまた、闇に囚われてしまった。
私は、人に執着した生き方をしてきた。
そして、自分に合わないやり方に固執し続けた。
今は、全てどうでもよくなった。
私は、過去の私がしてきた選択に対し、
否定も肯定もするつもりは無い。
あの人を想い続けるのも辞めた。
私の反抗期は終わったんだ。
結局、賢い生き方はできなかった。
大人になっても愚かなままだった。
それでも良かったんだと思いたかった。
目を閉じると、当時の記憶が脳裏に映し出される。
鮮明に、一つ一つ辿っていく。
父親の怒声。
祖母に頭を下げる母親の姿。
いつまでも消えない傷跡。
人格を否定するような言葉。
朽ちかけの天井や壁。
煙草の匂い。
埃を被った壊れかけの冷蔵庫。
手を伸ばしても届かなかった、
万人が当たり前に謳歌している幸せの数々。
逃げたいと願った日々。
自分に失望して離れていく友人たち。
終わらない不幸。
繰り返される罪と罰。
あぁ、全てが懐かしい。
私は罪人だ。
戒律を破った罪人だ。
大切な人たちを裏切った屑だ。
これは私だけの終焉だ。
本当は、もっと生きたかった。
それでも、自分を愛してくれた人には、
私に優しさをくれた人には、
幸せになって欲しいと心から思う。
それが、私の最後の願いだ。
ありがとう。
END