6.公爵夫人
5日目の夕刻、晩餐前に公爵夫人が公女の部屋を訪れた。
マイアがドアをノックして、公爵夫人の訪れを告げる。ケイがざっと裁縫道具をまとめ、急いで扉を開ける。
「おかあさま、いろいろとご心配をおかけいたしております」
ジュラ(レン)は、ソファから立ち上がり、淑やかに膝を折り、腰を下げた。
「ジュラルディン、座りなさい、ほら、ジュリエッタも。ケイ、お茶を」
ケイは黙って頭を下げ、静かに扉を出て給茶室に向かった。
母・マイアの訓練をクリアしたケイのお茶は正直に言ってレンが“これがモノホンの紅茶なんだな、うん”と感動するテイストだ。お茶を頂き、軽く炒って砂糖衣を被せたクルミを一粒、二粒口に運びながら、公爵夫人は久しぶりに娘と差し向かいで話をしていた。
「ジュラルディン、この度はおめでとう。正直に言ってわたくしは安心いたしました」
「はい、おかあさま、ご心配をおかけいたしました」
「いえ、それはよろしい。母として当然です。
それよりも、あなた、変わった話し方をしているそうね?」
「はぁ」
レンはちらりとケイを振り返る。ケイはわずかに首を振る。
「いえ、ケイではありません。それより、わたくしの前で話してごらんなさい」
レンはちょっと迷ったが。ま、いいか、どうせバレてんならな、とか思ってみた。母親に嘘をつくのは難しい。それがどんな世界でも。
「かあちゃん、心配かけてわりーな」
公爵夫人は、目を見開き一瞬息を詰めたが、手に扇を持っていなかったので、やむなく右手を唇に当て、ほーっほっほっほ! ふーっふっふっ! と大爆笑、息が詰まるほど笑い続けた。
公女は、口をわずかに開いて母である公爵夫人を見つめた。
おかあさま……これは一体……。
「奥様、笑いすぎにございます」
マイアが後ろからハンカチを渡した。目に滲んだ笑い涙を拭うためだ。
「あらあら、ごめんなさいねぇ、でもやるわねぇ、ジュラルディン、あなたも厩で習ったの?」
「あーまあ、そんなかんじ?」
「よくそんな暇あったわねぇ、侍女を躱すとは上出来、よくやりました。さすがわたくしの娘です」
「はあ、お誉めに預かり光栄、いや、かあちゃんにほめてもらえるとは思わなかったぜ」
マイアが、笑いのおさまらない夫人に代わり軽く説明した。
「はぁ~、もう母娘ですねぇ。一姫さま、この母上さまも今でこそ貴婦人らしい公爵夫人となられましたが、幼少から娘時代にかけて、おてんばと言えばこの方のこと。猿も真っ青の木登りに、犬と一緒に川を犬かきで泳いで、裸馬で駆け回っておられました」
「マイア、おまえと一緒にね」
「はあ、まあ、違うとは申しません」
本物の娘の方は、あっけにとられたまま魂があちらの世界に行ってしまっている。
「して、ジュラルディン、理由を聞いても?」
涙をハンカチで押さえ、お茶を一口飲むと、まだ笑いに引きずられそうになりながらもサスキント公爵夫人ジャンヌマリーアは問いかけた。
「ああ、あれか、セミノのことか?」
「まずそこからいきましょう」
「いやー、さすがにあったまにキちゃって。昨日今日のことじゃねぇんだなぁ。
俺はセミノが仕える女主人だ。雇っているのはサスキント家で帝宮じゃねぇ」
「よろしい」
「あーったくよ、あの侍女は皇帝家の推薦状を盾にとって言いたい放題、やりたい放題。
すーぐに“姫さま、それは皇太子妃としてふさわしからぬお言葉使いです”だの”帝宮ではそのようなマナーは許されません“だの、うっせーつーの。一回直接言ってやりゃぁよかったよな、「おだまり!」とな。失敗したぜ。
皇太子妃になりゃ、オレがスタンダードだ、オレが赤といやぁ、黒いカラスも赤色なんだよ。オレが合わせるんじゃねぇ、水晶宮 (皇太子宮の名称)の奉公人がオレに合わせるんだ。
文句つけられるのは皇太子か皇帝陛下、がんばって皇妃陛下ってところか。それだって直接は無理、せいぜい侍女を寄こしてイヤミのひとつも言うくらいだろう?」
「よくそこに気が付きましたね。その通りです。あなたにはサスキント家の権力と財力が付いています。苦情を言われる筋合いなどありません。あなたへの苦情はサスキント家への誹謗中傷に他なりませんから。そもそも、水晶宮の奉公人の半数はサスキント家からあなたについて行く執事、侍女とメイドになるのです。部屋割りや食事のメニューも夫人の職務ですから、王太子宮はあなたが差配する場所になります。
だからこそ、セミノは帝室から遣されたのではありませんか。あなたが皇太子妃になる前に、皇帝家の都合のいいように矯正しようという意図でしょう?
あなたはそれを心得て従っていたのではないのですか」
一の姫は、右の小指を耳に差し入れて、ちょっとばかり悪い顔をして“耳をかっ穿って”みせた。
「ああ、まあなぁ。まだ12歳だったしなぁ、あの頃はオレも純情だったぜ」
「ほーっほっほ、そのとおりねぇ」
「奥さま、押さえてくださいませ。お話が進みません。一姫さま、手はお膝に」
「はいはい」
「で、だな、オレは皇太子の態度に怒ってるわけだ」
「おやまぁ、今更?」
「かあちゃん、オレはもう十分辛抱したと思うぜ」
「ええ。よろしい、あなたはきちんとした大人の女性になったということです」
「では次です。
言葉を変えた理由を伺いましょう、来年は皇太子妃になる予定のサスキント公女」
「ああ、それな。
いやー、ストレス溜まっちゃって。地を出しちゃおうかなって。それで嫌なら暗殺してくれ、ってことだな」
「つまり、もう命を掛けても構わないと」
「ま、そゆこと。言っちゃあなんだけどな、このままじゃあストレスか出産で死ぬ」
「よろしい。上出来です。さすが我が娘、褒めて遣わします。
自分は死にかけていると思うのですね。それで、起死回生、どうせ死ぬならやりたい放題ということなのね」
「いや、まあ、そこまでじゃない。帝宮でのマナーは守る。言葉も公女言葉で対応する。
ただ、仕掛けてくる理不尽には対抗するってことだ」
ジャンヌマリーアはしばらく娘の顔を見つめながら自分の思考に沈んでいた。
部屋が沈黙に支配される中、ケイが静かにお茶を淹れなおしていた。