シラサギの飛び立つとき
この物語にはロシアが登場しますが、私はロシアの文化にのみ憧憬を抱くのであり、戦争によって苦しんでいる人々への救済を願っています。
冷たい空気が肺を刺した。ここに来たのは三年振りだったか。前は高校二年の冬休みに来たのだった。ちょうどスケートをやめたばかりで、せっかくこの国に来るならまだ現役の頃が良かったと思ったのだ。
狭いタクシーの車内で揺られている。乗る前からこの車のさびれ具合は酷く、四隅の塗装は剥げかけ、座席のソファは人が座った形のままへこんでいるという有様で、いざ発進するとそれは酷かった。尻に直に振動が来る、だけならいいが、揺れがひどくて口を開けていると舌を噛みそうになる。それに暖房が効いていないのか、外の冷気が車内をあっという間に満たす。極めつけは田舎人特有の運転の荒さだ。田舎の運転の荒さは万国共通らしい。車体の振動と寒さのダブルパンチで、体の震えが止まらない。運転手が気さくにロシア語で話しかけてくるが、私も母も現地の二歳児程度にしか言葉はわからないし、唯一喋れる父親も寒さと荒い運転のせいで日本語すら喋れない有様だ。運転手はハンドルを握りながら父の顔を一瞥して、やっと外国人だと気がついたのか、それ以降は話しかけてこなかった。
寒さと尻の痛みを紛らわすために外を見ていたが、一面、白、白、白の雪景色が延々続くだけだった。外国に来ると、日本は車に乗って旅行をするだけでも楽しい国なのだと思い知らされる。山があり、田んぼがあり、住宅があり、川があり、海がある。ロシアの田舎は——少なくともイルクーツクからさらに北の方の田舎は——住宅かたまに木々があるだけで他は真っ平だ。冬の姿しか見たことがないせいもあるだろうが、ロシアと言えば白の地平線というイメージだった。初めてこの景色を見たときはさすがに興奮したが、今はこの代り映えしない景色は寒さを助長するだけだ。
何か、どうでもいいことを考えよう。数時間前に食べた機内食の味のしないクリームペンネのことを思い出す。正直なところ、あのペンネより二百円くらいの冷凍食品のパスタの方が美味しい。既に日本が恋しくなりかけていた。
これではいけないと思い、何気なくスマホの世界時計を見てみる。イルクーツクと東京の時差はほとんどないから、東京も今頃は夕方だ。バンクーバーの方に目をやると、イルクーツクとの時差は十六時間、イルクーツクの方が早い。ということは今のカナダは夜中だ。訪れたことのないカナダの風景を想像する。ぽつぽつと街頭の灯りが点いているのを除いて、レンガの歩道や高層ビルは闇の中に寝静まっている。街角のアパートの一室で、周は静かな寝息を立てている。練習で酷使された筋肉がベッドの上で安らぐ。いや、もしかしたら、夜更かししてゲームをしているかもしれない。と、ここまで考えて自分に呆れる。気がつくと周のことを考えている。
まだ私は周のことが好きなのだろうか。しかし、好きだったとしてもどうしようもない。振られた以上、こちらはどうすることも出来ない。いつまでもうじうじしている自分が情けなかった。暇つぶしは諦めて、何も考えなくて済むように目を閉じた。
「……きなさい。かもめ、起きなさい。もう着くわよ。この揺れの中で寝ていられるなんて、かもめはほんとうに図太いわね」
体が揺り動かされる。気がついたら眠っていた。私の豪胆さにあきれる母のうしろに曾祖母の家が見える。片道五時間の目的地だ。父が運転手に「ここだ」と言うと、タクシーが急停止したので、私は目の前の座席に思いっきりおでこをぶつけてしまった。おかげで一瞬で目が覚めたけれど。
車を降りると曾祖母が出迎えてくれた。彼女はロシア人だ。まさにスラヴ系の顔という感じで、ほっぺと鼻を真っ赤にしてにこにこ笑っている。ロシア語で「おお、元気にしてたか」と言いながら私の頬を曾祖母の手が包む。硬く温かい手のひらだ。私は「ダ(はい)」とだけ返事をして、笑って見せた。思っていた以上に自分がロシア語を忘れていた。
ブーツについた雪を払って家に入る。ドアを開けるとすぐに居間だ。暖かい空気が私の凍えた肌をじんわり溶かしていく。色褪せたクリーム色の壁と歩くたびにぎしぎしいうフローリング。前に来た時から変わらない。食卓の上には様々なロシア料理が並んでいる。キッチンにはまだ運びきれていない料理があるようで、イリヤが両手に大皿を持って出てきた。「久しぶり」とあいさつを交わす。
イリヤもロシア人で、私のはとこにあたる。私の一個上の二十一歳で、曾祖母とこの家で二人暮らしだ。片親育ちで、唯一の父親も海外出張が多いために、曾祖母の元に預けられているらしい。
二階の寝室に荷物を置きに行くと、暖房の中で厚着をした体はすぐに火照ってくる。ダウンコートとニットを脱いで畳んでから、すぐに居間に下りて夕食の配膳を手伝いに行く。
「数年ぶりの家族の再会を祝して、乾杯!」
父がグラスを持ち上げると同時に、曾祖母、母、イリヤ、そして私もグラスを掲げた。私はウォッカを舐めながら、そういえばどうしたってこんな時期に曾祖母の家を訪れたのだろうと考える。父はちょうど転職先が決まった後の有給消化中で時間があるようだし、私も大学の春休みで暇をしているし、ちょうど円高だし、いろいろな都合が噛み合ったということだろうか。今までだって頻繁に来られていたわけではない。私の記憶にあるうちでは、ここに来たのは今回で三度目だ。そこまで家族旅行の多い一家でもない。これから私が就職することを考えると、曾祖母やイリヤに会えるのは今度が最後かもしれない。
私たちは酒を飲みながら、もうじき来たるマースレニツァというお祭りの話や、イリヤと私の大学の話、父の仕事の話、日本とロシアの政治の話を順繰りにしていった。初めのうちはロシア語がほとんどわからない母と私を気遣って、皆ゆっくり分かりやすい語彙で会話してくれていたが、酒が回るにつれてどんどん聞き取れなくなっていく。私はそうなるとひたすらペリメニを食べていた。ペリメニは日本の水餃子とほとんど同じ料理だ。もちもちした皮を咀嚼する。外国に来ると、馴染みのある料理を見るだけでそれが好物になったように感じるから不思議だ。
食卓の上の料理はほとんど平らげられて、同じような話が二周も三周もして、そうしてゆっくり夜は更けていった。私はすぐに酒が回ってしまって、早々に二階の寝室で休んだ。
朝、目が覚めて窓の外を見ると、雪が太陽の光を反射して眩しい。ベッドから出て朝の支度を済ませながら、さてこれからどうしようかなと思う。この家には一週間も滞在するらしい。この家からでは観光名所はどこも遠いから、籠りきりになる。何冊か漫画を持ってきたとはいえ、この分だと読み切ってしまうだろうし、どうしたものかと考えながら一階に下りるとイリヤがコーヒーを飲んでいた。
「ああ、チャイカ。おはよう」
「おはよう。イリヤは早いね」
「これから学校だからね。チャイカもコーヒーどう?」
「飲みたいな。ありがとう」
イリヤがキッチンに向かう。食卓に腰掛けながら、私が初めてイリヤにチャイカと呼ばれたときのことを思い出した。初対面で、お互いにまだ七歳と八歳だったころだ。二人とも今のように英語が喋れなくて、私はロシア語なんてもっと話せなくて、だから今に比べたらずいぶん性能の悪い翻訳アプリを使いながら、自己紹介をしたのだ。
「僕の名前はイリヤです」
「私の名前はかもめです。よろしくお願いします」
「チャイカと言うんですね。こちらこそよろしくお願いします」
このとき、翻訳アプリは私の「かもめ」という名を名前として認識できず、鳥のカモメとして翻訳した。だから、イリヤは私の名前をロシア語でカモメを意味する「Чайка(チャイカ)」だと勘違いしてしまった。訂正しようとしたけれど、当時の翻訳アプリの性能ではどうにもならず、今ではイリヤにチャイカと呼ばれるのにも慣れた。
「はい、どうぞ。おかわりはキッチンのコーヒーメーカーにあるから、自由に飲んでね。それじゃあ、行ってきます」
「忙しいのにありがとう。行ってらっしゃい」
イリヤはリュックを抱えて出ていった。ちょうどすれ違うように、母が二階から下りてくる。母の分のコーヒーを私が淹れて、二人で今後の予定を確認し合う。母はおおよそ曾祖母の家事を手伝ってこの一週間を過ごすつもりらしい。父は思いっきり羽を伸ばすために来たようだし、私もそうなるかな、と母に言うと
「えぇ、せっかくだから前来たみたいに滑ってればいいじゃない。そこらじゅうに氷はあるんだし」
「いや、そうはいっても湖の上に張ってる氷なんてガタガタなんだよ。そもそも2年くらいまともに滑ってないし」
返事をしながら、母という人間はどうしてこうもデリカシーがないんだろうと思う。そもそも前に来た時は、怪我をしてスケートをやめた直後のはずだ。当時ここで自分が滑っていた記憶はまるでなかった。
「でも暇でしょお。せっかくロシアに来てまでぐうたらなんて、普段と変わらないじゃない。前は怪我したばかりだからやめなさいって言っても滑りに行ってたのに。ほんとあんたって子は意地っ張りね」
「はいはい考えとく。コーヒーごちそうさまでした」
適当に返事をして二階に退散する。たしかに母のいうことも一理あるが、雪景色を見ながら暖かい部屋で漫画を読むのもいいだろう。まずはそれからだ。
そうして気づけば三日が過ぎた。残すところあと三日。半分を超えたが、漫画はほとんど読み終わってしまった。この家には娯楽が全くなかった。本当に、テレビとモノポリーくらいしかない。Wi-Fiもない。私の心もとないデータ利用量のスマホではすぐに通信制限にかかってしまう。イリヤにどうやって生活しているのと尋ねると、友人とのやり取りくらいにしかスマホを使わないので困ることはないらしい。他の友人の中にはゲームやコミックをたくさん持ってる子もいるけど、だいたい皆外でお酒を飲んで遊ぶから、こんなもんなんだよと言われた。たしかにイリヤは初日の晩は私たちのために夕食を共にしてくれたけれど、次の日以降は夕食にいないことが多かった。
手持ち無沙汰に、周とのメッセージのやり取りを見返す。最後のやりとりは二週間前、周から道端にいた猫の写真が送られてきて、カナダにも野良猫っているんだね、という数往復で終わり。振られはしたけど、メッセージのやりとりは以前と変わらず続いている。周とは小中学校と同じだった。高校から彼は他県のスケート強豪校に通ったけれど、年に二回は帰省してきたし、私も地元の同級生を連れてたまに周の方に遊びに行っていた。お互い、振った振られたくらいで十年来の幼馴染をなくそうとは思わなかった。
周に雪景色の写真でも撮って送ろうかと思い、コートを着て一階に下りると、イリヤが居間で遅めの朝食をとりながらパソコンを開いている。この時間にイリヤが家にいるのはめずらしい。
「今日は大学はないの?」
「うん。今日は休みだから。あれ、チャイカはやっと滑る気になったの?この前来たときはよく滑ってたよね」
コート姿の私を見て滑りに行くと勘違いしたのだろう。
「いや、スケートはあんまり気分じゃないかな」
「じゃあ散歩?」
「そういうわけでもなくて、写真を撮ろうかなって。……友達に見せる用に」
「ふうん……」
イリヤは何か言いたげな顔だ。母にも同じようなことを言われたが、前来たときはそんなに滑っていたのだったか。やめた数か月後に滑り通しとは未練がましいやつだな、と自分ながらに思う。怪我のことだって、どうしていたのだろう。
「スケート靴は家の隣の物置にあるからね。自由に使っていいから」
頼んでもないのにイリヤにそう言われ、面食らう。ともかくお礼を言ってブーツを履く。イリヤは昔から大人びていた。年は一つしか変わらないのに、イリヤにはなんでもお見通しだった。私は一人っ子だから、イリヤは私にとって遠い国にいる兄という感じだ。
外に出ると冷たい空気が容赦なく私の体を襲う。踏み出した一歩目ではやくも外出を後悔しながら、周囲を見渡す。一面雪景色なのは昨日も一昨日も変わらない。ここ最近はたまに雪が降っても吹雪くことはなく、過ごしやすい気候でありがたかった。はるか遠くの方に、靄にかすんだ稜線が見える。手前の方には牧草地や畑などがあるのだろうが、全て雪に覆われて白い地平線の一部となっている。私は一枚写真を撮って、その場で周に写真を送った。
振り返って、物置の方に向かう。なんとなく、滑ってもいいかなという気分になった。というより、スケートをやめた直後だというのに滑っていた過去の自分に負けてられないという気がした。当時の記憶はないけれど、母やイリヤによれば私は滑っていたのだ。意地を張って、感傷に浸っている今の自分が恥ずかしい気がした。
物置は少し雪に埋もれていた。戸が開けられるように手前の雪をスコップで軽く雪かきしてから、転ばないように気を付けて戸を引っ張る。薄暗い物置の中で、すぐにスケート靴は見つかった。ためしに履いてみると、少し大きいがきつく紐を締めれば滑れないことはない。
スケート靴を持ったまま、一度家に入る。イリヤに「やっぱり滑ってくる」とだけ言って、またすぐに家を出た。後ろからロシア語で「いってらっしゃい」と聞こえた。
一番近場の湖にやってきた。北国ではどこも、冬になると湖の上には氷が張って、近所の子供がそりをしたりスケートをしたりして遊ぶものだ。私は軽く屈伸をしてから、スケート靴を履いて、そろそろと氷の上を滑り出した。何も考えずに足を交互に差し出す。スケートリンクのように氷が平らに均されていないので、ごつごつと氷のかけらが刃に当たる。あまりスピードは出せない。完治しているとはいえ、怪我をした足首のことも気になる。慎重に、習いたての子供みたいにゆっくりと滑る。
滑るのは二年振りだけれど、体は覚えていた。慣れてきたらある程度スピードも出せる。風を切る感覚がする。体が火照ってくる。スピンもジャンプもステップもしていない。ただ単調に滑っているだけなのにどうしてこんなに楽しいのだろう。氷の上をすべるというのは不思議な感覚だ。スケートは動作だけは歩くのと似ているけれど、その半分くらいの労力で、何倍も遠くへ進める。そういえば、高校時代はプールの授業も好きだった。泳ぐとか、滑るとか、体全身の力を使ってぐんぐん前に進んでく感じが好きだ。
無心で滑り続けた。しばらくすると息が上がってきた。大学に入ってからまともに運動していないし、ここ数日はほとんど外にも出ていなかったから、こんなものだろう。湖畔に戻って少し休む。スマホを見ると二時間近くは経っている。そんなに滑っていたのか。よく見れば東の空が少し暗くなりかけている。急いで靴を履き替えて帰路に就いた。
翌朝、目が覚めるとどこもかしこも体が痛い。あんな少し滑った程度で筋肉痛になったのかと悲しくなる。体を動かすのが億劫だったが、ともかく朝食だけは食べに居間に下りる。朝食はパンケーキ、ここにきてから毎朝これだ。家族と適当に喋りながら、もそもそと曾祖母の作ってくれたパンケーキを咀嚼する。外を見ると雪が降っている。この勢いだと今日は滑れないなと思う。あれだけ滑ることを拒絶していたのに、一度滑ってしまうと結構やる気になるものだなと自分に苦笑いする。
二階の寝室に戻って漫画をぱらぱらとめくる。あまり読む気にならない。外に降る雪を眺めながら、怪我をしたときのことを思い出す。高校二年生の夏。発表会前の練習で、曲はベートーヴェンの『春』だった。調子も良かったので通しで滑ってみようとコーチに言われ、演技の後半のトリプルルッツで着地に失敗した。右足首から破裂音がする。この痛みの感じはねんざの類ではない。脂汗がどっと流れて、靭帯が断裂したと直感した。前々から医者には、右足首に変に圧力がかかっているからいつ故障してもおかしくないと言われていた。
これでもう終わりだと思った。怪我の痛みに脳がぐらぐらしながら考える。靭帯の損傷なら、治療をすれば過不足なく歩けるようにはなる。しかし、またすぐにフィギュアをやるためには再建手術をしなければならないだろう。大会に出られても万年予選会止まりの自分の成績では、きっと両親はうなずいてくれない。むしろ、大学受験の勉強はどうするんだとせっつかれていた矢先の事故だった。もう少し慎重に跳んでいたら。怪我をした右足首を両手で支えるように氷上に座り込みながら、コーチが私の方に駆け寄るまでの一瞬でこんなことを考えていた。涙が勝手に流れていた。
案の定、フィギュアはそれきりになった。それから二か月ほど松葉づえで過ごしてから、受験勉強に本腰を入れて、その間にこの曾祖母の家に来たりして、受験をして普通の大学生になった。
外を見ると晴れていた。筋肉痛も大分和らいでいる。滑りに行こうとダウンコートを羽織って一階に下りた。
今日も、昨日と同じようにまっすぐ滑るだけ。足を交互に動かす。前へ滑る。動かす。滑る。これを繰り返す。ふと立ち止まって、助走をつけてから軽くスピンをしてみる。覚束ない。軸足もぶれているが、一応回ることはできた。軽く達成感を覚える。そうだ、スポーツとは本来絶え間ないフィードバックの連続で、ある一定のラインに到達すると達成感や充足感が得られる、それだけの行為だったはずだ。
対して高校生の頃は、苦しかった。練習している真っただ中では気がつかなかったが、常に感じていたあの呼吸の浅さは苦しさだったのだ。コーチに叱責され、疲労でうまく体が動かなくても無理やり動かして、曲の解釈がなってないと高次元のことで叱られて、めちゃくちゃになりながらひた走っていた。
周の存在もだ。彼は昔からスケートが上手だった。環境は近いはずなのに、才能の有無でここまで成績が離れるものなのかと現実を突きつけられた。お互い家が近所で、近場にスケートリンクがないから車で一時間のリンク場に送り迎えしてもらっていたし、小学校四年生まではコーチだって同じだった。けれど、彼はスケートを愛する才能があって、努力する才能もあった。親からの金銭的援助も手厚かった。気がつけば隣にいたはずの周はカナダに留学して、ついこの間はグランプリファイナルに進出した。対して私は、ロシアの僻地で、ガタガタの氷の上で怯えながらスピンをしている。
周はスケートが大好きだった。というより、スケートバカだった。今でもよく覚えているのは、小学生のとき。私がクラスの子に意地悪されて泣きながら下校すると、帰り道に周が待っていて、一緒にスケートをしようといつものリンク場に連れて行かれた。
「なんでこれからスケートをしに行くの?今日はレッスンもないのに。夕飯に間に合わなくなっちゃう」
周の親の車に乗せられながら、半べそをかいた私が周に尋ねる。
「だって、かもめちゃん、元気ないかなって。元気がない時はスケートをすべるでしょ。すべってると嫌なことぜんぶわすれちゃうもん」
周がもじもじしながら言う。
「そうかなあ」
この時の私はあんまり腑に落ちなかった。けれど、周は一緒にスケートを滑ることが一番の励ましになると思っていたのだ。
それから、人もまばらな閉館間際のリンク場で、手を繋いで二人で滑った。当時話題だったアイスダンスの演技を真似してみたり、追いかけっこもした。たくさんこけて、笑って、帰るころにはたしかに元気になっていた。
ひとしきり滑ったあと曾祖母の家に帰って、夕食の後は疲れてすぐに眠ってしまった。朝の四時に目が覚める。今日ここを発つのに、荷造りがまだ終わっていない。慌てて広げた荷物を片し始める。ひと段落したところでまた寝ようとベッドに潜るが、なかなか寝付けない。仕方がないので居間に下りて暖かい物でも飲もうと思い立つ。
キッチンに灯りがついている。よく見ると曾祖母が料理をしていた。こんな朝早くからいつも朝ご飯を作ってくれていたのかと驚く。ロシア語でおはようと挨拶する。
「あら、おはよう。今日は早いね」
「うん……」
目が覚めてしまって荷造りをしていたとロシア語では言えそうになかった。スマホでロシア語翻訳アプリを出す。早起きの理由を翻訳機越しに伝える。「おお、そうかそうか」と言われたので、意味は通じているようだ。
「毎朝こんなに早くからご飯を作ってくれてたの?」
「いいや。今日はおまえたちが日暮れ前には帰るだろう。だから朝くらい豪勢にしようと思っただけだよ。それに今日からマースレニツァだからね」
「そうだったんだ。朝食の準備、私も手伝うよ」
「あらそうかい。じゃあ、まずはブリヌイを焼いてもらおうかね」
ブリヌイは確か、クレープのことだ。そういえば今日から一週間、ロシアではマースレニツァというお祭りがある。肉食が禁じられていて、小麦粉料理と乳製品と魚しか食べられないかわりに、思う存分食べるという祭りだ。マースレニツァの間はとにかくたくさんブリヌイを食べるのだと前に来た時に父に教わった。今日からそのお祭りなのだ。
ブリヌイのタネとおたまを渡される。手伝うとは言ったものの、クレープを焼くのは初めてだ。タネをおたま一杯分すくって、熱されたフライパンに落とす。薄くなるようにフライパンを傾ける。少しタネの量が多かったようで分厚くなってしまった。焦げ付かないように急いでフライ返しでブリヌイをひっくり返す。曾祖母が私の様子を見て「うまいじゃないか」と言ってくれた(と思う)ので、一安心する。作るうちにタネの量の調節もうまくなって、最終的にはフライ返しを使わずとも生地をひっくり返せるようになった。ブリヌイ作りは結構向いているかもしれない。家に帰ったらまた作ろうか。
私がブリヌイを三十枚ほど焼いている間に、曾祖母はフィッシュパイを焼いていた。パイ生地にサーモンとゆで卵がぎっしり入っている。他にシチーと呼ばれる野菜スープとオムレツを作って、ヨーグルトと食器類を食卓に並べる頃にちょうど家族が降りてきた。母が「わぁ、豪華!」と歓声を上げる。「すみません、手伝えなくて。」と母が曾祖母に言うと「いいんだよ、カモメが代わりに手伝ってくれたからね」と笑った。
朝食はどれも美味しかった。ただ、作っている間も薄々感じていたが、三十枚のブリヌイは多かった。私はフィッシュパイがとても気に入って、そればかり食べていた。
「フィッシュパイ、気に入った?」
イリヤが私に聞いてくる。
「うん。サーモンと卵をこんなに思う存分食べられる料理、はじめてだよ」
「はは!それは良かった。これはナクリョーポクっていうんだ」
「そっか、また食べたいな」
「またおいでよ」
笑顔でイリヤが言った。次、もし本当に来るとしたら、家族とではなく一人でどうにか都合をつけることになるだろう。
「本当に、また来たいな。スケートも楽しかったし」
「スケート靴の場所、教えておいてよかっただろ?」
「うん。なんというか、スケートして心が慰められた気がしたよ」
英語でうまく言えているかどうかわからない。
「なにかあった?」
「ううん、いや、最近失恋して。ついでに、昔スケートをやめたことも思い出してたの」
「それは大変だったね」
「大丈夫。スケートをしていたら元気になったよ」
「そうか、チャイカは立派だ。ニーナも顔負けだね」
「ニーナ?」
「ああ、君と同じ名前の戯曲がロシアにあるんだよ。もはや君にとっては退屈かもしれない内容だけどね」
「そうなんだ?」
「どにかく、君がここで元気になってくれて、ロシア料理も好きになってくれてよかったよ」
こちらこそありがとうとイリヤに言ってから、スマホでかもめという演劇を調べる。チェーホフというロシア人劇作家が作った、相当有名な作品らしい。
朝食を食べ終えて、父に出発の時刻を確認する。まだ時間はある。最後に少し滑ってくると両親に告げて、急いで湖の方へ向かう。
周に告白したのは昨年の十二月、もう三か月も前のことだ。グランプリファイナルが終わって帰省のために一時帰国するというので、それに合わせて地元の同級生数人で飲み会を開いた。初めのうちは皆「この前のやつ、テレビで見たよ!」、「もうすっかり有名人じゃん!」と口々に周の活躍を称えたが、酒が入るとすぐにどんちゃん騒ぎになった。明け方になるまで飲んだ後の帰り道、周とまだ変な調子のまま笑いながら帰っていた。凍るような冬の朝だったけれど、体温は高かった。二人で並んで歩きながら、そういえば小中学校までは家が近いので二人でよく帰っていたことを思い出した。懐かしい気持ちになって、周と昔話をした。小学生の頃、私が自動販売機の缶のコーンスープが好きで練習が終わると毎回それを飲んでいたこと。周が高校進学する時、引っ越しの荷造りが終わらなくて私が手伝いに駆り出されたこと。思いの外盛り上がって、話足りないから公園に寄ってもう少し話そうということになった。
二人でベンチに座りながら自販機のホットコーヒーを飲んだ。小学生の頃通っていたスケート教室のコーチの口癖を真似して笑い転げる。そのうちに二人とも笑い疲れて無言になった。すっかり日は登っている。朝の澄んだ空気が心地よかった。
無言のまましばらく経った。この前のグランプリファイナルのことを思い出す。周の順位は五位だった。シリーズ戦の調子は良かったが、ファイナルではミスが目立った。私はテレビの前で泣きながら周を見ていた。けれどそれは不安や心配からの涙ではなくて、感動の涙だった。フリーのベートーヴェンの『月光』は本当に良かった。ジャンプは天から糸でつられているようだったし、得意のステップでは生き生きとしていた。何より、着地に失敗しても心折れることなく最後までやり遂げようとする意志の強さが、迫力が、画面越しにも伝わってきた。周に良かったよ、と一言伝えたいのに、うまく言葉にならない。とっくに酔いは醒めていた。
そろそろ行こうか、と周が立ち上がる。こちらを向いた彼とばちりと目が合う。周の長いまつげに縁どられた目は透明で澄んでいる。澄んだ瞳に私が映りこむ。瞬間、「好きだよ」と口が勝手に動いていた。
「えっ」
「え、と、あー……いや、周のスケート好きだよって言おうと思って。この前のグランプリファイナル、順位は惜しかったけど、私はあのフリーが今まで一番好きだったよ」
「あ、ああ、うん。ありがとう」
周は困ったように笑った。私も立ち上がって帰ろうとしたけれど、脚が動かない。それに視界がぼやけてくる。目の縁から水がこぼれて、水滴はいくつも頬を伝って首筋まで流れる。自分が泣いていると気づいた。声を出したら嗚咽してしまいそうで、無言のままその場に立ちつくす。「かもめ?どうした?」と周が振り返って、私の姿をみてぎょっとした。
「えっ、どうした!?大丈夫か、体調悪い?」
「い、いや、だ、だいじょうぶ。なんか、自分でもわかんないんだけど、別に具合が悪いとかではなくて」
結局、嗚咽交じりになんとか説明する。
「あー、ごめん、無理にしゃべらなくていいから。落ち着いて。とにかく座ろう」
このとき、周に介抱されながら、自分は周のことが好きなのだと初めて自覚した。
昔から周には嫉妬ばかりしていた。幼い頃は、ちょこまかとついてくるのがうざったいと思うこともあった。スケートをやめてからも周にコンプレックスは抱いていた。でも、それ以上に周のことが好きだった。友達を大切にするところとも、自分のことを蔑ろにしても人に優しくする不器用さも、ちょっと天然なところも、けっこう生活がだらしないところも、料理だけは何故か得意なところも、スケートに一心なところも、たぶん、全部好きなのだ。
いや、違う。きっと、あのグランプリファイナルのフリーを見たときに気がついていた。私は周のことが好きだ。けれど周はフィギュアの世界でどんどん高みに上っていく。あの『月光』で、周の背中には翼が生えて天高く飛んでいくことがわかった。対して私は、渡り鳥みたいにふらふらしているだけ。私が周のことが好きだとして何になるのだと自分を冷笑する声と、周にこれ以上遠くに行ってほしくないという気持ちがぶつかり合って反響して、抑えきれなくなった。
十分ほど経つと大分落ち着いて、周にお礼を言った。それから、意を決して告白した。こんな恥ずかしいところまで見られたのだ、いまさら何を保身する必要があるのかと思った。周は驚いた顔で、「考えさせてほしい」と言った。
翌日の夜、同じ公園に呼び出された。しばらく沈黙があった。ふと、人と一緒に黙っていると静けさを感じるなと思った。一人きりで無言でいても、静かだとはあまり思わない。人といるときこそ本当の静寂を感じるのではないか、とぼうっとしながら考えていた。
「えっと、まずは、告白してくれてありがとう。幼馴染だけどさ、正直そんな風に思われてると気づかなくてびっくりしたよ。」
「うん」
「それで、ごめん、かもめのことは友達としてしか見れない。そうじゃなくても、忙しいっていうのもあるんだ」
「うん」
「でもさ、俺も、かもめのことは好きだよ。かもめが幼馴染じゃなくても、スケートやったことが無くても、きっと友達になったと思う。だから、これからも友達でいて欲しいんだ」
「……うん」
氷の上に、刃がすーっと通った跡を残していく。朝のロシアの空気は恐ろしいほど冷たい。息を吸い込むごとに肺が凍りそうになる。現役の頃、最後に練習していたプログラムを思い出す。ベートーヴェンの『春』。記憶を頼りに滑ってみる。ヴァイオリンの軽やかな音色が頭に流れ出す。腕を優雅に広げて動き出す。大きな氷の塊にぶつかってよろけるのもお構いなしに、最初のジャンプを跳ぶ。助走をつけて一回転、しっかり着地する。スケートは楽しい。そんな単純なことをずっと忘れていた。帰ったら、前に通っていたスケートリンクに滑りに行こう。滑りたければいつだって滑れるのだ。
周のことも好きなままでいたっていいんだ。彼が私に言ってくれたように、私は周が友達でも、恋人でも、女の子でも、おじいちゃんでも、スケートをしていても、していなくても、彼のことを好きになっただろう。周は周で、私は私だ。それは昔からずっと変わらない。
ヴァイオリンとピアノの最後の音が聞こえる。夢中になって滑り終えた。肩で息をしながら顔を上げると、遠くのほうに白く脚が長い鳥が氷の上に立っているのが見えた。目を凝らすと、白鷺だと分かる。なんでこんなところに白鷺がいるのか、めずらしいなと思っていると、頭にぴんと電撃が走るように過去の記憶が蘇った。そうだ。三年前、ロシアに来た時、今日と同じようにここで白鷺を見たのだ。そのときはスケート靴だけ持って湖まで行くものの、怪我をしたのが怖くて一度も滑らずに帰ったのだった。湖畔で散歩しながら遠くの方に白鷺が一羽見えて、不思議だなと思った。どうして忘れていたのだろう。
あの時と同じように白鷺が氷の上に止まるとは、すごい偶然だなと感心する。気がつくと、白鷺は一羽だけではなく幾羽にも増えていて、点々と散らばって止まっていた。白い氷の上に白鷺が何羽も止まっているのは幻想的な光景だった。
どこからともなく、一羽の白鷺が空に飛び立ち始めた。続いて何羽も後を追うように羽を広げる。いくつもの羽が空を舞っている。私は一番初めに見つけた白鷺に目をつけて、氷の上を滑り出した。あの白鷺に近づきたい。刃が氷に当たって削られていくのもお構いなしに、スピードスケートのように上半身を低くして走っていく。冷たい風を切るうちに肌の感覚が消えていく。滑るうちに、私の体からは白い羽毛がふさふさと生えはじめ、手は大きな翼になり、脚は黒く細くなった。気づくと私は地面を離れて、白鷺の群れの一員となり空へ飛んで行った。
そんな自分を湖畔から見つめていた。私はスケート靴を脱いで、曾祖母の家に帰っていった。