【回想】運命のいたずら
ディートリヒが女性の名を知るのは、彼女の社交界デビューの夜会であった。
王太子デーヴィドにエスコートをされた白いドレスの彼女は美しく、周りを圧倒させた。
夜会の招待者ではないディートリヒは、その日警護に駆り出されていた。
そして、その女性の名を知る。
デビュタントの若者たちが国王に挨拶を終え、ダンスが始まる前に国王から「静粛に」と声があがる。
その後、王太子に手を引かれた先程の女性がその隣に並び立つ。
自身の持ち場から遠目に、ディートリヒはその様子を見ていた。
目線は王太子の隣ではにかむ彼女に縫い付けられたように外せない。
焦がれるような胸の高鳴りか、これから国王から発せられる発言への嫌な予感か。
ディートリヒの鼓動は早鐘を打っていた。
「みなに紹介しよう。今宵社交界デビューを迎えた、カトリーナ・オールディス公爵令嬢だ。
我が息子である王太子、デーヴィドの婚約者となる。
未来の王妃だ。みな、よろしく頼む」
わっ、と歓声と共に拍手が巻き起こる。
その音を、ディートリヒは遠くの出来事のように聞いていた。
「……は、ははっ……」
胸がざわつく。
嫌な音を立てて、どくどくと心臓が鳴る。
それと同時に、気付いてはいけない自身の気持ちに気付いてしまった。
報われる事の無い想い。
今日デビュタントを迎えたという事は、自分より八つも年下。
見知らぬ男に懸想されていると知られれば、嫌悪されるだろう。
しかも社交界では「醜悪伯爵」として蔑まれる男。女性からは侮蔑の眼差しを向けられていた。
この気持ちは絶対に知られてはいけない。
大丈夫だ。
気付いたばかり、まだ摘み取れる。
ちらりと彼女を見やれば、王太子の隣で微笑んでいる。
どうりで王城でよく見かけるはずだと苦笑した。
王太子の婚約者。その可能性を微塵も考えていなかった彼は、いかに恋に浮き立ちすぎていたのかと自嘲する。
(お似合いの二人じゃないか)
やがて幸せそうにダンスを踊る二人を見て胸の痛みに蓋をし、その想いを捨て去る事にした。
だが、一度芽生えたものはその気が無くとも勝手に育っていく。
必死に見ぬフリをしても、溢れ出るものに蓋をしても、その姿を見るだけで胸は高鳴り焦がれてしまう。
気付けば彼女を探し、その姿が視界に入るだけで何とも言い難い気持ちになっていた。
だが相手は王太子の婚約者。
そうでなくとも公爵家令嬢、現宰相の愛娘だ。
身分差も年の差もある相手に懸想してどうする。
ディートリヒは己を叱責した。
(だめだ。だめだ、ダメだ、これ以上は)
必死に窘めても募る恋情。
抗えば抗う程に想いが深まった。
そんな彼の心を砕いたのは、誰でもない。
「まぁ、なんて醜いの」
その眼差しには侮蔑が宿る。
「嫌だわ、よりにもよって顔にだなんて」
扇に隠した顔が歪む。
「私の視界に入らないで下さる?」
その日、ディートリヒはどうやって自宅に帰ったか覚えてなかった。
明かりも点けずに自室のベッドに腰掛け、着替えもせずに呆然と座り込む。
恋に浮かれて忘れていた。
彼の顔にある大きな傷は、女性にとって忌み嫌う醜悪なもの。
騎士たちの間では「救国の英雄」だともてはやされても、社交界では「醜悪伯爵」と名を変える。
平和に生きる者にとって、戦の事など蚊帳の外。社交界での話題のほうが重要なのだ。
ディートリヒは鏡を見やる。
自身の顔に刻まれた消えない傷。
薄紅に色付き盛り上がったそれをそっと撫でた。
結婚を約束した女性にも、その後焦がれた相手にも疎まれたものを見て、彼は初めて涙した。
それからディートリヒは、カトリーナの視界に入らないように努めた。
醜悪伯爵として社交界に知られた自分が、絶世の美女と言われる彼女に、王太子の婚約者である彼女に燻る想いを抱いているなどと知られれば、それこそ笑いものになるだろう。
彼女に迷惑がかかるのも避けねばならない。
そのうちこの気持ちもいつかは消えて無くなる。
嫌われているのはかえって好都合ではないか、と己に言い聞かせた。
招待された夜会に出席はしても、必要な社交のみを済ませると早々に帰宅する。
カトリーナが出席する夜会もあった。
だがなるべく鉢合わせ無い様にしていたのだ。
しかし、月日が経つにつれ彼には戸惑いが生まれていた。
カトリーナの視界に入らないよう行動をしてはいたが、ふとした時に目の端に映る彼女がこちらを見ていて、その揺れる瞳に気付いたのだ。
それだけではない。
醜悪伯爵の噂を彼女の周りがしていると、それとなく話題を変えるようになった。
無意識なのか、意識的なのか。
その瞳には侮蔑以外の感情がこもっているように見受けられるようになっていたのだ。
申し訳なさとか、優しさとか。
よくよく見ないと分からないような、微かな変化。
ほんの一瞬、眉根を下げる。
その瞳に僅かながらの惑いが含まれる。
それは、カトリーナなりの配慮か。
ディートリヒは戸惑っていた。
一瞬目が合い、会釈する。するとすぐに目線は逸らされるのだが、戦場で気配を察知する術を得ていたディートリヒは幾度と無くカトリーナからの視線を感じていた。
だが、期待は抱かない。
燻る想いはあるものの、嫌われている事実が気持ちにケリをつける良いきっかけになった。
そこで方向性を変えることにした。
いずれ彼女が王太子妃、そして国王を支える妃となるならば自分が盾になろうと。
近衛では無い為近くでは無理でも、遠くから。
危険から守るだけで良い。いつかの隣国との争いの時のように、いずれ彼女が治める国を守れるように。
自分ができる事を彼女に捧げよう。
例え嫌われていても、それくらいは許されたい。
その気持ちを胸に鍛錬に励んだ。
この頃にはデーヴィドは既にシャーロットに夢中で、王城主催の夜会でしかカトリーナをエスコートしていなかったのだが、ディートリヒは知る由もない。
だから、まさか彼女が婚約を破棄されるなど、夢にも思わない。
そして婚約破棄されたカトリーナが、自身との婚姻を拒否して逃げ、足を踏み外し転げ落ちてきた時。
階段途中にいたディートリヒが見上げると自身に手を延ばすカトリーナが目に入り、咄嗟に身体が動いてしまった。
それでも間に合わず、一緒に階段から落ちた。
そのおかげか、彼女は大事に至らず済んだのだが。
まさかその後命令によって本当に婚姻を結ばされるとは。
それにより、一生に一度の奇跡を享受するとは。
この時のディートリヒは知る由もなかった。