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二度目の初夜

 

 念の為ディートリヒはカトリーナが来る前に湯浴みをして埃を落とし、緊張を解すため酒を嗜んで待った。

 カトリーナが記憶を取り戻して以来の夜だ。

 気のせいで無ければ「旦那様とおしゃべりしながら寝たいなぁ」と言っていた。

 健全な意味でも、不健全な意味でも、妻とベッドを共にするのは記憶を取り戻す前夜以来だ。

 あれから半年以上は優に経っている。


 帰宅した時のカトリーナの可愛さに思わず額にキスをしてしまったが、嫌がられなかったな、とふと思い出す。

 それどころか、少し残念なような、ねだられるような表情を思い出し、ディートリヒの鼓動は高鳴っていった。


 いや、気が変わって少し話しただけで帰るかもしれない。もしかしたら来ないかも。過度な期待は虚しいだけだ。

 自分は醜悪伯爵。最近いい感じに距離が近付いて来たとはいえ、元々カトリーナからは嫌われていた。

 確かに今は嫌われてはいないだろう。だがそれは男として、夫としてというよりも、保護者としての意味合いが強いのではないか。

 そもそも罰として自分に嫁がされて来たのだ。記憶が無いときに短かったとはいえ蜜月も過ごした。それだけで充分ではないか。

 そう思って酒をぐっと煽る。

 するとコンコン、とか弱いノックが響いた。


「どうぞ」


 カチャリと音がした扉の方を向くと、カトリーナが、夜着姿で立っていた。

 侍女に磨かれたのか全身ツヤツヤして、離れていてもいい匂いがする気がする。


 ごくりとディートリヒの喉が鳴る。

 ばくばくと部屋中に響き渡るかのように鼓動が高鳴る。


 カトリーナは部屋の中に進み、ディートリヒの座るソファにちょこんと座った。


「わ、わたくしは別に、その、ただお話しできたらって思ってたんだけど! 最近全然お話できなかったし! けど、そのっ、ソニアたちがっ勝手になんか勘違いしちゃって! 香油とか塗られてるから匂いがするかもですけど、ただお話ししたいだけですのでっ!」


 顔を真っ赤にして声をひっくり返しながら一気にまくし立て、ぷいっとそっぽを向いたのに、体はつついっとなぜか夫との距離が近くなる。


「あ、あ、ああ…、うん、その。お話し、しよう……か…?」


 口を手で覆いながら、妻の可愛い行動に心臓ばくばくのディートリヒはどうすれば良いのかわからず、とりあえず妻に同意して頷いた。


「でっ、では、あちらに! あちらに行きましょう旦那様!」


 すくっと立ち上がり、カトリーナは夫の手を取りグイグイ引っ張る。

 〝あちら〟の方角にあるのは大きなベッドだ。そう言えばおしゃべりしながら寝たいと言ってた気がするな、と、ディートリヒはぐるぐるする頭の中で考え、躊躇した。


 ただでさえ可愛くて仕方ない妻がベッドに誘ってくる。記憶が戻る前はそのベッドで何度も睦み合った。だが記憶が戻ってから半年以上、ずっと独り寝だった。もちろん娼館通いもしていない。夫婦の寝室もその間使われていない。

 今もし妻とベッドを共にすれば、我慢できなくなるのは目に見えている。

 傷付けたくないし嫌われたくないからうかつに手を出す事はしたくない。とはいえ何もしない自信は全く無い。

 本音を言えば以前のように触れ合いたいのだ。

 この誘いを断るなど勿体無くてできない。

 だが自分の欲望を、想いを、ぶつけていいのか。

 そもそもカトリーナはただ話をしたいだけで、そんな気は無いだろう。でも──


 ディートリヒは思考の渦に嵌ってしまっていた。


「……旦那様?」


 ぐいぐい引っ張るが一向に動かない夫を、カトリーナはこてんと首をかしげて見てみた。


「ああ……うん、その。ソファで、座って、おしゃべりでは、いけないだろうか?」


 正直同じ部屋で、可愛い妻のいい匂いが鼻をくすぐるだけでも何とも言えない心地になる。

 自身のおとなしくしていてほしい部分もそわそわしている。

 心の中で必死に「ハウス!出番は無い!」と訴えかけてはいるがどうにも出しゃばってきそうで落ち着かない。

 健全な意味でベッドを使うなど、ただ横になって他愛もない話をするなど、今夜のディートリヒには無理な話だった。


 そんな夫の葛藤も知らず、カトリーナは


「一緒に寝たいのです…」


 と、もじもじ答え、チラチラと見てくる。

 これにはディートリヒの理性もあっさりと瓦解しそうになった。


 自身の理性はある方だと思っていたディートリヒは、心の中で嘆息した。


(君の行動一つで惑わされる……。自分がこんな堪え性の無い男だとは)


「……一緒に寝ると言うことは、薄衣一枚纏わぬ姿になるという事だぞ?」


 妻の腕をがしっと掴み、低い声で唸る様に呟いた。


「……はい…」


 かすかに聞こえたカトリーナのか細い声は、是を示す。

 それを聞いて弾かれたようにディートリヒは頭を上げた。


 カトリーナは頬を染め、夫を見つめた。そして掴まれていない方の手で夫の手のひらを取り、自分の頬にあてる。汗ばんだ大きな手が、彼女の赤らんだ頬に添えられた。

 その瞳は心無しか潤んでいる。


「悪女で、高慢ちきで、家族にも友人にも見捨てられた私を、旦那様はそばにいてほしいと言ってくれました。記憶が無い時も、記憶が戻ってからも、変わらず、優しかった」


 少し震える掠れた声。

 これから起こる事はカトリーナにも分かっている。

 だが王太子に組み敷かれた時、自分に触れるのは目の前のこの人でないと嫌だと自覚した。

 その優しさでカトリーナを包み、ずっと心の鎧が剥がれるのを待っていてくれた人。

 常に温かい気持ちで、冷えきった心を溶かしてくれた人。

 誰かを愛し、誰かに愛される事を教えてくれた人。

 自分の気持ちに気付けば、溢れ出す想いは止まらなかった。


 だから。


「これからも、おそばにいさせてください」


 目を潤ませ、懇願するように縋りついてくる妻を邪険に振り払う事はできなかった。

 ディートリヒは元よりカトリーナを手放す気は無い。愛人を作ってもいいとは言ったが、本当にできてしまったらと考えると胸が焼き切れそうだった。


「もう、手放してやれないぞ? 愛人を作る事も許さない。それでもいいのか?」


 必死に、理性を総動員させ、腕を掴んでいた方の手は妻の指に絡め、頬に添えた手も、背でなぞる。


 カトリーナは唸るようなその声が、ただただ愛おしいと感じた。自分を欲している目の前の男が欲しい。

 夫に求愛するように、ディートリヒの指に唇を寄せた。


「愛人なんていりません。あなたがいれば、それだけで」


 瞬間、ディートリヒは妻を抱き寄せ口付けた。

 軽く触れるようなそれが何度も繰り返される。

 もう、離れたくないと言わんばかりに次第に深いものに変わっていく。

 貪るように堪能し、腰を引き寄せる。

 しばらくして唇を放すと潤んだ瞳とかちあう。


「もう我慢しない。愛している」

「わたくしもです。だんなさま…」


 そうして気持ちを確かめあった夫婦は、離れていた時間を埋め合うように情熱的な夜を過ごしたのだった。


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