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夫の仕事

 

「オールディス公爵に会いに行こう。

 中々調整し辛いだろうが、予定を聞いてみるよ」


 ディートリヒの提案に、カトリーナは頷いた。だがまだ困惑が先に勝ち、真実を聞く勇気を持てないでいる。だから会いに行くのはもう少し先延ばしにしてもらった。


「私も一緒に行くから」


 そう、柔らかく微笑んだ夫に「お願いします」とかぼそく返すと更に笑みが深くなり、カトリーナはどぎまぎとしてしまった。



「ここにいたい」と、気持ちを吐露してから数日後。


 あの時からカトリーナの中で芽生えたものが少しずつ大きくなっていく。

 もっと夫であるディートリヒの事を知りたいと思ったのだ。



「旦那様の仕事ってどんな感じなんだろう」


 ぽつりと口から出た言葉は、その場にいた使用人に届いた。

 それは記憶が戻ってから初めて夫の事に興味を持ったものだった。


「奥様、よろしければ旦那様に届け物をしていただけますか?」


 執事のハリーがすかさず機会を作る。だが。


「い、行かないわよ? 騎士団って言ってたけど、ちょっとどんなかな、って思っただけですわ?

 それに領地の事もありますしっ」

「今急ぎの仕事は無いから良いですよ」


 家令のフーゴがニコニコと笑っている。

 言い訳を奪われしどろもどろになったカトリーナは、すくっと立ち上がってつかつかと部屋から出ようとし、扉の前でぴたっと止まった。


「……たった今、暇になったわ。だから、どうしても、と言うなら行かない事もないわ」


 ともすれば消え入りそうな小さな声はベテラン執事の耳に木霊する。


「では荷物と馬車を準備しますので、奥様も準備なさって下さい。準備ができましたら玄関先にてお待ちください」

「仕方無いわ。私もたまには外出したいものね」


 ぷい、とそっぽを向くが、その足取りは軽かった。

 カトリーナ自身は意識していない。

 だが周りの者達はそんなカトリーナに戸惑いつつも、いつもの事だと微笑ましく思っていた。



 カトリーナは先日手ずからハンドクリームを塗った侍女のソニアと馬車に乗り込み騎士団の詰所へ向かった。


「ランゲ伯爵家の使いの者ですが、お目通し願えますか?」

「へっ? あ、は、はい、しょっ、少々お待ちください」


 その日騎士団に衝撃が走った。

 絶世の美女が、騎士団の受付に来た。しかもランゲ伯爵家──つまりランゲ副団長の関わりの女性。

 その女性が副団長に何をしに、そもそも副団長とどう言った関係なのだと受付から聞いた騎士達はざわついたのだ。


「お、お待たせしました。副団長は只今訓練中なので、ご案内致します」


 爽やかスマイルを浮かべた騎士は、カトリーナたちを案内する。

 道すがら出会った騎士達はカトリーナの美貌に見惚れて、あるいは開いた口が塞がらず、あるいは頬を染め、あるいは持っ ていたタオルをぱさりと落とした。


 やがて騎士の案内で広い庭のような場所に差し掛かると、男たちの怒号が響き渡った。


「力ばかりに頼るな! 二手三手先を読め!」

「はいっ!!」

「隙を作るな! 戦場では命取りになるぞ!」

「すみません! もう一度お願いします!」


 カンカンと木剣の乾いた音が響き渡る。

 一人の男が、数名に囲まれて剣を交えていた。

 男を囲う者達は汗を流し肩で息をしているが、彼らの相手をする男は涼しい顔をしていた。


「っあ!!」


 カランと音がして、誰かの木剣が飛び、尻餅をついた。


「大丈夫か」


 囲まれていた男が手を差し伸べると、別の誰かが背後から男を狙った。

 だが男は持っていた木剣で背後の攻撃を弾き飛ばした。

 カランカランと音を立てて木剣が転がる。


「うわわっ!」

「騎士道には反するが、油断した隙を突くのは悪くない。だが殺気が隠せていないぞ」


 喉元に木剣を突き付け凄むと、騎士はたらりと冷や汗を流した。


 その様子を、カトリーナは食い入るように見守っていた。


 騎士団の訓練を王太子の婚約者として視察した事はあったが、こんな風に訓練の様子をまじまじと見た事は無かったのだ。


 一人で何人もの騎士をいなすその人にカトリーナは鼓動が早くなっていた。

 ──その人とは勿論、ディートリヒである。


「副団長はあちらです。お呼びしましょうか?」


 カトリーナ達を案内していた騎士が問い掛けるが、自分の夫に夢中なカトリーナには聞こえていない。

 見かねたソニアが「お願いします」と小声で言うと、騎士は一礼して訓練している集団に駆け寄った。


 その間も、カトリーナは訓練している騎士達に見入っていた。


 彼らが訓練するのは、国を守る為。

 日々鍛錬を積み重ね、有事の際には率先して出陣していく。

 帰らない者もいたかもしれない、と思うと途端に『王太子の婚約者』だった自分を振り返り気持ちが沈んだ。


「カトリーナ! ……どうしてここに?」


 嬉しそうな顔をしたディートリヒがいそいそと駆け寄って来る。


「あ……え、と。ハリーが、これを、と……」


 ソニアが持っていたハリーからの荷物をディートリヒに差し出した。

 何かを忘れたわけでもないし、何だろうと中身を見ると。

 そこにはサンドイッチが入っていた。


『ぼっちゃまファイト!』


 ハリーの文字で書かれたそれを見て、ディートリヒは顔をしかめた。


 気を利かせた執事が、特に用は無いのにカトリーナを騎士団に向かわせたのだ。


(ハリーのやつ……)


 ちょうど昼頃である。

 二人で食べろという差し金だろうと予測した。


「えっ、副団長、そちらは誰ですか?」

「まさか、もしかして!」


 がやがや騒ぎながら、訓練を終えた騎士たちが集まってきた。先程ディートリヒを囲んでいた者たちだ。


「あー……、その……。俺の、妻だ」


 照れながらディートリヒが紹介すると、騎士たちはぽかんとしたあと


「「「「えーーーーーー!?」」」」


 野太い絶叫がこだました。


「えっ、じゃあ最近結婚した奥さん!」

「めっちゃ美人! 副団長やりましたね!」

「マジですか!? 一目惚れしたのに!」

「副団長全然女っ気無かったのに!」

「奥様名前何て言うんですか!?」


 次々と飛び交う質問の嵐に、カトリーナはたじろいだ。


「あっ、えっ、あの」


 顔を赤くして狼狽える美女に騎士達は前のめりになり釘付けになる。


(お、俺の妻だなんて!)


 カトリーナは『俺の妻』と紹介された事に何とも言えないくすぐったさを感じていた。

 記憶が戻ってから、ディートリヒから好意は感じているが妻としての役目──つまり閨事を求められているわけではない。

 そんな彼から『俺の妻』と言われ、それが嫌々言っているわけでは無い事に気付きホッとして、更に自身の中に嬉しい気持ちがあるのに戸惑っていた。


「お前ら!! 俺の妻に近寄るな!! 広庭10周して来い!!」


 前のめりになっていた騎士達に、ディートリヒの怒号が飛ぶ。

 騎士達は悲鳴を上げながら広庭へと走って行った。


「すまないな。怖かったろう」

「い、いえ、大丈夫です……」


 騎士達の勢いはカトリーナにとって問題では無い。

 目下二度目の『俺の妻』発言にカトリーナは心臓が飛び出しそうになっていた。


「と、とりあえず食堂に行こうか。ハリーからの差し入れを食べよう」

「は、はい、分かりました」



 その日、食堂に来た騎士達は声を揃えて言った。


「あんなに優しい顔の副団長は見た事が無い」

「奥さんに対しての顔が緩みきってる」

「美女と野獣ってまさにこれ」


 カトリーナとディートリヒの座っている場所の周りは誰も座れず、騎士達は俯いてもくもく食べるカトリーナに見惚れ、そのカトリーナをにこにこしながら見ているディートリヒに恐怖した。


 二人を温かく見守れているのは、騒ぎを聞いて駆け付けたディートリヒの侍従のトーマスと、カトリーナの侍女のソニアだけだった。

 自分たちの主の仲が、少しずつ、だが着実に進みつつあるのを実感していた。


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