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女主人と使用人

 

 カトリーナの態度が変わっていったのは、ディートリヒに対してだけでは無かった。


「……っ」


 ある朝、着替えの為に侍女ソニアに介添えをしてもらっていたが、ソニアの手がカトリーナの肌に触れた。


「申し訳ございません、奥様!」


 ソニアは慌てて手を引っ込めた。


 痛かったわけではない。ざらりとした感触に違和感があったのだ。


「あなた……その手はなに?」


 ぎろりと睨むカトリーナに、ソニアは萎縮した。自身の手を擦り合わせながら震えている。


「す、すみません……」


 がたがた震えるソニアの手を、カトリーナはそっと持つ。その手は水仕事のせいかカサカサしていた。


「……奥方付きの手では無いわね」

「もっ、申し訳……」

「あなた、ハリーを呼んで下さる?」

「えっ、あっ、はい、ただいま!」


 もう一人の侍女エリンに執事を呼んで貰う間、カトリーナは手の荒れたソニアを自身のドレッサーに座らせた。


「あ、あの、奥様……?」


 先程まで涙目になっていたソニアは困惑していた。カトリーナは自身の化粧品の中から見繕い瓶の蓋を開ける。


「あなたの手、荒れ過ぎですわ。こんな手でよく私に触れられましたわね」


 瓶の中のクリームを一掬いし、ソニアの手に乗せ塗り込めていく。すると、薔薇の良い香りが二人の間を漂った。


「わ、私に触れるなら、まず自分の手を荒らさないようにしなさいっ。

 じゃなきゃ、私の肌がざらついてしまうわ」


 誰かに塗った事は無いのだろう。

 それはムラになりながら、カトリーナはソニアの手を揉みながら塗っていく。

 その事にソニアはぽかんとした。


「あ……ありがとう、ございます……」

「いいのよ。これからしっかり保湿して、私に触る手はきれいでいてちょうだい」


 ともすればその言葉はきつく聞こえるが、そこにはカトリーナの優しさしかなかった。

 そっぽを向いたカトリーナは、照れか恥ずかしさか、手を組み換え所在なげに立っていた。

 そんな女主人を見て、自身の薔薇の香りがする手を見て、ソニアは知らず口元が緩んだ。


「奥様、お呼びと伺いましたが」


 執事のハリーが扉をノックしてカトリーナを伺い、なぜかすぐに視線を逸らした。


「ハリー、この屋敷の使用人は男女それぞれ何名?」

「は、はい、えーと、男性が10名、女性が13名、でしょうか。……あの、奥様」


 ハリーは壮年の男性執事である。

 ディートリヒの両親の代からランゲ家に仕えてきたベテラン執事だ。

 使用人の全てを取り仕切り、屋敷の全てを把握する。

 だがハリーはこの時カトリーナの姿が見えないように視線をずらした。

 その事にカトリーナは少し不満に思いながらもハリーに告げる。


「ではマダムリグレットの保湿用のハンドクリームを使用人に購入しようと思うのだけど、予算は確保できますか?」

「は、はあ、それくらいならば大丈夫だと思います。それより奥様……」

「では定期的に購入して皆に配ってくださる?

 手荒れによく効くの。男性用は無香料がいいかしら。女性用は色んな香りがあるから好きなのを選べばいいわ」


 照れながら、そっぽを向きながら、カトリーナは指示を出す。

 ハリーは視線をずらしたままだが、カトリーナの真意を汲み取り思わず微笑んだ。


「かしこまりました。準備致します。……それで奥様、あの」

「カトリーナ? そろそろ朝食を……」


 そこへディートリヒの登場である。彼はカトリーナの姿を見るなり固まってしまった。


「あ」


 先程カトリーナにハンドクリームを塗って貰ったソニアは気付いてしまった。


 今のこの状況を。


 先程から執事のハリーが女主人であるカトリーナを全く見ようとしない理由を。


「旦那様、奥様、そろそろ朝食を……」

「あ」


 ぱたぱたと二人を呼びに来た侍従のトーマスも顔を赤くしてばっと逸らした。

 ディートリヒは相変わらず顔を赤くして固まっている。


「……? 皆さんどうなさいました…───?

 ───っ!!?」

「はい、皆さん出て行ってくださいね! 後ほど食堂にご案内しますからね!!」


 ソニアは男性陣を扉の外に追いやり、バタンと閉めた。


 そして。

 カトリーナは羞恥から布団に潜り込んだ。

 自分の格好を思い出したのだ。


 そう。

 彼女は着替えの途中だった。

 それをすっかり忘れていた。

 ゆえ、下着姿のまま執事を迎え、ディートリヒとトーマスに見られたのである。


「わ、わたくし、もうお嫁にいけませんわ……」


 ベッドの布団に包まるカトリーナに、ソニアは突っ込みたかった。


(奥様はご結婚されてますよ~)


「奥様、大丈夫です。どなた様も見てません」


 しくしく聞こえる白い固まりに侍女が語りかけるが、ややあって外から


「ハリー、トーマス、今のは記憶から消せ! 今すぐ忘れろ!! 無理なら俺が記憶を消してやる!!」


 そんな怒号が聞こえて益々固まりがぎゅっとなった。


 それでも何とか宥め、ようやくカトリーナが食堂に現れた時、ディートリヒは既に朝食を食べ終えこれから家を出るところだった。


「あー、その、先程は、すまない」

「いえ……私こそはしたなくてすみません……」

「そんな事無い! きれいだった! 眼福だった!」


 慌てて言い放った言葉にみるみる顔を赤らめるカトリーナに、ディートリヒはしまったと手で口を覆った。


「それ、なら、良かった……です」


 消え入りそうな語尾にディートリヒの理性がキレかけた。

 だが、トーマスが呼ぶ声に我に返る。


「そっ。それじゃあ、行ってくる」


 離れ難い気持ちを何とか抑え、ディートリヒは食堂を出て行く。


「い、行ってらっしゃいませ……」


 か細くなった声はディートリヒに届き。


 扉の角で足をぶつけたディートリヒは悶絶しながら仕事に行った。



 その日、ディートリヒの中で雑念が消えず、鬼のような訓練を強いられた騎士団の仲間たちが多数犠牲になったが、その理由を彼らが知る由は無かった。

 

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