シンセサイザー
さて、なんとかスターバーグの講演に間に合った。
会場は100人程度の箱だが、集客は20人程度。
朝一番の回での講演はこんなものなのだろう。
または、大手企業の特別講演が並行してセッティングされているから、そっちに人が集まっているのかもしれない。
時間になり、品の良い妙齢の女性がスポットライトに照らされた。
「皆さま、本日はスターバーグ株式会社の製品発表会にお越しいただき、誠にありがとうございます」
女性は、非常に丁寧に滑らかな言葉使いで簡単に挨拶を進めた。
慣れてるな、という感想だ。
「まずは、弊社代表取締役社長、ルカよりご挨拶申し上げます」
舞台袖からちんちくり--いや背の低い少女が出てきた。
小人族--かどうかは分からないが、少なくともスターバーグ社ら多様性を認める会社のようだ。
「みなさん、このたびは足をお運びいただき、ありがとうございます!」
ちんちくりんは元気よく挨拶を始めた。
ちんちくりんは、黄色いリボンでツインテールを勢いよく作った元気な娘だ。
活発な印象とは裏腹に、スーツは上等なものをピシッと着こなしていた。
あれではすぐにサイズアウトしてしまうのでは?
「それではごらんください! 弊社の開発した楽器『シンセサイザー』を取り入れたえんそうです!」
ちんちく社長が手をブンブン振ると、奇妙なトランペット隊のファンファーレと同時に舞台の幕がゆっくり開いていく。
ちなみに幕を開けたのは人力ではなく魔法。
扉を開く曲『open your life』だ。
トランペット隊を主旋律に置き、舞台の開演に合わせたアレンジにしているようだ。
幕の上昇を後押しするように、シンバルとキック、ベース、それからエレキギターが入る。
後押しするように--ではなく、本当に魔法の補助に回っている。
トランペットの音が悪いからだ。
悪いというか、音に違和感がある。
最初は、そんなマイナスのイメージからの開演だった。
しかし、幕が上がり切ってからは疑問に変わった。
「あれ? トランペットいなくね?」
舞台に立つのはボーカル、ギター2人、ベース、鍵盤、ドラム。
良くあるバンドの組み合わせだ。
強いて言うなら、鍵盤がアップライトピアノでもオルガンでもない。
要塞のようなゴツゴツとした代物だった。
それから演奏はブレイク。
からの鍵盤演奏者--フードを被った魔法使いが大きく溜めて、ソロ。
驚いたのは、その鍵盤の音色がトランペット隊だったことだ。
「鍵盤からトランペットの音……どういうことだ?」
俺の呟きに答えるかのように、トランペットソロが止み、会場が拍手に包まれた。
気づくと会場には先程の倍以上の人で埋まっていた。
拍手をそっと遮るように、社長の説明が始まった。
「ただいまご覧いただきましたのは、弊社の開発いたしました、あらゆる音色を鳴らせる奇跡の鍵盤--シンセサイザーです」
俺は社長の説明するシンセサイザーの魅力にグイグイと引き込まれた。
「皆様もご存知の通り、音色とは空気の波のことです。
シンセサイザーは、基本的な魔力の波を加工することによって、様々な音色の波を作成することができます。
魔力の波を空気の波に変換するところは、本体のスピーカーの他、魔法使いの技術で行うか、市販のスピーカーで可能です」
なぜか饒舌になっていたが、そんなことは気にならない。
さらに、社長に続いてピアニストがシンセサイザーを操作し、その様を若い女性社員がハキハキと解説し始めた。
説明資料は映写機を使った光魔法で、会場後ろからスクリーンに映されているようだ。
「例えば弦楽隊--ストリングスは、ノコギリ波をメインに、少しパルス波を加えます。
どちらもディチューンという、音を複製してそれぞれピッチを微妙にずらして、弦楽器特有の揺らぎを表現します。
アンプのADSLという項目で、ストリング特有のゆっくりとした音の立ち上がりや、緩やかに音が減衰していく様を表現できます」
魔法使いがシンセサイザーを鳴らすと、今の設定だけである程度弦楽隊に近い音が出来上がっていた。
「更に細かく音を作り込んでいくこともできます。
それらの設定はプリセットに保存しておくことができ、読み込めば即鳴らせます」
スクリーンがパッと切り替わった。
と言っても、先ほどと同じシンセサイザーの設定画面なので、細かいツマミがあちこち変わっているだけだ。
間違い探しみたいになっていた。
逆にいうと、それだけ細かいパラメタを、すべて機械が覚えておいてくれるということのようだ。
「それでは、プリセット機能を使って、演奏中に音色を切り替えてみましょう」
再びバンドの演奏が始まった。
「これは…… 『Emerald Sword』だ!」
王の持つ伝説の聖剣『エメラルドソード』力を最大限に引き出す魔法だ。
本来であればバンド編成の他、オーケストラと合唱団が必要な大規模な魔法なのだが、トライ・ウィング・フォースはバンド以外の楽器をすべてシンセサイザーで担っている。
しかも、選曲だけが驚愕のポイントではない。
ストリングスとブラス、更にはクワイヤに近い音色まで再現している。
楽団の規模を再現できているため、Emerald Swordをかなりのクオリティで実現できているのだ。
「また、従来の楽器では出せない機械的な音色を無限に作成することができます」
女性社員がそのように紹介すると、Emerald Swordの曲中にオリジナルのアレンジが挿入された。
ドラムではなく、シンセサイザーから特有のリズムが作られ、同時に機械的かつ幻想的なアルペジオが奏でられる。
もはや、それによる魔法の効果は分からない。
今回は魔法として演奏していないようだが、完全に新たな魔法の領域が--未知への扉が開いた瞬間だ。
俺の心臓はビートに合わせてどんどん鼓動を大きくしていた。
そして……あまり製品には関係ないが、もう一つ高ぶる要素。
「ボーカル、かなりいいな……」
思わず呟いた。
すると、隣から、
「悔しいけど、同感よ」
知り合いの--ボーグレンさんの悔しそうな表情が覗かせた。
「ボーグレンさん!? 逮捕されたんじゃ!?」
「残念ね。トリックよ」
ボーグレンさんは入場許可証を首から下げていなかった。
ダメじゃん。
「あのボーカル……うまいけど、やっぱ違うのよ。前は冒険のワクワクを感じさせる、最高の男だった。新しい奴は、あれはどちらかというとオペラ畑出身ね」
と、ふわふわヘアを膨らませながら勝手な解説を始めたボーグレンさん。
足は高速貧乏ゆすりで、テンポにあっているようには見えなかった。
曲も一通り終わり、照明が落ち着いたところで、再び社長が出てきた。
「あれ? さっきより身体が大きくないですか?」
「あの社長、緊張すると幼女になるらしいわよ」
それでさっきスーツがぶかぶかだったのか。
「それでは、只今より質疑応答の時間にうつさせていただきます。製品の基本的な仕様、開発体制、導入事例、何でも構いません」
こういう質疑応答は苦手だ。
すごいなぁ、という感動と納得で完結してしまって、何も浮かんでこない。
それと、もしかしたら単純に恥ずかしいというのもあるかもしれない。
「はい!」
近くから元気の良い挙手があった。
大した度胸だなと感心しようとしたら、その手はボーグレンさんのものだった。
ボーグレンさんはマイクを貰うのを待たずにキーキーと質問を捲し立てはじめた。
「なぜですか!? クリレオン様はもう歌わないんですか!?」
彼女の最重要事項は、クビになったボーカルのことだ。
「その質問は、私ではなくトライ・ウィング・フォースのリーダーからお答えいたします」
社長はステージを横断して、シンセサイザー奏者--今更だがピアニストと呼んだ方がいいだろうか? の魔法使いにマイクを渡した。
ピアニストは挨拶もなく、黒いフードの奥底から這い寄る大蛇のような声で答えた。
「暗黒魔法によって誘惑されたクリレオンの精神は欲望に覆われ、生まれながらの聖なる魔力を剥奪された」
声が出なかなったってことだろうか?
それが本当なら大変だ。
「嘘よ! クリレオン様は昨日、名前を変えて他のバンド--ノース・クロニクルにスカウトされてたはずよ!」
ピアニストと他バンドメンバーはアイコンタクトを取り、マイクを社長に返した。
これは質問を打ち切ったパターンか。
「ちょっと! 話はまだ終わってないわよ! ふざけんな!」
ボーグレンさんはヒートアップして、今にも殴りかかりにいきそうだ。
社長が慌てて、幼女になりながら対応する。
「レディにはこのあと、こべつでお時間を--」
「アンタらなんか怖くないわよッ! 野郎ブッ殺しャァァァァッ!!」
聞く耳持たないボーグレンさんは、とうとうステージに乗り込んでいった。
そこからはもう地獄の雨あられだった。
ボーグレンさんを止めるべく羽交い絞めにしようとしたら顔面をグーで殴られ、周りの関係ない来場者もなぜかテンションが上がってモッシュが発生し、さながらヘビィメタルのライブだった。
最後は転倒したところを誰かに踏まれて、それから――