今まで我慢しておりましたの
「アイーシャ・ラインベルト、お前との婚約は今この場をもって破棄させてもらう!!」
卒業式の後で催されていた舞踏会の会場に響くルーク・カウント皇太子殿下のお声。
声が聞こえてきた方向を確認すると、先ほどまで卒業証書授与が行われていた壇上にその姿があった。
会場の明かりに照らされている金髪がきらきらと光を反射している。
そしてその横にはピンクの毛がふわふわと揺れている女子生徒の姿。
最近皇太子殿下とよろしくない噂が聞こえてくるララ・コットン子爵令嬢である。
大きな青い目を潤わせて皇太子殿下の腕にぴったりとくっついている。
そう、体がぴったりとくっついているのだ。
まだ婚約破棄が正式に認められておらず、婚約者がいる、この国の皇太子殿下と。
「・・なぜでしょうか?」
婚約破棄を告げられたのは私の友人であるラインベルト公爵令嬢であるアイーシャ様。
銀色のストレートヘアが今日も月の女神のごとく美しい。
そのアイーシャ様は無表情のままに皇太子殿下に尋ねる。
先ほどまで私を含めた学友とおしゃべりに興じていたアイーシャ様は壇上の二人から20メートルほど離れた位置にいらっしゃる。
「なぜかだと!?」
「ルーク様、アイーシャさんはやっぱり私に悪いなんて思っていないんですわ!」
「ララ、心配するな。そなたのことは俺が守る!」
「ルーク様!!」
壇上で見つめあい、手を取り合う二人。
この茶番はなんだろうか。
会場からの白けた視線は感じていないのであろう二人は自分たちの世界に浸っている。
「皇太子殿下、婚約破棄をお求めになる理由はなんでしょうか?」
そんな茶番をぶった切るアイーシャ様のお声。
その声にもやはり感情はこもっていない。
ただ、淡々としている。
「お前がララに行った数々の非道な仕打ちはララから聞いている!そのような女にこの国の国母など務まるはずもない!よって婚約を破棄する!」
「なぜですか?」
「何がだ!!??」
「仮にわたくしがコットン子爵令嬢に非道な仕打ちとやらをしたとして、それがなぜ国母が務まらないという結論に至るのですか?」
「どういうことだ!!??」
なぜ分からないのか分からない、という風にアイーシャ様は首を傾げて壇上にいらっしゃる皇太子殿下を見上げる。
首を傾げた時にさらりと肩から滑り落ちる銀髪は今日も艶やかだ。
「国母となるべき人材に必要な能力の一つは、必要な時には非情な判断を下すことができる力、とわたくしは皇太子妃教育で教わりました。わたくしが仮にコットン子爵令嬢に非道な仕打ちをしたのであればそれは必要があってしたことだとは思われませんか?」
「詭弁だ!!そなたはただ自分がララに嫉妬したから行動を起こしたのであろう!!」
「なぜですか?」
「今度はなんだ!!??」
「なぜわたくしが嫉妬をするのでしょうか?」
純粋に疑問、というようにアイーシャ様が目をいつもより2㎜大きくされた。
皇太子教育が始まってから公の場ではあまり表情を変えなくなったアイーシャ様がこういった場で表情筋を働かせるのは珍しい。
アイーシャ様の深い海を思わせる美しい紺碧色の瞳が良く見える。
「俺がお前ではなくララと一緒に過ごしているのが気に入らなかったからだろう!」
「なぜですか?」
「何がだ!?」
先ほどから続くアイーシャ様からのなぜなぜ攻撃にかなりイラ立った様子の皇太子殿下。
声を荒げているせいか顔色もいつもより赤みを帯びているように見える。
「なぜわたくしが皇太子殿下とコットン嬢が一緒に時間を過ごしていることに負の感情を抱くと思われるのですか?」
「なぜだ!!??」
「え?」
突然の皇太子殿下からのなぜ返しに少し驚いた様子を作るアイーシャ様。
「不愉快に思うだろう!婚約者である俺がお前以外の女子生徒と仲良くお茶をしたり、食事をしたり、町に出かけたり、プレゼントを贈ったりしているのだから!」
自分で墓穴を掘っている皇太子殿下になんとも言えない空気が会場中に漂う。
「アイーシャさん、認めてはいかがですか?ルーク様のことがお好きだったのでしょう?だからルーク様に大切にされている私にあのような嫌がらせをされたのでしょう?」
そして皇太子殿下と公爵令嬢の会話に割り込んでいくコットン嬢。
このお二人が穏やかとは言えない会話をしているのにも関わらず、誰も止めないのはお二人の地位が高く、止められる立場の人間がいないからだ。
このお二人を止めるには国王陛下夫妻、もしくは公爵閣下が必要だ。
そんな中自分の意見をぶっこんでくるコットン嬢はやはり非常識な令嬢である。
学園中が知っている事実ではあるが。
「わたくしコットン嬢にも質問がありますの」
そんなコットン嬢にも怒りを見せないアイーシャ様は冷静沈着、淑女の鏡だ。
「わたくしがいつどのような悪行をあなたに行ったのか教えてくださる?」
質問攻撃の標的が皇太子殿下からコットン嬢に移ったらしい。
そのことにいくらかほっとした様子を見せている皇太子殿下。
今日も感情表現が豊かでいらっしゃる。
「言い逃れですか、アイーシャさん!私が声をかけても無視をしたり、私がご飯を食べているときに嫌味を言ってきたりしたじゃないですか!」
「僭越ながらそれに関してはわたくしが返答をしても良いでしょうかアイーシャ様」
コットン嬢がよく分からないことを言い始めたので、私が声を上げる。
「ええ、お願いしますリヴィア様」
感情を表には出さないとは言え、アイーシャ様も中々進まない話し合いにお疲れのご様子だ。
疑問を残すことを良しとしない性格であるにも関わらず私にコットン嬢との話し合いを譲ってくださった。
アイーシャ様のためにもここは私がさくっと話し合いを進めさせていただこう。
「まず、コットン嬢、なぜあなたは先ほどから皇太子殿下とアイーシャ様を名前で呼んでいらっしゃるのか理解に苦しみます。この国の皇太子殿下であられる方は気軽に名前を呼んではならない存在です。婚約者であり、この国の令嬢で一番地位の高いアイーシャ様ですら皇太子殿下とお呼びしていらっしゃるのです。また、アイーシャ様とあなたは友人ではないと認識しています。友人として認められていないあなたはアイーシャ様のことをラインベルト公爵令嬢、とお呼びするべきです。それどころかアイーシャ様が何も言わないことを良いことにアイーシャさんなどと、あなたは一体どれだけ偉い立場の人間なのでしょうか。
次に、声をかけたのに無視をされたとのことですが、この国は厳格な身分制度が敷かれています。その貴族社会の中でなぜ立場が下であるコットン嬢からアイーシャ様にお声掛けができるのか意味不明です。友人として許可もないのに下の者から声をかけることは不敬です。そのような常識の無い者から声をかけられて反応する者など普通はおりません。
最後に、食事の際に嫌味を言われた、とおっしゃておりましたが、それはもしかしてアイーシャ様が『それほどの量を食べて具合が悪くならないのですか?』とあなたにお声掛けした時の話でしょうか?もしそうなのであればあれは嫌味ではなく、上位の貴族令嬢としてあなたに注意をしてくださったのです。以前から思っておりましたが、食事中のあなたには品がありません。一つの食器に様々な料理をこれでもかと山盛りによそっていますよね?せっかく学園のシェフが腕によりをかけてご飯を作ってくれているのに味が混ざってしまうではありませんか。そしてその料理をがつがつと召し上がっている姿は見るに堪えないぶt・・失礼、とにかく品がないです。さらには量がやはり多いのでしょう。体形に個人差はありますが、あなたの場合には大変に不健康な体つきをしていらっしゃいます。それらのことを心配なさったアイーシャ様の優しさからのお声かけを嫌味に捉えるなどと、一体なぜそんな発想が生まれるのか伺いたいものです。」
とりあえず、先ほどのコットン嬢がおっしゃていたことに対する返答をする。
私は一度話し出すと長くなるから、と家族からはなるべく公の場で口を開くなと言われている。
だがアイーシャ様のためであればうちの家族も納得してくれるはずだ。
そもそも皇太子殿下とアイーシャ様の婚約が発表された時には社交界中に激震が走ったのだ。
国王陛下からの命であったため、誰も表立っては文句を言えなかったがこの婚約で得をするのは国王陛下夫妻だけである。
地位が高く、美しく、何をさせても完璧にこなしてしまうアイーシャ様。
どこの家門の令息であろうと、勿体ないお方だ。
アイーシャ様と釣り合いの取れる殿方はこの世に多くは存在しない。
一方の皇太子殿下は国王陛下夫妻に甘やかされて育っているため自分の思い通りにいかないとすぐに癇癪を起すような性格である。
一応皇太子教育はなんとかこなしている、との噂だが本当のところは違うだろうというのが学園で皇太子殿下と共に過ごした生徒たちの感想だ。
成績上位者のみが記載されるテストの成績表に名前が載ることはほとんどなく、載ったとしてもギリギリのところだ。
卒業までの3年間、毎回満点で学年1位をキープされていたアイーシャ様とは比べ物にならない。
ちなみに私はアイーシャ様のお名前の隣に並ぶために努力をした結果、だいたい学年2位である。
たまに私と同じ思考した同志に順位を譲ることもあるが。
そんな、将来の国王として心配しかない皇太子殿下をサポートするためにお二人の婚約が国王陛下により決まったのだ。
国王陛下夫妻と皇太子殿下はそれで良いだろうし、見方によってはラインベルト家にとっても家門の令嬢が皇太子殿下に嫁ぐのは決して悪いことばかりではないだろう。
しかし、そこにアイーシャ様の気持ちは何一つ考慮されていないのだ。
前国王陛下夫妻、現国王陛下夫妻が共に大恋愛の末に結ばれたことから今の社交界では恋愛結婚がスタンダードであるにも関わらず。
そしてアイーシャ様の友人として何よりも許せなかったのが、この婚約をしたがためにアイーシャ様はご自身の将来の夢を諦めざるを得なかったことだ。
アイーシャ様は研究者気質なお方だ。
疑問が浮かぶとその疑問を解消するまで調べて納得しないと気が済まないのだ。
そんなアイーシャ様は将来私と一緒に外国の研究機関に行きたい、と将来を語られていた。
それがこの婚約のせいですべて諦めなければならなくなった。
さらには、皇太子妃としての教育が始まると、もともとは好奇心旺盛でころころと表情が変わっていた可愛らしいアイーシャ様が私的な場面以外では表情を変えることがなくなってしまったのだ。
それ以外にも「なぜ?なぜ?」とあらゆることに疑問を感じ、答えを知る人がいれば躊躇なくどんな身分の人であろうと尋ねる可愛らしい姿も見られなくなってしまった。
由々しき事態である。
そこまで思考した結果、
(あれ、これこのまま婚約破棄に持っていくのが正解なのでは?)
との答えにたどり着いてしまった。
もしかして、皇太子殿下とコットン嬢の噂が流れ始めたころからアイーシャ様はそのように考えていたのではないか。
アイーシャ様へと視線を向ける。
目が合ったアイーシャ様はわずかに私に向かって頷かれた。
私に向かって、周りに分からないように僅かな合図を送って下さるアイーシャ様が尊い。
私へ向けていた視線を再び壇上にいらっしゃる皇太子殿下へと向ける。
本当はずっと私を見ていて欲しい・・。
「殿下、わたくしとしましては婚約の解消も致し方ないと思っております。ですが、今この場では正式な婚約解消は難しいと思われますので後日改めて父から国王陛下に奏上するようにお願いしたく思います」
「己の立場をようやく理解できたようだな!アイーシャ・ラインベルトをひっ捕らえろ!!」
「なぜですか?」
「今度はなんだっていうんだ!!??」
「わたくしに捕らえらるような理由はないと存じます」
「・・・・うるさい!さっさと出ていけ!!」
「御前、失礼いたします」
そう言って、アイーシャ様は美しいカーテシーを見せた。
出口へ向かうため振り返ったアイーシャ様は花が綻ぶような満面の笑みをされている。
「また後日ご連絡差し上げますね」
仲の良い友人たちにそう言い残し、アイーシャ様は会場を後にされた。
もちろん誰かに連行されるとかではなく、自身の足で、優雅に。
アイーシャ様の満面の笑みを直視してしまった学生たちは私を含め、硬直している。
学生たちは婚約前のアイーシャ様と接したことがない方がほとんどなので、アイーシャ様の感情豊かな表情を初めて見るのだ。
その破壊力は凄まじい。
かく言う私も久しぶりに拝見する満面の笑顔に意識を飛ばしていたらしい。
気づいた時には家のベッドで寝る準備をしていた。
数日後、アイーシャ様からお手紙が届いた。
仲の良い友人たちでのお茶会に招待されたのだ。
どうやらラインベルト家と王室との話し合いに決着がついたようだ。
その次の日には元皇太子殿下が廃嫡となり、歳の離れた第二王子が次の皇太子となることが発表された。
ちなみに元皇太子殿下はコットン嬢と一緒に辺境にある王室所有の土地で余生を過ごすことが決定したそうだ。
そこでいち貴族として厳しい家令の元、田舎の土地を治めることで王室というブランドに胡坐をかいていた元皇太子殿下とそのブランドに釣られたぶt・・失礼、コットン令嬢は苦労すれば良いと思う。
元皇太子殿下も大好きなコットン嬢と一緒になれて良かったではないか。
あの二人は本当にお似合いなのだ。
お茶会当日、素晴らしい天気に恵まれたため、ラインベルト家自慢の庭園でピクニックをすることになった。
こういったことも将来の皇太子妃に相応しくない、といままで我慢されていたのだと思う。
「皆さん、今日は来てくれてありがとう!」
アイーシャ様は婚約前の明るい、元気いっぱいのアイーシャ様に戻っていた。
「この度、誠に残念ながら元皇太子殿下でいらっしゃるルーク様が国王陛下の命で廃嫡されることになりました、これに伴い、本当に残念ながらわたくしとの婚約も解消されることとなりました」
アイーシャ様はところどころを強調されながら挨拶を進めていく。
このような話し方をされるのも久しぶりだ。
「アイーシャ様はどこまでを計算されていたのですか?」
優れた剣術を見込まれ、本当であればアイーシャ様が正式に皇太子妃となった暁には皇太子妃の護衛を任されるはずであったソフィア様がそう尋ねる。
今この場にいるのはアイーシャ様のことが大好きで、尊敬している令嬢たちだ。
皆アイーシャ様と並んでも誰にも文句を言われないよう、勉学に励み、淑女としてのマナーも完璧なお嬢様ばかり。
その中でも、何か一芸に秀でている者がアイーシャ様の目に留まり、友人として親しい付き合いが許される。
「ふふ。いつからでしょうね?」
楽しそうにお話されるアイーシャ様は本当に可愛らしい。
「廃嫡となられたからこうしてお話ができますけれど、本当は最初から嫌だったんです。わたくし、研究者になりたいという夢もございましたし、リヴィア様と一緒に国外へ行くのも本当に楽しみにしておりましたの。それでも、貴族として政略結婚も仕方ないと思った時期もございましたが、元皇太子殿下に求めるものとわたくしに求めるものの差があまりにも大きすぎることに気づいた時には愕然といたしました。なぜわたくしばかりがこんなにも我慢を強いられるのか、と思ったときには今回の騒動が起きることは決定していたのかもしれませんわね」
いたずらな顔をされながら語るアイーシャ様ではあるが、その内容は今まで誰にも言えなかった心の淀みなのだろう。
将来の皇太子妃として誰にも文句を言われない、完璧な令嬢としての仮面はもう捨てられたらしい。
「そもそも、一生を共にする相手であれば尊敬のできる方が良いではないですか?元皇太子殿下は自己管理すらまともにできない方でしたから、学園に入ってからどんどんふくよかになられて・・。その姿を見て、やはり男性は健康的なお体の方が素敵だと思いましたの。」
そう、コットン令嬢に負けず劣らず、元皇太子殿下も中々にふくよかでいらっしゃったのだ。
学園に入学した時には普通の体形をされていた記憶なのだが、3か月後には制服のサイズを変更されていた。
その後もどんどんふくよかになられて、本当にコットン令嬢とはお似合いのカップルだ。
「アイーシャ様は今後どうなされるのですか?」
学生ながら様々な発明を行い、複数の製品に関する特許までお持ちのターニャ様がこの場にいる全員が気になっていることを代表して尋ねてくれる。
「婚約も解消となりましたし、これからは好きにして良いとお父様にも言われております。当初の夢であった外国での研究者を目指したいと思っておりますの。目標とすべきはやはり研究者にとって一番の誉である帝国の研究施設ですわね。なので、まずは帝国の高等教育機関への入学です」
その言葉を聞いて今この場にいるアイーシャ様以外の3人の目標も決まった。
帰ったら早速手続きを進めなければ。
帝国は我が国とは入学、卒業の時期がずれていたので入試までもあと数か月の余裕がある。
ここにいる令嬢であれば試験準備なしでも問題はないだろうが。
「今まで我慢しておりましたもの。これからは自由にさせていただきますわ。」
そうおっしゃるアイーシャ様の笑顔は輝かんばかりで、女神が降臨したのかと思った。
皇太子が廃嫡となった年、例年以上に王国から帝国へと留学する学生が多かった。
若い世代のあまりの人材放流にその後数十年王国は国力を落とすことになる。
一方、帝国では王国の優れた若者たちが多く入ってきたことにより一層研究が盛んになっていく。
その中でも、特筆するべきは医薬品研究に名を遺したアイーシャ・カウント(旧姓:ラインベルト)夫人であろう。
アイーシャ夫人の夫もまた王国からきた人物であったとの噂がある。
アイーシャ夫人は夫との間にたくさんの子宝に恵まれ、孫と子供に見守られながら先立った夫の後を追うように幸せな人生に幕を閉じたらしい。
そんな彼女が最期に残した言葉は
「他人の犠牲となるべく、誰かが我慢するのはおかしい。誰もが自分の生きたいように生きるべきだ」
だった。
次期国王がルークに決まった時に王国から追い出された王弟殿下が実はずっと好きで、それを追いかけて帝国に行ったよ、という裏設定。
王弟殿下はがっちり体形に黒髪、黒目なイメージ。
皆様、伏線は回収していただけましたでしょうか…。
初めて評価をいただけました(つд;*)
喜びで感無量です(つд;*)
ありがとうございます(つд;*)
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