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09【日菜子視点】美しい悪夢

 その日、私とサトちゃんはショッピングモールまで食料品の買出しに来ていた。

 買い物は、アパート近くのスーパーに私がひとりで行って、サトちゃんは家に残って原稿を進めるのが通例だったけど、毎日家に篭りきりだと健康に良くないし、ちょうど原稿も上がってキリが良かったので、サトちゃんを家から引っ張り出すことにしたのだ。

 ショッピングモールが実家から近いこともあって、あまり気乗りしないサトちゃんに、まだご両親に会いたくないのかと少し切ない気持ちになる。

 健康のため。それももちろんだけど、愛しのサトちゃんと買い物に行きたかったっていうのが本音。

 こうして二人並んで歩いていると、まるで恋人か新婚さんみたいじゃない?


「うふふふぅ……」


 ゲームセンターでちょっとだけ遊んで、アイスも買ってもらった。

 体をくねらせながら幸せに浸っている私を、サトちゃんが怪訝な顔で見てくるけど気にしない。

 日常の、両手でかき集めた些細な幸せ。

 それだけで良かったのに、それすらも長くは続かない。

 私のとった行動がきっかけで、再びあの悪夢が呼び起こされるなんて、私は夢にも思っていなくて……。


 帰り、駅前まで来た時、チビ&ぽっちゃり体型の私のコンプレックスを刺激する、忘れもしないスラッとした綺麗な後姿を見た時、私は心臓が止まるかと思った。

 考えるよりも先に体が動いて、くるりと踵を返していた。


「おい、ピヨ。なんだよ、どこ行く気だよ」


 先を歩いていたサトちゃんが、逆走を始めた私に気づいて追いかけてくる。

 早く、一刻も早くここから立ち去りたい。


 他人の空似。

 他人の空似。


 目を閉じて、何度も胸の中で繰り返す。

 もう一度、ちゃんと確かめようと私がそっと後ろを振り返った時、悪夢はもう目の前に立っていた。


「悟史くん? 悟史くんじゃない……?」


 オレンジ色に染まった道に、ひとつ、影が増えている。

 落ち着いた、優しい響きをもつ懐かしい声に、サトちゃんが動きを止める。


 私が知っている一河さんは、可憐で可愛らしい人だった。

 あの頃も一河さんの美貌に嫉妬していたけど、5年ぶりに見た彼女は、ナチュラルメイクが映える、目鼻立ちがはっきりした美しい女性に成長していた。

 私は絶対に着られない白いフレアスカート(墨で汚れるから)に、水色ストライプのブラウス、青のジャケット。理知的に身奇麗にまとめた服装が、とても一河さんらしかった。


 お……大人だ……。


 くるりんぱしてからゆるゆる編んだ三つ編み、お年玉で買ったチェック柄の甘いワンピース。

 精一杯おしゃれしたのに自分が急にとても子供っぽく思えて、ワンピースの裾に墨汁の染みを見つけて、この場から消えてしまいたくなった。


「一河……。懐かしいな」


 私からはサトちゃんの後姿しか見えないけれど、声の柔らかさから、サトちゃんがとても優しい顔で一河さんを見ているのがわかった。

 嫌だ。

 私の心の傷がまた開き、じくじく痛み始める。


「悟史くん、まだ描いてるんだね」


 一河さんはサトちゃんの手に目を落とし、ペンだこを指差して微笑んだ。


「一河は?」


 サトちゃんもすかさず聞き返す。

 一河さんは寂しそうに笑った。


「私は諦めちゃったから……」


 一河さんは、ここから二つ先の駅付近の会社で働いているらしい。

 この駅が乗り換え地点らしく、今日はたまたま途中下車をして買い物をしてから帰る予定だったそうだ。

 そんな不幸な偶然て、ある!?

 呆然と立ち尽くしていると、一河さんは私の存在に気がついた。


「え……? 日菜子ちゃん?」


 気づかなくてもいいのに。

 チッ! と胸の中で舌打ちしても、表情には出さない。


「こんにちは」


 口の両端を気持ち少しだけ上に上げて、私は一河さんに挨拶した。


「うわぁ~。あのちっちゃかった日菜子ちゃんかぁ」

「今もちいせぇけどな」


 サトちゃんの横槍に一河さんは「えー? 可愛いじゃない~」と笑うと、私に近づいて頭からつま先までジロジロ観察した。

 その視線の意味はよくわからなかったけど、私の体を嫌悪感で満たした。


「綺麗になったのね」


 正直、それは嫌味にしか聞こえなくて、私は言いようの無い悔しさで、唇をぐぐっと噛み締めた。

 いつか絶対、一河さんより綺麗になってやるんだからっ……!

 

「二人、付き合ってるの?」


 唐突に、何の心の準備もなく爆弾が投げ込まれて、私は受け身が取れなかった。

 年の差はあっても、あの頃と変わらず今まで一緒にいるのだから、そう考えたっておかしくない。

 私だってずっと、周りからそう見られることを願っていたけど。


「いや。無い無い」


 間髪入れずにサトちゃんが返す。

 それは見慣れた光景で、誰に聞かれてもサトちゃんはそう答えただろうけど、今の私にはダメージが大きすぎた。

 ここで、うん! そうなの! と答えられていたらどんなにいいだろう。


「付き合ってはいないけど、私はサトちゃんが好きだよ」


 ダメだ。

 今、牽制しないと。


 私はサトちゃんではなく一河さんに言った。

 もう作り笑いはしなかった。

 一河さんからも笑みが消えた。


「おまえなー」


 一人、現状を把握できていないサトちゃんの平和そうな声が場違いに漏れる。

 サトちゃんは私の告白を聞きなれてしまったので動じないけど、気恥ずかしかったのか頭をかいた。


 去りなさいよ。

 今さら、お呼びじゃないわよ。


 私は、ジッと一河さんを睨み付けていた。

 一河さんは、ふっと軽く笑って、予想外の台詞を口にした。


「そっかぁ……。二人ともお似合いだよ~」


 私は拍子抜けして、言葉を失う。

 サトちゃんは、「いや、俺は別に……」と言葉を紡ごうとしたが、一河さんはなおも続けた。


「あれからもう5年も経つんだもん、悟史くん素敵だから強敵が出現してても仕方ないよね。だけど、私だけなのかな。ずっとこんな気持ちでいたの」


 そしてようやく向かおうとしている話の方向に気づき、私の背筋を冷たいものが走った。


「本当はね、この辺に悟史くんが住んでるからよく途中下車してたんだよね」


 マズイ。

 私は自分の犯したミスに気づいた。

 何か……。一河さんよりも早く何か言わなくちゃ。

 口をパクパクさせて必死に頭を回転させるけど、もうどうにもできない。


「だから、うん。それはちょっとショックだなぁ」


 やめて。

 やめて。

 やめて。


「また会えるといいなぁ、私この時間によくここに来るから。今度悟史くんの漫画見せてね!」


 私は体が硬直して、サトちゃんを見ることができなかった。

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