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漫画のつくりかた  作者: 右左山桃
番外編
43/45

【悟史視点】ふたりは関係を進めたい・6

 今までに無いくらい怒っている日菜子に、やりきれなくなって俺も叫ぶ。


「馬鹿言うな! なんでそうなる。日菜子が可愛いから一々翻弄されるんだろ!? あほみたいに、ずっと大切に思ってる。でなきゃ、何でこんなことで自己嫌悪に苛まれなくちゃなんねーんだよ。日菜子が喜ぶことが知りたいし、幸せにしてやりたいし、これから、どうやって日菜子のことを守っていけばいいかって、ずっと考えてる!」


 挑発に乗って、抱いてやれば日菜子は満足するのかもしれない。

 でもきっと俺は後悔する。

 どれほど大切で失いたくない存在なのか、意識すればするほど枷は増えていく。

 多分、俺は日菜子を神聖視している。

 こんなに俺のことだけを考えて、愛してくれる他人、きっと他にはいない。

 狭い世界で、俺への愛を貫くことだけを考えて純粋培養されてきた日菜子は、抱くことに嫌悪感を感じるくらいで。

 だから、こんな、考えたくないところまで辿り着くんだ。


「『刷り込み』って知ってるか?」


 そう言うと、日菜子の強いまなざしが俺を捕らえた。

 怒りを含んだ瞳は、感情が高ぶって涙が零れおちそうだった。

 そんな風に、ひたむきにまっすぐに。

 幼い頃からずっと自分だけに向けられていた恋心。


「最初に見た奴の後をずっと付いてまわる習性のことだ。おまえはそれだよ。日菜子の見てきた世界は狭いんだよ。色んな奴に会って、これから視野や世界を広げていけば、俺よりもっと良いと思う奴に会えるかもしれない」


 きっかけは、きっと些細なものだったと思う。

 絵が描けることや、年上で面倒見が良かった俺へのほんの小さな憧れに過ぎなかったと思う。

 憧れを恋だと思い込んで、ずっと届きそうで届かない想いを抱えながら、後に退けない状況にまで陥って。

 その想いを貫くことしかできなかった。

 盲目的な日菜子の好意につけ込んで、本当に越えてしまっても良いのだろうか。

 日菜子の目が覚めたら、もっと好きだと思える人間が他にいることに気づくかもしれないのに。


「だけど……それでも……今度は……」


 絞り出すように俺は言葉を続けた。


「今度は日菜子が俺をいらなくなるまで、ずっと傍で日菜子を守りたいって……」


 かつての日菜子がそうしてくれたように。

 泣かせたくない。

 傷つけたくない。

 もう2度と。

 それなりの覚悟が必要だ。

 日菜子が本当の幸せを見つけられるように、たくさんの選択肢を選べるように、色々な人と引き合わせ、日菜子の知らない、新しい世界へと連れていく。

 俺にはその責任がある。


『大丈夫だから』

『無理はしなくていいから』

『できることからすればいいから』


 そう言って、日菜子の背中を押すと同時に、失う不安が付きまとう。

 ずっとここに閉じ込めておけたらいいのに。

 口に出せない本音を押し殺して笑う。

 どんなに漫画が売れても、面白かったと言われても、心の穴が埋められない。

 いつだって日菜子を支えるだけの力量が、心の余裕が、自信が欲しいのに。


 口にしてから後悔した。

 できればこんな話、ずっと日菜子にしたくなかった。

 言われれば気にするに決まっている。

 そんなことを日菜子に気にして欲しくなかったし、いつだって自由奔放に、好きなものを選んで、好きだと言える日菜子でいて欲しかった。


 無知な彼女。

 全てを悟り、いつかいなくなるかもしれない彼女。

 滑稽だよ。いつの間にか形勢逆転だな。

 これ以上惚れ込むな、と頭の中で警告が鳴る。

 深入りしてから失うことが、ただ怖いだけなのかもしれない。

 結局覚悟なんて、まだできていないんだ。


「俺は、おまえのことが、すげー……大事なんだよ」


 溜息を交えて、やっと言った。

 険しい顔で押し黙っていた日菜子の表情が少しだけ動いた。


「それがサトちゃんの本音だとすれば、サトちゃんは少し、日菜子を見くびっていると思うよ」


 姿勢を正し背筋を伸ばして、日菜子は座りなおす。


「そんなこと……思ってたの? いつまで日菜子のことを判断つかない子供だと思ってるの? たとえたくさんの人に会ったって、どこに行ったって、日菜子の気持ちは変わらない。日菜子は自分の意思で、ここに帰ってくるよ」


 とん。と、俺の胸を人差し指で突く。


「サトちゃんのことが、好き。いつだって、今だって、この先だって……ずっとずっと好きだよ……変わらないよ……」


 日菜子は俯き、肩を震わせ始めた。

 泣かせてしまったのか不安になって、その肩に触れようとしたけど。

 

「て、ゆーか」


 すぐに顔を上げて、キッと俺を睨みつけた。


「『刷り込み』? ばっ……馬鹿にしないでよっ……! 雛鳥じゃあるまいし。私を”ピヨ子”だと思うのも大概にしたら!?」


 立ち上がり、地団駄を踏んで、悔しそうに俺の胸をぼかぼか叩く。


「サトちゃんは無自覚過ぎ! 自分の意思を貫いて、夢を叶えられた人間がどれだけいると思っているの!? サトちゃんのひたむきに努力する姿を見て、私も頑張れたのに! サトちゃんの言う、日菜子にお似合いの良い奴って? もっと漫画が売れているお金持ちの人? 女の子を喜ばせることが上手な人?」


 日菜子に問われ、俺は言葉に窮する。

 平たく言えばそういうことなのか……?

 魅力的な人間の定義なんて、実際には俺にもよくわかっていなかった。


「サトちゃんは、確かに世渡り下手そうだよね。頑なだし、嘘とかつけなそうだし。正直、出世するタイプじゃないよね」


 ズケズケと容赦なく言ってくる。

 普段のほわんとした態度とは対照的な日菜子の姿に、俺は反論する間もなく、呆けた顔で見つめ返すことしかできなかった。


「でも、違うでしょ? 誰かと比べて秀でているから人を好きになるんじゃないでしょ? サトちゃんの良いとこも悪いとこも日菜子は誰よりも良くわかっているつもりだよ。純粋で、不器用で、優しいサトちゃんが好きだと思うことはおかしい? サトちゃんは私を守るというけど。私はそんなサトちゃんを守りたいと思ってるよ。誰が否定したって、私はいつだってサトちゃんを肯定するよ。世界中の人が敵に回ったって私はずっと味方でいるよ」


 すうぅっと日菜子は大きく息を吸う。


「これから、何百、何千の人に会ったって、私はサトちゃんを選ぶっ! 誰に何を言われたって、私は胸を張って、サトちゃんのことが大好きだって言うんだからぁっ! 私の気持ちが嘘だとか勘違いだとか、そんなこと言う権利は、サトちゃんにだって無いんだからぁっ……!」


 そう叫んだ日菜子の気迫に押され、気づけば俺は毒気が抜かれていた。


「すごいな……」


 ポツリ、呟く。


「何が」


 強い、信念が。

 旅行で知らない一面が見られるだろうとは思ったけれど。

 まさか、こんなにも日菜子を怒らせる羽目になるとは思わなかった。

 俺は苦笑する。


「ごめんな。ありがとう……百人力だ……」


 幼い頃、漫画家を夢みた自分だって似たようなもんか。

 無理だと言われたって、なりたい姿を信じて、叶えたんだから。

 日菜子が想いを最後まで信じ抜けば、それだって本物か。

 人の気持ちほど不安定で不確実なものもないのだろうけれど、一番大切な人を信じなくて、他に何を信じるんだ。

 俺の自信なんて、日菜子に愛されている事実だけで十分だ。

 日菜子は叫んでスッキリしたのか、昂っていた感情が収まったようだった。

「まったくもー……サトちゃんはー……」とブツブツぼやき、ピタリと動きを止めた。


「……ん? ちょっと待って?」


 人差し指をおでこにあてて、何やら難しい顔で考え始める。

 そして、ぱっとひらめいた顔を俺に向けた。


「さっき、日菜子がいらないって言うまで、サトちゃん、ずっと日菜子と一緒にいてくれるって言った」

「ん? ……ああ」


 すっかりいつも通りの日菜子だった。


「じゃあ、何!? ずーっとずーっとサトちゃんと一緒にいられるってことなの!?」

「…………」

「だって、日菜子がサトちゃんをいらないと思うことはまず、天変地異が起きても無いでしょう?」

「……だから。どこから来るんだ、おまえのその自信は」

「えぇ? 世界中のありとあらゆることが信じられなくなっても、この気持ちだけは信じられるよ。日菜子最大の夢は、サトちゃんを支える人になることで、サトちゃんに必要とされることなんだから」

「……それ、もう叶ってるじゃねーか」

「まだなの! これは一生をかけて叶える夢なの! 壮大プロジェクトなの!」

「あ、そ。じゃあ、きっと……」


 まったく。

 日菜子には叶わない。

 そんな軽いノリで愛を語るのに、いつだって決して信念はぶれないのだから。

 だから、きっと、願わくば。


「これからもずっと、一緒なんだろうな」

「うんっ! うんっ!」


 嬉しそうに、日菜子が何度も頷く。

 俺はようやく長い間悩んでいた枷から解放された気がした。

 いつか、日菜子は自分の元からいなくなる……手放さなければならなくなる。

 そんな不安が、一緒にいることが当たり前になった、恋人になった後でもずっと燻っていたこと。

 自分自身でも気が付けなくなっていた。

 だけど、そんなの夢にも思っていなかった日菜子にしてみれば、とても失礼な話で。

 怒られて当然だったな、と俺は反省した。

 日菜子の気持ちなんて、日菜子が決めるもので、俺が考える範疇ではない。

『日菜子としたいと思ってくれた?』

 そう、何度も問いかけてきた。

 俺の意思で自分を求めて欲しいという、日菜子の願いは当然のものだ。

 俺は日菜子の前に、コンビニで買った例の箱を置く。


「え……? なあに、これ」


 日菜子はパッケージをくるりと一回転させ、それが何かわかると真っ赤になった。


「ええええええ!!!」


 あーあ。良いんだか悪いんだか。

 とりあえず日菜子は物凄く驚いている。


「サトちゃんも……ひ……日菜子と……そ、そ、そゆこと……」

「……そりゃ、考えるよ」

「う……嘘、みたい……」


 箱をクルクルと回しながら、ほうほうと呟く。

 頬を高揚させながら、興味深げに眺めている日菜子とは対照的に、俺のテンションはするすると下がっていった。

 あぁ、はいはい。満足ですか……。

 どうせ男なんて何だかんだ言ったってそんなもんだよ……。


「……体調、悪くなったら、ちゃんと言えよ?」

「体調? あー、もうだいぶ……」

「……欲しい……」

「え?」

「日菜子のことが、全部欲しい」


 意を決して言った。

 ぶわっと耳の先まで赤くなったのは、多分ふたり同時だった。

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