【日菜子視点】ふたりは関係を進めたい・4
サトちゃんが部屋に戻ったのを確認した途端、私の額からは汗が吹き出た。
「う……うわぁぁぁ……」
言っちゃった……。
大胆なこと言っちゃったぁ!
もう後には引けない。この旅行で私は、サトちゃんとの関係を進めるんだ。
世間一般のカップルがどうかなんて知らないけど『したことない』って言ったら鹿乃子はビックリして、マナからは『ある意味カリスマだねぇ』と謎の賛辞を得た。
まぁ、周りの反応なんてどうだっていいよ?
でもさ、サトちゃん。
昔、一河さんとはしようとしたじゃない。
何で?
何で私とは、いつまで経ってもしたいと思ってくれないの。
喉元まで出かかっている思いを飲み込む。
あの頃サトちゃんは高校生なんだから責めたって仕方ない。
多感で性欲旺盛な十代。彼女がいたら、エッチなこと考えるよね……。
私、小学生だったし。そんな大昔のこと引っ張り出して、どうこう言われたらビックリして困っちゃうって言うか、ドン引きだよね……。
私もドン引きだよ。
自覚はある。私の愛はいつも自分では抱えきれないくらい重くて痛い。
「はぁ」
思わず湯船に顔をつける。
泊まる旅館は予めインターネットで調べておいた。
各部屋に露天風呂が付いている旅館だとわかったら、鹿乃子に言われた。
一緒にお風呂に入って、胸を武器に攻めて攻めて攻めまくれ、と。
『日菜子のお胸は最強だと私は思うよ』
そうね、大きさだけはあるからね。
自分の胸元を見つめ、ふに、と揉んでみる。
手の中で柔らかく沈み、形を変える。
ふに、ふに、ふに。
触ったら、気持ちいい、とか。思ってくれるのかな……サトちゃん。
『他に特に無いしね、武器』
鹿乃子の言葉を思い出し、ぐ……と拳を握る。
『まぁ、貧乳好きだったらそれも駄目なんだろうけど』
「貧乳好きか……」
貧乳好きかは知らないけど、少なくともサトちゃんは巨乳に興味が無いと思う。
亜季おねえちゃんみたいな、セクシー路線の人を毛嫌いしてるし。
わかってるんだよ。サトちゃんの好みは、奥ゆかしい清楚な子。
一河さんみたいな。
ほっそりした一河さんに胸はあまり無かったと思う。目分量だけど、あってもBカップ。
でも、彼女には異様な色気があったから。
『ご……ごめんね、小さくて。こんなのじゃ満足させてあげられないよね』とか言って上目遣いで恥じらうだけで、男の人は滑落するんじゃないのかな。
想像しただけで凹む。
正直、今でも一河さんには女子として勝てる気がしない。
もう付き合って三年も経つのに。
未だに何かにつけて一河さんと比べちゃう自分が嫌。
サトちゃんも、その辺は十二分に気を遣ってくれていて、同窓会のハガキは不参加に丸をつけて出していた。
『行かないの?』って私が訊いたら『忙しいからな』って笑って答えた。
内心、行って欲しくないからホッとしたけど、いつまでもこんなんじゃ駄目。
サトちゃんだって、私が桐生先生と仕事するのは嫌。それでも『頑張れ』って背中を押してくれるのに。
サトちゃんは自分の感情をコントロールしてるのに、私だけがサトちゃんに気を遣わせて、行動を狭めさせてしまっている。
ものすごく大切にされている。
これ以上何かを求めたらバチが当たりそう。そう思うのに。
それでも私も、もっと、心の奥底から求められてみたい。女の子として。
足音が近づいてきて、現実に引き戻された。
心臓が痛いくらい緊張し始めて、せっかく誘いに乗って来てくれたのに、今度こそサトちゃんの方を向けなかった。
肩をすくめて浴槽の隅で小さくなっている私に、サトちゃんは声をかけるのを躊躇う。
少ししてからシャワーの音。
サトちゃんが体を洗い始めたようだ。
横目で髪を洗っていることを確認し、サトちゃんが目を閉じているのをいいことに、まじまじとサトちゃんの体を観察する。
着痩せするタイプかな。
肩と胸は思ったより厚みがあって、腰にかけてのラインが綺麗だと思った。
スケベでごめん。でも今免疫つけておかないと、間近で見たら卒倒するかもしれないし。
サトちゃんが洗い終える頃、私はまた素知らぬ顔でそっぽ向く。
お湯が波立って、湯船に浸かるサトちゃんの気配を間近に感じて顔が熱くなる。
縁ギリギリまで体を寄せても、せいぜい3人入れるかどうかの浴槽に逃げ場はない。
ドキドキとうるさい心臓を、胸ごと腕と手で押し潰した。
私唯一の武器だとしても、恥ずかしいものは恥ずかしい。
「……さ、サトちゃんはさ。お胸……大きいのと小さいの、どっちが好き?」
「は!?」
気まずさに耐えかねて会話を試みたものの、頭の中は胸のことばかり考えていたから、口から出たのも胸の話題だった。
とんでもないことを口走ったと、サトちゃんの困惑した表情を見て気づく。
サトちゃんの好みなんてわかりきっていたけど、サトちゃんは私の胸元に視線を落とし「お……大きい方がいいんじゃね……?」と遠慮がちに言った。
完全に気を遣われている。
「違う! 違うんだよ! 日菜子のお胸は、こんなことになる筈じゃ無かったんだよ! 成長期にね。牛乳をたくさん飲んだの。早く身長伸ばしてサトちゃんとお似合いになりたかったから。でも全っ然伸びなかった。全部栄養がお胸にいっちゃった。しかも太るし。私は、サトちゃん好みのスレンダーになる予定だったんだよ!」
大きい方が好きだと言ったのに、私の怒濤の言い訳が始まって、サトちゃんはポカンとしている。
ずっと聞いて欲しかった長年の後悔を口にしたら、止まらなかった。
「だからこのお胸は、サトちゃんへの愛で育った、って言っても過言じゃないんだよ」
無理矢理な理屈をこねくり回し出して、恩着せがましいにも程がある。
そう思うのに、私の減らず口は止まらない。
「そう思うと、ホラ。日菜子のお胸が何だか可愛く、愛しくなってこない? なぁんて……あはは……」
「…………」
再び訪れるのは、沈黙。
くっ。ここは笑うとこだったんだよ、サトちゃん。
もう私の胸をフォローしなくていいから。
『ばかピヨ』でいいから、なんか言って……。ツッコんで。
恥ずかしくて死にそう。
和ませるつもりだったのに、勢いに任せて更に変な空気上乗せしちゃった。
ふたり黙りこくった後で、サトちゃんが言った。
「……触っても、いい?」
「えっ!? あっ?」
そこだ! 攻めろ! と脳内で鹿乃子が叫んだ。
さ……さわる……。
想定外の言葉に、鼓動がさらに早くなり、胸を守る腕に力が入る。
で……でででででも……。
これは理想的な展開になったのかもしれない。
重くて面倒くさい胸も、サトちゃんに愛してもらえたら好きになれる筈。
「ど……どうぞ……」
蚊の鳴くような声で応える。
ガチガチにホールドした腕を緩めると、圧迫された胸が解放されて、たぷんと湯船に浮いた。
サトちゃんの骨張った長い指が伸びてくる。
ツン、と軽く触れただけなのに、ピリッと電気が走ったような衝撃を感じた。
「ひゃぅ!」
びっくりして体が後ろに飛び退く。
木風呂の浴槽はぬめる。
着地に失敗した私の足は滑って、体は水飛沫をあげなから派手に湯船にダイブした。
「大丈夫かよ!?」
すぐにサトちゃんに抱き起こされるけど、鼻から水を飲んでだ私は、涙目になりながらゲホゲホむせた。
背中をさすってもらって、ひとしきり咳き込んだ後で顔を上げる。
サトちゃんも水をかぶって、前髪からは水が滴っていた。
「…………」
ゴクッと喉の奥が鳴る。
サトちゃんの素肌が目の前にあって、ちょっとでも動くと体が触れあう。
眼鏡が無くても分かる。
濡れていつもより長くなった前髪の隙間から、熱っぽく私を見つめているサトちゃんに腰が抜けそうになった。
サトちゃんの手が私の頬に触れる。
水滴が私のおでこに落ちてきて、柔らかくて温かい感触が唇を覆った。
「ふ……」
頭の奥が痺れる。
甘いキスに浸る余裕もなく、閉じた唇をほぐすように舌が入って、思わず声が漏れた。
どうしたらいいかわからなかったけど、私も必死に舌を突き出して応じる。
背中にサトちゃんの腕がまわって、さっきまでこっそり見ていた体躯に抱きしめられる。
お互いの素肌が吸い寄せられるような未知の感触に、頭がキャパオーバーだった。
「ごめん……」
サトちゃんが唇を離して気まずそうに腰を引く。
お腹にツンと何かが触れて、私は「ううん! ううん!」と必死にかぶりを振った。
気を取り直して、また舌を絡め合う。
サトちゃんから伝わってくる熱は、きっとお風呂の温度と同じくらい。
体の中も外もとっても熱くて、お湯になって溶けてしまいそうだった。
え……えっち……。
これは私の人生で一番……すごい、えっち。
これからもっとすごいことするのに、耐えきれるんだろうか。
息の吸い方がよくわからないから、呼吸が苦しい。
何度も繰り返す未経験のキスに、段々意識が遠のいて現実との境が曖昧になっていく。
「……ふぁ……」
「……日菜子?」
サトちゃんが何か言った気がする。
どぷん! という水音と共に温かい世界に迎え入れられて、サトちゃんの声が遠い場所から響いてくる。
視界は揺らいで、まるで水の中を漂っているみたいだなぁと思った。