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漫画のつくりかた  作者: 右左山桃
番外編
40/45

【悟史視点】ふたりは関係を進めたい・3

 当日、駅で日菜子と合流した。

 日菜子の目の下にはクマができている。少しやつれた気がして心配すると「えへへ、昨夜は楽しみ過ぎて眠れなかったよ……」と恥ずかしそうに頬をかいた。

 小学生の遠足か……。


「着くまで寄っかかって寝とけよ」


 そう言ったけど、日菜子は新幹線の中で元気を取り戻し、鞄からお菓子を出しては俺にお裾分けしてくれた。

 行く前から疲れないか気になったけど、お互いの家族抜きで一緒に遠出するのは初めてだったから、はしゃぎたくなる気持ちはよくわかった。


 所詮は、スーパーの福引の景品。

 温泉宿はそれなりの所だろうと覚悟していたから、見るからに高そうな高級旅館に辿り着いた時は、スマホのマップと旅館名を3回見直した。


「名前も合ってるし、大丈夫だよ! きっとここだよ!」

「……え……えぇ?」


 気後れする俺の腕を掴み、日菜子はズンズン先を行く。

 太鼓橋を渡って、城郭風の建物を仰ぎ見る。

 伝統ある建物を模しているが、造りは古くない。

 エントランスは吹き抜け、壁一面がガラス張りのロビーからは四季折々の植物を植えた庭園が見える。

 壁ガラスのすぐ向こうは池で、日菜子はチェックインを待つ間、子供に混ざって鯉を眺めていた。

 二人で泊まるには広い客室に案内される。

 客室も座卓には畳、ベッド周りにはフローリングが切り替えて使われていて、和と洋が融合したモダンな部屋だった。

 窓からバルコニーに出られ、先は竹垣に囲われたプライベート庭園になっている。

 観賞用の庭だから大きくはないが、そこに源泉掛け流しの露天風呂まで付いていると言うのだから。


「すごいよなぁ……」


 それしか言葉が出ない。

 あのスーパー、意外に侮れないかもしれない。


「旅館の周りは観光地みたいだから、見てこようか」


 アダルト漫画を描くことはないにせよ、温泉旅館が舞台の漫画は描くかもしれない。

 取材旅行なんて名ばかりだったけど、漫画に使えそうな写真が撮れたら嬉しい。


「…………」


 ふたつ返事で誘いに乗ると思っていた日菜子が、黙り込むので不思議に思う。


「行かねーの?」


 声をかけても日菜子は心ここに在らずで、バルコニーから出たり戻ったり、せわしなく動き回っていた。


「サトちゃん、お風呂一緒に入れるね!」


 旅行前からどうにも、日菜子の本気か冗談かわからないテンションについて行けない。

 軽いノリで言ってくるけど、恋人になってからはもちろん、子供の頃にだって一緒に入ったことは無い。


「お……おう……」


 良い返しが思いつかなくて、曖昧に肯定する。

 それでも十分だったらしく、答えるや否や日菜子の顔がボンッ! と音がするくらい赤くなった。

 自分で言っといてそれ!? とツッコミたくもなるけど、まぁ、あれだ。

『サトちゃん大好きー、愛してるよー』の延長的な?

 あまり考えなしに言葉を発して、俺の反応を楽しんでいる節は昔からあるし。

 この純情な反応を見る限り、言葉通りに受け取って強気で迫ったら、恐がらせてしまいそうな気がする。

 まぁ、本当に一緒に入るかは追々、夜になってから慎重に考えればい……。


「じゃあ、せっかくですしねぇ。今から、ちょっと入ってみましょうかねぇ!」

「今から!?」


 正気かよ!?

 突如、ノリノリで旅行特番の真似をし始めた日菜子に面食らう。

 まずは周辺の観光施設でゆっくりデートするのが定石(じょうせき)じゃ無いのかよ!?

 そんで、それなりに良い雰囲気になって、自然な流れで夜を迎える的な。

 フワッとだけど、今までそんなプランを想像してたんですけど?

 軽いキャッチボールから始めたら良いのに、いきなり剛速球投げつけてくるじゃん?


「……だめ?」

「いや、い……いいけど……」


 日菜子は本気で外に出る気は無いらしく、荷物から風呂場に持っていく下着や化粧品の選別を始めた。

 それを手提げに詰め直し、浴衣と部屋に備え付けられていたアメニティのいくつかを選び掴むと、無言で露天風呂へ行ってしまった。

 俺はポツリ、部屋に残される。

 怒濤の展開に頭は全くついてこなかった。

 日菜子が何を考えているのか、さっぱりわからなかった。

 10年以上一緒にいても、こんなに訳わからない状況は初めてかもしれない。


 え? 何これ。

 俺、追いかけた方がいいの?

 いや、今からちょっと入ってみるっていうのは、ものは試しで、先にひとりで入ってみたいって意味だったとか?

 一連のやりとりを反芻(はんすう)してみるけど、やっぱりよくわからない。

 選択を間違えたら、かなり気まずい。


「サトちゃーん」


 暫く部屋でボケッとしていたら、窓の向こうから日菜子の声が聞こえた。


「洗顔フォーム忘れたから持ってきてー。日菜子の鞄に入っているからー」


 言われた通り日菜子の鞄を漁る。

 上の方にしまわれていたので、すぐに見つかった。

 呼ばれたってことは行ってもいいんだよな……?

 少し抵抗があったけど、備え付けてあった下駄を引っ掛けてバルコニーへ出た。

 じめっとした夏の暑さがまとわりつく。

 来るまでに汗をかいたし、日菜子はすぐにでも風呂に入りたかったのかもしれない。

 進む先に、檜風呂と湯船からちょこんと頭を出している日菜子が見えた。


「ほら、持ってきたぞ」


 日菜子に近づきすぎないように気をつけて、どこに洗顔フォームを置こうか悩む。

 カラン周りに置いておけばいいかと思い屈むと、背後でザバッと勢いよく水音がした。

 まさか日菜子がその場で立ち上がるなんて夢にも思わなかった。


「ありがと」


 振り向けば、日菜子がこちらに手を伸ばしている。

 タオルで体を隠したり、恥じらうような素振りはない。

 あどけなさなど微塵も無い女性らしい体つきに、俺は勢いよく目を逸らした。


 う、わ。


 心臓が跳ね上がって、ドッと汗が吹き出る。

 露骨に過剰反応したことを冷やかされるかと思ったけど、日菜子はそれ以上何も言わなかった。

 目線は明後日の方角のまま、日菜子に近づき洗顔フォームを手渡す。

 受け取った日菜子は、再び湯船に肩を沈めた。

 昔から日菜子はプニプニしてたけど……。

 胸が人より大きそうなこともなんとなく解ってたけど。

 顔はほとんど昔から変わらない童顔なのに……。

 複雑な心境で俺は踵を返す。


「ねぇ……一緒に入ろうよ……」


 日菜子のか細い声が俺の歩みを止めた。

 思わず振り返ると、改めて気づいた日菜子の顔は真っ赤で。

 今さらながらにタオルで必死に胸元を隠して泣きそうな顔をしている。

 先ほどの行動が、どれだけなけなしの勇気だったか、ようやく俺は理解した。

 ふざけているのではなく、日菜子は本気で俺の防波堤を壊しにかかっている。

 いつも俺を翻弄して楽しんでいると思っていたけれど。

 幼い頃から伝えてくれた、『好きだよ』『愛してるよ』はずっと本気だった筈で、『可愛い下着を買っていくね』『一緒にお風呂に入れるね』も今思えば多分、全部本気だったのだ。


「わかった」


 可愛い恋人に、ここまで言わせてしまったのなら、俺だって覚悟を決めなければ。

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