第百話 無属性魔法の極致
「純魔……魔法?」
ケイゼ先生はすでに机に広がっていた本を片付けると、一冊の本を取りだした。
それは写本の魔法指南書とは違い、古ぼけた一冊の本。
表紙は傷つき、中のページもところどころ折れ経年劣化が進んだ、触れるだけで崩れてしまいそうに不安になる古書。
「基礎魔法マナを筆頭に記されたこの魔法書には、純魔魔法に関することが事細かに記されている。術式もさることながらその魔法に使う魔力の特性も……」
「それがセロに魔力を認識させたり、プリエルザやエクレアに魔力を供給したりすることを可能にしたと……そういうことですか?」
「そうだ。君の言う通りこの魔法の使い手は、副次効果として他者に魔力の認識と供給を可能にするらしい」
ケイゼ先生の語ったことは正しく俺の周りで起こった不可思議なことを指していた。
「それは……なぜですか? 他の魔法の魔力ではそんなことは起こらないですよね?」
「そうだな。属性魔法を放つ場合、魔力を一旦その魔法の属性に変化させる必要がある。例とするなら火魔法を使うなら火の魔力に魔力を操作して変化させる必要がある訳だ。しかし、純魔魔法は無属性魔法、魔力を属性変化させる必要はない。そしてこの魔法は他の魔法と違い純粋な魔力を必要とする。それこそ同じ無属性魔法に分類される衝撃魔法に使う衝撃の魔力にすら変化させる必要がない」
「つまり、まったく変化させない純粋な魔力を使う魔法が、純魔魔法だということですか?」
ケイゼ先生は俺の問いに深く頷いた。
純粋な魔力。
理屈はわかったけどなぜそれが魔力の認識や供給を可能にするんだ?
俺の疑問に満ちた表情を読みとったのかケイゼ先生は『まあそう焦るな』といいつつ、ゆっくりと続きを解説してくれる。
「ところで魔力を回復する手段はどんなものがあるか知っているかい?」
「……魔力回復のポーションですか?」
以前サラウさんの実家バオニスト商会のお店で取り扱っていたのを見たことがある。
確か増血のポーションと並んでかなり高価な代物で、流通数も少なかったはずだ。
「そう、青く澄んだ色をしたポーション。自然回復以外には魔力を回復する手段はそのポーションしかない。そして、自身の魔力を他人に譲渡し、回復させる方法などいまだ発見されていない。それは何故か……魔力と魔力は干渉し合う。これは魔法を扱う者の常識だ。魔力は個人個人で波長のようなものが異なっていると言われている。そして、すべての人は胸の魔石から発せられる無意識の魔力によって魔力支配域を纏っている」
魔力支配域、か。
魔法を使ううえでも重要になる自身の魔法を展開可能な領域。
「この他者との波長の違いと魔力支配域によって、他人に魔力で干渉するのは難しくなっている訳だが……そうだな付与魔法、《エンチャント》は他者の持つ武器には基本的にはかけられず、耐性魔法、《レジスト》も同様に他者の身体の属性魔力に対する防御力を上げることはできない。《レジスト》はかなりマイナーな魔法だがね」
《エンチャント》はイオゼッタが使用して短剣に火を纏っていたのが印象に残っている。
《レジスト》は使い手を見たことがないな。
授業では確か特定の属性魔法に対する耐性、防御力を上昇させるかなり使いどころの難しい魔法だったはず。
「例外は回復魔法だけだ。回復魔法だけは他者の魔力の波長に同調する特性をもつ魔力を使うことで、魔力支配域を無視して身体を回復させることができる」
シスタークローネやフィーネの扱う魔法だけど、習得者の少ない高度な魔法らしい。
「純魔魔法の基礎魔法マナは大気に含まれる純粋な魔力を生み出す魔法。この魔法書に記されていたが、それ故に他者の魔力支配域に左右されず、直接純粋な魔力に触れた相手は魔力の認識が可能になる場合もあるそうだ。体内で眠っていた魔力が励起されるらしい。そして、同様に他者に触れることで魔力の供給も可能にする。恐らく君は《リーディング》で得た高レベルの無属性魔法のスキルで、無意識にこの魔力の認識と供給を行っていたと私は考えている」
「なるほど……」
アレクシアさんの盾術で無意識に盾の扱い方がわかるように、オーベルシュタインさんの無属性魔法で無意識に純粋な魔力を生みだしていたのか……。
「魔法書には純魔魔法を攻撃に用いた際の特性も記されていた。無属性衝撃魔法が魔力を衝撃に変化させ外殻の硬い相手にも一定のダメージを与えるように、無属性純魔魔法も極めて近い特性を持っているらしい。直接体内の魔力を揺さぶり固定のダメージを与える。つまり、どんな相手でも一律にダメージを通すことができる訳だ」
なら、この魔法さえ使えれば相手の防御力とか関係ないんじゃないか?
しかしそうなると疑問もでてくる。
衝撃魔法は衝撃の魔力に変化させる必要があるそうだから習得しない理由もわかるけど、属性変化を必要としないこんなに簡単そうな魔法ならなぜ誰も使わないんだ?
それに……。
「その……最初にいっていた使い手の皆無な魔法っていうのはどういう意味なんですか?」
「そうだ、純粋な魔力を扱うなら誰でも使える魔法ではないのか? なぜ誰も使おうとしない。というかなぜこんな魔法が古の魔法、つまり埋もれていた古い魔法なんだ?」
俺の質問をミストレアが補足してくれる。
一体なぜ?
ケイゼ先生は目線を一度机に広げられた古書に移すと、残念そうに溜め息を吐くとこちらに向き直る。
「私もこの魔法を習得しようと術式を覚えた。だが……そもそも純粋な魔力に自身の魔力を変化させられなかった。私にはこの魔法は使えなかったんだ」
「え?」
そんな……術式を覚えても使えない魔法?
「勿論魔法には適性がある。ただ無属性魔法は他の属性に適性のない者でも使える魔法だ。当然私も挑戦はしてみた。ただ、この純魔魔法は純粋な魔力を必要とするだけあって習得には条件があるようなんだ」
ケイゼ先生は古書のページを繊細に捲る。
「魔法書を読み解く内に、それは……属性魔法を習得していないことが条件だったと判明した」
「それはまた……習得できる人がかなり限られるような……」
「そうだ。昨今の魔法を扱う者たちは一属性以上の魔法をすでに習得している。私も呪属性と火属性で二つだ。学園の三英傑の一人は三属性の魔法を操るというし、戦闘において属性魔法を習得することは大きなアドバンテージとなり、皆積極的にそれを目指している。そのうえこの魔法は魔力消費が極僅かな代わりに、威力は大幅に属性魔法に劣るという致命的な欠点もあるらしい」
「それが、この純魔魔法が古の魔法。忘れ去られた魔法の理由ですか……」
習得に条件があり、術式を覚えても大きなダメージが見込めないなら、どうしても優先的に習得しようとは思わないだろう。
ときが進むにつれて淘汰されてしまった魔法。
それが純魔魔法なのか……。
「これは私の推測だが、恐らくこの魔法は衝撃魔法の下位魔法に該当するのだろう。火魔法が炎魔法の下位魔法であるように、威力に劣るが習得のしやすい魔法。だが、ある意味でこの魔法は純粋な魔力を操るという面において原初の魔法とも言える。無属性魔法の極致の一つ。最大まで簡略化された純粋な魔法。正しく“始原の魔法使い”が扱うには相応しい魔法だ」
この魔法をオーベルシュタインさんは使いこなしていたんだろうか。
その問いの答えはすでに俺のステータスに記されている。
無属性魔法レベル92。
アレクシアさんの盾術より高いレベルのスキルは、きっと尋常でないほど、それこそ一生を賭してこの魔法と向き合っていたからこそ到達できた頂のはずだ。
「……」
言葉がでなかった。
自らの得てしまったスキルの重みを改めて実感していた。
「スキルを得ていても君が術式を覚えないことには純魔魔法は使えないだろう。どうする? まあ、君のことだ。その目を見れば答えはわかる」
「はい、ケイゼ先生。俺に、この魔法の使い方を教えて下さい」
答えは決まっていた。
たとえ誰もが習得をせず忘れ去られてしまった魔法だとしても。
たとえ属性魔法より大幅に威力が低いという欠点を知っていたとしても。
俺はこの魔法をレベル92まで高めた人を知っている。
教え子たちに先生と呼ばれ、尊敬と親愛を向けられていた人を知っている。
俺が《リーディング》を通じて突然に得てしまったスキルでこの魔法を使うのは、烏滸がましいことなのかもしれない。
それでも、俺はこの純魔魔法を習得したかった。
オーベルシュタインさんの見ていた魔法の極致を俺も知りたかった。
「勿論。私で君の力になれるなら喜んで手を貸そう。フフ、これから忙しくなるぞ。長期休暇も近いからな。その前にいくつか初級魔法を使えるように急ピッチで叩き込んであげよう」
「は、はい、よろしくお願いします」
俺がケイゼ先生の気合の入った迫力に少し引いていると、突然彼女はなにかを思いだしたかのように手を叩く。
「ああそうそう、冒険者ギルドに依頼していた品が無事に手に入ったそうだ」
「?」
冒険者ギルド?
なにか頼んだだろうか?
俺の視線が気になったのか、ケイゼ先生がムッと口を尖らせる。
「なんだい。私がこの研究棟から出ることなんてないのに何言ってるのか、と疑う目は」
「ケイゼ様が殆どこの研究棟から出ないのは本当のことでしょう」
「うるさいぞ、エルドラド。まあともかく私もここにいるだけじゃない。君には内緒で冒険者ギルド王国本部に依頼を出していたんだ」
「なぜ秘密にする必要が? そこはクライに相談してからすることだろう! 大体何を頼んだんだ!」
「まあまあ、ミストレア。そう怒るな。サプライズだよ、サプライズ」
ミストレアを宥めるケイゼ先生は、まさかこんなに早く手に入るとは思っていなかったと一人驚いていた。
手に入る確率の方が低く、半ば諦めの境地で、それでも万が一があるかもと駄目元で頼んだらしい。
手に入れるのにどれだけ低い確率だと思ってたんだ……。
「だから長期休暇の一日は開けておいて欲しい。共に冒険者ギルドに行って依頼の品を受け取ろうじゃないか。デートだよデート」
「……デートは別として結局依頼の品は何なんだ? まったくわからないぞ」
ミストレアが俺の聞きたいことを聞いてくれた。
そう依頼の品とはなんなんだ?
なんにでも好奇心と探究心をもって挑戦していくケイゼ先生ですら入手を半ば諦めていた品。
それは一体……。
視線を合わせ彼女は唐突に答えを告げる。
「新たな“失色の器”だよ」
新たな波乱がまた訪れようとしていた。
俺は再び誰かの過去と対峙することになる。