4 今夜のディナーは奥様が担当します
その日の夕方。
オレは、案内されたカスミの家のリビングのソファーで、ぐったりと横たわっていた。
今更言うまでもないが、カスミの家はメッチャでかかった。
分かりやすく例えると、オレが通う庵地小学校の校舎全体くらいの広さはあった。
全体的に洋風の造りで、ヨーロッパの貴族でも住んでそうな屋敷や。
建物の中も勿論広く、そこかしこに高級そうな絵や壺が飾られ、
それらの値段を想像するだけでも、軽いめまいがした。
でもオレがソファーにへたりこんでいるのは、それが原因ではない。
オレがこうなっているのは、今日の朝からの出来事に、すっかり疲れ果てたからや。
今日はホンマに色んな事があった。
朝から会いたくない奴らに会い、
神戸に来て見知らぬ姉ちゃんに会い、
そしてその姉ちゃんに突き飛ばされ、
テイコさんに会い、そのテイコさんに空手チョップをお見舞いされ、
スクーターで死ぬ思いをさせられ、もう、何か、難儀やなぁ・・・・・・・・。
「あの、大丈夫ですか?」
傍らに座ってオレをウチワで扇いでくれていたカスミが、心配そうに言う。
それに対してオレは、ゆっくりと上半身を起こして答えた。
「ああ、大丈夫や。ただ今日は色々あったから、ちょっと疲れただけや」
「ごめんなさい。私が無理にヨシオ君を誘ったりしたせいで・・・・・・」
「いやいや、それは違うぞ。オレは自分の意思でここに来たんや。カスミが謝る事なんか何もない」
「でも・・・・・・」
そう言って浮かない顔をするカスミ。
しかしオレがこうなったのは決してカスミのせいではないので、オレはさりげなく話題を変えた。
「そういえば、カスミのご両親は共働きなんやろ(第一巻百一ページ参照)?
夏休みの間もずっと仕事してるんか?」
あ、これはこれでカスミには辛い話題やったかな?
と、言ってから後悔していると、カスミは案外平気そうな口調でこう言った。
「はい、父は海外で船に乗るお仕事なので、夏休みでもなかなか家に帰ってこれませんし、
母も勤めている歯医者が忙しいみたいです」
「それは淋しいなぁ」
「そんな事はありません。私のそばにはいつもテイコさんがついていてくれるし、それに・・・・・・」
「それに?」
「最近は、ヨシオ君がいつもお手紙をくれるから、私、ちっとも淋しくなんかないです」
オレの目をまっすぐに見据え、カスミはそう言った。
う~む、そんなに真剣に言われると何か照れるがな。
カスミはオレの手紙をそんなに喜んでくれとったんか。
まあ、悪い気はせんわな。
そこまで言うてくれるなら、もうちょっと文通も続けてみようかなぁ。
とか思った、その時やった。
「お嬢様・・・・・・」
という声とともに、テイコさんがリビングの扉を開けて現れた。
その表情は昼間とはうって変わり、ひどく沈んでいるように見えた。
そしてその様子を察したカスミが、テイコさんに尋ねた。
「どうしました?何だか元気がないみたいですけど」
するとテイコさんは、沈んだ声で続けた。
「今から三十分ほど前、奥様から電話がありまして」
「お母さんから?何て?」
「今日はヨシオ君が遊びに来るという事で、仕事を早めに切り上げ、屋敷に早くお戻りになられるそうです」
「まあ、そうなんですか。それならお母さんも一緒に夕飯が食べられますね」
テイコさんの言葉を聞いたカスミは、そう言って嬉しそうにほほ笑んだ。
が、テイコさんの表情は相変わらず浮かなかった。
なのでオレはテイコさんに尋ねた。
「あの、何かごっついテンションが低そうですけど、一体どうしたんですか?」
それに対してテイコさんは、ひと際沈んだ声でこう答えた。
「今日の夕飯は、奥様が作ってくださるそうです・・・・・・」
すると次の瞬間、
「えぇっ⁉」
と、カスミが珍しく取り乱した。
目を大きく見開き、額にはうっすらと汗がにじみだしている。
そして震える声でテイコさんに言った。
「そ、それは、本当なんですか?」
「はい、本当です」
カスミの問いかけに、テイコさんは深く頷いた。
するとカスミは悲しそうに両手で顔を覆った。
何か、お母さんが事故で死んだ事を知らされたみたいになってるけど、一体どういう事なんやろうか?
もうひとつ状況が分からないオレは、改めてテイコさんに聞いた。
「あの、一体どうしたんですか?
カスミのお母さんが夕飯を作ってくれる事の、何がそんなに悲しいんですか?」
するとテイコさんは、しぼり出すように言った。
「奥様はな・・・・・・」
「うんうん」
「ハッキリ言うて・・・・・・」
「ハッキリ言うて?」
「料理が・・・・・・」
「料理が?」
「物凄く、下手やねん・・・・・・」
「物凄く、下手なんですか。そんな落ち込むほどに?」
「今まで何度警察に通報しようと思った事か・・・・・・」
「そ、そんなに犯罪的に下手なん⁉」
オレがテイコさんの衝撃発言にびっくらこいた、その時やった。
「ただいま~」
という声とともに、一人の女性がリビングに現れた。
その女性は、カスミの母親のナミコさんやった。
そしてナミコさんはオレの顔を見るなり、
「いらっしゃいヨシオ君」
と言ってニッコリ笑い、目の前まで歩み寄ってきた。
そのナミコさんに、オレはぎこちなく挨拶を返す。
「こ、こんにちは。お世話になります」
ナミコさんはこの前会った時と変わらず、キレイで上品で清楚な女性やった。
そのナミコさんが、ニッコリほほ笑んだままこう続けた。
「今日ははるばる大阪から来てくれてありがとう。また会えて嬉しいわ」
「きょ、恐縮です・・・・・・」
ナミコさんの素敵な笑顔に、思わず照れるオレ。
この人がオレのお母ちゃんやったらどんなに幸せか。
と、半ば本気で思っていると、傍らのカスミが、恐る恐るナミコさんに尋ねた。
「あの、お母さん?その両手に持っている荷物は・・・・・・」
ナミコさんは両手に、物がパンパンに詰まった大きなビニール袋を持っていた。
そして右手に持ったビニール袋からは、何やら巨大なトカゲらしき生物の頭がピョコンと出ている。
まさかあれも、今夜の夕飯の材料なのやろうか?
するとナミコさんは、力強い口調で答えた。
「これは今夜の夕飯の食材よ。
今日は大阪から来てくれたヨシオ君のために、私が(・)腕によりをかけて作るわ!」
「お、奥様!」
ナミコさんの言葉を聞いたテイコさんが、それをなだめるように口を挟んだ。
「あの、奥様は日々のお仕事でお疲れでしょうから、今日も私がお作りいたしますが・・・・」
しかしナミコさんは首を横に振ってこう返す。
「そんな気遣いは無用よ。テイコさんこそ毎日の家事で疲れているでしょうし、
こんな日くらい私に任せてくださいな」
すると今度はカスミが必死にナミコさんに訴えた。
「お、お母さん!それなら私にお手伝いをさせてください!」
それに対してナミコさんは、カスミの頭を優しくなでながら言った。
「ありがとうカスミ。でも今日は私一人で作るわ。
普段はロクにカスミの事を構ってあげられないから、今日くらいはお母さんらしい事をさせてちょうだい」
カスミとテイコさんに対するナミコさんの言葉は、優しさといたわりにあふれていた。
が、そう言われた二人は顔に笑みを浮かべながらも、頬のあたりが完全にひきつっていた。
う~む、ナミコさんって、そんなに料理が苦手なんやろうか?
オレとしては、ナミコさんみたいなキレイな女性に手料理を作ってもらえるのは、凄く嬉しいけど。
味の方は少々アレでも、オレならおいしくいただく自信があるぞ。
そんな中テイコさんが、しぼり出すような声でナミコさんに尋ねた。
「あの、奥様?ちなみに今晩は、何を作ってくださるのですか?」
その問いかけに対し、ナミコさんはニッコリほほ笑んでこう言った。
「大人も子供も大好きな、カレーライスよ!」
するとその時、ナミコさんの持つビニール袋から頭を出していた巨大トカゲが、一瞬やけどガサッと動いた。オレはこの時ナミコさんの手料理が、ちょっぴり不安になった。