無の虫
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
やーれやれ、今日がゴミ出しの日だからって、みんないろいろと突っ込んでくれちゃって、まあ。弁当のゴミとか、まさに突っ込みどきだもんなあ。
こうしてみると、ウチは紙をだいぶ使っているのが分かるね。それも大半が印刷ミスと来ている。仕方ない部分があるのは承知だけど、それでも印刷ミスは減らしてもらいたいもんだ。
紙、トナー、電気代、そしてムダに終わった人件費……ひとつひとつはわずかだが、ちりも積もればなんとやら。我々も気をつけないといけないね。
ああ、そうだつぶらやくん。君は紙を捨てるとき、どのようにして捨てる?
私はそのまま袋に突っ込むタイプだ。心理面で分析すると、平和主義な性格のあらわれらしい。別名、事なかれ主義だ。はは、辛辣な判断だよね。
くしゃくしゃに丸める人はストレスが溜まっており、紙をたたんで捨てる人は几帳面な性格の持ち主。破いて捨てる人は、いさぎよさのあるクールな性格にとられるとのことだ。
確かに、私も日和見したいときはよくあるけどね。。紙をそのまま捨てるようになったのは、ちょっとした理由があるんだ。
少し奇妙な話でね。よかったら、聞いてみないかい?
私がひとり暮らしを始めたばかりの頃。片付けが面倒な私は、汚部屋への一途をたどりつつあった。誰も立ちいることのない空間となると、「自分さえよければ……」な環境に最適化されていくものだ。
その汚部屋の尖兵となるのが、お菓子、飲み物類のパッケージ。そしてティッシュ類。
ゴミ箱が近くにない、もしくは採用していないと、ついそこらへんにポイポイ捨ててしまう。先に捨ててある同志の姿があると、その他のゴミとか本なども、転がしといていいかなあ……と思うようになって、歯止めがきかない。
そして、量が増えてしまうと掃除のやる気が削げる。私一人では部屋が散らかっていくばかりで、その状況を憂えた親が、まとまった休みに、部屋掃除に来てくれたのさ。
実家にいる時から、すでに私の部屋の惨状を知っている両親。あきれ顔をしながらもてきぱききれいにしていくものの、そこらへんに転がっている、丸まったティッシュに関して苦言が出てくる。
「あんた、あんまり紙を丸めて置いとくと、『むちゅう』がやって来るよ」
夢中? どうして、興奮するネタみたいなものが入ってくるんだ?
一瞬、そう思ったけれど、どうやら両親のいうものは字が異なるようで「無虫」とのこと。
無虫は、身を隠せるような空間の中ならば、どこでも入り込んでくる恐れのある存在らしい。
それが冷蔵庫の裏だろうが、戸棚の影だろうか……こうして丸めた、ティッシュのようなものの中でさえだ。
無虫はその名の通り、無をもたらす存在。転がしておいたゴミが勝手に消えることがあるのは、そいつの仕業の可能性があると。
――おおいに結構じゃないか。
勝手に掃除をしてくれる存在を、家のうちに招けるのであれば、とってもありがたいことだ。そいつがまだ姿を現わさないということは、自分の「住まい」の提供の仕方がよくないからに違いない。
次に両親がやってくるのは半年以上先の話。部屋をきれいに保つようにと、帰り際に両親がしてくれた忠告に、私は生返事をする。
どうにかして、無虫を呼び寄せて掃除をさせるべく、私は汚部屋化をどしどし進めていったのさ。
数週間もするうちに、元通り以上となる私の部屋。私は出てくる虫について、意識はしていた。
無虫の姿について、両親は私に何も教えてくれなかった。というより、無の虫なのだから、教えようがない、とのことだったんだ。ものの消失によってのみ、それを確かめることができると。
私はなんとも、物好きだった。部屋に散らかしているものに、たとえティッシュクズだろうがわざわざ番号を振っていき、100以上になる新人は、徹底的に除外していったんだ。自分が管理できるのが、この数までだったからだ。
――この100のうち、どれかひとつでも欠けたなら、無虫を呼び出せたことになるはず。そうすれば部屋の掃除を任せられるはず。
なんとも都合の良い想像しかしなかった。そして無虫を求めるがために、これまででは考えられなかった管理で、ゴミを増やすまいとする。自分でも、なかなかのちぐはぐさだと思ったねえ。
そうして、数ヶ月が過ぎたころ。
たまたま部屋の窓を開けた拍子に、強い風が吹き込んできてね。私の寝床周りにあるティッシュたちを、いくらか飛ばしてしまったんだ。番号づけされたうちの、3と27と81だったかな。
手近なところで足を止めた3と27は、すぐに回収したけど、81は6畳間を越え、キッチン近くまで吹っ飛んでいく始末。くしゃくしゃに丸めていたから、雪玉を転がしていくようだった。
その81ティッシュも、管理下として見過ごせない。追いかけていった私は、傘にぶつかって止まったそれを、ひょいと掴みかけたんだ。
いきなり、ブルブルとティッシュが震えた。セミを背中から捕まえたとき、指に伝わる震えにそっくりだ。
セミと違って、覚悟ができていない。「うわ」とティッシュを放り出してしまったところで、丸めの継ぎ目から飛び立ったものがあった。
カナブンに思えたよ。さっと私のそばを横切り、まだ開けていた窓から外へ飛び出していったが、その下半身は完全に消えてしまっていたんだ。他の虫にかじられたような傷とは違い、意図的に切り取られたように、ぱっつりとだ。
あっけに取られる私のそばで、再びブルブル。見ると、まだティッシュがひとりでに震えていたんだ。
さっきの不快な感覚が、まだ指に残っている。じかに触る気になれず、私は割りばしを手に取ると、羽ばたきにも似た音を立てながら微動する、紙のかたまりへ伸ばしていく……。
割りばしがティッシュを挟んだところ、その先端がふっと消えた。
折れた。壊れた。そんなものじゃない。この場に割りばしの残骸は、みじんもない。
はしが触れるのとほぼ同時に、ティッシュは足元に開いた穴の中へ落ち込んでしまう。床に穴をうがち、その中へ潜り込んでしまったんだ。
のぞいた時には、もうティッシュは影も形もなかった。部屋が一階であったことが、不幸中の幸いだ。もしここが2階で、下の部屋にあのティッシュが落ちていってしまったらと思うと……ぞっとするね。
それから無の虫に懲りた私は、かの虫が入り込まないよう、紙の類は丸めもたたみもせずに捨てるようにしたんだよ。