彼女
彼女は、注目の的だった。まだ歯も生えそろわない頃から、親はもちろん周囲の大人達からも愛されていた。きっと彼女は神から祝福されて生まれてきたに違いなかった。
彼女は、美しかった。彼女を見たことのある者は彼女を口々に褒め称えた。花、宝石、動物、太陽までもが彼女を形容するために存在していた。世界はいつも彼女のためにあった。
彼女は、人気者だった。同年代の子どもはみんな彼女をもてはやした。彼女を巡ってはしばしば喧嘩もおきた。それをいつも、彼女がなだめていたのだ。
彼女は、純朴だった。彼女の心はまるで彼女の見た目の美しさを写しとった鏡のようだった。絵に書いたような天真爛漫な少女であり、およそこの世の醜いこととは全くの無縁だった。
彼女は、恋をした。まだ愛も恋も分からない、ほんの十五だったが、これほど彼女の心を震わせることは後にも先にもこれきりだった。しかし、とうとうこの恋は、誰にも悟られることなく終わってしまった。相手は、とある女生徒だった。
彼女は、優等生だった。ある学友は彼女を才色兼備と尊敬したし、ある学友は何でも持っている彼女に深く嫉妬した。多くの人が彼女のことを様々な思惑で見つめたが、水面下での白鳥のもがきには気づかなかった。
彼女は、順風満帆だった。職場では皆が彼女に一目おいた。同僚のボーイフレンドは誰もが認める好青年だった。男は彼女を深く愛していたし、彼女も男を深く愛していた。彼女は本当に満たされていて、幸せだった。間も無くして、彼女は結婚した。
彼女は、順風満帆だった。娘を産むために休職していた仕事には、二度と戻らなかった。娘は二人に似ず、酷く醜く、男は彼女を売女と罵った。男は彼女の言葉を聞かなかったが、彼女は決して不貞を働いたことはなかった。彼女は急に不幸の底に叩き落とされた気がした。間も無くして、彼女は離婚した。
彼女は、落ちこぼれた。ある友人は彼女を信じられないと軽蔑したし、ある友人は全てを失った彼女に嘲笑を浴びせた。たった二人の両親でさえも彼女に失望したが、彼女はそれでも、もがき続けた。それは娘のためだった。
彼女は、愛していた。何もかも失ったように思えた、四十の頃だったが、彼女に唯一残されたものがあった。彼女は、自分がされたように、目一杯娘を愛した。けれど、娘には彼女一人の愛では足りなかった。彼女の知らないところで、醜い娘は謗られ、蔑まれた。とうとう娘は自身の容姿に悲観し、自ら命を絶った。とある女生徒が、娘をここまで追い込んだ。
彼女は、心を閉ざした。ひび割れた鏡のように心は荒み、誰も信じず、卑屈で偏屈だった。人と関わるのを怖れ、引きこもるようになった。彼女は、この世で最も醜いものを知っていた。
彼女は、嫌われ者だった。子どもも大人も彼女の汚い身なりと人を見下したような態度を不愉快に思った。彼女を追い出そうとして全員が躍起になった。それでいつも、彼女は寝床を探していた。
彼女は、美しかった。昔の彼女を見たことのある者は、誰も今の彼女に気づかなかった。今や彼女はみすぼらしい老婆だった。花は枯れ、宝石は欠け、動物は死に、太陽は沈んだ。だが、彼女は本当に世界で一番美しかったのだ。
彼女は、無視された。歯は抜け落ち、身体は思うように動かず、もはや、誰も彼女に興味を示さなかった。
彼女は、苦しんだ。幸せな夢と、辛い現実の狭間で溺れていた。何度も自分を殺そうとした。楽になりたかった。
彼女は、答えを探していた。人生の答えを。誰かの目と常に共にあった、彼女の人生の答えを。それこそが彼女の心臓を動かす原動力だった。
彼女は、もうすぐ息絶える。誰もいない路地裏で。枯れかけた、一輪の白いコスモスの傍らで。彼女は天命を全うしようとしている。
彼女は、水をやった。誰にも見られない花は、何のために咲くのだろう。彼女には、結局、この答えは分からなかった。
彼女は、死んだ。彼女は本当は、神に祝福されていたのだろうか、それとも呪われていたのだろうか。彼女自身は、どう思っていたのだろう。そう思わせる満足そうな微笑で、彼女は冷たくなった。
彼女は私だ。
彼女はあなただ。
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