5月
ゴールデンウィークど真ん中の5月4日、時は午前の9時20分、私は自転車を7分走らせた先にある駅の駐輪場に降り立ちました。
「あっ、これみんなもう来てるわ」
前から三列目に仲良く並んだ、よく見慣れた五つの自転車を見て私はちょっと焦りました。あらかじめ打ち合わせしていた時間ぴったりに到着したのに、これじゃまるで遅刻したみたいだから。つまり今日はクラスのみんなで、私達が住む賀内町の東隣にある藤浦市まで遊びに行く日です。
「おっはよー! ってかみんな早いねー」
一応の責任として小走りで駅舎のほうまで駆け寄りながら挨拶をすると、入口の前に横並びした十の瞳のサーチライトがさっとこちらに向けられました。
「あっ、ぴーちゃんやっと来たな。おはよう」
さっきまで目を伏せて読みふけっていた漫画をさっとカバンの中にしまいこんだのが岩滝まろんさん、通称マロンちゃん。身長156cm体重非公開。兄弟は男ばっかりなので服装とか口調は男子っぽいけど、少女漫画に詳しくて時々おすすめの本を貸してもらっています。
「今日はいっぱい楽しもうね!」
肩まで伸びた髪を小刻みに揺らし、野に咲く花のように暖かな笑顔でこちらに手を振っているのが西原広子さん、通称ヒロちゃん。身長139cm体重非公開。小柄で体育の成績はクラスで一番悪いけどいつもニコニコ朗らかで、今日もイエローのオーバーオールが良く似合っています。
「おせーよぴーちゃん。俺らをこんな時間に呼び寄せておいてなあ」
黄色いラインが入った黒のジャージに腕を組ませ、リュック越しに壁にもたれかかりながら生まれつきの鋭い視線をこちらに向けているのが富岡佐貴哉くん、通称サキちゃん。身長160cm体重43kg。ちょっと怖い雰囲気あるけど賀内の子なので本当はボーッとしています。
「大体バカだろ。四十分前集合とか頭おかしいって」
そう言った直後に大口を開けて欠伸をした本田大葉くん、通称オーバくん。身長144cm体重31kg。ダボッとしたパーカーでごまかしてるけどワイヤーみたいな細い腕をしていて、中身も子供で身長なんか私よりも低いし、運動神経も大した事ないけど微妙に色々な知識はあって私をからかったりするのでちょっとうざい相手です。
「ごめんごめんオーバくん。でもダイヤからするとこの時間しかなかったからさ。文句あるならJRに言ってよね」
「そういう問題かよ。でもまあ、ダイヤ改正でまた不便になったよなあ。前はもうちょっと便数多かったはずなのにさあ」
「結局肥え太るのは都会ばっかりさ。田舎なんでどうでもいいって思ってるんだよ」
やたらと大人びた総括で議論をねじ伏せるマロンちゃんの豪腕もありましたが、それでもオーバくんが矛先を収めたのはこの海沿いの田舎町の現状を理解しているからです。
私達にとっては唯一と言ってもいいほどの貴重な足となっている電車は、一時間に一本しか到着しません。だから一本乗り遅れるともう当分は動けないし、駅前に時間を潰すような場所もありません。ゆえに遅刻は絶対ご法度。というわけで電車に乗る際は十分前行動が基本です。
ただ今日の場合は事前ミーティングがあるから三十分前には集まるようにと前もって告知していました。三十分前集合の十分前集合で合計すると四十分前集合という理屈です。確かに馬鹿げてると言われても仕方ない時間配分だけど、生きるためには仕方のない犠牲です。
「はいはい文句言わない。ともかくこれで全員揃ったわね。じゃあ早速始めましょうか」
そして最後に、一番真ん中で話を取りまとめているのが平津奏、通称カナちゃん。身長150cm体重非公開。カナちゃんだけは小学校の途中で転校してきた仲間で、しかも大阪から来たのでそのセンスは田舎育ちの私達と違って数段階進んでるし、その頭脳には私達の知らない知識がめいいっぱいに溜め込まれています。
もちろん恋愛にも詳しくて、私がそれに目覚めた時、どうしようかと一瞬悩んだ後で真っ先に相談した相手がカナちゃんでした。他の選択肢は考えもしないほどに、ここで頼れるのはカナちゃんだと確信していました。
「ふーん、なるほどねえ。まさかぴーちゃんがうちらのクラスで最初に思春期突入するとはねえ」
「もう何とでも言ってくれていいわ。でも私、どうしたらいいか分からなかったから……。厚かましいお願いだけどね、私の事を助けてくれる?」
「大丈夫。うちに任せといて!」
不安や戸惑いにまみれた私の心にカナちゃんのこの力強い言葉が一体どれだけ力強く響いたか。そしてその言葉に違わず、カナちゃんは私に色々なテクニックを授けてくれました。もちろん今日の日程もカナちゃんが全面的にプロデュースしたものです。
「えー、まずは皆様すでにご承知のこととは存じますが、我らが同胞六川ぴりかちゃんは先日、無事に告白を成功させて想い人である旗生一弾くんと恋人同士になりました」
カナちゃんが仰々しい言い回しで先日の顛末を説明したところ、ぱちぱちと拍手が起こって「おめでとー! 知ってたけど」「よくやったぞぴーちゃんのくせに!」なんて、冗談と本気が半々で囃し立てられました。
とは言えこの話なんてみんなとっくに知ってたし私だって隠した事なんてなかったけど、改めてこう俎上に載せられるとやっぱり照れ臭くて、私は頬をほんのり赤く染めながら頭をかきました。
でもこんな事してると話が進まないのでカナちゃんは手のひらをパンパンと二度軽やかに叩いて、再び注意を自分に向けさせました。
「はい静粛に! しかしあれから10日ほど経った今、新たなる事実が判明いたしました。なんとこの二人、未だにキスどころか手すらろくに繋げていないのです」
「はあぁ!?」
「じゃあ全然進展してないわけ?」
「何のためにカップルになったの?」
「ぴーちゃんもっと頑張れよ!」
一転して無責任な手のひら返し。こいつら他人事だと思ってからに。でも二人の仲があれからろくに進展していないのは本当です。
海沿いの田舎育ちだから「まあそのうち」なんてのんびり構えてたけど、ああ今日はサッカーの練習あるから一緒に帰れないねとか、今更休み時間に男子と一緒にバスケするのもなあとかやってるうちに何も進まず、そのうちしびれを切らしたカナちゃんが「あのさあ」と今回のプランを提案してきました。
「例えばさあ、恋人ならデートとかするものじゃないの? ちょうどそろそろゴールデンウィークなんだしさあ、とりあえずはそのへんをぼちぼち歩くだけでもいいじゃない」
「うん。そりゃあいつかはやりたいなーって思ったりはしてたけどさ……」
「いつかじゃないでしょ。何であれ、まずは始めなきゃ始まらないでしょ。今やらなきゃ今!」
「わ、分かってるけど、でもいざとなったらなかなか心の準備とかさ……。それにデートとかどうやってどうやるとか知らないし」
「仕方ないわね。だったらこういうのはどう?」
そんな流れを経て今回の計画が立ち上がりました。マロンちゃんとヒロちゃんは諸手を挙げて大賛成。男子二人も口では「ちっ、めんどくせーな」とか言いつつも、藤浦で遊ぶプランには心惹かれたようで最終的には承諾。そして大本命のカズくんですが「みんなで行くのか。そりゃ楽しそうだな」とあっさりOKしてくれました。
かくしてクラス全員を巻き込む形で始動した今回のデートプロジェクト、名付けてオペレーション・ウィステリアフラッシュ。藤色の光、みたいな意味らしいです。
そのポイントは7人を2人と5人に分かつ事です。具体的な内容としては、まずはクラスメイト7人で遊ぶという計画を立てて、でも賀内町にはろくな遊び場がないから近場では一番大きな藤浦市へ電車で行きます。そしてまずは藤浦市最大の娯楽施設であるボウリング場でプレーを楽しみます。
これが午前中で、ボウリング場の隣りにあるショッピングモールのフードコートあたりでお昼ごはんを食べてから、午後はカラオケボックスに行く。
「はいちょっと待った!」
「何? サキちゃん」
「カラオケって言ったってさあ、オレ歌う曲ないんだけど?」
「あー、広子も」
「ヒロちゃんもか。だったらオレらどうすんの? 座ってるだけ? それとも校歌でも歌う?」
「大丈夫よ。むしろそこが今回のキモなんだから。つまりね、歌う曲がなかったらお昼で帰ればいいのよ。午後から用事があるのを思い出したとか適当に理由つけてさ」
「あっ、そっかあ」
「で、他の人らも一曲ぐらい歌ったところで適当にフェードアウトする。そうすればあら不思議、クラスメイト七人で遊びに行ったはずがいつの間にか恋人たちのツーショットに早変わり! って寸法よ」
「さすがカナちゃん! あったまいいなあ」
「まるで魔法みたいよねー」
都会生まれの策略に私も含めて田舎育ちのみんなは翻弄されるばかりです。では次にあらかじめボウリングの組み分けも決めようかというところでした。
「おっはよー! あれ、もうみんな揃ってんのかよ!」
「えっ!?」
これまでの人生で何百何千と聞いたはずの能天気な声が、今は銀の弾丸のように心臓を撃ち抜かんばかりに冷たく鋭く突き刺さってきました。振り向けば案の定、何百何千と見た笑顔が五月の風を引き連れて颯爽と揺れ動いていました。
「あっ、おはよカズくん。早くない?」
「それはみんなのほうだろ? いや、俺もいつもより早く出たつもりだったのにさ、自転車置き場見たらみんなのが全部あったからびびったびびった」
「い、いやまあ、それはね……」
なぜだ!? 本当ならこの声を聴くのはもうちょっと後の予定だったのに! まさかここまでで思ったよりも時間をかけすぎてしまったの?
慌てて壁にかけられている時計を見た時、まだ9時半をちょっと過ぎたぐらいでした。つまりカズくんは10分前行動どころか自主的に30分前行動を心がけていた殊勝な心の持ち主だったのです。信じられない! カズくんってもっとちゃらんぽらんでデタラメな奴じゃなかったのか!
でも思い起こしてみると確かにカズくんが学校でも行事でも遅刻した姿を見た記憶はありません。プライベートでも私が来る前にカズくんが来てなかったのはそれこそ今日が初めてってぐらいだし。でもそういう時「今来たところ」って言ってたのに……。
ああそうか。今思えばあれ全部嘘で、本当はいつもずっと前から来てたのか。その可能性に気付くのが遅すぎました。
ともかくこっちとしてはまだ予定の半分ぐらいしか説明していない段階なのに来てはいけない人が来てしまいました。サキちゃんやオーバくんは露骨に視線をこちらに向けて「おいどうするんだよ」「まだ説明聞き終えてないぞ」と無言のアピールをしてきます。私はカナちゃんの背中に隠れるようにして指示を仰ぎました。
「ごめん、まさかカズくんがこんな時間に真面目だとは知らなかった。どうしよっか」
「とは言え今更帰れとも言えないし、どうにかして引き離すしかないでしょ」
「そりゃそうだけど、アイデアは?」
「それぐらい自分で考えたら? カズくんの事なら私よりぴーちゃんのほうが詳しいでしょ」
「そ、そんな事言ったっていきなりじゃ……」
「カズくんの事、本当に愛してるなら何か話題ぐらいあるでしょ」
カナちゃんの言葉は無責任でありつつそれはそれで正論でもあります。確かにまだ付き合って間もないのに話題が途切れるような二人なら今後続くはずもない。というわけで当たって砕けろとばかりにとにかく話しかけてみる事にしました。
「あー、そうだ、ところでね、切符買った?」
「いやまだ。ってかさっき来たばっかりだしさ」
「だよね。私もまだだから、一緒に買おっか。みんなはもう買ってる?」
「あっ、あたしもまだだ。カナちゃんは?」
「うちはもう買ってる。ヒロちゃんもよね」
「うん」
「オレもまだだし頼むわ」
「僕のもついでにね!」
「分かった。だから、五枚でいいね!」
「金は後でちゃんと払えよ!」
私とカズくんの二人は切符売場に行って、どうにか他の五人と引き離すのに成功しました。いくらかかるかとっくに分かってるのに改めて運賃表を見上げて「藤浦までは……、160円かあ」とかつぶやいてみせる小芝居なんかを交えながらゆっくり小銭を券売機に投入していると「どうせなら二人で行ければ良かったのにね」なんてつぶやかれました。まったくその通りです。
「それはまあ、そうだけど。まあそれはいつかやるとして今日はその予行演習って事で、楽しめばいいかなって。みんなで……」
「それもそうか! ところでさ、俺最近刑事ドラマにハマっててさあ」
「へえ、刑事ドラマ! そんなの見るんだ」
「最初は次兄の大学で流行ってたらしくて手紙で面白い面白いってやたら書いてたからうちでも見てみて、それが本当に面白くて家族全員ハマったんだよ。普通の刑事ドラマとは違ってて、まず犯人がいてね、それが豪華ゲストってなってるんだよ。で、そいつが犯罪を犯すんだけど警察側の主人公が犯人と喋ってるうちに相手の嘘を暴く感じで、別にドンパチがあるわけじゃなくて推理モノに近いかな」
「ふーん」
「いや、ちょっと違うな。見てる方からすると犯人は最初から分かってるところを、刑事さんがあの手この手で解明していくって感じで。それでトリックとか完全に分かったぞってなった時の演出も格好良いし……」
説明だけだといまいち面白さが伝わってきませんでしたが、面白いんだよって両手をバタバタさせながら熱く説く姿が面白かったのでニコニコとしていられました。私もそうだけどカズくんが嘘を付く時はあからさまに口ごもったりしてバレバレだから、こういう態度の時は信頼していられます。
「とにかく本当おすすめだから! ってか今日やるから見てみて」
「何時から?」
「九時から」
「分かった。忘れなければそうするわ」
多分忘れてるんだろうなと薄々感じながら返事をしました。面白くはあるんだろうけど、それより今からの計画を遂行するほうに脳の容量を取られてるから、この記憶は間もなく抜け落ちてしまうだろうと気付いていたからです。あれもこれもと手を広げてそれを全部受け止められるほどには成長しきっていません。
それからは地元のサッカーチームが目下絶好調とか、逆に野球チームはボロボロで昨日も負けたとか、お互いが饒舌になれる話題に突入したので変にキャラを装う事なく自然に声が大きくなっていきました。
「大体ねえ、投手陣が良くないよねえ」
「去年の酷い成績もそこだったからね。ちょっと前まではむしろ投手が強みだったのに情けないものよ」
「ぴーちゃんそろそろよ」
「特にSよ。本来投手陣の軸になるはずだったのに昨日も打たれたし、あそこがピリッとしない事にはどうにもならないわ」
「Sは去年延々負けまくりだったよね。バッターがやっと成長してきたのにそれを支えられないのがどうもうまくないねえ」
「バッターは若くて今にも爆発しそうなのがいっぱいいるんだけどね。個人的に期待しているのがNで、今のMとOにNまで加わったらまさしく攻守最強に……」
「MはともかくとしてOはどうなの? そんなに凄い選手には見えないけど」
「いや、あれはセンスの塊よ。今までは怪我が多かったけどそれがなかったら即レギュラー確定レベルの実力あるし。ただこう見ると外野に人材集まりすぎよね。Oもそうだし二軍では他にも……」
「はいはいそこまでよお二人さん!」
不意打ちで肩を強く叩かれたので思わず「ひゃあっ!!」と大声を上げてしまいました。なんたる不覚。お化け屋敷でも驚いた事ないのに。一方でカズくんは「なんだカナちゃんか。どうしたの?」なんてヘラヘラと尋ねていました。
「どうしたのじゃないでしょ。盛り上がってるところに水を差して悪いけど、そろそろ電車の時間よ」
「あっ、本当!」
目線を上げて時計を見ると、確かにもう時間になっていました。本当に気付かなかった。アインシュタインの相対性理論の正しさを身をもって思い知らされました。
いきなり何か喋ってろとか振られて最初はどうなる事かと思ったけど、存外話が弾んだのでまずは第一関門突破だと、到着のベルの音に隠れてホッとため息を付きました。
電車に揺られて二十分、駅から徒歩十分でボウリング場に到着します。やっぱり上手いのはカズくんで、力強いフォームからパシーンとストライクを取って、スコアも百点を突破していました。さすがスポーツ万能男。本業以外でもそつなくこなしていました。
程よく身体を動かした後はエネルギー補給、というわけで2ゲーム楽しんだ後はボウリング場の隣にあるショッピングセンターに移動してお昼ご飯を食べました。さすがに連休の真ん中だけあって人だかりだったので、男二人、女三人、そして私とカズくんという三つに分割して座る事になりました。
「まあ仕方ないか。こんな人がいちゃあねえ」
「でも俺は別にいいけどね。なんだか、やっとふたりきりになれたみたいでさ」
こういう時にためらいなくストレートを投げられるのがカズくんの魅力の一つです。なんでカズくんはこんな事を言えるんだろうというより、なんで私はこんな事も言えなくなったんだろうと、人知れず俯きました。
フードコートでは私はしょうゆラーメンを、カズくんはカレーを頼んでいました。
「いやあ、自分の手が加わらない他人事のカレーって一段と美味しいもんだね」
「分かる。家だと玉ねぎ切るの手伝わされたりするけど、泣けてくるよね。物理的に」
「俺は玉ねぎなんかじゃ泣かないよ」
「ええっ、本当に!?」
「はははっ、泣く訳がない! 男だからね!」
「へええ、すっごい……!」
玉ねぎを切る時にも泣かないなんて、一体どんなやせ我慢をしているんだろうとほとほと感心してしまいました。もっとも間もなく「まあ実際は切る前に冷蔵庫で冷やしてたらいいだけなんだけどね」とあっさりネタバレしてくれたけど。今度試してみよう。
それでお互いに一口ずつ食べあってみたり、それなりにデートっぽい雰囲気を出しつつ食べ終えた頃合を見計らうように近付いてきたカナちゃんが「なんかヒロちゃんとサキちゃんは午後から用事があるって言って帰ったわ」と事後報告の形で私達に、と言うかカズくんに告げました。
「そっか、残念だな。これからカラオケだったよな?」
「うん」
「サキちゃんの歌とか楽しみだったのにな。あいつさあ、音楽どんなの聴くのって聞いてもまともに答えた事ないし、何歌う予定だったんだろうなあ」
「なんだったんだろうねえ。でも用事があるんじゃあ仕方ないじゃない。残った私達でしっかり楽しみましょう」
「そうするか。うん、そうしよう!」
というわけで5人でカラオケボックスに向かったのに、その中の3人はさっさとフェードアウトすると決まっていたのでまさに一球入魂とばかりに、全力全開で歌い上げていました。
まずトップバッターのオーバくんは気合満々でB'zを選曲。しかも意外とこなれた歌唱なのでびっくりしました。ちょっと格好良いぞ。次は私が微妙に季節外れの曲を歌って、続いて出てきたマロンちゃんは中島みゆきの『ファイト!』。重いです。
カナちゃんは懐かしいちびまる子ちゃんのオープニングをさらりと歌い終えて、ついにカズくんの番になりました。一体どんな曲を選ぶんだろう。緊張した目線を口元に向けましたが、カズくんは何のプレッシャーも感じていないようでした。そして画面に出たのは、70年代に流行ったグループの全然知らないタイトルでした。この人達とっくに活動してないはずなのになんで?
しかも無茶苦茶熱唱しまくってる。うまい。高音の伸びが凄い。それにこの曲も結構格好良いかも? でも何でこんな古い人たちの曲なんだろう。何歳だよ。カズくんどこで知ったのこれを。
純粋な感動と不純な疑問に挟まれて、しかも曲自体もやけに短かったからどうリアクションすればいいのか考えがまとまらないうちにステージは終演を迎えました。
「へ、へえー……。初めて聴いたけどカズくんこういう曲好きなんだ」
「あれ、知らない? 有名だと思ったけど」
「グループ自体はあの人は今とかで聞いた事あるけど、この曲はそんな有名じゃないよね」
「いやいやいやいや。めっちゃメジャーどころだって。売上もミリオンとか行ってたらしいし。それに格好良かっただろ? 末兄がよく聴いててね、最初は俺もなんでこんな古臭い奴らって思ってたけど、それがいい曲多いんだよ! でも本当ならイントロのギターがもっとバーンと来るんだけどカラオケの音じゃやっぱりしょぼいね」
「そうだよなー。あっそうだ。もうこんな時間だなー。ごめん、今日俺用事あるの思い出したからちょっとそろそろ帰るから」
「あたしも。それじゃ、後は三人で楽しみなよ」
「えー、オーバくんとマロンちゃんもかよ。もっと楽しもうぜ」
「まあまあカズくん。電車の時間もあるしね」
「あー、それがなけりゃなー。それじゃ、またな! 今度またいつかどっかで歌おうぜ!」
「うん。それじゃ、またね!」
「さよなら」
話をぶった切るようにオーバくんの猿芝居が始まり、ついでにマロンちゃんも便乗して帰っていきました。一曲だけで本当に楽しめたのかな。
そして残ったカナちゃんは「計画を立てた責任もあるし、軌道に乗るまでは残って見守る」って事なので、とりあえず3人で順繰りに回す事にしました。
カズくんは相変わらず知らない古い歌を選びました。しかも歌詞が前の曲も含めて何か年上に恋する男の子、みたいな路線で「カズくんってそういう趣味? それとも私へのあてつけ?」とか邪推したけど、次の曲は全然そういう歌詞じゃなかったので他意はなかったみたいです。まあカズくんがそんな皮肉めいた真似するわけないか。
それからもカズくんは一発屋の一発以外とか生まれる前のアニメソングとかフリーダムな選曲を連発。カナちゃんもいきなりフランス語の曲とか歌い出して自分の世界に突入しています。
でも逆に言うと本当に好きな曲ばっかり歌ってるわけで、実際なんとかバルタンのなんとかって曲とか凄い良かったし。そんな中で私が無理して最近の曲ばっかり歌ってる意味って一体と人生が虚しくなりそうになりました。
それぞれがそれぞれの歌を歌うのは別に良いんだけど、最大の目的であるはずの心の交流がまるでなされていないのはまずい。ここままじゃ何も深まらない単なる大声大会で終わってしまう。
表層の笑顔とは裏腹に焦燥感が漂い始める中、カナちゃんが一応今でも活動しているアイドルグループの覚えてないけどバラードのシングル曲を歌った時に出たクレジットを見て、カズくんは「そういえばチャゲアスは大体全部いけるよ」と豪語してきました。
あれ、カズくんってそうだっけ。今まで12年生きてきた中でそんな話は生まれて初めて耳にしたんだけど、それはそれで好都合でした。親がよく聞いてる関係から私もある程度は嗜んでいたので、これならようやく同じ土俵に立てそうだと一筋の光明が差し込んでくる気分でした。
それで「じゃあ次は一番好きな曲を歌って」とリクエストしたところ、ためらいのない滑らかさで褐色の指先が入力したのはなんと『水の部屋』。なるほど確かにこれはガチっぽいと納得しました。返礼として私は『GUYS』を熱唱。カズくんはちゃんとハモってくれました。
これが呼び水となって、ボックスの中はまたたく間にチャゲアス一色に染まりました。この結果に安心したかそろそろ居心地が悪くなったか、カナちゃんは前と同じ人達の別の曲を歌い終えたところで「後はご自由にどうぞ」とばかりに私に目配せしてから「そろそろピアノの稽古の時間だから」と言ってそのままフェードアウトしていきました。
「……結局残ったの俺らだけか」
「そ、そうだね。でもいいじゃない。みんなには色々事情もあったみたいだから」
「うーん、でもせっかくみんなでワイワイ遊ぶ場だったのにこうなっちゃうとねえ。なんか悪いよなあ」
「悪いって……。でも、これもやっぱり、タイミングでしょ。神様がくれた、って言うと、何かアレだけど……。ほら、せっかくね、私達、恋人に、なったんだから。恋人が、2人でカラオケに行くのは、都会じゃあまあ普通だよね」
「うん、そりゃあねえ」
「だから、私達だって……。予定なんて、その時その時で簡単に変わるものなんだから、大事なのは元々どうだったかとかじゃなくて、そうなった今をその時なりに楽しむ事、なんじゃないかな。ねっ。いや、知らないけど。はははっ……」
我ながら強引すぎる、苦しい弁解でいかにもしどろもどろ、取って付けたような作り笑いの語尾も弱々しい限りでしたがカズくんは逆に「そうか! そうだよ!」なんて何かに開眼したかのように目を輝かせていました。つまりカズくんにとっては説得力抜群だったみたいですが、一体何が琴線に触れたのか。
ともあれこの問答の後、一時的に歌声が途絶えた部屋に再び活気が戻ってきました。しかしカズくんときたら歌詞が歌詞だからと私が自重していた『You are free』や『Reason』を平気で歌うのには、そういう意図がないって分かっているのに肝を冷やしました。
ついでに『なぜに君は帰らない』『BIG TREE』あたりのどんだけ肺活量に自信があるんだという大物を挟んでくるのはいかにもカズくんらしい選曲だなと妙な感動を覚えました。思えば運動会でも釣りでもテストでも、カズくんはいつも負けず嫌いでした。そしてカズくんは誰かとの勝負も好きだけど、何より自分自身との戦いが一番好きな男なんです。
だから激しい曲をあえて選んで自分の喉との戦いを繰り広げている姿は、誰にもましてカズくんでした。さすがに歌い終えた時は「ちかれた」と舌を出しながらこぼしていましたが。
それからも私が『君が愛を語れ』を歌ったらカズくんは『勇気の言葉』で返すとか『no no darlin'』の掛け合いパートをばっちりこなすとかやりたい放題。ついでに振り付けを装って勢いに乗じて思い切って肩を抱こうかなんて邪念を抱きましたが、こんな事考えてる時点ですでに勢いは失せているので諦めました。
そして締めは当然の権利のように『太陽と埃の中で』。歌い終えた時、二人の間には今までとは全く異なる何か熱いもの、通いあうものが流れ込んで満たされていると確かに感じられました。
「いやあカラオケって楽しいもんだねえ!」
「そうね。最初はどうしようかって思ったけど、同じ気持ちになれるものがあればあっという間にもうこんな時間よ」
「じゃあそろそろ帰ろっか。絶対また来ようぜ。今度は最初から二人でさ!」
「うん!」
目尻に深くシワを刻み込むような強い笑顔で見つめ合った次の瞬間、カズくんは電光石火で私の左手を奪い取りました。思わずあっと声を出したのに気付いたカズくんは、冬のドアに触れたら静電気が走った時のような高速反応で手を引っ込めました。
「ご、ごめん! いや、カラオケがあんまり楽しかったからつい勢いで……」
「ううん、そうじゃなくてね、嬉しかったから……。ねえ、ずっと勇気がなくて言えなかったけどね、恋人なら手ぐらいつないでもいいじゃない。だからさ。二人でいる時は、そうしてくれても……、そうしてよ」
「うん。分かった」
そして改めておずおずと差し出されたカズくんの右手を、今度は私の方から包み込みました。もう二度と離れたくない一繋ぎの二人が、藤浦の夕焼けに向かって歩み出しました。
「それにしても知らなかったな、カズくんがあんなに音楽に詳しいなんて」
「俺は、結構ショックだったよ。今までもずっと一緒にいたはずなのにぴーちゃんがどんな音楽が好きだとか、全然分からないぐらいには近くなかったんだなって」
鼻の下をこすりながらポツリとこぼしたカズくんの言葉に私もはっとしました。確かに、ずっと近くにいた気でいたのに、普段どんな音楽を聴いているのかなんてまったく知らなかったし、知ろうという発想すらなかった。
スポーツの話とか一緒に釣りやゲームをするとか、昔からやってたもの以外は思ったよりも関心を示していなかったんだなと、改めて思い知らされました。多分それは近くにいるのが当たり前だと思い過ぎてたから。
でも今は違います。最初は私の心が勝手に変わっていっただけだった。でも今は自分から変わっていきたいと願ってる。夕陽のお陰で表情は悟られないだろうと勝手に計算した上で、私も少しだけ素直になってみました。
「でも、今はそれでいいと思うな。知らないって事は、これから知っていけばいいんだから」
「ははっ、それもそうか!」
カズくんが得意の笑みで自分の顔を染める時、私も一緒に心が安らかになります。ずっとこのままでいられたら。雑踏の中、二人は小さな結界を作って穏やかさを分け合っていました。
「それとね、一つお願いがあるんだけど」
「んー、何? ぴーちゃん」
「そう、それ! ……私の呼び方なんだけどね、ぴーちゃんじゃなくて、もっと、違ってもいいと思わない?」
「違ってもって、どう言う?」
「どうって……、でも、ほら、私達せっかく恋人になったんだし。だから、例えば、今までとは違うような……。呼び捨てとか?」
「呼び捨てえ!? そんな亭主関白な。本気でいいの?」
「私なら、別に……」
「そっか、じゃあ試しに一回やってみるよ。ぴりか」
「何、カズ」
私のほうからちゃん付けを禁止した以上、私もくん付けは禁止しないと不平等だと思ってそのように言いましたが、正直違和感しかありませんでした。それからお互いしばらく真顔のにらめっこを続けましたが、やがてカズくんが不自然な空気に耐え切れず顔を真赤にしながらゲラゲラと笑い転げました。
「いやあ無理無理! やっぱぴーちゃんはぴーちゃんだって!」
「私も言っててそう思った。カズはないなって。やっぱりいきなりなんでも変えればいいってもんじゃないね」
「いやあ、居心地悪かったわ。もっとこう、何だろ、自然に言えるようになってからにしないと全部が嘘になるみたいで。それは、とても嫌だな」
「多分焦りすぎちゃいけないんだと思う。とりあえずはやれる事から一歩ずつ、ね」
「うん、そうだね。だって俺たち、始まったばっかりだもんね」
「だから今日のところは、まず手を握って帰るところから始めましょう」
「ああ、それなら!」
階段を一段とばしに突っ走るような真似は出来なくても、同じペースで歩く事なら出来るはず。そうやって少しずつ、共有していられる空間を増やしていきたいと願った春の一日でした。