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掌編小説を晒してみようコーナー

とある女子高生の話。

作者: 白黒音夢

 寄せては返す波の音。

 規則的に聞こえるけれど、ときどき不純物が入ってしまったような音がする。

 それは波が人にぶつかったからかもしれない。あるいはそんな音が聴きたいと願った私の脳が引き起こした錯覚かもしれない。

 耳に流れ込むそれが心地が良くて、それはなんだか小洒落た喫茶店に流れているバックミュージックのようで、いやいやちょっとショボい気もして……。

 でもまあ、わたしはその音が好きなんだ。潮風に混ざって飛んでくる磯の匂いも好きだし、照り付ける日差しも好きだ。

 陽光が砂浜に跳ね返って上から下から熱線を浴びるのも、それはそれでなんだか楽しい気がしない?

 そうやって言うと皆は髪が傷むとか肌が云々とかブーブー文句を垂れるけど、でもそれって、この地で生まれた人だけに与えられる限られた宝物の一つ――特権だと思う。

 一応、わたしだって女の子だからもちろん最低限のケアはしてるけどね。

 ぼんやりと砂浜に座っていると、絶えず同じ感覚で流れていくはずの時間が柔らかくてゆっくりとしたものへと変化していく。

 子どもを連れた家族が太陽にも負けないくらいの眩しさで笑顔を振りまいていた。

 中学生と思われる数人がビーチバレーを行って、悔しがったり、これまた笑顔を浮かべたりしていた。

 おー。可愛らしい少年が砂浜から顔だけ出して騒いでいる。他の仲間達に埋められたなあ。

 お弁当箱から取り出したおにぎりを頬張りながら、わたしはそれを見つめる。

 また時間が経って、洒落た帽子を被ったお爺さんがお婆さんの手を引いて緩やかに歩いていた。きっとお散歩だ。特別なイベントってわけでもないのだろう。なんでもないような話を――夕飯は焼き肉が食いたいとか、この時間になってもまだ暑いだとか――しながら歩いている。二人がぺちぺちと歩みを進める度に二人分の足跡が砂浜に刻まれていく。

 当たり前のことだけど、なんだか素敵なことに思えた。

 たゆたうように流れゆく時間が老夫婦の足跡を消し去った。

 その頃には茹だるような熱は霧散していき、何もかもを茜が包み込んでいった。

 日中は夏特有の暑さを感じて、夕方は寂しさに浸かりながら景色を楽しむ。

 良い一日だ。

 目を凝らしてずうっと遠くを見遣れば、橙色に染まった夕日が深く暗い海にゆったりと沈んでいく。

 『綺麗だ』とか『美しい』とか、言い方は様々にあるんだろうけど、わたしには言い表せそうになかった。

 二本目のペットボトルを飲みながら、やっぱり綺麗ってのが一番合うかもと考えているとジャリジャリと砂が鳴った。

 早足気味に誰かがわたしの元へと近付いてくる。誰かって言ってもたぶん――

「綺麗だなあ」

 振り向いて確認すると口元に小さなほくろが見えた。いつもの大山智樹だ。

 いつものってどういう意味だろう、と自分の考えに苦笑してしまった。

「お前大丈夫?」

 彼は眉を顰めながらわたしの顔をまじまじと見つめた。

 突然苦い笑みを浮かべたらそりゃあそんな顔もするだろうなあ。

「大丈夫大丈夫。ぼーっとしてたからさ」

 そんな風に誤魔化してみるけど胸中は実態の掴めない何かで覆われていた。

 毎回では無いけれど、わたしは休日を丸々使ってこの砂浜でこんなふうに過ごすことがある。

 別に泳ぐわけでもないし、日サロ代わりでも無い。

 名前も知らない大勢の日常を眺めていただけだ。

 海に溶けていく太陽に風情を感じていただけだ。

 一つの場所に留まって長い間そうしていると、なんだか世俗を離れていって、自分一人だけが世界に取り残された感じがしてしまう。そういう気持ちになったりしない?

 寂寞? 寂寥?

 きっとどちらも似たような意味だから、どうでもいいんだけど。

「ねえ智樹ー」

「何よ」

「どっか行こうよー」

「今から!? もう夜じゃん!?」

 既に茜色の夕日は消えていて、代わりに見えるのは薄紫の馬鹿でかいキャンバスに描かれた細い月だった。

 ちょうど半月と三日月の間で、それはゆらゆらと揺れるようでいて、けれども確かな存在感を放っていて、これもまた綺麗だ。

 今日は雲が少なかったからか、チカチカと光り出した無数の星達もはっきりとこの目に映すことができた。

 掛けられていく夜の帳はいつもと変わらないのに、それもなんだか寂しく思えた。

「夜はこれからだよ?」

 そういうのを全部笑い飛ばしたいから、多少の誇張と嘘を自分に塗りたくる。あるいは彼に振りまいていく。

 立ち上がって腕を絡めると、わたしよりゴツゴツとした骨がわたしの胸に当たった。

 あのさあ、と言った彼は顰めっ面をしていた。

「そんな痴女っぽい台詞を吐いて腕を絡めるけど悲しいかなその胸はちっぱ痛い!?」

「黙って」

「ちょーっと元気ないから言ってみただけなのに」

「もう少し違うやり方とか考えれないの? ねえ? ねえ?」

 絡めた腕でがっちりとホールドしながらもう片方の手を使って彼の腕に生えている毛を毟っていく。

 地味だけど痛いでしょ?

 長年の――幼稚園とか、もしかしたらもっと前からの――付き合いからわたしに何を言っても無駄なことを理解している彼は、わたしを咎めるでもなく暢気な声を出した。

「あ、そういやあっちに銭湯合ったよな。寄ろうか?」

 あ、それはいいアイデアかも。

「それいいね」

「っていうかお前ずっとこんなところにいて汗掻いてないわけ?」

「めっちゃ汗だくに決まってるでしょ」

「それで俺に会うってさあ」

「寂しかったんだもーん」

「彼氏に会うってのにまーったくお洒落しないのってどうなの?」

「智樹はわたしにそういうのして欲しいわけ?」

 くだらない会話を重ねながら海岸沿いを歩いていく。相変わらず海は穏やかに凪いでいて、わたしの耳にすうっと入ってくる。

「少しはしてほしいかな?」

 お化粧とか上手くないけどじゃあ頑張るよ、と声を出そうとした瞬間に彼は頭を振った。

「あー、やっぱいいや。美歩は美歩でそのまま居てくれ」

 そんな歯の浮いたようなセリフを吐かれるととても恥ずかしい。

「……わたしはこのままでも可愛いからね!」

「可哀想な女の子だなあー」

「そんな女の子に欲情した獣が今わたしの隣に!」

 そう指摘すると、絡めていた腕から感じる体温が一段階上がった。

 その手のネタを振ると途端に反応してしまう智樹は可愛かったりする。かーわーいーい。

 不意に、本当に突然、ピタッと足を止めた彼を不審に思って顔を見上げると、何か小声で呟いた。

「……ねで? ……ねえよ」

 余りに不明瞭な声だったから聞き取れなくてわたしは聞き返した。

「え? 何?」

「その胸で? 襲う人なんか居ねえよ!」

 ふざけんなてめえ、と怒りのままに足下に蹴りを入れようとするけど、気配か何かで察知した彼は全速力で逃げ始めた。というか蹴り入れる前から走り始めてたよね? 準備が念入りすぎるよ。

 絡めていた腕もあったもんじゃない。情緒も無いし!

 って思ったけど情緒とか趣とかそういうよく分からない素敵な雰囲気をぶち壊したのはわたしだ。

 月光が照らす砂道を全力の追いかけっこ。シチュエーション的には珍しくてこれも結構楽しいかもしれない。

 奇行かもしれないし一般の高校生はやらないかもしれないけどさ。

 彼は砂を撒き散らしながら足跡を作っているし、きっとわたしも同じだ。

 だから振り返ればそこには二人分の足跡があるのだろう。

 昼間見たあの老夫婦のように、刻まれた足跡は僅かな時間だけここに存在し、そしてまた消えてゆくのだろう。

 そんなことを考えていて注意散漫になっていたわたしは、自分の眼前に智樹が居てびっくりした。

 だけじゃなくて、そのまま飛び付いた。転んだんじゃないよ。足が地面を踏み締めなかっただけだよ。

「実は美歩は猪なの? ほーら階段登るぞ?」

「考え事しながら動くのはダメだね……」

「お前ホント……危なっかしいなー」

 ほれ、と差し出された手を素直に握りしめた。

「頼むから俺の目の前で車とかに轢かれるなよ?」

「わたしをそんな危ない人みたいに言わないでよ……自信は無いけどね。でもほら、ちゃんと手ぇ繋いでてくれるから大丈夫でしょ」

 足音だけが夜の空気に溶けていく。え。繋いでてくれないの?

 何故か頬を赤く染めた智樹が溜息を吐いて、

「そういうとこがさあ」

 と漏らした。よく分からないけどそれはなんだか嬉しそうで。

「そういうとこが何?」

「べっつに-。まあ、だからさ。美歩は美歩のままで居てくれな」

 再び紡がれた言葉は先ほどとは違う響きを持っているようで、けれど言葉の中に宿るモノは同質に思えて。

 わたしは一人じゃないことに安心して、この世界に取り残されないように彼の手をぎゅっと握った。

 それだけで、心中に抱えていた訳の分からない曖昧模糊とした不安も、覆っていた何かもが晴れていった。


 良い一日だったなあ。



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