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やらないかん

「すまん、大丈夫か」


 温もりのある野太い男の声が頭上からして、はっと顔を上げると、柔道着姿の大男が立っていた。彼は、右手をスッと俺に差し出してくる。

 見るからに分厚い手のひらで、指も力強さを感じさせるほど太い。

 俺は恥じらいもあってドキドキがとまらず、思わず手を振って断ってしまった。


「大丈夫だ。権田原くん」

「くん付けは恥ずかしいから、やめろって。俺は柔道部主将だぜ」

「ご、ごめん。でも、こんな朝早くから練習してたのか」

「大会も近いからな。だが、誰も来ないから一人で打ち込み済ませて、スクワット3000回やって時間を潰していた」

「そうなんだ……」


 この頼もしく優し気な大男は権田原岩雄。柔道部主将で俺のクラスメイト。

 席も隣で、時々宿題の見せ合いっこもする。

 そして……。


 俺の心臓の鼓動が急速に波打つ。触れようか。触れまいか。

 躊躇している俺に、権田原岩雄は優しく微笑むと、俺の手をとってぐいっと引っ張りあげた。

 地に足が着いた瞬間、それまで感じたことのない激痛が、右の足首から全身を駆け抜けた。


「痛っ……!」

「大丈夫か。古賀」

「足首を捻ったみたいだ」

「重ねてすまんな。俺のせいで」


 よろめく俺の体を、権田原の太い腕がぐっと支える。なんてたくましい腕だろう。男臭い汗の匂いが、俺を包み込む。

 今、俺は幸福感に満ちていた。


「保健室に行くぞ。それまで我慢できるか」

「我慢する。俺も一緒にイキたい」


 思わず本音が漏れて、顔がカッと熱くなった。恥ずかしくなって、痛めたばかりの足首のことも失念して、権田原から離れようとしたが、彼の強い力が俺を逃さない。


「おいおい、どうした」

「歩くのに、ちょっとバランスが……」

「お、そりゃスマン」


 権田原は俺の本音に気がついた様子もなく、ハハハッと穏やかに笑ってみせた。不意に遠くから悲鳴の声が耳をとらえ、権田原もその騒音に耳を傾けるそぶりをした。


「それにしても、表が何やら騒がしいな」

「校門の辺りで、美奈や雪たちが喧嘩しててね。酷い有り様だから、俺は逃げてきた」

「へえ?原因はなんだ」

「俺のことで揉めてさ……」

「古賀はもてるからな。一人くらい、わけて欲しいくらいだ」

「要望があれば、誰でもあげるぜ」

「そりゃあ、ありがたいな。ま、中村さんみたいな子がタイプと言えばタイプだが」

「ホントか。じゃあ、中村さんに言っておく。俺の言うことなら、何でも言うこと聞くぜ」

「お前は凄いな」


 冗談と思っているのだろう。権田原は鷹ように笑ってみせた。


「まあ、お前はイケメンでモテるが、実際はそんな物のように女の子を扱ったりせんからなあ。中村さんに失礼だぞ。ありがたく気持ちだけ受け取っておく」


 違うんだ。

 俺があいつらをぞんざいに扱ったら、お前は俺を軽蔑し、嫌うだろう。俺はそんなのが嫌だから、あいつらに優しく接してやっているんだ。

 俺を取り囲む女子はみんな可愛い。

 でも、その可愛さは子猫や子犬に対する可愛さであって、それ以外には何もない。妹の美奈を大切にしているのも、その可愛さからだ。だけど、あいつは勘違いをしている。


 安藤雪だって、幼なじみだからこそ付き合いがあるのに、それを良いことにズカズカ家に上がり込んで、しかも今朝はあんな汚いものを押しつけてきやがって、吐きそうになったのを堪えるので必死だった。

 みんな、みんなそうだ。 フラグだのなんだの、勝手に盛り上がって、俺の心には誰にも気がつかないで、馬鹿みたいな争いをしている。

 決着?

 みんな共倒れすればいい。

 俺には、心に決めている人がいるというのに、何故誰も気がつかない。

 権田原は普通の男。世間の目もある。

 嗚呼、許されぬ愛が辛い。


「権田原くん。俺はな……」

「どうした」

「……なんでもない」


 俺は静かに首を振った。

 権田原はそんな俺を、励ますように言った。


「足がキツいだろうが、保健室までもう少しだ。頑張れ」


 嗚呼、なんて優しい奴だろう。涙で視界が滲み、前が見えなくなる。入学式の日、権田原を一目見た時の、言い様もない心の高揚感が今も忘れることができない。

 俺の周りには可愛い女の子でいっぱいだ。

 たくさんの女の子が俺に言い寄り、大胆に迫り、時には求めてくる。

 しかし、そんなことで俺の心は動かない。


 そもそも、俺にはフラグが立ちようもない。




 なぜなら、俺が愛しているのは権田原岩雄だからだ。



    おわり

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