せんせい、いろいろとまちがってます
俺たちを乗せて、街の中をさっそうと走り抜けるポルシェは、信号無視を軽く2回ほどして、渡りかけた児童をギョッと飛び上がらせると、交差点を鮮やかな急角度で曲がってみせた。
「まったく、私のドライビングテクは大したものよねえ」
加藤春香先生は片手でハンドルを動かしながら、得意気に自画自賛した。隣の助手席から、恐怖におののく児童を見ていた俺は気が気でなく、先生のドライビングテクなど誉める気にもならない。
「いや、今のは運が良かっただけでしょ。あの子どもたち、泣いてましたよ」
「このポルシェの走りに感動して泣いたんでしょ?私には、ばっちりわかるんだから」
「でも、こんな走り方、いつか事故に……」
「不思議なことに、こうやって私が走っていると、みんながどいてくれるから大丈夫よ。それに、まだ捕まってないし」
「えっ」
「これ、3台目。パパに買ってもらったの」
3台目。パパ。捕まってない。
春香先生の意味深な物の言い方が引っ掛かり、言葉の真意を尋ねたかったが、何だか恐ろしい事実が俺にもたらされそうなので、今日は口をつぐんでおくことにした。
いや、ずっと聞かないでおこう。
「そんなことより、加藤先生。何故、私たちのところに」
後部座席に座る美奈が言った。
「そりゃ、巧君が電車通学からバス通学に切り替えるというから、チャンスと思って迎えに来たに決まっているじゃない」
そう言うと、色気のある流し目で俺を見て、春香先生が妖艶に笑った。
俺は少し前まで電車通学だったのだが、満員電車にかこつけて美奈と雪が密着してくる。
嫉妬した女生徒が同じようにくっついてくる。
美奈と雪が引き剥がす、蹴り飛ばす。やがて車内は阿鼻叫喚、衣服も破れ、血だらけ女子の大喧嘩となる。
以下、修羅場。
そんなことが数ヶ月続いて市議会でも問題になり、古賀巧専用車両なるものが法案化されそうな流れになってきたので、利用者の少ないバス通学に変更したのだ。本来なら自転車か親による送迎が妥当だろうが、人気の少ないとこは危ないし、家の車も先週、盗難被害にあって手配中だ。
だから、バス通学にせざるを得なかった。そのうちバレて騒ぎになるだろうが、それはその時に考えよう。
「先生は、先生としての立場を守ってください。にい様のそばにいるのは、私ひとりで充分です」
「あら、美奈さんこそ妹なんだから、あなたこそ妹の立場を守らないといけないんじゃなくて?」
「私たちの愛は、兄妹といった関係をこえるもの。他人にとやかくいわれる筋合いはありません」
「先生に妹。2人ともどうしようもないわよね。これは幼なじみである、私の勝利フラグでしょ」
美奈の隣で、安藤雪が高らかに声をあげて勝利宣言すると、急に空気が冷たくなり、無機質に凍りついた笑いが車内に満ちた。
「雪さんでしたっけ?いつの間にいらしてたのかしら」
「私も気がつかなかったなあ」
敵の敵は味方の理屈なのか、たとえ先生と生徒という間柄ではあっても、相手に対しては酷く冷淡となる。春香先生と美奈は、口を挟んできた雪をケタケタと嘲笑した。
「安藤さん、知ってる?幼なじみフラグて、ほとんどの作品でへし折られているて」
「ホントに無知て怖いですよね。大概、幼なじみは死ぬか踏み台だけの舞台装置なのに」
「な、なによ……!あたしが一番巧に近いから、嫉妬してんでしょ?あたしなんて、巧のボンレスハムだって見てるし、あ、あんな恥ずかしいとこに、ファーストキスしてもらったんだからね……」
「そんなことがあったの?巧君」
「あ、先生先生。あぶない。あ、あぶない。はみ出すはみ出すはみ出す」
雪の発言を聞いて、春香先生がしなだれかかってくる。
寄りかかってバランスは悪いし、完全に視線は俺に向いているから車はフラフラ状態で、時折、対向車線まではみ出す。
「大丈夫よ。向こうが避けるから。そんなことよりひどいじゃない。あんな死亡フラグなんかに」
誰が死亡フラグと雪が叫びながらも、顔面蒼白のままシートにしがみついている。美奈は一見、平静を装っているがガタガタ震えているのは一瞥しただけでわかる。
先生の言う通り、確かに車は避けてくれる。誰も事故に遭いたくないからだ。
ただ、クラクションとともに迫り来る車の迫力と恐怖で、俺はチビりそうになった。いや、少しチビった。
「ごめんなさい先生。先生にも後で見せますから」
「ホントに?」
「ホントです。ホントホント。天地神明、神に誓ってご披露します。ホントに、すんません!」
「それなら、よし」
春香先生は満足げな笑みを浮かべると、ようやく法律に従った車線に戻り、先生を基準にして言えば、通常の運転となった。
「あ、あの、それより先生」
「うん?」
「先生、さっきからずっと俺の股関を握っているんですけど……」
え?と春香先生はそこでやっと気がついた様子で、自分の手元を見た。
春香先生の車に乗ってから、片方の手はずっと俺の股関を握りしめ、ハンドルに合わせてぐりぐりといじっていたのだ。
「なあんだ、早く言ってよ。あまりに太いからギアと間違えちゃったじゃない。変に濡れるギアだな、て不思議に思ってたのよ」
「先生の車、オートマでしょ」
「にい様、何故そんなことをされて、無抵抗でいるのですか。さてはにい様、加藤先生に心を……」
「馬鹿、見りゃわかるだろ」
俺は手足を動かそうとしたが、ピクリとも動かせない。動かせたのは首だけだ。
「俺は手足をがんじがらめに縛られてて、動かせないんだよ!」
「ま、何で早く教えてくれないんですか!」
「見りゃわかるだろ。それに、さっきから2人に目配せしてんのに、目をあわせるとスカートたくしあげてパンツ見せてくるだけだろが」
「だって、巧が欲しているのかと思って……」
「にい様、私はパンツなど履いてませんよ!」
美奈は憤然とした口調で言った。確かに、パンツは膝までずらした状態のまま、車に乗り込んでいる。
「みんな甘いわね。それでは巧君を誘惑できないわよ」
「じゃあ、先生はどういう誘惑するつもりなんですか」
「私、実は全裸なの」
「え?」
「真っ赤なスーツに見えるけど、体にペイントしただけなのよね。おまけに水性だから、溶けてきちゃった」
「あんた、何考えてんですか!」
言っている間にも、春香先生の体に塗られたペイントが流れ落ち、あちこちとペイントの下から肌が露出し始めた。右の胸などそれこそ乳丸だしの状態となっている。
「巧君はこんなだし、お巡りさんに捕まったら怒られるかな?」
「怒られるとかじゃないでしょ!」
だが幸運にも、お巡りさんに捕まることも、通行人に見つかることもなく、俺たちが通う学校が見えてきた。
校門の近くまで来たときには、春香先生のペイントはすっかり溶けてしまい、まったくの裸になってしまっている。俺を縛るロープもほどかれていたが、数十分以上もの間、座席に縛りつけられていたから節々が痛む。
「校門のそばまできたら、俺たち降りますから。先生はそのまま行って下さい。一緒にされたくないんで」
えー、と不満げな春香先生を無視して、俺は言葉を続けた。
「美奈、いい加減パンツ履け。雪……は特に無い」
「なんでよ!私にも言ってよ!」
いきり立った雪は制服を脱ごうとするので、脱ぐな脱ぐなと押し留めていくうちに、やがて車は校門の近くまできた。
やれやれ。朝から大変な目にあった。
それぞれがシートベルトを外して降車の準備に取りかかった時だった。
急に上空から黒く巨大な物体が目の前に落ちてきて、車両の前に立ちふさがった。
「きゃあ!」
「うわっ!」
突如出現した物体に春香先生も避けることもできなかったし、落ちてきた凄まじい衝撃の波がポルシェを呑み込んで、まるで風に吹かれる木の葉のように宙を舞った。
“やっと来たわね。古賀巧”
わずかな間、暗闇の中をさまよっているような感覚を味わったが、外から聞こえるスピーカーの声の甲高さで、俺は意識を取り戻すことができた。
車は正常の状態で着地したが、至るところがめちゃくちゃに歪み、フロントガラスにもヒビが入っている。
“私の許嫁古賀巧。他の女とくっつくなんて、このレイナ様が許さないわよ”
「……なんだ?ロボット?」
フロントガラスの向こうに映る巨大な影。
それは黄色い装甲に身をかためた巨人。耳鳴りのような駆動音や装甲の隙間から覗く配線や鋼で構成された肉体。漫画やアニメで見るようなロボットがそこにいた。
“これは、我が五ツ星財閥が開発した登下校用マシーン『アッシー・クーン』よ。古賀巧、今日から私と一緒に帰りなさい”
「レイナ……、五ツ星麗奈か。無茶しやがる」
五ツ星麗奈。
五ツ星財閥のご令嬢。
どういうわけか、俺を許嫁呼ばわり。
俺は舌打ちをして体を動かそうとした時、ふと眼前に浮かぶ2つの白い丸みに気がついた。
「美奈……、あんたはあ……」
「あらあら、まあまあまあ」
雪の震える声が後ろから聞こえてくる。隣では春香先生が頬を赤らめて身をくねらせていた。
「ふぉんれふはふ……」
ふがふがと美奈の声が下から聞こえた。
眼下に広がる美奈の丸い尻。
美奈は衝撃で後部座席から飛ばされて、その口は俺のボンレスハムをすっぽりと覆っていた。