一章 八話
半月が爛々と輝く不吉な晩に、ソロアは空を見上げていた。
風の中に不吉な匂いを感じて警戒を強める。あまりに頼りない腰の拳銃を引き抜き、生きているもののない森をじっと見つめる。
何かがおかしいという感じはあった、しかしそれがなんなのかと言うのはまるでつかめない、言い知れぬ不安感に沈む。
そのとき、下の階から足音が聞こえてきた、ソロアはそれだけで誰が来るか察しがついたのか、ため息をひとつ漏らして、拳銃をホルスターに収める。
「ソロア!」
「メル」
ソロアは愛おしそうにそうつぶやいて、メルウェルを迎える、対してメルウェルの顔は険しく、何かがあったことを感じさせた。
「ソロア、あなたが私たちを裏切ってるなんて言うのは嘘よね。ねぇ、そうでしょ?」
息も絶え絶えにそういったメルウェル、メルウェルは恐る恐るソロアの表情をうかがうと。ソロアの表情が凍っていた。
「ねぇ、この館はなに? 館主は、そしてクロウルティス計画って何?」
「やっぱ、知っちゃったか。そうよね。メルだもんね。できるなら」
巻き込みたくなかった。
そう囁いたソロア。
そしてメルウェルから表情が消えた。
「え?」
残ったのはそんな間抜けな残響。そして、メルウェルにソロアを問いただす時間など与えられなかった。
視界の端で踊る黒い影、遥か向うにあるそれに焦点を合わせてみると、それが人間の輪郭だということに気付けた。黒い一枚の布で全身を覆い隠した男。メルウェルはそれがあの少年だと、一瞬にして気づいた。
メルウェルの戦闘本能が警鐘を鳴らす。
「リアライズ」
その言葉を合図にはじかれたように前に飛んだ少年。マントを脱ぎ捨て、黒く巨大で、刃が波うった剣を片手に携さえて、もう片方の手には無骨で大口径の拳銃。
それを無造作に腕を伸ばすだけで構え、発砲した。
三発の銃弾は二発が屋敷をかすり、一発がソロアの顔面に。
(なんで反応しないのよ)
ソロアほどの反射神経なら、数十メートル先から放たれた銃弾くらい回避出来るだろう。なのにソロアは全く反応を見せない、だからメルウェルは盾になってソロアをかばう。
「くっ」
とっさの出来事だった、背中の肩辺り、防弾チョッキは着ていたがなにぶん威力が高すぎて貫通、弾丸が体の中に残った。なんともいえないような異物感がメルウェルを不快にさせる。
「ソロア大丈夫?」
ソロアの目は強く見開かれていた。一点を凝視し、心はここにないようで、何の反応も見せなかった。
そんなソロアを反射的に転がし、メルウェルは少年に背を向けて飛んだ。
次の一手で着地、勢いを殺し、少年のほうに体を向けるように、飛びながら体を回転、ホルスターの拳銃を引き抜き、安全装置を解除、発砲はしない、射撃姿勢そのままに監視塔の屋根までとんだ。
そして、眼下に佇む少年を見下ろす。
リアライズは余裕の構えを崩さない。力なくぶら下げられた黒い炎、大剣フランベルジュを両手で握る。
「あんた、なに?」
メルウェルの目にぎらついた光が宿る。いつもの少女だった、取り乱しもせず、不安を抱くこともない、自信を持ち目の前に問題を解決することだけに全力を尽くす天使機関の戦闘員、それがメルウェルの本来の姿。
「死神……」
対してリアライズと名乗った少年も挑発を返す。
「だれの?」
「誰のだと思う?」
にやりと笑う少年。それをみてメルウェルは底知れないものを感じた。
「ソロア、援護して」
しかし返事はない。
「ソロア?」
次の瞬間だった、スライドするように滑らかな動きでリアライズは十数メートルを移動した。足元が光っている。何らかの魔記技術だろうと、メルウェルは察する。
メルウェルの右視界の死角に入る、メルウェルは首を振り反応しようとしたがそれは遅すぎた。
次の瞬間メルウェルは横っ面に殴られた、森の中へとはじかれる。
しかしメルウェルもやられっぱなしではない。
反応できないと悟ったメルウェルは同時に濃しに装着していた銃状の物を引き抜いた。
拳銃よりやや大きめのそれにはワイヤーリールが付いており、引き金を引くとかぎ状の物体が射出される。
アンカーフックと呼ばれる道具だ。
ワイヤーの先につながったアンカーが少年の右手に引っかかる。その重さに耐え切れずに少年も屋根の上から引き摺り下ろされた。
二人とも無機質な森の中に飛び込み、そして戦闘が始まる。
姿勢を低くしてメルウェルはそこら中に銃弾をばら撒き、それを回避するように少年は森の木々の間をピンポン玉のように飛び跳ねる。
そして少年は懐から黒塗りしたナイフを三本掴み取り、メルウェルに投げた。
それを転がるようにメルウェルは回避する。土で頬が汚れるのもかまわず、這いずり回り、木の陰に移動したところで、新たなマガジンを差し込んだ。
そこから隣の木の陰に走る。
それを見つけたリアライズは、瞬時に反応、メルウェルの動きを読み、メルウェルの目の前に降り立ち渾身の蹴りを放つ。
防ぎきれなかったメルウェルはすぐ後ろの木にたたきつけられた、木がみしりと音をならす。
口の中に血の味を見つけ、それを咳き込む反動ではき捨てた。
混乱しきった脳みそを制御し、闘争心を抽出する、冷静さを欠くことなく、凶暴性を増して、敵を倒すことだけに意識を向ける。前に走り出す。だがいつの間にか少年は闇にまぎれて消えている。
捕捉できない、見つけることができない。
「いない?」
あの少年にしてはずいぶんあっさりとした引き際だった。気配もない。なら、屋敷まで戻るべきだと思った。拍子抜けした、罠かとすら疑う、だが、そう警戒してみても何の反応もなかった。
(何が起こっているの)
それは今回の襲撃事件もそうだが、先日から続く不可解な事件すべてに対する疑問でもある。
(あの少年は私を一度助けてくれた、けど今は襲ってきた。なんなの?)
メルウェルは絶えず周囲を観測する、魔記を薄く延ばし全方向に放つことで疑似的なレーダーとし、周囲の地形、そしてリアライズの場所を掴もうとする。
しかし、そのレーダーには何もかからない。
(消えた?)
しばらくあたりを警戒し、木の陰に潜んでいるとずっと後方、館のほうから話し声が聞こえてきた。メルウェルは反射的に森から走って出る、そして銃を構えた。
しかし、銃口の先には。ホウドウが立っているだけだった。
「ここから先は俺でやる、お前は要人警護と館内警戒だ」
フル装備したホウドウはそう言って、森の中に消えていった。
そこでやっとメルウェルは気がつく、あの少年は危機を察知して逃げたのだ。
それでもメルウェルに一撃加えてからでも間に合ったはずだ。十分とどめはさせたはずなのに、見逃した。情けをかけたのだ、あるいは脅威でないと認識したのだ。だから逃げることを優先させた。
(もしかしたら、最初から本気じゃなかったのかもしれない)
そう思うと、足が震えた、恐怖が遅れてやってくる。
(弱いな、私)
メルウェルだって怖くないわけではない、ただ任務の最中は忘れているだけだ、長年の訓練の一番の成果がそれなのだ。
(わたし……)
メルウェルは自分を抱いて考える、さっきの戦闘、ソロアのこと。
(ソロアはなんで、私を助けてくれなかったの?)
メルウェルはソロアの元に走った。
* *