一章 七話
それから数日が、粘液質なのりのように過ぎていった。何かがあるわけでもなく、楽しいわけでもない、過酷で退屈な仕事を数日繰り返し。そのなかでメルウェルはソロアを観察してきた。
だが、幸か不幸か不信な点は何も見られなかった。そして業を煮やしたメルウェルはついに最終手段に出る。
暗闇に、カチリとキーをたたく音がゆっくりひびいた。
強い明かりが暗い空間の中心で踊る。
そこは埃っぽい屋根裏だった。
薄型のノートパソコンを使って、メルウェルは深い情報への進入を試みている、相手取ったのは天使機関。
メルウェルは数日考えて、やはりこの館には何かあるとにらんだのだ。そしてその情報が得られればきっと、ソロアが悪なのか、ホウドウが悪なのかがわかる。
ただ、もしホウドウが悪だった場合。それは天使機関全部が悪だということになるのではないのかという懸念があった。
この仕事をホウドウにまわしたのは天使機関だ、繋がりがないはずがない。
だとしたら、メルウェルはどうするのだろう。
その答えがいまだに出ず、メルウェルはデスクトップを見つめるだけだった
天使機関はメルウェルにとって正義だ。
法を用いて悪を断罪し、弱いものたちを助ける。そのために奮闘し、また傷ついても、メルウェルは本望だった。
だが今、それが否定され。一気に裏返ったとき、そのときのメルウェルは今までの自分をどう思うのだろう。想像もできなかった。
(わからない、事態がどこまで進んでいるのか、わからない。なにが起こっているのかもわからない、話の渦中には存在できてない。呼ばれてもいないのに今私は片足を突っ込もうとしているんだ)
けれど、それでも。そうメルウェルはパソコンのキーを操作する、パソコンの小脇に長方形の端末をセットし。それを脳内のデバイスとリンクさせる。
(でも、私がどうにかできるならしないといけない、それが私の正義だから)
そしてメルウェルの視界にでかでかと文字が写りこむ。
魔名を使用しますか?
メルウェルは迷うことなく、それに『YES』と答えた。
その瞬間、メルウェルの目の色に変化する。いや、正確には目の裏で火花が散るような、そんな光が眼球の奥にちらついた。
それは魔名開放と呼ばれるパーソナルアビリティ。
「魔名、開放。『規律』」
パソコンがキーをたたいてもいないのに勝手に情報を引き出していく。その光景を凝視したままメルウェルは動かない。凝視している間にネットという情報世界を深く深くもぐっていく。
ネットにつながっている天使機関本局のパソコンをのっとり。天使機関の内部ネットワークに侵入、それを媒体に幹部クラスのパソコンに進入。
ここでようやく強敵が姿を現した、今まで数種類の防壁は存在していたが、そんなものメルウェルの手にかかれば解除は簡単。そもそも一般的なセキュリティを突破するのに十分な、対防壁プログラムがメルウェルのパソコンに入っているからだ。
だが今直面しているそれはメルウェルのパソコン内に入っているハッキングソフトではどうにもならないクラスのセキュリティーだった。以上を検出ししだい責任者に警告を発し、同時にPCを外部から遮断する。
物理的に接触がなくなってしまえば手も足も出せない、簡単だが確実な方法だった。
そこでようやくメルウェルの『規律』はその真価を発揮する。
「強制撤去、ばれないように」
魔名とは、魔記の特性が人間とかみ合うことで発揮される、魔記技術の副産物のことだ。基本的に魔記は情報と少しのエネルギーで形を得て、この世界への明確な干渉力をもつ。
魔名は脳みそという情報集積体に、魔記を流すことで発現するが、それがどういう仕組みなのか全くわかっていない。人間の新たな進化の可能性など言われることもあるが、真偽は定かではない。
魔名の中には物理法則を無視してしまう物も多い。
たとえばソロアの『大魔法』という魔名は。開放することにより、時間と魔記は大量にかかるが、大災害クラスの被害を最大半径八キロまで及ぼせる。
ここまで顕著に形を示すのはなかなか希少で、本当ならば地味なものの方が多い。
それがメルウェルの魔名『規律』だった。
規律は、簡単に言うならば異常を整える能力で、現実でそれを使うことは難しいが。それは脳内のデバイスにつなぐことによりコンピューターネットワーク内で力を及ぼす。主な使い方は、セキュリティーシステムを破壊することなく突破するなどの、異常事態を異常事態ではないと誤認させる力、そして異常事態を無理やり正常な状態に戻す力だった。
メルウェルはその能力の副次的効果で意識とネットワークを直結できる。むしろこちらの力のほうが使い勝手がよく、使用頻度が高いのだが。
そうこうしている間に、メルウェルはそこにたどり着いた。求めている情報のありそうな場所。セキュリティレベル3の情報群
そしてその資料の中をこの館の名前、原子館、で検索をかけた結果。
いとも簡単にそれはヒットした。
「なにこれ?」
そして、最悪なものが見つかった。おそらく見つけてはいけない
「クロウルティス計画?」
クロウルティスとは実際にいたとされる天使の名前、あの天使像の名前だった。
そしてそこに記載されていたのは、ホウドウとほか数人の見知らぬ名前。原子館の館長がスポンサーであること。そして計画の内容は。
三種の神器を作ること。
魔記製の物体を魔記に戻す武器の開発。これがもし開発されたら、魔記を含んで作られた建物を一瞬で倒壊させることができるし。何より、魔記製の武器を圧倒できる。
ここに書かれているのは。三つの武器。
デルタサイス、クロスソード、ツインサークルの三つ。これを試作品とし。開発に成功したなら量産する。そんなことが書かれていた。
「これ、そんな……。こんなことあり?」
メルウェルはふらりと立ち上がり、床の板をはずして自室に降り立った。パソコンの中の履歴を完全に消去し。ベッドの上に放る。
現代の建築物には多くの魔記が使われている、それがもし一瞬のうちに無効化され、魔記という光の粒に返されてしまったらどうなるか。
中にいる人間は無事では済まないだろう。そしてそんなことが簡単に行えるようになってしまうこの兵器は、この世にあってはいけないものだった。
魔記によって発展してきた企業はすべて崩壊、時代は石油を資源にしていたころに逆戻り。これはこの魔記技術によって培われたきたこの時代自体を破壊する悪魔の計画だった。
「止めないと、けど。どうやって」
メルウェルはふと窓の外を見る、するとざわめくはずのない木々が揺れているのがみえた。
* *