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対角線上の攻防  作者: 惟織
対角線上の攻防
7/15

夢であればいいのにと


 彼らの咽喉のどは錆びた墓穴はかあなであり

 彼らの舌は詭計に賢しく

 口吻には背徳の毒素あり

 彼らの鰐口わにくちは呪詛と苦い言辞に満つ

 彼らの脚は血を流すのに速く

 往く先に座するは破滅と惨劇のみ

 平安の道を知らずして、眼前には裁きに対する畏れなし


  *****


 目を覚ますと、時代を感じさせる金の天蓋が視界いっぱいに咲いた。四方もタンポポに似た薄い黄色のカーテンで隔てられている。人の寝姿を外部から隠す機能は備えておらず、カーテン越しから部屋の壁やちょっとした家具が映る。

 白い上掛けとシーツが目に入り、寝台に寝かされていたことを知る。宮廷の私室にあるものよりもやや硬質だ。

 対照的にふかふかの枕に頭を沈め、どういう経緯で朝に至ったのかを思い返す。

 上司の期待という誇りに酔い痴れて、油断していたのは自分だったと思い知らされた夜。二度目の吸血で、自分は意識を失ったのだ。

 独り身というからには、多分奴がここまで運んだのだろう。時間ならいくらでもあった筈なのに拘束されていないのは、あちら側が優勢にあるからか。


「お目覚めですか?」


 キキィ‥‥と悲鳴を上げる扉から、穏やかな音が流れた。

 昨晩の余韻で思うように身体を動かせないレナータに近寄る影。天蓋から垂れる紗幕から現れ出たのは、匂うような気品に満ちた青年だった。

 険しく眉を寄せるレナータに微笑みかけ、彼女の整った顔の左右に両腕を立てる。そのまま彼の胸板が柔らかな肢体に近づいた。薄いアイリスの瞳と蒼の視線が絡まる。ここで怯えを見せ、目を逸らせば負けだ。

 危機感はないけれど、傍目からだと今にも襲われそうな光景だろうなと感じた。


「私をどうする気でいる。殺すのか、飽くまで血を貪るのか」

「朝っぱらからそんな物騒なことを言わないで下さいよ。でも、――――殺すといったらどうなさいますか?」


 ずい、と男の端整な容貌が近まる。レナータは躊躇いなく答えた。


「抗うさ」


 アイリスの瞳が大きく開かれ、また鋭くなった。若々しい声に嘲りが混じる。


「その身体でですか?魔術も扱えないのに、どうやって打開するのでしょう。宜しければその手口を教えて頂きたいですね」

「入口があるなら出口もある。それが私の持論だからさ」


 どんな逆境にも、それが自ら入った虎穴ならば必ず道は拓ける。そうやっていつも切り抜けてきた。

 彼女の台詞は男にも満足のゆくものだったようで、嘲笑だったそれが幾分緩まる。


「成程ね。なかなか肝が据わっている」

「お気に召したようで何よりだ。‥‥それで?お前はどうする」


 分が悪いのはこちらなのに、わざと挑戦的な眼差しを送る。

 とはまた凛々しい女性だ。焔を秘めた碧眼は特に好感が持てる。

 強気な面持ちを弱弱しく歪めてやりたい。そして、自分の許へと陥落させてしまいたい。

 男――――もといユーグは、右手の人差し指を口元に当てて考える素振りをする。微かに眉根を寄せた面差しは、昨晩と変わらぬ品性を携えていた。

 薄い唇が綻び始める。


「貴方以上の魔力を持つ女性は、この国にいらっしゃるのでしょうか」

「‥‥は?」


 真剣に考えていると思えば。レナータの予測と余程見当違いな問いを投げつけてきた。

 というより、先程の話題から飛躍しているのでは。


「聞いてどうするつもりだ」

「どうもこうもないです。さっさと答える」


 正直に返せば、不機嫌そうに命令された。納得がいかないので口を噤むと、彼の指先が女の首筋を往復し出した。くすぐったくて反射的に振り払いそうになるが、そこは我慢だ。

 男の顔が更に近くなった。美醜に機敏な娘ならうっとりと頬を染めるに違いないだろうけれど、彼の本性を知った彼女には脅威でしかない。

 下手に反抗すれば再び吸血される。

 あの時の異様な感覚を思い出したレナータは、必死に頭の中の名簿リストを掘り返した。


「‥‥‥特殊部隊には少なからず女がいるが、私より‥‥という奴はいないんじゃないか。リストを見る限りでは下っ端の仕事をさせられているようだし」


 それにレナータには、次期特殊部隊長という名誉な肩書がある。女性はおろか、そこらの男性魔術師にも勝っている自信があるのだ。

 問いに対する彼女の答えに気を良くした男は、片手を首筋から離した。


「じゃあ殺しません」


 単純かつ簡潔な結論。思わずしかめ面した彼女を、にこにこと嬉しそうに眺める吸血鬼だが‥‥。


「貴方のような人が現れるなんて、まさに千載一遇じゃないですか」

「‥‥どういう意味だ?」


 絶対に黒い企みを抱いている。


「混血のような味音痴には分からないですが、我々純血は一般人よりも魔術師の血を好む傾向にあるのです。まあ世界規模で見ても人口が少ない魔術師なんて滅多にお目にかかれませんから、一般人で我慢しているのですけども」


 魔術師は異族と近い関係にある。普通の人間にはない魔力を持つ彼らはやはり異質で、種族で表すと『中間』の枠組みに分類される。人間かつ異族という絶妙な位置にある魔術師達はある意味での完全性を象徴し、だからこそ血液もこの上なく甘美に感じるのだろう。――――ユーグの談では、血の味の良し悪しが魔力の濃さと比例するそうだ。

 確かに魔術師達は、血液中に魔力を宿しているものだけれど。その強さによって味が変わるとは知らなかった。いや、吸血鬼の味覚が独特なだけかもしれないが。

 レナータが自分の傷口の血を舐めても、鉄の味しかしない。


「だから貴方をここで殺したりするようなことはありません。私は男ですから、どうせなら女性の魔術師の方が嬉しいですし、勝気な方ならなお大歓迎」

「‥‥‥‥」


 最後の一言は聞きたくなかった。


「しかしですねぇ。貴方は私を殺そうとしたという前科があります。その贖いはきちんと払ってもらうつもりです」

「‥‥血じゃなくてか?」

「それはこれからもお願いすることですから」


 さり気なく共生宣言された。執着とは恐ろしい。

 拒絶の意を込めて睨みつけるけれど、彼には可愛い反抗としか映らないそうで、くるりと優雅に踵を返した。端整な横顔がふわりと和む。


「まあその話は後にしましょう。血を分けてくれたお礼です。ちょっとした食事を用意したので、気分が良くなったら降りてきて下さい」


 贖えと脅せば、お礼だと笑う‥‥矛盾した奴だ。

 紗幕の内に再び取り残される。話し相手が立ち去ったからだろうか、しんみりとした静寂が余韻となって残った。

 孤独な空間は好きだ。だのに妙な居づらさがあった。




冒頭のあれは新約聖書、ローマ人への手紙に手を加えたものです。不快を抱かれた方がいらっしゃったなら、この場を借りてお詫び申し上げます。


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