お偉いさんからの緊張する説明です
馬車に乗り、がたがたと車の倍ほど揺られて三十分だろうか。
平野を越え、北海道のようなだだっ広い穀倉地帯を越え、さらにその先にあったのは湖畔に面した城下町だった。
街をぐるりと囲んだ城壁は湖の中まで続き、上空から見れば城壁が描く円と湖が描く円が重なり合って『∞』の形に見えることだろう。
この街の名はハイドラだとクロエは語った。
名前の通りかつてこの地にはヒュドラがいたそうだ。けれど四代前の領主がそれを退けて街を造ったため、記念してその名が付けられたらしい。
この領地は他国との国境に接するために前線への補給庫としての意味合いも強く、人と共に様々な物品が集まってくる。
なので広さだけを取ったらこの南の帝国でも大に入る一つだ。
入口の堀にかけられた跳ね橋を越え、石造りの城壁を抜ける。
風見を迎えたのは所狭しと並んだレンガ造りの街並みだった。
地面は砂利道が多く、人通りによって凹凸ができている。城まで続く一本道の大通りだけは石畳で綺麗に作られ、整備されていた。幅にしても馬車が三台は通れるくらい広々としている。
そのわきでは商店街のように八百屋や肉屋、雑貨屋。そして驚くことに剣や盾と一緒に農具を軒先に出している店まである。
日本の中世やそれ以前でもこのような姿は見られなかっただろう。
「うわ、本当にこんな世界ってあるのか」
半信半疑だったがもう異世界であると認めざるをえなかった。
だって、今更どうして否定できようか?
耳と尾を持った亜人が物珍しそうに馬車を見ていた。
麻の服を着た人、長剣を持つ騎士が馬車に道をあけていた。
車窓を覗き込んできた妖精はこちらに驚いてひゅんと飛び去った。
人の輪の中心では炎や電気の魔法が大道芸のように披露されていた。
――そうして動く様を見せつけられればどんなに疑っていようとここが本当に異世界なのだと思い知らされる。
まずは実物を見せて納得させようとするドニとクロエの策は大正解だ。大通りを過ぎて城に辿り着くまででも効果は十分過ぎる。
門を過ぎると狭々とした街に代わって庭園が広がった。
芝生、緑の低木、バラ園を始めとした花園、隅に作られた兵舎。それを過ぎて丘を登ると円筒形の見張り台が見え、その先に城があった。
そのお出迎えにはメイドと執事が列になって待機しており、おかえりなさいませと異世界の言葉で言ってきたのか頭を下げられた。
ドニは本当に領主であり、この城の主らしい。
それを過ぎると今度はクロエに代わってドニが先導し、応接室らしき場所に通される。
(……俺の家が犬小屋に思える)
それが1K(六畳)の公務員宿舎に住む風見の心の声だった。
天井の高さは四メートルほどもある。絵画に彫像、ドアの縁取り、シャンデリアとふかふかの絨毯に巨大ソファー、etc。
豪華な装備は挙げればきりがなく、どこにどう立てばいいのかも迷う有様だ。美術館の立ち入り禁止エリアに放り投げられた気分である。
(しかもあれは何だよ……)
風見は穴が開くのではと思うくらいの視線に見降ろされていた。
犯人は等身大の絵画である。
応接室を見下ろす位置に設置されたそれにはドニ、奥さん、加えて息子らしき青年が描かれていた。
絵のドニは精悍な佇まいであり、メタボリックな体型ではない。この絵は美化なのか、それとも昔はこうだったのか悩むところだ。
息子はキリッとしたイケメンであったり、奥さんは淑やかな金髪美人に見えたりするのだが、この絵が現実であったとすれば完璧一家である。
それとも権力のある男には美人な妻が充てられ、自然と子もイケメンになるというあれだろうか。
風見がいろんな意味で言葉を失っているとドニは大したものでもありませんよと謙遜する顔でソファーについた。
あごの贅肉はたぷんと二重にあごを作るくらいの厚さで大したことがある。これを見るとやはりあの絵は美化が有力かと思えてしまった。
ドニに促されるまま、風見とクロエはソファーにつく。
これまた体が沈むほど柔らかい。日本で買う高級ソファーと比較しても全く遜色のない一品だった。
「ジューイ様、道中にこちらの世界がどのような場所かは見られたかと思います。それでは改めて説明させていただきますね」
ソファーの三方にそれぞれ座ると部屋に入ってきた数人のメイド達がお茶と菓子を置いていった。
風見は彼女らも本物だろうかと観察眼を向けてみる。
どの子もすらりと細く、綺麗な顔をしていてそこらの喫茶店どころではない顔面偏差値だ。
それに細やかな気配りや丁寧な配膳作法には確かな年期が感じられる。
近いもので言えば街のウェイターと高級レストランのウェイターの違いだろうか。
ちなみにその中には動物の耳や尾を持った人はいなかった。人の主が治めるだけに普通の人しか働いていないのかもしれない。
異世界では人と亜人で人種差別があるなんてよく見かけるものだが、それに近いものがここにもあるのだろうか。
それにしても先程外で見た騎士や妖精、魔法にメイドといい、異世界の代名詞がそろい踏みである。
それこそ思い描いたそのままの世界がここにあったと言っていい。
ならモンスターや精霊など、そういったファンタジーも存在するのだろうかと風見は疑問に思った。
「ジューイ様は私達ハドリア教の監視下でドニ様によって召喚されました。我々の世界では召喚によってマレビト様を招き、その異なる知識や勇姿を政の助けにさせてもらうことがあるんです。召喚の例は過去にもいくつかあり、私が英語や日本語を知っているのもそれが理由です」
クロエが風見をじっと見つめて説明をする中、ドニは余裕たっぷりにお茶をすすって待っていた。
それにしても、やはり召喚だそうだ。
ネットや本で見る異世界召喚モノがまさにこうだと思ったが、その通りだと言われるとまだ多少は信じ難い。
なにせ『召喚』である。
異次元やワープ。そんなものは漫画やSF映画くらいでしかお目にかからない。大学などの論文でもまだまだ実現可能かどうかを議論しているような話だ。
超常現象に縁のなかった風見にとって召喚といえばゲームや、怪しげなオカルト集団のUFO召喚、いくつかのライトノベルやアニメ、映画くらいしか思い浮かばない。
訂正。
存外、よく耳にしているのかもしれないと彼は思い直した。
「じゃあ召喚があるってことはやっぱり魔法にエルフ、亜人とかもいるのか?」
「な……、猊下は驚かれないのですか? 異世界にはそういったものはなく、歴代の猊下は理解に苦しんでいたと記録が……」
「そういうのを想像するサブカルチャーがあるんだよ。なんというか、大人の嗜みと言いますか」
ライトノベルを限らず異世界召喚なんてよくある。
ハリウッド映画のエイリアンや宇宙人もモンスターような容姿のものだっていたし、それらを様々な形で見てきたから衝撃としてはまだ軽い方だった。
実際に見れば驚いたが、一度絵で想像できていたのが免疫として働いたのだろう。
それに対し、クロエは期待に輝いた目を向けてくる。
彼女がどんな期待をしているのか風見には知る由もなかったが、どこか騙してしまったような気分がした。
変な罪悪感で心をちくちくとするし、その誤解は早めに解いておきたい。
「そういうものと理解していただけるのならこのクロエも幸いです」
「えっと、ところでハドリア教だっけ。それはどういうものなんだ?」
「この大陸で広く信仰されている宗教です。人の営みに関する複数の信仰があり、同時に異邦の知識をもたらして人々を導いてくださるマレビト様は猊下とお呼びさせてもらっています」
マレビト――といえば民間伝承で語られる、外から訪れる何かだっただろうか。
大抵はいい影響を与える何かと見られていた気がした。
つまるところ、無償の尊敬が向けられる理由はそこらしい。
彼女はそのハドリア教の熱心な信徒、というか神官らしいので時折熱い視線を送ってくるようだ。
伝説の存在が――彼女にとっては、映画の中から抜け出たヒーローが目の前にいるようなもののようだ。
だからクロエは風見がなんとなしに向けた言葉一つでも心が震えるのだろう。
だが金髪碧眼の美少女に期待されるほどの何かなんて一つも持っていない風見にはかえって緊張しか感じられなかった。
絶えずクロエの眼差しに晒され、彼はお茶も気軽にすすれない。
『そろそろいいかね?』
ドニはかちゃりと音を立ててカップを置く。
クロエはこんなところもつぶさに翻訳してくれるので言葉が全く分からない風見としては大いに助かった。
『猊下、この度はこのような場所までご足労いただき恐悦至極にございます。ここにおられる間はわたくしめが全てにおいて最高のもてなしをお約束いたしますのでどうかおくつろぎください』
「そう言っていただけると、その、ありがたいです」
ドニの悠然と語りかける様は議員や省庁のお偉いさんを彷彿させる。
今まで誰かにこき使われた経験しかない下っ端な風見としては自然と恐縮した。
獣医が働く先には家畜保健衛生所というものもある。そこは家畜の防疫が仕事だ。
有事の際は現場の防疫官として何故事件が起こったのか警察や農協、保健所、各関係者のお偉いさんに説明しなければいけなかったりと胃が痛い思いをする。
その雰囲気はインターンシップだけでなく、現場の応援に行った教授の助手としても幾度か味わった経験があった。
だからこうやってお偉いさんっぽい人に対してカチコチするのは職業病だった。
風見はソファーがあまりにも柔らかく沈み込んでしまうので苦労しながらも精一杯に背を伸ばす。
『私が貴方をお呼びした理由はこの領地にあります』
「領地ですか。それはやっぱり王様から土地の管理を任されたとか?」
『おお、それもご存じなのですか! いやはや、なんと博識でいらっしゃる。そこまで知っておられるなら話は早いのです』
ドニは眼尻にしわを作るぐらいに大きく顔をほころばせた。
クロエが補足してくれるところによると伯爵とは王から領地の管理を任された人で、いざという時は王のために軍をあげるもののこと。公爵とは地方の豪族で元から土地を持っていた爵位持ちだと考えればいいらしい。
こちらの常識を全く知らない風見としてはこの小さな気遣いに感心してしまった。
彼女が続けて言うことによると伯爵の位は親兄弟で代々襲名し、座を明け渡した親は隠居するか元老院に入って国策に関わるそうだ。
そんな伯爵の中でも他国に面した領地を持ち、その守護を任される者を辺境伯といい、ドニはそれであるらしい。
『お恥ずかしながら現在、領地の運営は芳しくないのです。私は物心ついたころからこの辺境伯の地位を襲名せよと武官として徹底的に叩き上げられ、信頼できる者には内政を学ばせて共に歩んでもらおうと万全を期していたのですが、同じ座を狙う私の弟は様々な手を使って部下を……』
言い淀んでいたが、時代劇のように亡き者にされたなどと続いたのだろう。もしくは人材の横取りなどなら企業でも行う手段だ。
つまり、ドニが深刻そうに語る内容を要約するとこんな感じだ。
1、お家騒動があった。
2、伯爵の座は勝ち取れたが弟といさかいは続いている。
3、邪魔は今も続いており、内政はガタガタ。他国との小競り合いもあって四苦八苦。
4、伝説の猊下さん、ヘルプ。
とのことで風見はある程度の流れを推測できた。
マレビトは名前のブランドもあるので民衆の期待を膨らませることができるし、異世界の進んだ技術に頼れば進歩が望めると思ったのだろう。
長々とした話に引きつった表情を見せる彼だが、クロエは真剣に聞き入っている。
神官なので常日頃から長い説教には慣れているのだろう。年寄りの長話が苦手な彼とは根本から違っていた。
『私ももう歳なので後を息子に継がせようとしていたのですが皇帝は――』
額の汗を拭いながらドニがさらに長々と語ること十分。
もうなんとなく状況が読めてしまった風見は、満腹のところさらに口へと食べ物を突っ込まれるような心地で耳を貸していた。