なにやら騎士と神官と領主が来ました
風見は殺される予感さえあった。
しかしそんな時、ばっさばっさとやたら大きな音と落ち葉を巻き上げて新たな役者が駆け寄ってきた。
「O que faz voce(何をしている)!?」
飛び込んできたのはやたらと豪奢な衣装に身を包んだ小太りの男だった。
歳は初老に入るくらいだろうか。少し白髪交じりの豪商というのが彼にぴったり当てはまる印象だ。
男は駆け寄るなり拳を作って軍服の女を殴り飛ばした。
何も女性に対してそこまでしなくともと風見はぎょっとしたが男の行動は早かった。
サーベルを払いのけると大事な子供が怪我していないか心配するように手を取ってくる。
「Nao ha o dano(お怪我はありませんか)? Não era terminado o que era(何かされませんでしたか)?」
またも全く聞き覚えのない言葉がマシンガンの弾のようにぶつけられる。
意味は判らないが声色からして心配の声であるのは確からしい。
(次から次へ何なんだよ)
何かが憑りついているのではないかと思うほど異様に心配を向けてくる男に風見は恐れにも似た感情を覚えた。
男を避けて目を逸らす。
偶然向いた先では殴り飛ばされた女が痛がりもせずに無感情な顔で立ち上がっていた。
彼女は口の端から血を流しながらも手を後ろで組み、姿勢を正すと直立不動でこちらを見つめてくるだけだった。
(女の子は重傷で、軍服の子が殺して、妙な男がそれを殴って……。一体どういう状況なんだ。本当にこれは夢じゃないんだよな……?)
張り付いてくる男を若干避けつつ、周囲を見回す。
今までは気付きもしなかったがいつの間にか包囲されていた。
この軍服の女と似た姿だが帽子はなく、それぞれ一本ずつのサーベルを持った人が周りに何人もいる。
さらに奇妙なことにそのうちの何人かは犬や猫、または別の動物のような耳や尾を持っていた。
「おいおい、コスプレのドッキリ……か?」
見れば帽子が取れたさっきの女にもあった。
狼を彷彿させる立派な灰色の尾と、ピンと立った獣の耳である。
コスプレなんかして、本当に異世界召喚モノに見せかけたドッキリなのかと風見は壊れた笑いを返そうとした。
が、無理だった。
ひやりと冷たさを感じた手は少女の血で濡れていた。
見下ろせば瞳孔が開いた目は焦点もなく虚空を見つめたままだ。生きていた頃とは違い、ガラス玉のように生気を失った色である。
――ありえない。
たかが作り物でここまで死体を再現できるはずはなかった。
生きた人間がここまで死体の演技をこなせるわけがなかった。
「Porque você não estava ferido, você feltro aliviou(怪我をしていないようで安心しました)」
とうとう何も異常はないと理解したのか笑って肩を叩いてくる男。
だが風見は反対に身の芯からぞっと凍えた気分だった。
目の前で女の子が死んでいるというのにその顔はないだろう。まるで人を人とも見ていないかのようだ。
「……?」
少女と男を交互に見つめていたら彼も気付いたようである。
「Leve Mulher. Isto é obstrutiva(この女をどかせ。目障りだ)」
男が何事かを周囲に言うと数名が動き、少女を抱えて引き下がった。
抱えられると、くたんと垂れ下がった腕が宙で揺れる。風見の目にはその光景が深く刻みつけられていた。
そうして彼が思考を停止させていた時、またぱさぱさと落ち葉を踏む音が聞こえてきた。
見れば何人かの軍服に引き連れられ、純白のローブをまとった少女が近付いてくる。
十五かそこらだろうか。
金髪を肩の辺りから三つ編みにした彼女は周囲の誰とも違って清純さを絵に描いたような少女だった。
ジャンヌダルクもかくや、そんな容姿である。
少女は荒れた息を無理やりに抑え、礼節に則ったお辞儀を男に向けると風見にまで一礼してくる。
「A、ah……Can you speak English?」
「英、語? 普通に……、喋れるのか?」
思わず返した言葉に少女は「ああ!」と手を合わせ、透き通るような碧眼を大きく見開いた。
「そう、そうですか! こちらの言語の方ですね? 確か日本語でしたか。マレビト様、申し遅れました。私は神官のクロエ・リスト・ウェルチと申します。どうぞクロエとお呼びください」
「神、官……?」
はいと頷いた彼女は続いて男の方にうやうやしく手を向けた。
「こちらはこの地の領主のドニ・アスト・ラヴァン様です」
ドニと呼ばれた男は何事かを語りかけながら手を差し出してきた。
朗らかなその態度は社交辞令だろうと推測できたが、『猊下、お初御目にかかります』という意味だとクロエは一応訳してくれた。
(猊下って聖上とか聖下とか宗教の敬称じゃなかったか?)
不思議に思う風見は「風見……心悟です」と戸惑いがちに自己紹介を返した。
そんな彼が未だに状況を掴めないのをクロエは察してくれたらしい。
ドニに向かって慎ましやかに言遣ると何らかの同意を得ていた。
彼の鷹揚な頷きを見たクロエは「こちらへどうぞ」と先導を申し出てくる。
「いろいろと突然のことで驚きかと思います。まずはゆっくりと休める場所までお送りさせてください。それから改めて説明させて頂きます。あちらの荷物の方もご心配なく。猊下のもとへしかと届けさせますので」
クロエはこれ以上とないへりくだりを見せてきた。
彼女の言う“あちら”を見れば研究室にあったはずの物がいくつか地面に落ちている。
風見はそんな態度に異議を唱える訳にもいかず、ドニに頷かれることもあって静かに従おうとした。
が、一つだけどうしても見逃せないことがある。
さっさと歩いていこうとする二人だが風見は立ち止まったまま。すると後ろ髪を引かれたように彼女らは振り返った。
「待ってくれ。あの子は……なんだったんだ?」
「え……?」
風見の言う、あの子に覚えがないクロエは要領を得ない顔で振り返る。
混乱のまま場に流されまい。
目と声に力を込めて風見は問いかけていた。これが夢だろうと幻だろうと殺されたこの少女は見過ごせなかった。
ちらと先程運び出された方向に目をやると霧の奥に地面で横たわる少女がいる。視線を追ってそれを目にしたクロエは青ざめていた。
「猊下、それは――」
「そんな風に呼ばれ慣れてないんだ。風見でも心悟でもいい。まだ獣医って呼ばれる方が慣れてるくらいだ。そんな呼び方をしないでくれ」
「は、はい。それでは、ええと……ジューイ様。彼女は――その、ドニ様の所有物、奴隷です。彼女らの血はジューイ様をここに召喚するために必要だったのです。……このような光景を見て気を悪くされたでしょう。今納得して欲しいとは言えませんが、どうかついてきていただけないでしょうか? 彼女は私達が丁重に葬りますので、どうか……」
「奴隷? 召喚とか、本当にそうだって言うのか?」
「はい……」
クロエは咎められているように小さくなりながら肯定していた。
隣で何を言っているのか疑問顔なだけのドニとは明らかに違う。衣装といい、周囲の人間とは雰囲気が異なっていた。
『どなたか律法を扱える方はいませんか? もしいたらこの方にどのようなものかお見せください』
今度はクロエが判らない言葉で何かを言っていた。
どんな意味なのかと疑問に思っていると先程の軍服の少女が返答していた。
するとクロエは「彼女をご覧ください」と指を差す。
一体何かと風見が思っていると少女は地面に触れ、二、三呟いた。
その途端、茶色い光が何かの紋様を描くように走ったかと思うと突如、土が槍のように突出し、巨大な針山を形成した。
「なっ――」
巻き上げられた落ち葉がぱらぱらと舞う。
少女は続けてサーベルに手をかけ、針山を一閃。ずっ、と滑った錐体は中まで腐葉土でできており、落ちれば元の土に戻っていた。
まるで魔法のようなその技に風見は絶句する。
「今のような技術は多種あります。その中の一つであなたを召喚したのだとお考えください」
風見はそんなまさかと言おうとしたが、これは疑いようもない本物のようだった。
少なくとも彼の知る限りではトリックではない。
それに向こうで倒れている少女の血や死も紛れもない本物だ。
悪夢であることを願って少女の脈を計れば――やはり、ない。冷たくなりつつあることを再認識しただけだった。
やはりこれは真実なのだ。ドッキリでもなんでもない。
(……わけが判らないなんて言っててもラチなんて開かないか)
風見はもう困惑しなかった。
この現実を否定する材料が一つも見当たらないのだから本物だと信じる他はない。
彼は彼女のまぶたを閉じさせ、それからハンカチで申し訳程度に清めると冥福を祈って黙祷していた。
こんな少女が血まみれで弔われるなんてあまりにも悲しい。
「あ、あの、ジューイ様! どうかこれをお使いくださいっ」
慌てふためいて純白のローブを押し付けてきたクロエにいいのかと視線で確認しようとした。
しかしクロエはすでに胸の前で手を組み、黙祷を捧げている様子だ。
ローブは亡くなった少女にかけさせてもらった。
「……冗談だ、どっきりだって俺を化かしてくれた方が気楽だったのにな」
「このようなことはお嫌いなのですか?」
「……クロエ、だっけ。この状況だと今の俺にはこの子がその召喚の生贄になったとしか思えない。こんな無残な殺され方を好き好むやつなんているか?」
「い、いえっ! それは、その……」
今のはクロエが言葉選びを間違えてしまっただけなのだろう。
ドスの利いた声に晒されてびくりと身を震わせた彼女は怯えて訂正しようとする。
それを見、大人げもなく必要以上に声が低くなってしまったのを自覚した風見は「ごめん。言い過ぎだったな」と謝った。
空気が緩んだのを感じたのか彼女の表情も少しだけ和らぐ。
「申し訳ありません……。私は、ジューイ様の人柄に安心してしまって……」
「状況はよく判らないけど、何かが死ぬのなんて嫌だよ。第一、俺の仕事だって生かすための仕事なんだ。むしろ助けたかった」
「本当に……本当に、そのような方が来てくださったのですね……」
何故か熱い視線を向けられるが、まだにこりとも応えられる気分ではなかった。
しばしの黙祷が済むとクロエの先導についていくこととなった。
道中ではドニの発言を何度も翻訳されていたが気もそぞろだ。なぜならこの森で倒れていたのはあの少女だけではなかったからである。
それも、一人や二人ではなかった。見飽きるくらいそこら中にある。
数メートルとない霧の視界でも歩く度に新たな死体に出くわした。
どれもあの少女と同じように首を裂かれて腐葉土に沈んでいる。
「なあ、クロエ。この死体は全部なんなんだ? これも全部あの子と同じなのか?」
「それは、ですね……」
言葉を喉に詰めたようにクロエは口ごもってしまう。
するとドニが振り返ってきた。
恐らくは今まで風見があまり口を開かなかったから何を言ったか気にかかったのだろう。クロエは返答を中断し、彼にいくらか通訳をしていた。
その顔色は優れないままだった。
『これらは飢饉や疫病、そういったもののために領内で罪を冒した者なので仕方のない処分なのですよ』
「飢饉や疫病ってそんなものが流行っているのか?」
「は、はい。街や村の人口の一割や二割程度が毎年それで亡くなっているのは……確かです」
「でもこれは……」
『猊下。お恥ずかしながら我が領は良い状況とは言えません。どのような者であろうと罪を犯すことはあります。しかしそれを甘い処罰にしてはより犯罪を増やしてしまうことになりましょう。厳罰も致し方ないのです。そして、これは同時にその命を無駄に散らさないためのことだったのですよ』
「こんなことになる重罪を、こんなたくさんの人が……?」
風見の常識ではそんなのありえないと思えたのだが、見知らぬこの地ではどうなのか知れない。
答えを求めてクロエを見てみると彼女はどこか後ろめたそうというか、奥歯にものが挟まったような様子で黙っている。
が、ドニの方はといえば気に病んでいる風見を心配するかのように眉を寄せていたのでそういうものなのかと思ってしまった。
確かにフィクションの中でならそういった世界観も見たことがある。
大を生かすために小を殺すという策も決して間違った理論ではない。少なくとも国などの基本概念でも使われている考えだ。
あの少女は痩せ衰えていた。そんな生活苦が祟って人殺しでもしたのかと彼は半ば思い込んだ。
そうでもなければこれだけの人数が狂った行いに手を貸していることになってしまう。そんなのはいくらなんでもありえないだろう。
真偽を見極めるためにもついて行って説明を聞かないわけにはいかない。
だが両手では到底足りない数の死体を見ると心も変わってくる。
それだけの大量処刑を考えると流石に吐き気がしそうだった。
(こんな血生臭い異世界召喚なんて見たこともないぞ……)
これだけ見ると流石にさっき聞いたことは真実なのか? と疑念を抱いてしまう。
死体には十字架を切るように簡易な祈りをもって応えるクロエと、風見を取り巻くばかりで全く目もくれないドニ。
まだまだ彼らがどういう人なのか判断するには材料が少なすぎた。
「……」
あとは無言のまま二人の後を追っていく。
するとすぐに森を抜けた。
そこで待っていたのは金の縁取りと装飾がされた煌びやかな馬車だった。