一周年記念 お昼ご飯をあげました
手錠が掛かって困ること。
それは休憩の姿勢や着替えである。
まず、前者ではずっと手を前に合わせた状態なので肩や腕の筋肉が凝り固まってしまうし、かといって手錠に重さを乗せて休むと手首や前腕に端が食い込んでヒリヒリと痛んでしまう。
後者は言わずもがな。腕が通らないので、胸や腰を帯などで止める肩開きのドレスや水着のように体に巻くタイプでなければ無理であった。
尤も、リズは一日や二日程度は着替えられなくとも別に気にしないのでその点については何の問題もなかった。
しいて言うならば、彼女が最も困った事態は手錠がはまってから数時間後に訪れた。
「えーと、召し上がれ……?」
時はちょうど真昼。
調理はもちろん風見が行ったのだが、出された料理を前にしてリズは料理と彼の顔をじとりと見比べていた。
言わんとするところは判る。彼も料理し、彼女が食卓に座ってからその問題点に気付いた。
が、それでも良い解決方法が見当たらないのでとりあえずは試してみてくれないかと視線で語っている。
互いに無言のままであったが彼女はたっぷりと間を挟んだ後にこくんと頷いた。言葉がなくてもその辺りは通じてくれるらしい。
「……いただきます」
出された食べ物に文句を言うほどリズは厚顔ではない。静かにスプーンを取ると、よく煮込まれたスープを掬おうとした。
けれど手錠をはめられたままでは逆手に握ろうと、準手に握ろうと上手くいかない。
何とか震えを堪えて掬い上げてもスプーンの先を口に運ぶのがなかなか難しいのだ。これは実践してみればよく判る。
首や手首を痛めそうになり、さらには中身が胸に零れたところで彼女は諦めた。
他の焼き物にしても、フォークで口に運ぶのが大変過ぎて全く食べた気がしない。
唯一まともにできるのはコップを取るくらいだが、両手でお上品に飲むのを強要されているようでこれもまた気に入らなかったらしい。
リズは眉間に一つ二つと追加でしわを刻み、訴えかけてくる。
「なあ、シンゴ。これはわざとじゃあるまいね?」
「いや、これでも考えたんだぞ。ご飯類も麺類も大変だろうし……。スープの具材とか焼き物ならフォークとかスプーンで食べられそうと思ったんだけどなぁ」
「それともあれか。お前は口を使って食えと言うのかな。……なるほどね、そうやって身分を判らせるための物か。足にもつけられていたら這い蹲って食わざるを得なかったかもね」
例えばうつぶせ状態で家の柱を股に通し、足枷をつけてしまえばどうだろう。
立つに立てなくなるし、遠くにエサ皿を置かれたなら芋虫のように這って食うしかなくなる。手を拘束するよりよほど屈辱的なはずだ。
本来はそのように使い、調教する物だったのかもしれない。
ただ、口で食べる場合もよくよく考えてみれば厳しいのではなかろうか?
そもそも風見が用意したのは調理したてで湯気が出る料理ばかりだ。その香りは食欲をそそられ、リズとしては文句をつけるつもりなんて毛頭なかった。
けれども直接口でとなると火傷しかねない熱さである。試しに彼女は舌先をつけてみたところ、慌てて引っ込めてもひりりと痛んでしまったくらいだ。盛られた具材の山を崩せばさらに熱い面が出てくるだろう。
そんなところまで見れば手助けしてやらないわけにはいかなかった。リズが我慢して犬食いを始める前に風見は立ち上がる。
「はいはい、判ったよ。じゃあ口まで運んでやったら食べられるよな」
「うん、それならいいね。ならついでに私は熱いのは嫌いだからちゃんと冷ましてから放り込んでもらえると助かるかな」
「……おでんを用意してやるべきだったな。巾着とこんにゃくとか」
もののついでだと面倒事をさりげなく増やしてくれる彼女には少々イラッとしたが、わざとなのだろう。ふふんと鼻で笑っていた。
お犬様が満足そうで何よりである。今度もぜひ、同じシチュエーションでご馳走してあげたいものだ。
「ふぅーん。んむ、肉が美味いね。野菜にもよく味が染みているよ」
スープを掬って丁寧に食べさせてやると彼女は、まったりと咀嚼をして一口一口を楽しんでいた。
普段は安酒と、食えるものさえあるなら困らない。しいて言うなら干し肉でもあれば良しという感じの彼女なのに今日は喉から声を出すくらいであった。
そしてたまにしたり顔ならぬ、したり眼が風見を一瞥する。
他人の困った顔が蜜の味である彼女らしいことだ。「俺も食べたいんだけど……」と声を出した瞬間、「ダメに決まっている」と言うのが楽しみなのだろう。
「シンゴ、次はそこの肉が欲しい」
すかさず次のオーダーを入れてくる辺り、彼女は周到だ。席に戻る間なんて与えない気である。
普段の素振りから言って、このまま彼女の好きにさせていては風見が食べられるのは当分先になってしまうだろう。
風見はこのまま良いように悪戯されるばかりか――?
いや、そんなことはない。
そっちがその気で来るならと彼も仕返しをするつもりでフォークを手に取った。
「お前は本当に肉好きだな。野菜も食べろよ?」
「出されたものは残さずに食べるよ。それが礼儀だからね。だが冷め過ぎたら不味いから早めに食べるんだ」
香ばしく焼けたガーリック。その風味がよく絡まった肉はシンプルに塩味をつけて最後の香りづけとアクセントのために醤油が掛けられたものだ。
焦がし醤油とニンニクの香りは風見もリズもつい唾液が染み出てしまうくらいであり、それを取った瞬間、すでに心理戦は始まっていた。
わざとらしく香りを嗅いで喜ぶ振りをする彼女であったが、唾液腺が刺激されてもう待ちきれなくなったらしい。あんと口を開けて食べに来た。
見事に術中にはまってくれる。
こうして肉の香しさで集中力を乱すのもまた風見の作戦の内だ。
口を開けて待つ彼女に何気ない様子でそっと差し出し――口が閉じる寸前に風見は、肉をくいっと引き戻す。
かちんと歯が鳴った音がした。
「むっ……」
途端、本当に手を出してきたかと敵意が彼女の瞳に浮き上がる。
逃げられた肉に食らいつこうと彼女はさらに牙を剥いてフォークを狙ってくるが、またひらりと。
二度目を躱した時点で彼女は警戒態勢に戻った。
「……おい、シンゴ。何故逃げる……」
「いや、何となく普段の仕返しに。目の前であぐあぐしている姿もかわいいなと思って」
「目の前でエサを吊るして弄ぶなんて趣味の悪いやつめ……」
あんと口を開けてこられても流石にこればかりは風見の反応の方が上だ。こんな状況では勝てないと戦況を把握できているのだろう。
リズはくっと悔しそうに歯噛みしていたが目の前の香りに食欲が負けているのかいつものような気の強さはなかった。
少しふて腐れたように耳を垂らせた彼女は風見の手からフォークをさっと奪い取ると彼の口の前に肉を差し出してくる。
「私ばかりが食べるのが不満というなら言えばいいだろうが。ほら。交互なら何の文句もないだろう」
「え? あー……」
自分の口に運ぶのは大変だが、他人の口に運ぶなら苦労はないのだ。
突然の反撃に彼は戸惑った。
もしや同じことを仕返しに来たのかとも考えたが、彼女のしおらしい耳や尾を見るに、そんな雰囲気ではない気がする。
彼女が反撃を狙っている時は耳や尾がまさに虎視眈々と緊張を孕んでいるものだ。今はどうやっても風見が優勢なので反撃に出るに出れないのだろう。
それに、差し出された肉は今にもソースが垂れそうである。
精神的な言い訳はそれで充分であった。風見はその肉を口で迎えに行き――肩透かしのようだが普通に食べてしまえた。
まず口に広がる香ばしい香りと醤油のソースは肉と絶妙にマッチしている。噛めば噛むほど溢れる肉汁も含め、我ながらよく味付けをしたものだと味を堪能しながら頷いていた。
「うん、美味いな」
「シンゴが作ってくれたからね。ほら、次は私だ」
くるりとフォークの刃先をひっくり返した彼女は風見の手にそれを握らせてくる。
「肉だよ、肉。その次はスープだ」
「俺の分がなくなるんだけど……」
「そこまでは知らんよ。早い者勝ちに決まっている」
早くと催促するようにリズは爪で机を叩いた。
まあ、これくらいは可愛げのあるわがままである。やれやれと息を吐いた風見は口を開けて待つ彼女に自分の分の肉も運んでやるのだった。




