番外編 調査と全裸ファンタジア 前編
がさがさと茂みで動く影があった。
ひょっこりと飛び出ているのは獣の耳であったり、白のローブであったり、虫取り網であったり。
近隣の村人だって狩猟目的で獣道に入るぐらいだが、彼らは完全に茂みに分け入っていた。
無論、そんな物好きは風見とその一行以外にはそうそうないだろう。
彼らは茂みで何かを採集しているところのようだ。
例えばクイナはとある生き物に狙いを定め、四つん這いとなってそろりそろりと近づいていく。
音を立てまいと極限に留意しているのだろう。
右手を出し、指先を付けてからゆっくりと地面に掌をつく。
それで音が立たないのを確認すると体重を移動し、また左手を――。
相手が気付きそうになればぴたりと止まり、すっと手を戻す。
しかし狩猟の瞬間を待ちきれないのか彼女の尾は興奮でゆらゆらと揺れていた。
音はない。動きもない。
そんな一瞬を挟み、獲物の隙を見切った彼女は飛びつく。
「――! 捕まえたぁっ!」
取ったどぉー! と獲物を掲げる。
彼女ががっちりと掴んで離さないのは一匹のヘビである。
一歩遅れてしゃあっと威嚇して口を開けられるものの、首の後ろと尻尾の先を掴んでいるために抵抗も意味はない。
にぃっと勝ち誇ったクイナはそのまますぐ網に入れてしまう。
それを見た風見やリズ、クロエも茂みからがさっと顔を上げた。
「お、クイナは一人だけ三匹目か。偉いなぁ」
ふふんと自慢げに胸をそらしていた彼女の頭を撫でると「えへ……」と照れ笑いをしていた。
が、デレ期はすぐに終了なのか風見に撫でられているという事実を思い出した瞬間、べちりと手をはたき落として逃げてしまった。
今回の記録は三秒である。
以前の寄せ付けない感じよりは進歩した。
「さてさて。数はもう十分だな」
「風見さまぁ……、寄生虫の調査というのは貝や魚だけではなくヘビやカエルも使うのですか……?」
ヘビやカエルのような爬虫類は女の子らしく嫌いなのかクロエは半べそのような状態だった。
白ローブには木の葉やら小枝やらがついていていつもの凛々しさもない。
獲物を集めた網を見るとじんましんを起こしそうになって身を抱く普通の少女になっている。
「牛自体を確かめるだけじゃなく、最低限それくらいは見ないとな。豚だったらもっといろんなものを食べちゃうし、そっから変なものに感染することもあるんだよ」
甲虫、ミミズ、バッタ、貝、蚊、ダニなどなど。
無論、寄生虫卵が糞などから直接感染する例もあるが脊椎動物に寄生虫を媒介するものはかなり多い。
多少感染しているのはこの世界なので仕方ないが、明らかに危険なものだけは減らすように心がけるのは欠かせない。
こういう小物狩りではクイナが大活躍でヘビやカエル、魚を捕まえた数も彼女がトップであった。
尤も、律法を使ったスタンガン状態の手でクマみたいにばっさばっさとやれば当然の結果だろうか。
捕獲数はクイナ、風見、リズ、クロエの順である。
風見がこういった採集などのフィールドワークで異様に活躍するのはいつものこと。
リズの順位が低いのはただ単にやる気がなかったためだ。
彼らが何故こんな風に寄生虫採集などをし始めたのか。
それには諸事情がある。理由を語るには一時間ほど時を前にさかのぼらなければいけない。
□
今回訪れたのは名もない小さな村であった。
農業をやり、十数頭の牛とその倍数くらいの羊などを放牧しつつ何とか自給自足をしている三十人規模の村である。
本来はもう少し大きな村に泊まるのが普通だったのだが、次の村までの道は土砂崩れで塞がっており、大きく迂回をしなければいけなかった。
このまま強行しても日没に間に合わなくなるだろうということでここに泊まることにしたのだ。
「まあ、シンゴも慣れない旅で疲れているだろうしね。急ぐ旅ではないしちょうどいいさ」
と、旅の舵を取るリズも気を遣ってくれたのだろうか。
しかし村人に宿を取らせてくれないかと頼み込んでも「今はそれどころじゃないんだ……」と全員が浮かない顔をして相手にしてくれない。
「なにかあったのかな?」
「さてね。クイナ、情報は?」
「なにも聞いた覚えがないです」
賊を始めとした危険などの情報はクイナが多少集めてきてくれていたのだがそれには引っかからなかったらしい。
悲嘆にくれた人が助けを求めている。
そんな現状にはクロエの正義センサーがびびっとしっかり反応し、「お困りのことがあるならお話しください!」といつものごとく胸を叩いたのだった。
ちなみに旅路に疲れていた風見達はそれを止めるのが遅れてしまった。
グール事件のように面倒事しかない気がするのだが、言ってしまったものはもうしょうがない。それに合わせる形で話を進める。
「ええと、とりあえず俺達でよければ協力しますから一晩の宿をお願いできませんか?」
放っておけば、ここにおわす方はかの有名な――! と水戸黄門の紹介をしそうなクロエの口を後ろから塞ぎ、風見が代わりに問いかけてみる。
一方、口を塞がれているクロエはといえば彼が人助けをしようとしている事実だけで幸せそうだった。
抱きすくめられるままに任せ、彼女は風見の手に自分の両手を重ねてじっとしている。
「旅人さんじゃどうしようもねえことだよ……」
「こう見えても俺は医者ですし、クロエはハドリアの白服です。それにこんな見かけですが魔物とも戦えるメンバーですから話だけでも聞かせてください」
「お、お医者様だか……!」
村人はそれを聞くと目を見張り、打って変わって話を始めた。
どうやらこの村は存続の危機に瀕していたようだ。
大蛇に村娘を差し出せと脅されたとか、近くに凶暴な一団が住み着いて村から略奪していく……なんてファンタジーの王道があったわけではないらしい。
この村を襲った危機の原因は――
「なぜか牛が急に倒れていくんだぁ……。それに、はぐれのハーピーが放している家畜を追い回すから家畜が崖から落ちたり、こけたりしてもっと死んじまう二重苦だ。このままじゃあ、おら達は……」
とのこと。
すぐに生活に響くわけではないが細々と生活している彼らにとって家畜に急死されるのは緩やかな破滅につながる事態らしい。
牛は病気で半数近くになってしまったし、羊や豚くらいの家畜ならハーピーに追いかけられたり、さらわれたりして十数匹がいなくなってしまったそうだ。
余談だが、牛などの大きな家畜も意外と臆病だ。
サシバエやアブなどに刺された経験があるとその虫を見ただけで暴れることもあり、それが逃げる途中で崖から落ちたり、パニックを起こして追突して死んでしまう図を描いた絵まで存在するくらいだ。
ハーピーなんて人間サイズの鳥に襲われたら死亡事故が出るのもおかしくはない。
だが、これならまさにうってつけな話だった。
なにせ風見はその専門家である。
「ふーむ、ハーピーはともかく急死した牛は畜舎で飼ってるんですか? それとも放牧ですか?」
「ほ、放牧だけんども」
「なるほど、やっぱり放牧か」
放牧で、しかも急に症状が現れるなんてキーワードの症状は風見にも思い当たる節があった。
いろいろと地球との共通点の多いこちらだからあってもおかしくない病気だと思いつつ、彼はその病畜を見せてもらうことにした。
するとその牛には血を吸ったダニがいくらかついており、目の血管を見れば貧血気味であることもすぐに判った。
まだそれほど酷い症状ではないので適切な対症療法をすれば持ち直してくれる範囲だろうと風見は認め、励ますように牛の背を撫でた。
不安そうに見守っていた村人にも、
「新鮮な柔らかい葉っぱと、穀物のような良い栄養をあげてストレスをかけないように安静にしてあげてください。貧血の対策です。こいつはダニを取って畜舎で安静にさせれば一、二週間で立ち直りますよ」
と、安心を呼びかけておいた。
そうして風見が診断を終えるとどんな病気なのか気になったクロエがたずねてくる。
彼女は彼の助手として一挙手一投足から知識を吸収している最中だった。
「ああ、これか。放牧なんかの業界だと結構有名だし、そっくりな病気は人にもあるやつなんだよ。マラリアって聞き覚えはあるよな?」
ダニ・貧血・放牧。このキーワードで有名な病気がある。
「それに近いものでピロプラズマ症ってやつだと思う。犬や猫が俺の世界と共通なようにある程度の病気も共通なんだろうな」
「それはどのようなものですか?」
「マラリアは蚊が媒介する病気だけどこっちはダニが媒介する寄生虫の病気で、その寄生虫は赤血球に感染するんだ」
「ああ、なるほど。だから放牧と貧血なのですね?」
クロエには高校生物と簡単な病気の話をちょくちょく聞かせていたのでもう現代の高校生レベルの知識は揃えてしまったようだ。
その辺りは白服のエースであり、多言語も操る天才少女の才気であろうか。
今だって一を聞いたら十を理解したようである。
「多分クロエの想像通りだ。放牧すると外でダニに引っ付かれる。んで、吸血される。すると吸血に合わせてダニの中にいる寄生虫が牛に感染してしまう。そいつは赤血球で増える原虫っていう単細胞の寄生虫でな、増えたら赤血球を壊して血中に放出されてまた新しい赤血球に取り付いて増え、また壊して……って連鎖だ。ウイルスみたいな無性生殖をするから倍々式どころか十倍、三十倍式だな。だから重症化すると貧血になったり、黄疸って病気になったりするんだ」
黄疸というのは赤血球の残骸を処理しきれないとかかってしまうものなのでこのような赤血球が壊れる症状や肝臓の病気とよく一緒に起こる。
どんなものかというと皮膚や目が黄色くなってしまう病気だ。
症状としては全身の倦怠感や疲労感、皮膚のかゆみの症状、感冒様症状などあまり酷いものはない。
これはもっと大きな病気からの二次災害的なものである。
病気というより、これがあるなら赤血球の大量破壊や、その処理をする肝臓の障害を疑いましょうという一連の症状とでも言うべきものだ。
マラリアというのはこのピロプラズマと似ていて、乱暴に言ってしまうと蚊が媒介するかダニが媒介するかの違いくらいなものである。
赤血球に感染する原虫が原因という点では一緒だ。
「俺の世界なら特効薬もあったんだけど流石にそれを用意する時間はない。まあ、元はキナっていう木の樹皮から作られるキニーネって薬で似た種類のマラリアも退治したし、そのうち作れるだろう。だから今できるのは原因の根絶と、他のヤバいものがいないかの調査だ。あとは今言った対症療法で何とか回復できるはずだから心配ない」
「原因の根絶ってそのようなことができるのですか? 無数にいるダニが原因なのですよね?」
虫の根絶ほど難しいものはない。
クロエもそのことを思っているようだが風見はその対処法も知っているらしく余裕が窺える顔だった。
「方法はいくつかある。あいつらは寿命が短いから五年くらい放牧をしないでダニを根絶する方法と、牧草地を焼き畑にする方法だ。焼き畑って地力を下げるマイナスイメージが強いけどその土地の病害虫、病原菌を殺せるって点ではいい対処法なんだよ。毎年やるなら放牧にちょうどいい草しか生えなくなるしな。ただ、牧草地を焼くならどっちにしろハーピーも何とかしないと」
前者の休牧させてダニをなくす方法は単にダニのエサをなくして餓死させようという手段だ。
ただしこの方法は野生動物がたくさんいると効果があまりないので使えない。
それにずっと畜舎飼いにすると施設も新たに作らないといけないし、村人にいろいろな負担がかかるので望みにくい。
この場所で現実的なのは後者の焼き畑の方だろう。
これならば従来の放牧地を焼いて回るだけだ。いくらか牧草地を広げる必要があるだろうがそうすれば病気は大幅に減るのだから十分に有益だろう。
シンプルながらも理にかなった方法にクロエや村人も感心しながらこくこくと頷いていた。
「とりあえず牛自身とその辺の寄生虫の生息状況について調べてこよう。その後はハーピーの捕獲だな」
「なるほど。シンゴの通常営業というわけか」
「そうなるな」
結局またそういう仕事かとリズはもはや諦めがかった態度である。
クイナもいかにも面倒くさそうな顔だ。
しかしクロエの方はといえば人助けの任務ということでやる気は上場そうであった。
「ところでハーピーってどんなもんなんだ?」
ミノタウロスや人魚を始め、半人半獣の生物という以外にあまり知らない風見はクロエに問いかける。
もし律法なども扱うなら伝説のままだけではないだろう。
「顔から胸までが人間の女性で、翼と下半身が鳥の魔物ですね。人語は解しませんし、基本的に有害です。飛行には高所からの滑空が主で、飛び上がる時や攻撃時には風属性の律法を用います。寒がりなので本来は冬が近づくともっと南の国へ飛んでいくはずなので何かしらがあってはぐれているのだと思います」
「ということはそれをどうにかしてやればいいんだな」
大方、怪我をして飛び立てなくなったから仕方なくここで生き延びようとし、ちょうどいい獲物がここの家畜だったということなのだろう。
ここも俺の出番だなと風見は気張る。
そんな彼をリズはにやりと見つめた。
「今晩は鳥料理だね?」
「勝手に殺すな。捕まえて、逃がせるなら逃がす。それができない時の最終手段だぞ、それは」
「はいはい判ったよ。しかし、ハーピーは風属性の律法も扱う。強さ的には中級一歩手前というところか。私達ではどうやっても全力でぶん殴って気絶させるしかないんだ。生け捕りなら多少苦労するから心しておけ」
「判ってる。猛獣の生け捕りは麻酔銃でもなきゃ大変な作業だもんな」
しかしここには麻酔銃として使えるような筋注射でも効く麻酔薬はない。
というか注射器もないのだから本当に力技しか頼れなくなる。
これからも旅をする以上は怪我をするわけにいかないのであまり生け捕りにこだわって危険を冒すわけにはいかなかった。
「ま、そこは俺が知恵を働かせるよ。今ならクイナの電気だってあるしな」
「……なれなれしい」
また手を伸ばしてみるとクイナは警戒しており、避けられてしまった。
その警戒加減といい、身を低くしているところといい、なんだか塁からリードを行っている野球選手のように見える。
「仲良くなれるのはいつなんだろうなぁ……」
子を持った父のようにほろりときながら風見は仲良くなれる未来を信じる。
今はただの反抗期なだけなのだ。
「ところでハーピーはどこにいるのか教えてもらっていいですか?」
気を取り直し、風見は村人に問いかける。
「この周囲なら多分薬草の丘周辺だ。その辺りの大きな木のうろに住み着いてるだ」
「ほほう、薬草? そりゃあ俺としては興味があるけどどんなものがあるんですか?」
「いろいろだ。痛み止めや腹痛に効く薬草なんかもよく取りに行くし、熱冷ましやなんかに効くやつもある」
「あ、思い出しました! 確かにこの周辺ではよく薬草が取れる場所というのが文献であった気がします」
「そうなのか?」
そんな問いに、クロエはいつものごとく「はいっ」と快活に返事をする。
「それとですね、実はその丘には珍しい薬草があるんです」
「へえ、それは何に使うものなんだ?」
「ふぇ!? あ、えーと、それは、び、びやっ……、」
「びや?」
「い、いろいろですっ! それよりもそこにあるのはですね、あの有名な――」
クロエは中途半端にはぐらかし、用途はともかくその薬草について語ろうとするのであった。




