メイドさんとの会話は重要です
リズやグレンなど隷属騎士の面々は装備が兵舎にあるために別れ、風見とクロエは城へと向かった。
その途中、風見は仕事に精を出す庭師などに「おはよー」と気さくに声をかけながら玄関をくぐる。
「あら。お帰りなさいませ、風見様。今回はどこへお出かけになっておられたのでしょう? また湖の周りで動物探しでございますか?」
「ただいま。今回はちょっと街で言葉の練習がてら、俺にもできる仕事を探したりしてきたかな。しかしまあ、こっちの世界ってやっぱりいろいろと違うよ」
まず出迎えてくれたのは複数人のメイドさんだった。
彼女らは風見の姿を認めると足早に列を整え、一糸乱れぬ装いで完璧な従者っぷりを見せてくれる。
出会った当初は避けられがちだったが最近では彼女らからこうやって集まってくれるようになった。
これもめげずに話しかけ続けた成果だろう。
前と違って打ち解けた世間話もできるようになり、風見が苦笑しながら言うとくすくすと上品に笑ってくれる。
「何か朗報はございましたか?」
「グールが街に出たとかでてんてこ舞いだったんだけど感染源も特定できそうだから対策の準備に戻ってきたんだ」
「さようでございますか。しかしひとまずは湯浴みとお召し替えから始めましょう」
「……そんなにくさい?」
「はい。大変酷い臭いにございますよ」
……この通り、すっかり打ち解けた。
メイドの素直な意見に苦い顔をした風見はくんくんと自分の服を嗅ぎ直したが、もう鼻が慣れてしまったのでよく判らない。
クロエも自分の臭いを確かめたが、風見と同じで困った顔をしていた。
猊下だの神官だのと呼ばれるセットでも漂わせているのは死臭やスラムの臭いばかり。
これを野放しにしては下で支えるメイドとしての沽券に関わるようだ。メイドの何人かが浴室へと小走りで駆けていった。
「風見様はこちらへ。クロエ様もその後で湯浴みを――」
「ああ、待った待った。まだ用事があって行かなきゃならないんだ。また汚れそうだから湯浴みはなしで着替えだけ頼む」
「さようでございすか。では何にお召し替えしましょう?」
「俺の服も預けていたよな。白衣じゃなくてもう一個の方で」
「……あれでございますか。クロエ様は同じ神官服でよろしいですか?」
「はい、お願いします」
含むところでもあるのかメイド達は揃って妙な顔をする。
その理由がクロエには見えなかったのだが、風見はまた苦笑で紛らわせるとざっと辺りを見回した。
「それにしても今日はやけに担当人数が多いんだな。ドニさんが何かしてるのか?」
「いえ、ドニ様はご公務で出払われておいでです。ただ、」
そこで言葉を切ったメイドはつつと寄ってくると「昨夕から弟君のセルゲイ様が滞在していらっしゃるのですよ」と口添えをしてきた。
ドニの弟といえばこの領地を巡って争っている張本人だ。
普段は帝都の方にいるとか聞いていたはずなのだが、どうやらわざわざ足を運んできたらしい。
しかしこんなところまで何用で訪れたのだろうか? 風見は首を捻る。
「表向きは猊下とご対面し、その様子を皇帝に伝えるためだそうでございます。しかし本当はドニ様に面倒事をふっかけにきただけのようで、今回のご公務もそれが原因。しかもここでは好きなように食い散らかすわ、メイドに手をつけるわ……。風見様、こういう時こそ客人を封殺して欲しかったと部屋に連れ込まれた娘が嘆いておりましたよ」
「うわ、ごめん。そんな接待も強要させられるのか……メイドって大変なんだな」
メイドらしからぬしかめっ面である。
風見は同情半分、ねぎらい半分の顔を向けていたが――その隣でクロエはつーんと唇を尖らせていた。
その鋭い目は風見とメイドの距離を睨み据えており、近すぎますと無言の抗議を立てているかのようだ。
尤も、この抗議が静かすぎて誰も気付いていないようだったが。
「大変でございますとも。メイドはただ単に見て華なだけではないのです。綺麗に見せるのも、相手を喜ばせるのも、そしてつまれるのも、わたくしどもの仕事。相手が人だろうが豚だろうがゴブリンだろうが、客人であれば変わらず敬意を払わなければならないのです。表面上は。……ですがまあ、こんな風にただ汚される役は御免被りたいですね。玉の輿のための接待ならばまだしもと思えます」
サービス業は日頃から鬱憤がたまるのか一度喋り出すと彼女らは饒舌で、仕事に疲れ切ったOLのような顔もちらほらと見せる。
しかも彼女らは息ぴったりに集団で同じ顔をするのがとても面白い。
徹底したマニュアル教育のたまものというか、弊害みたいなものなのだろうか。
そんなメイド達の一芸は、はぁと大きなため息で区切られる。
どうやら愚痴終了の合図だったようだ。
彼女らでも怖いものはあるのか、きょろきょろと周囲を見回すと最後に念を押すように一段と密着してささやいてきた。
「……さて。風見様、どうぞこのことはメイド長にはご内密に。ええ、わたくしどもは年配の彼女の血管を慮って本心は伝えずにいた方が良いと思うのです。深い深いしわに隠れたあの青筋は下手に怒らせるとそのうちぶちりといくと思うのです。というか聞かれたらわたくしどもはメイドのなんたるかをぐちぐちと言われつつもシバキ倒されてしまいます。なのでくれぐれもご内密にっ……!」
「……大丈夫、俺は何も言わない。言ったらすごく恨まれそうだし」
「あなた様がそういう配慮のある方でわたくしどもは嬉しいです。いずれ地位を築かれても末永くよろしくお願いします」
「あ、ああ……」
メイド、家政婦、お茶汲みのOLは大事にしなければダメだ。
裏切ったら最後、翌日の紅茶には雑巾の搾り汁や毒がひっそりと入りかねない。
ふふふと揃って黒い顔をする彼女らには逆らわずにいた方が賢明だ。
変なことはせず、このまま味方でいてもらうに限る。
「ところでそのセルゲイさんは今どこに?」
「遅い朝食をお召し上がりになっている最中です。風見様もお召し上がりになりますか?」
「んー、ちょっと無理かな。戻る途中で食べたいからパンを用意してくれたら助かる。俺とクロエとリズと……みんなで十三人分は用意できないかな?」
「かしこまりました。ご出立の際にお渡しできるよう、準備しておきましょう」
ぺこりとお辞儀する彼女と別れ、風見は食堂へと向かった。
警備のためにドアの前に立っていた騎士にはまた「ぬわっ」と鼻を押さえられたものの、もうへこまない。
ドアをノックし、「失礼します」と入室した。
そこにいたのは痩せ身の男だった。
朝っぱらからブドウ酒を煽っているらしく赤ら顔で、目はまだ眠っているかのようだ。
しかしながらそれでも目には野心が染み付いたような印象がある。そんなところはドニそっくりですぐに兄弟だと判った。
「はじめまして、風見心悟です。あなたがドニの弟さんのセルゲイさんですか?」
「……なんだ、騎士が入ってきたかと思えば話に聞く猊下でしたか。ええ、その通り。私がセルゲイですよ。しかしまあ、猊下がそのような下賤な格好をされては私も間違えて――うむ? 妙な臭いがするような」
「あー、すいません。昨晩からグールがどうのこうのと立て込んでしまって現場から直行で来たばかりなんです」
ところどころが鼻につくような物言いが彼の特徴なのだろうか。
それが原因でドニと口喧嘩をする様がありありと想像できてしまう。恐らく、幼少の時から仲が悪かったのだろう。
兄弟なら仲良くすればいいのに、不仲程度で領地を傾かせるなんてはた迷惑な話だ。権力などに興味のない風見には理解できない世界である。
ともあれ、今は彼に付き合う用事もない。
風見は適当に受け流すようにはっはっはと笑い飛ばし、あいさつ程度で去ろうかと考えていた。
「おほん。なんでも貴方は医学を修められた方だとか。その力でグールを元に戻そうとお考えなのですか?」
「伝説になるくらいだったらそれくらいできても良かったんでしょうけど、どうも俺にはそこまでは無理だったようで。俺に何とかできたのは原因の究明ぐらいですよ」
「そんな! 風見様は十分過ぎるほど結果を出されていると思いますっ」
これからまた残業ですと底辺サラリーマンのように頭を掻く風見。
けれどクロエはそれを謙遜だと言いたいらしく、力強い弁護をしていた。
と、そんな時。
クロエに驚いて食事を詰まらせたのかセルゲイは「ぐっ――げほっげほっ!」と大きくむせていた。
「し、失礼。あのグール相手に、しかも一夜程度でそのようなことを言われるとは思いにも寄りませんでしたもので。どのようなことがお判りになったのでしょう?」
少々前にはクロエが困惑したようにグールは感染源を特定できないものとして有名だからだろうか。
セルゲイは信じられない様子で口元やら額やらをナプキンで拭きながら問いかけてきた。
「すいません、まだ途中で切り上げたもんで原因を捕まえてないんですよ。なのでもう少し後ということで。今晩辺りまでには片付けますからその時にでも」
その辺りで「では、」とお辞儀をした風見は着替えをするために部屋へ向かった。
無論、クロエとも別室で着替えるので途中で別れる。
そんな風見を部屋で待っていたのは頼んでいた服を持ったメイドだった。玄関で出迎えてくれたのとは違う娘である。
その娘の表情は営業スマイル――ではなく、お怒りのスマイルをしている時点で大体のことは察せられた。
彼女らメイドはスマイルだけで様々な感情表現をする。
「普段厄介になっているのに何もできなくて申し訳ない。次の機会があったらその時は……」
「ええ、判っております。あなた様はそういうお優しいお方。そしてあれはわたくしどもの仕事。わたくしが何か言うのは甘えでございますし、文句を言うのもお門違いでございますし、あなた様の重荷になるだけでしょうから何も言いません。何も言いませんとも」
と、言いつつも笑顔が怖いのはそのままだ。
こういう時、「そっか、安心した!」なんて言うほど風見は愚かではない。何か埋め合わせはするよと誠意を示しておく。
「ならば一つ申し上げさせてもらいます。風見様が何か調べているのは判りますが、あまりスライムを増やさないでくださいましね! 風見様は大丈夫でもわたくしどもは庭の手入れの途中で粘液を飛ばされるのですっ」
「でも執事の人には歓迎されてる現実って二律背反だよな」
以前、メイド達が粘液にやられる様を執事と共に、拳をぐっ! としつつ見た覚えがある風見としてはどうしたものかと思う。
夏や冬の薄い本にしかなかったファンタジーの定番がここでは現実なのだ。男の立場からするとなくすのは惜しい。
あと、観察対象が多いに越したことがないので減らすと効率が悪くなるのも確かだ。
「判りました。ならばこの服もスライムの粘液にてぬるぬるのべちゃべちゃにしてきますのでしばしお待ちを……。風見様もローションまみれの気持ちをとくと味わいやがるのはいかがでしょう。下着まで透け透けになればよろしいかと!」
「ちょ!? わ、判った! やめるっ、三匹までにするから止まって。俺がぬるぬるになっても需要なんてないから!」
「大丈夫でございます。風見様が平然としているなら誰も何も言いません」
「俺はどれだけ変人と認知されているんだっ! ちゃんと減らしますから……!」
つかつかと去ってしまいそうだった彼女の肩を慌てて掴み止めた。
振り向いた顔にあったのはまだ怒りのスマイルなのでもうおふざけはやめておいた方がいい。
絶対ですよ? と目で確認するメイドにこくこくと頷いて返し、雲行きがまた怪しくなる前に話を変えてしまう。
「え、えーと。そうっ、ところでさ、ドニさんの弟のセルゲイさんはどんな人? そんな風にしてるってことはやっぱり良い人ではない?」
「もちろんですとも! もう、あの方はねちねちねちねちとっ! 他人が嫌がる顔が好きな捻じ曲がった性格なのか――」
きぃーっ! と声を上げそうなくらいにストレスが溜まってそうな彼女にはやはりしばしのガス抜きが必要らしい。
風見はうんうんと時折、相槌を打ちつつ彼女の話に付き合うのだった。
彼が着替えを始めたのはクロエが呼びに来てからの話である。




