感染源に向かう準備をします
リズ達に走ってもらってから一時間ばかりが経過した。
その間、風見は顕微鏡で緻密に検査し、間違いや見逃しがないように最終確認を行っていた。
他の者といえば手持無沙汰そうに立ったり座ったりを繰り返し、方々に散っていた騎士が揃ってくるとようやく終わりの気配が差してきた。
「そろそろいいかな。そんじゃここは自警団に任せるとして、昼までに装備を整えてあっちに向かおうか」
「まったく一日仕事か、面倒くさい」
「リズは時計がないのに時間が判るのか?」
「朝と昼の中間だろう? 見れば判るよ」
とのことらしい。
どうして判るのかといえば陽の傾きと空気の感じ、腹時計の総合だそうだ。
時計がない時代というのはそんなものなのだろうか。
ちなみに風見の腕時計は地球とこちらでは時差があるのか、変な時間を差していた。
恐らくこの世界は一日二十四時間以上あるのだろう。
「で、そっちは終わったのか?」
「簡単なものだったよ。うちは亜人も混成だから耳や鼻の良いのを使えばあっという間だった」
普段はもっと難易度が高い仕事なのかリズは屁でもない様子だ。
続いて彼女はこちらの首尾も問いかけようとしていたが、顕微鏡なども綺麗に片づいたこの状況。
問わずとも見ればすぐに理解したようだった。
「この通り終わったよ。ここは引き払って今度は感染源の方だ」
「ふむ、なら感染疑いはどうする。殺すかな?」
「だーかーらー、物騒はやめろと言うに」
悪戯っ子のような顔でサーベルに手をかけるリズをたしなめる。
もしや彼女は仔犬のように構って欲しくてわざと悪さをしているのではなかろうか。
真相は判らない。おどけて手を上げた彼女には何も見えなかった。
「もし感染が疑われたとしても俺が前に捕まった自警団の拘置所とかで経過観察してもらうだけだ。窮屈かもしれないけど問答無用で殺されるよりはいいだろうし、我慢してもらおう。……てことでそこの三人?」
視線を送れば感染疑いの三人は嫌がる素振りもなく頷いていた。
どれだけむごく殺されるかばかり考えていた彼らには拘置所入りだけでも十分過ぎる温情だったのだろう。
「傷はクロエが治してくれたし問題ないよな? とりあえず十日程度は不調がないか自警団なんかに監視してもらうけどそれが終わればいつもの生活に戻って大丈夫だ。ただ、もし腕とか傷があった場所が腫れたり、風邪みたいな反応が起こったら覚悟してもらう必要がある」
「いいさ、十分だよ。騎士さん」
「でも、そうなる確率はかなり低いと思う。もし不調があるようだったら連絡してくれ。何とか頑張るから」
もう覚悟しきった様子で揺れることはなかった。
それに敬意を表すように風見もまた精一杯の努力を誓う。
本来なら傷口に細菌が入って炎症を起こす場合なども疑われたが、十分に殺菌が施されて傷も完治した今の状態ではその可能性はほぼない。
これで腫れたりすればそれは寄生虫に免疫が反応しているということだ。
その時は本当に腕を切り落としたり、何らかの薬を考えるなりしなければならないだろう。
「さて、次はそっちだな」
「は……?」
「俺は一番感染の可能性が高いのはあんた達の方だと思うんだ」
そう言われたのは野次馬達だった。
しかし、そんなことがあるはずないとありえない単語を耳にした彼らには火がついた。
わっと騒ぎ出し、どういうことかと一斉に詰め寄ろうとする。
「リズ、」
「はいはい。皆、構え」
が、風見はそれを許さない。
リズが呼びかけると騎士が一斉に武器を抜いて野次馬を取り囲んだ。
前以って打ち合わせをしていたかのような手際である。
「その人達を逃がさないでくれ。一応、誰も直接触れないように注意してくれよ」
「ど、どうしてだ!? 俺達は噛まれてもいないのに何でっ!?」
自分達は全く危険がないと高を括って他人ばかりを責めていた人間というのは、いざ我が身に矛先が向いてくると見苦しい。
学がなかったからと言えばそれまでだろうが、今までが疑わしきは罰せよと褒められた態度ではなかっただけに風見も呆れ交じりに応える。
もし、同情や理解しようとする努力をしてくれていたなら話は少し違っていただろう。
「あんた達もあの寄生虫は見たよな。念入りに調べてみたけど、やっぱりあれは筋肉や脳にしかいない。口や爪には一匹もいなかった。だからグール化の元凶がいない口で噛まれたり、引っ掻かれたりしても感染のしようがないんだよ。それがこの人達を見逃す理由だ」
いくらなんでもこれくらいは理解できたらしい。
異論はないだろう? と一人一人に確かめるように視線を送れば、彼らは反論を口に詰まらせてもごもごしていた。
今までの経験からいって理由のない抗議は手痛いしっぺ返しがあると学んだようだ。
何も言葉がないのを確かめた風見はそのまま続ける。
「だからさ、そもそも噛まれた人が感染するって前提は間違っていたんだと思う。今言った通り、寄生虫は脳と筋肉にしかいなかった。て、ことは今この場で誰が一番感染確率が高いと思う?」
風見の目は野次馬へと向いていた。
より詳しく言うならば野次馬の手にある、血濡れた農具を見ている。
あれが何を行った凶器なのか判らない者はいないだろう。
「それは多分、相手がグールだからって念入りに殺そうとして血肉や脳漿を被った人なんだろうな。そうやって人から人に感染するのがグールなんだと思う」
「わ、わけが判らない説明ばかりしないでくれっ! だ、第一、そんな小さいものにどうこうされるわけないじゃないか!?」
かなり噛み砕いて説明したつもりだったが、やはり微生物を知らない人々には急に理解しろと言っても難しいのだろうか。
もしくは何が何でも否定したいだけなのか。
風見はただただ冷静に事実だけを重ねていく。
「あれは確かに小さいな。一匹程度じゃ流石に害はないと思う。けど、何千何万って数えきれない数がいるんだったら話は別だろ? 虫一匹に刺されてもどうってことはないけど、百匹に刺されたらって考えればなんとなくでも判らないか? ハチ相手だったら死んじゃうって」
「それは……」
「それに経過を見るだけって言っただろ。幸い、皆でグールをひき肉にしたわけじゃない。頭を強打して頭蓋骨を陥没させただけだ。誰か血とか肉片とかを頭から浴びましたとか、口や目に入りましたって人はいるか? いないんだったらグールを攻撃した武器だけは燃やして処分すればほぼ大丈夫だ。安全のために経過は確かめるけど、俺は誰かを殺したくてここに来たわけじゃない」
そうして、「大丈夫、安心してくれ」と最後に続けた言葉が決め手となり、野次馬達は手に持っていた農具を地面に置いて静かになった。
あとは隷属騎士の一部にこの農具とヨーゼフをまとめて焼却してもらい、自警団に引き渡す手筈となった。
風見が何をどうするべきなのか的確に指示すると多くが大人しく従ってくれる。
たまにどうして、何故? と問いかけられても先程までと同じように彼が噛み砕いた説明をすれば最後には納得してテキパキと事が進んだ。
領主や上位の騎士など、権力のある一部の考えを押し付けられるばかりだった人々もこれには大きな理解を示してくれたようなのだ。
言葉を覚えていなかったらこうはいかなかっただろう。彼にも通じ合える部分があって助かった。
□
こうして、グール化した人を巡る騒ぎだけは収束する。
この騒ぎでは風見達が先日から酒場を回っていたこともあり、解決に導いたのは神官と騎士達だという話がハイドラ中へと瞬く間に広がった。
曰く、『黒髪黒瞳の妙な騎士と神官が誰にも被害を出さずにグールを退治した』とかいうものが主流だ。
ヨーゼフや怪我をした人がいる時点で被害はあるのだが、そこは脚色とグールはもう魔物という認識のせいらしい。
それにこの話で一番重要なのは”騎士が解決に導いた”という点だ。
騎士というものは本来、領主の命に従う戦争の駒に過ぎない。
下手に権力や特権を持っているから街道では盗賊騎士と呼ばれる追い剥ぎじみた者までいるのだからこんな正義の騎士は異例中の異例だった。
噂があっという間に広まったのもそれが一因である。
まさか、まさかと疑う人は多かったが、たまに当事者が居合わせた時には真実を事細かに語っていく。
あれはどうにも変な黒髪黒瞳の男だった、グールも恐れず切って開いて原因を調べ上げた解剖屋だった、と。
嘘にしては出来過ぎた話に、一人二人と信用する人は増えていったようだ。
ただ、そんな市民のひそひそ話から一歩離れたところを歩く風見は事情を知る由もない。
むしろ周囲から変に集まってくる視線の数々に何か悪いことをしてしまったのかと小さくなっていた。
市民からすると、『あれって噂の黒いのじゃね?』というところなのだが。
「俺達、何かしたかな?」
「大方、昨日の酒場巡りで危険視されているんだろう? しかも今度は騎士を大勢連れているしね」
「あー、確かに……」
「そ、そんなっ! 風見様は悪事なんてしていません。無実です!」
こんな扱いは嫌ですとリズに訂正を求めるクロエだったが、お門違いだ。
そんなことをしたって周囲からの目が変わるわけではない。
結局のところ、この抗議はクロエがリズを揺さぶっただけで終わってしまった。
周囲から刺さる視線でくすぶるのか、クロエはまだ居心地が悪そうにしている。
けれどスラムから城までの道は長い。
風見はこの間にクロエが耐えかねて爆発しないのを祈るばかりだった。
「風見様。あの時、リズ達には一体何を探させていたのですか? 風見様はいいことをしたはずですよね……?」
「うーん、いいことかどうかはまだ判らないけどリズ達には感染源と、そこで使う道具を探してもらってた」
「ダンジョンや建材屋と言っていたものですか?」
「そうそう。ヨーゼフがグール化してしまった原因になった場所には粗方見当がついていたし、感染源への対策には道具が必須だから」
「……ということはやはり、ヒュドラがいたとされる場所のことですよね?」
あまり自信がないように言うクロエだったがご明察である。風見は「正解」と彼女に返した。
が、やはり彼女はどうしても納得いかないらしい。
「風見様、私が知る限りではヒュドラは百年以上も前に死んだはずです。確かこの街近くの地下洞窟にいたヒュドラは数々の英傑でも歯が立たず、財を成していたドニ様の先祖が洞窟を油と火で満たすことで討伐したとか……。そのヒュドラの毒が今さらグールを作るのでしょうか?」
「俺もそこがまだよく判らないんだよな」
「いや、私達にしてみれば死霊術士がいると言われるよりも説得力があるよ」
口を差し挟んだのはリズだ。
彼女が「なあ?」と同意を求めるとグレンや、追従している隷属騎士が頷く。
「ワシらは日頃からこの街への攻撃には目を光らせておりますからな。その何重にも張った網を越えてきた者が犯人と言われるというより、元からここにあったものが原因と言われる方がしっくりくるのです」
「そもそも毒竜の血や毒、死霊術士なんて入手ルートが限られているからただの間者よりは見つけやすいはずだよ」
「そうでしたか。あなた達がそういうのなら確かなのかもしれません。失念していました」
ぺこりと律儀に頭を下げるクロエにグレンはいえいえとかしこまる。
「それに、ヒュドラだったとしたらヨーゼフが手に入れた刀剣のこともそこで説明が付くんだよな。……けど、そもそもヒュドラって炎で倒せるものなのか? 仮にも竜なら炎に耐性があると思うんだ」
「いえ、いくらかは効いたようです。ですが火矢や松明程度は意味をなさなかったと聞きます。他にもまともな剣ではほぼ刃が通らず、折れた剣が洞窟の道を塞ぐほどになったとも言われています」
「なるほど……」
ヒュドラを倒したという話までは聞いていたがこの話まで聞いたことがなかった風見はしばし考えを巡らせた。
彼が考えたところでは寄生虫が生きていた理由には二通りほどある。
一つはただ単に地下洞窟内で寄生虫の卵だけは生きていること。
風で飛んだ寄生虫の卵が口に入り、それが体内で成長するというパターンもあるのだ。ヨーゼフがこれで感染したなら、マスクをしていてもあまり洞窟内には入らない方がいい。
が、ドニの先祖が倒したということで少なくとも百年は前の話だ。
いくらなんでも当時の卵がそのまま感染力を残して存在しているとは考えにくい。
二つは洞窟内の生物が寄生虫と共に生きていること。
つまりはネズミやコウモリなどでグールが感染し、生活環ができ上がってしまっている場合。
こちらは襲われても大丈夫な装備をしておけば大丈夫だろう。臓物を飛び散らせて倒しさえしなければ問題ない。
恐らくこの可能性が一番高いはずだ。
これら二つを説明してみるとクロエはどちらも嫌そうな顔をしていた。
「いいや、もう一つ可能性があるよ」
そんな時、リズは意地悪な表情をしてきた。またクロエをからかう気かと思いきや、彼女はこう言った。
「ヒュドラがまだ生きている場合」
……絶対にあって欲しくないパターンである。
一般人にどう対処せよと? と言いたいのか、今度は風見が露骨に嫌な表情を見せた。
しかしその反面、クロエの表情が急に輝き出した。
彼女が言わんとするところは風見にも何となく判ってしまう。いつもの病気だ。
きらきらと輝く瞳が向けられるのがその証拠である。
「言っとくけど、俺は一般人だからな。伝説のドラゴンスレイヤーとかとは違うんだぞ?」
「はい、承知しております。“今はまだ”、そうですよね!」
「……クロエ、今度よーく話し合おう。きっとまだ誤解がいっぱいあると思うんだ……」
つまり彼女は風見にヒュドラを討伐する英雄譚を期待しているのだ。
無茶振りありがとう。
変な不安が過ぎる彼は、とりあえず準備だけでも万全にしようと城に向かう足を速めるのであった。




