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獣医さんのお仕事 in 異世界  作者: 蒼空チョコ
異世界召喚編
29/62

正体を見極めてみようと思う 中編

 



 病死などをした検体を見る時、頼りにする学問が二つある。

 それは組織学と病理学だ。

 


 組織学は肉眼的に覚える解剖学とは違い、顕微鏡で見た正常な組織の特徴を覚える学問で、病理学は傷や病気・寄生虫などを患った組織の特徴を覚える学問とでも思えばいい。

 病気には特徴があり、その見かけや症状、あとは血液の状態を調べたりして原因を探るのが主な調査のやり方だ。

 


 本来ならもっと文明的に病原体を分離・培養したり、遺伝子を調べたり、抗体をくっつけて反応を見て判断をする方法もある。

 が、以前から悩んでいたことだがDNA解析やら、病原菌を判別してくれるキットはここには存在しない。

 現状、頼れるのは直接確かめる手段だけだ。

 


 と、いうわけで。

 


 風見は脳や筋肉、それぞれの臓器などからいくらかのサンプルを取り、顕微鏡でひたすら地道に確かめていく。

 小さい倍率から最大の倍率へと順に上げて調べること十数分。全部を確かめ終えた彼はちょいちょいと手招きした。

 


「リズ、触ったりせずにこれを覗いてみてくれ。何が見える?」

「まったく、また私か。んー、円盤……かな? よく判らないが水に浮かせた油の玉のようなものが見えるね」

「そうだな。多分それが人をグールにしたものなんだと思う。グレンとか、大丈夫ならクロエも。他の人も折角だから見てみるといい」

 


 言ってみれば「では早速」とグレンがまず歩み出る。彼はほうほうと興味深げに顎を揉んでいた。

 


「……クロエ、そんな体調で大丈夫か?」

「だ、だいじょぶです……。私も、がんばれます」

「惜しい……」

 


 何故か一人悔しそうにする風見をよそにクロエはまだ青い顔ながら戻ってくるとグレンに続いた。

 他の野次馬達もわらわらと続いてそれを見始める。

 


 その結果、反応はなんだこれと全く理解していないものと困惑しているものの二つに割れていた。

 そうして一通りが見終わった頃、クロエはおずおずとした様子で問いかけてくる。

 


「あれはガラスに取っていたもの……だったのですよね?」

「そ。顕微鏡は小さなものを拡大して見る道具でな、虫眼鏡とか望遠鏡って知らないかな。あれと大体同じなんだ」

「水晶やガラスで何かを見る技術はあると聞いたことがありますが……」

「そういう感じじゃ驚くか。でも今見たものは実際だと砂粒よりずっと小さなものなんだ。うすで引いた小麦粉ってあるだろ? あの一粒と同じくらいの大きさだろうな。もっと言うならツメを千分の一くらいの大きさとも言える」

 


 こんなに小さいと指で示してみたらどうだろう。

 クロエは半ば納得しつつも、まだ信じられないように風見と顕微鏡を代わる代わる見てぱちくりしていた。まるで不思議な現象を前にした子供のようで、教えるにも気持ちが良い表情をしてくれる。

 


 疑問に答えた時の憧憬の眼差し。

 褒めて撫でてやれば猫のように頭を差し出してくる甘えっぷり。

 風見はそれを想像するだけでよだれが垂れそうだった。衆目なんて気にせず撫でくりまわしてもいいだろうか。……ダメだろうか。

 


 これは大きな葛藤である。

 


「人をグールにしたのは……んー。あの寄生虫――って、言えばいいのかな。まだはっきりとは判らないんだけど、とりあえず便宜上は寄生虫ということにしておこう」

「風見様、お待ちください。寄生虫は知っていますが、それはもっと大きいもののことではないのですか?」

「それは多分、蠕虫ぜんちゅうってやつかノミとかダニみたいなののことだな。寄生虫にも単細胞のと多細胞のがいてな、そのうちの多細胞でミミズみたいなのを蠕虫って言うんだ。蠕虫の卵ならこれと同じくらいのサイズなんだけど、成長して普通に寄生するようになったやつはミリ単位からメートル単位のやつまでいる」

 


 例えば蚊が媒介して犬がかかってしまうフィラリアも蠕虫だ。あれは糸状虫と言って心臓や肺動脈に詰まると有名だろう。

 あとは条虫と言ってサナダムシやキツネのエキノコックスも有名だ。

 


 これらは主に経口感染や経皮感染で体内へ入ってくる。

 経口感染は虫卵や虫が口から入り、消化管のどこかに寄生すること。

 対して経皮感染というのはちょっと違う経路で感染する。

 まず虫がヒルみたいに肌へ張り付き、酵素で皮膚を溶かして体内へ。ここで皮膚の下に留まるものもいるが血管に入り、血に乗って肺に辿り着くと気管から食道へよじ登って消化管へと寄生するようなものもいる。

 


 この経皮感染のタイプには日本住血吸虫というのがいて、田んぼで農作業する人の足や腕などから体内へ入っていったのである。

 ちなみに現代日本ではもう撲滅されたのか、感染例が報告されなくなったものなので安心してほしい。

 


 そんな寄生虫は消化管に到達するとその辺りの血管から全身へと巡るものもいたりと体内移動方法は様々だ。

 これもほんの一例に過ぎない。

 


「それに対して単細胞の原虫ってやつは本当に小さい。形も虫っぽくなくて、この光学顕微鏡でなら何とか見えるってくらいかな」

 


 風見は脳や筋肉のサンプルにアメーバのようなものを無数に発見していた。

 大きさにして十マイクロ程度だろうか。



 相手が微生物とあらば悩むのは原虫か、細菌か、ウイルスの三つくらいだったがウイルスは光学顕微鏡では全く見えないほど小さいのでまず除外。

 細菌は原虫と同じか小さなものが多く、光学顕微鏡では見えるか見えないかの境である。さらにこちらは細胞壁をもつので形も揃っているものが多く、実際に見たアメーバ状とは異なった。

 このため、風見は原虫のような何かと判断したようだ。

 


 これがもし虫体なんて見えなくて病態だけ見えたとしたら彼はウイルスなどの方から疑っただろう。

 


「こいつらは確かに小さい。けどナイフでほんのちょっとすくっただけで何十匹も見えるくらいだ。体の中に何万、何十万もいたら流石に人もどうにかなっちゃうんだよ。それからこいつらは脳と筋肉にはたくさんいて、腐っているところには全然いなかった。だから第一容疑者ってやつかな、きっと」

 


 原虫で有名なものといえばマラリアだ。世界ではこれのせいで年に数億の人が患者になっており、死亡者数も大変多い。

 そんな説明してみればクロエは目を白黒とさせていた。

 


 彼女はなんとか消化して理解しようと頑張っているが、慣れるまではもう少し例題を踏む必要がありそうに見える。

 きっと彼女らにとって最小の世界はミジンコなどの目に見える範囲までなのだろう。いきなりこんなことを聞かされて困惑するのも無理はない。

 じっくり理解してくれればそれで十分だった。

 


「えっと……それのせいで人はグールとなるのですか?」

「半分はそれで正解だと思う。こっからは俺の予想になってしまうんだけど、よければ聞くか?」

「よろしくお願いいたします」

 


 クロエはこくりと頷いた。

 


「じゃあ、グールになるまでを順に追って考えてみようか。その方が判りやすいと思う」

「グールに噛まれるなどをしてその原虫に感染すると段々……という順ですか?」

「そうだな。まず、筋肉と脳に寄生虫がいたってことは狂犬病みたいに筋肉で増えながら数週間から一カ月とかかけて脳まで上っていったんだと思う。それで脳で増えてきてから大変だ。解剖してみせた通り、段々と理性を司る部分とかが壊されていったんだろうと思う」

「ぅ……、」

 


 クロエは言われた通りに光景を思い出してしまったらしい。少々顔色を悪くしたが、彼女は心を強く保って話を聞き続けようとする。

 その健気さに打たれた風見はちょっと空気を換えてみることにした。

 


「じゃあ、ここで一つ問題だ。そもそも、寄生虫って何で寄生したままでいられると思う?」

「え、それは矢じりが体に残されたらそのままになるというのとは違うのでしょうか……?」

「それは分解しきれないものだから残るんだ。ご飯を食べれば消化できるように、風邪になったら自然と治るように、異物は分解されてしまうのが普通だ。ほら、内出血したってその血もいつの間にか消えるだろ? 体に不要なものはああやって消されるのが常なんだ」

 


「では分解できなかったのでしょうか?」

「それもある。あとは増殖力が凄まじいとかな。だけどそもそも誰も寄生してませんよって虫が誤魔化す場合もある。例えばリズが臭いで獲物を追ったけど、臭いを消す薬を撒かれて見失っちゃうのに近いかな。異物があっても免疫を働かせなくする成分を出せるやつもいるんだ」

 


「シンゴ、どうしてそこで私を引き合いに出す? それだと私が簡単に騙されるバカみたいじゃないか」

「悪い。そういうつもりはなかったんだけど」

 


 そんなヘマは踏むものかとむくれたリズ。

 抗議の視線にちくちくされ、風見は慌てて謝る。

 


 と、そんなことをしている間に優秀なクロエは「なるほど」ともう飲み込んでしまったようだ。

 風見が言うことだからと何の疑いもなく吸収している要因もあるだろう。

 だがそもそも彼女はこの歳で数ヵ国語も話すし、素養もあるしとやはり並々ならぬ才女らしい。

 


 凡人の風見とはえらい違いであった。

 


「ともかく、そういうので免疫能力は低下しちゃう。で、そうやって理性がなくなってきたグールは次に何をするんだっけ?」

「理性はまだいくらかあるそうですが幻覚を見たり、時折凶暴さが現れたり、餓えたりしてくるそうです。また、嘔吐なども繰り返して大変苦しい思いをすると聞きます。この頃になると家畜を襲って貪ったり、墓を荒らして死肉を漁ったりすることもあるらしいです」

「だな。けど、免疫が下がった状態で死肉なんて食ったら当然、腐敗菌とかその他もろもろに侵される。まして脳がやられていけば今度は消化管とか運動面とかいろんなところに不具合も出てくるだろうし、なおさら悪くなりそうだ」

 


 胃酸は食べたものを消化するのにも活躍するが、菌の消毒にも大きく貢献している。

 それが度重なる嘔吐で弱まっているのに死肉を食べたりしたら菌は入り放題。消化管では病気という病気が発生し放題になるだろう。

 


 死肉を貪る口だって同じ。

 そちらの粘膜も腐敗菌に侵入されれば壊疽となり、じきに特有の悪臭も漏らし始めるはずだ。

 CMでいう、熟れたトマトのような歯槽膿漏どころの問題ではない。

 


 こちらで言う、”グール”になるならきっとこんな過程を取ったのだろうと風見は締めくくる。

 


 


  


「さて、クロエ。ちょっと話が変わるけど生物ってさ、意味を持った体の作りとか意味のある行動ばっかりするよな。鳥とか魚も生きるのに適した形で、生きるのに都合が良い行動を取ろうとするだろ?」

「……? はい、そうかと思います」

 


 突然に何のことかとクロエは疑問顔をしていた。

 どうしてこんなことを? と彼女は瞳で問いかけてくるが、風見は続く言葉の中に答えを用意する。

 


「じゃあ、口から消化管まで腐るとグールが得をすることって何なんだろうな?」

「え? そのう……、そんなことに意味があるのでしょうか?」

 


「あるんだろうさ。逆に言うとな、意味がなかったらグールだって生存競争で負けていると思うんだよ。だって、ただ腐っただけじゃ宿主が早く死ぬだけだ。それなら邪魔な腐敗菌なんかと共存せずに自分が全身を支配してしまった方がいい。でも、わざわざ死体を食いに行かせた虫が生き残ってるんだ。だから腐って得をしたり、もしくは腐っても生存競争には支障がないっていう理由があると思う」

 


 現代の生き物はそれぞれが何十億年も進化し続けた結果に生まれた最高傑作のはずだ。

 人だって、虫だって、微生物だってそれぞれ何かで秀でなければ淘汰され、滅んできたはずなのだから。

 生き物の研究はそういう意味を探るところから始まる。

 


 ウイルスや細菌、寄生虫だってそれぞれの生き方で最善を選んで生き残ってきたはずだろう。

 グールの場合、それはなんだろうか?

 


「すみません、風見様。残念ながら私には判りません……」

「それはいいよ。俺だってただの想像なんだから間違っている可能性は高い。というかな、こんなのは普通だと何年も研究した人が初めて言うこと。俺のはこうだったらそれっぽいかなぁーっていう妄想みたいなもんだよ」

 


 肩を落とすクロエに笑いかける。

 実際、顕微鏡で確定できたことなんて筋肉と脳には原虫のような何かがいた。口から消化管にかけて壊死や壊疽が起こり放題で、そちらは腐敗菌に侵されていたという二つのみである。

 


 彼とて威張れることは何もない。

 顕微鏡と知識さえあるなら誰にでも判ることをしたまでだった。

 


「それでさ、腐って得をすることって言ったらやっぱり他のものに知ってもらえることだと思う。ほら、臭いにつられてやって来るものってたくさんいるし。例えばハエに、あとは腐肉食動物っていうハイエナとかハゲワシが俺の世界では有名だな。しかも、人の先祖もそれだったっていう話もある。だからグールはそういうものに宿主を食べてもらって感染を広げるのが狙いなんじゃないかなって思うんだ」

 


 死体を食べてくれるなら小さなネズミだろうが人間だろうが関係ない。

 要は感染していろんなものに広がり、自分が生き残れたらグール達は“勝ち”なのだ。

 


 想像してみるといい。グールは自然界でどんなサイクルを作り、生き延びようとしたのだろうか?

 


「熟れて落ちた果実を動物が食べて広げるようなものですか?」

「似てると思う。理性が低下してきた宿主が臭いにつられてきた獲物に襲いかかっても特に損はない。逆に反撃されて噛み付かれたり、食われたりされたら感染できるから良し。グールはそういう目論見でわざと腐敗菌と共生してるんだと思う」

 


 生き物は独立して生きているわけではない。食物連鎖のように無数の関係の上に成り立つものだ。それくらいの関係があってもおかしくないと風見は思っていた。

 その言葉に納得したのか、クロエは「確かにそれなら意味がありそうです」と頷いている。

 


 けれども誰しもが彼女と同じわけではない。

 というか、彼女はごく一部の少数派だ。

 リズなんかもう暇が過ぎて眠そうにしているし、グレンはお茶目に作り笑いを浮かべようとしているだけで理解した様子はなさそうである。

 


 もっと酷いのは後ろの方で集まっている野次馬達だ。

 あちらは風見の聞き慣れない理論は意味の判らない戯言として処理しようとしているし、もう何を言っても無駄そうに思えてしまう。

 


 風見はそちらにはもう触れず、また顕微鏡の前へ座り込むと声を上げた。

 


「リズ、グレン、それからアイシャとノートン、メイ! ……あとはごめん、忘れたけど騎士の皆。とりあえずリズから聞いた通り一人は建材屋へ行って漆喰の材料を集めてくれ。あと何人かはヨーゼフの行動範囲からダンジョンの入り口を探してくれるかな。残りはまたここで見張りを頼む。俺はここでもう少し調べてみるからそっちは任せた!」

 


 そんな言葉に反応し、隷属騎士達は素早く行動に移っていた。あのリズが率いていてもやはりこういう練度は高いらしい。

  


 


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