隷属騎士さんの日常
とある日、兵舎の団長室でのことだった。
「団長殿、どうぞ」
「ふむ、ありがとう。グレン」
リズは乱雑で整理されていない執務机に足をかけ、報告書を斜め読みしていた。
その横には秘書のように副団長のグレンが立っており、彼女らの前には数人の団員が横一列に並んでいる。
彼らは隷属騎士の中でも情報収集が仕事の団員達だ。
年齢も性別もまちまちだが中でもクイナは特に馴染んでいない。
それは彼女が平均よりも頭一つ分ほど小柄なのもあるが、他がキリリと顔を引き締めていても一人だけ脂汗を滲ませ、気まずそうに立っていたことが最大の原因だろう。
「~~……っ」
「……こほん」
まあ、要するに一人だけ仕事をマズったわけだ。
他の騎士としてはこの場で仮面を崩すのはいけないなぁと思いつつも一人青ざめてぷるぷるしているクイナを見たら同情せざるを得ない。
まだ心も体も成長しきっていない少女にこういうプレッシャーは酷だろう。
できることなら代わってあげたい。この場の誰もがそう思っていたし、顔は引き締めつつもそういう感情が漏れていた。
――イスに深々と体を預けているリズを除いては。
(団長は何を考えているんだか……)
誰もがそう思った。
なにせ報告書を読んでいる時のリズには表情の変化が全くない。眉一つ動かないし、瞬きをするだけの人形だった。
普段からして悪戯をしたり、殺しの時に狂気の表情を浮かべる以外は誰も感情を見たことがないのだ。
ここにいれば誰だって死の恐怖に怯えるし、寄り添ってくれる仲間にだけは気を許す。
なのにリズは違う。
こんな組織にいるのに喜怒哀楽がほとんどない。誰よりも仮面じみた表情を見せるだけだ。
たったそれだけでも団員達はリズが自分達とは違った人間なんだと痛感していた。自他を含めて命に大した関心を持たない彼女は命令を遂行する猟犬でしかない。
最後の一枚まで目を通したリズは報告書をグレンに手渡す。
開口一番に何を言うのだろうと全員が注目の目を向けていた。
すると彼女はくつりと口元を緩め、
「くくっ、あははは!」
腹を抱えて少しばかり笑っただけだった。
彼女はひとしきり笑い終えると咎めもしなければ褒めもしていないのに「グレン、席を任せた」と立ち上がる。
「団長殿、お待ちくだされ。仕事を投げんでください」
「んー、私から言うべきことは特にないよ。流石は私のかわいい団員達。この調子なら問題ないさ」
笑っていなしたリズはグレンの厚い胸板に報告書を押し付ける。
憎たらしいほど清々しい顔でお父さんに任せましたとでも言わんばかりだ。
グレンも本来ならリズくらいの歳の子がいてもおかしくないところ。
表情にやられて言葉を喉に詰めらせていると懐からするりと抜けられてしまう。
「ぬ、ぬぅぅぅ……」
これが毎度の手だ。
彼はいつも彼女の背にしたり顔を幻視してから自分の失敗に気付く。
そんなリズはより一層カチコチになったクイナの横に通りかかるとよしよしと頭を撫で、そのまま出て行ってしまった。
イヤミのニオイは全くない。ただそうしたかっただけらしい。
……とりあえず一番の上司からは叱責なし。
まず一安心とクイナ以外が息を吐く中、明らかな困り顔でグレンが席につく。
途端、クイナの汗はじわじわと増加し始めていった。
その理由は推して知るべし、である。
「……」
頭が痛いとグレンは眉間を揉んだ。
クイナ以外の団員は二方向への同情で仮面に苦笑を滲ませた。
リズとクイナはどっちも問題を抱えた少女である。それを一手に相手するグレンの心労は相当だろう。
なにせ団長席に座るまでの足取りはそれを表すように重かった。
彼は報告書の内容をすでに頭に入れているので一枚も開かない。はあと息を吐いて気を取り直し、本物らしい報告の取りまとめを始めていた。
「みな、まずはごくろう」
めいめいに「いえ」「はい」と返事が上がる。
そんな最中にもクイナは拳を握りしめて緊張するだけだった。この言葉は自分以外に向けたものと思っているらしい。
それはそれで間違いではないのも悲しい事実だった。
「まず、新しい間者を捕捉したのはよくやった。定期的な索敵も上手くいっているようで安心している。……それからクイナ、まだ泣かんでいい」
「……うぁい」
クイナは重荷のせいで涙腺が決壊しそうになっていた。
その予兆にいち早く気付いていたグレンは隣の女性団員に顎で指示し、速やかな慰めを開始させる。
グレンには責めて泣かせる気はない。
ただ、上がアレなだけに元から規律が緩い隷属騎士だからここくらいは整えておかねば締めどころがなくなってしまうのだ。
「さて、クイナ。本題なんだが、なんで市民の噂しか報告に上がっていない?」
「それしか、調べつかなかったからです……」
「まあ、それしか辿り着かんということはそもそもワシらに害のある動きが少ないということだ。そこは喜ばしい」
ぐずりかけたクイナを泣かさない程度の言葉を送っておく。
しかし彼女の報告書に上がっている事柄といえば街中でゾンビやグールを見ただとか、奇妙な行動をする人間を見ただとかいう情報だけだった。
いかにも防衛には役に立たない情報である。それこそ主婦の井戸端会議の議題みたいなものだ。
――ちなみに後者を確かめさせたところ、人に化ける魔物が原因だったことが判明した。
これは亜人種に擬態しようとする魔物だ。肉食で特有の体臭も持つため本来なら門でシャットアウトできるはずのものだった。
その点については何かの間違いで紛れ込んだだけなのか、誰かが悪意でやったのか、テロなのか判明させておく必要があるので良しとする。
「とりあえずそこまで情報収集に手を裂かんでもいいようだし、クイナはこの前のように猊下の警備に回っておくように」
「ぅ、ふぁい……」
「……もう好きにしていいぞ。各自、持ち場に行って体力を温存しておくように」
ここで休憩と言われないのが隷属騎士ならではだ。
隷属騎士の場合、休憩と呼べるものは最低限の睡眠しかない。
そもそも騎士を雇うのは金がかかる。戦争に使えば報償はいるし、死ねばそれなりの保証金も用意しなければならない。
しかし代わりに奴隷を使えば費用は安く上がる。
練度が低いからリスキーだが、生き残る輩にはそれなりの素質があるし長く続ければそれなりの機能もしてくれる。寄せ集めだからこその多様さもある使い捨て集団というわけだ。
使えない者、能力のない者から次々と死んでいく。
半年で一割から二割が入れ替わるのはもはや当たり前だった。
けれどそういう集まりだからこその繋がりもある。言わば隷属騎士団は大きな家族のようなもので落ち込むクイナにはすぐに人が寄り添った。
「ほーら、クイナ。仕事に遅れると折檻されちゃうわよ? 早くしゃきっとしなって」
「言われなくたって、わかってるぅー……」
武器庫の奥で座り込んでいたクイナに声がかかる。
情報収集組ではない。
あちらはあまり疲れない警備の持ち場に移動しなければいけなかったので代わりにやってきたがノーラだった。
彼女は普段、城門前の警備を担当しているが今日は兵舎で訓練があったために今は時間を空けられたのだ。
「あんた、まーた土壇場で男の顔をひっぱたいたりしたんでしょ?」
「……うん。するなって何度も言われてるけど、ダメだった。ああいうの、やだ……」
「んー、そうだよねえ」
情報収集の基本といえば地道な調査――と思ったら大間違いだ。情報は人の頭の中に収められた宝なのだ。それを得るなら相応の方法が必要となる。
だから最も有力な情報は潜入、拷問、金、体くらいでしか手に入らないのが常。
クイナ達はそれぞれの方法で情報を仕入れるのだが、特に能力のない彼女では最後の選択しか残されていない。
だが男性恐怖症の彼女が成功させた例は一度たりともなかった。
となれば集められる情報は重要度が低く、噂の域を出ないものばかりになってしまうわけだ。
「ウチみたいに生まれついての底辺だったらともかく、良い方から来たらそりゃ辛いわよね。代わってあげられりゃいいけど」
「……」
「でもあんたももう奴隷だ」
「うん」
ノーラはきっぱりと言い切った。
クイナもそこは否定しない。
隷属騎士だけでなく街の人も。貴族などを除き、この世界に生きる誰もが満たされていないのに自分が不幸だと落ち込んでいたって救いはないと判りきっていたからだ。
それくらいはこの一年で痛いほど知っていた。
「とことん下衆いのでも相手にすりゃ吹っ切れるかもしれないけど、それはそれで荒療治すぎだしね。ま、自分が持っているものは活かさないと駄目だよ。あんたはまだ天性で恵まれてんだから」
「……それ、何度も聞いた。耳がタコになるくらい」
「そうだよ。ウチにはないものをあんたは二つも持ってるから羨ましいんだもの。顔にー、律法にー? あー、妬ましいっ! 警備は警備でも猊下付きとか本当に! 良いなぁ、あの人。……ウチ、隷属騎士以外に初めて人間扱いされたよ。あんな人に拾ってもらいたいのになぁ」
ノーラはいつもいつも明るく、沈んでいるところなんて誰も見たことがなかったがクイナはこの声に素の彼女を聞いた気がした。
意外に思って見つめているとノーラは視線に気づいたらしく照れ隠しに笑う。
「ほら立てぇ、ぺったんこ娘ぇっ!」
「あだっ!?」
ばちぃん! と武器庫に響く音。
その一撃でクイナの背には紅葉が作られた。
びりびり痛む背。
涙交じりに恨めしく睨もうとすると警備用の装備一式を押し付けられるのだった。
「ほら行ってこい。あんたはあんたの武器でしたたかに生きないとね」
「うぐぅっ……、ノーラのバーカ!! 優しさが痛いぃーっ! いつかキツネにでも食べられてしまえー!」
負けゼリフのように言い放ち、クイナは武器庫を跳び出す。
もう十分に元気が補充できたようだ。
けれど入れ替わりに入ってきた隷属騎士はあれはなんだったんだと疑問顔である。
「ああ、アレ? なんかクイナの地元の芸だとか。良い人は男だろうが女だろうがキツネが性的に食べちゃうんだって。褒めてんだか呪ってんだか判んない捨てゼリフだよね、アレ」
「ああ、全くだ」
ノーラはそんなクイナの後ろ姿を「やれやれ、世話の焼ける」と見送るのだった。




