そして捕まる
「あちゃ~……。しまったなぁ、見失った」
人通りの多い大通りまで出た風見は周囲を見回した。
すぐ後についてきたノーラは腰につけた剣が重かったのか、ぜぇぜぇはぁはぁと随分きつそうな顔をしている。
気付いた風見が「あ。大丈夫か?」と気をかけると膝に手をつきながらもうんうんと頷かれたので大丈夫のようではあった。
とりあえず汗を流しているようなので彼女にはハンカチをプレゼントする。
が、両手をぶんぶんと振って遠慮をされてしまった。どうやら汗で汚すのを気にしているらしい。
「ははっ、そんなの気にしないでいいから」
さっと額の汗を拭ってやると抵抗はぴたりと止んだ。そこでもう一度彼女の手にハンカチを握り直させ、息が整うのを待った。
彼女はハンカチと風見の顔を交互に見比べ、何かを言っていた。お礼の言葉なのだろうか?
……そういえば。
ノーラにはウサギの耳がついている。
彼女は簡単に言うと軍服姿のバニーさんともいうべき姿だ。ぴょこりと小さく出ている尻尾が大変かわいらしい。
リズやクロエは整った容姿をしており、着飾らなくとも高嶺の花のような雰囲気が見え隠れしていたが、薄いそばかす混じりのノーラは良い意味で村娘のような印象があり、とても親しみやすい雰囲気がある。
兵士としての制服の合間から覗く太ももは是非ともニーソックスやタイツと合わせたくなる脚線美だ。
歳も風見と同じ二十代に見えるしリズやクロエに比べるとバニーが映える大人っぽさではあるのだが――まさか趣味でつけたうさ耳というわけでもあるまい。
まだ亜人の耳や尾が本物か確かめたことのない風見は興味津々だった。
「これ、本物……なんだよな?」
「ひゃっ!?」
「む、柔らかいし温かい。やっぱ本物なんだな」
耳をふにっと触ってみたらノーラには驚きで飛び退かれた。
まあ、いきなり耳を触られたら当然の反応だろう。自分でやった風見も触ってみてから気付いた。
「あ、ごめん。確か……、Eu……、Eu sinto muito?」
現代日本なら軽い痴漢行為なのだがノーラは寛大な女性だった。触られた耳を撫でつけながらもこくこくと頷いてくれる。
気になったとしても今度からはもう少し気を付けて触ろうと彼は考えを改めた。
「うーん、にしても妖精はどこに行ったんだかなぁ」
周囲を改めて見回す。
わいわいと賑やかに客引きをしている八百屋に、通りへせり出すほど武器を並べた店。
それから店先でバクのような動物を解体しつつ叩き売りしている肉屋、首が長めの牛みたいなカトブレパスっぽい何かに引かれている荷車などが見える。
なんとも異世界情緒に溢れた風景だ。
あとはちょっと先の広場でバザーが出ていたり、大道芸をしていたり、吟遊詩人と歌っている綺麗な女性がいたり。
妖精のみならず見所はたくさんありそうだった。
大通りは全てこんな様子と見て間違いないのだろう。影のない華やかさで満ちている。だが、路地裏や街の奥はどうなのだろうか?
風見としてはそちらの方が気になった。
「ノーラ、あっち行こう。あっち」
「E,eu entendi isto(わ、わかりました)」
彼女の手を引き、広場に足を運んだ。
広場の中心にはヤマタノオロチみたいな銅像があり、その正面で女性が歌っている。その調べは民族音楽的であり、独特の響きがある。
彼女が歌う高音のメロディーは直接心を震わせるようだった。
これはこれでずっと聞いてみたい気もした。
クロエ辺りに頼んだらこんな歌を歌ってくれないだろうか? 今度頼んでみたらいいかもしれないと彼は心に留めておく。
「さて、どこからどう行けばいいのか迷うな。あの肉屋のを見たい気もするけど本題のが大事だし……む?」
風見はふと、とあるものを注視する。
わいわいきゃはきゃはと戯れて走る幼女……もとい子供達がいた。
どうも彼女らは妖精にからかわれているのかぴょいぴょいと目の前を挑発して飛ぶ妖精を夢中になって追っかけていた。
しかしながら妖精がすばしっこいせいか虫取り網を使っても全然捉えられない。
そしてついに一人がいじけて網を投げ出した。
「おうおう、なるほど」
そういえば人が住むとしたらこんな大通りではない。むしろ子供達と仲良くなったり、ついていったりした方が一般家庭の様子が判るのではと彼は考えた。
やってみる価値はあるだろう。
それに子供相手なら言葉は不要だ。魂で語ってみせればいい。
風見は一直線に向かうと子供の前で胸をドンと叩いた。
「よしっ、お兄さんに任せろ! 妖精の一匹や二匹、全力で捕獲してやるっ!」
そこにあったのは子供以上に活き活きとした顔だった。
元から妖精に対する好奇心はあったのでこんな風に振る舞うのもやぶさかではなかったのだろう。
虫取り網を手にしたところでノーラも何をするか理解したらしく、またですか!? と言いたそうな顔をする。
「はっはっは。ついでにどれくらい速く飛べるとかいろいろ調べさせてもらおうか。子供達のためにも絶対に逃がさんっ……!」
彼は虫取り網を妖精に向けて叫ぶ。
いい大人がそんなことをすると周囲から一斉に痛い視線が飛んできたのだが彼は気付かなかった。
彼の頭はすでに別のことでいっぱいである。
それは転じて妖精にしても似たようなものだったのか、たぎるオーラにびくっと反応して身の危険を感じ取っていた。
もしかしたら蝶みたくピン止めの標本にされるとでも思ったのかもしれない。
「いくぞっ!」
「Me deixe dar um intervalo(休ませてーっ)!?」
瞬間、逃走と追撃は始まった。
飛び去ろうとする妖精は子供に追いかけられていた時の二倍くらいの速さで逃げ出すが風見も風見でかなり速い。おっさん予備軍あるまじき速度だ。
人の往来が激しい通りでその波を縫いつつもスプリンターのように駆け抜けてしまうのだ。まるで疾風のようである。
妖精は必死の形相。
対する風見はサイエンティストの顔。
「何も痛くない。痛くないように終わらせるから大人しく捕まれぇぇぇーっ!!」
ハイドラの街に青年の声が響く。
この場には狩猟本能剥き出しで走る二十六歳を止められる人材がいなかったらしい。
□
「バカだろう、あれは」
「い、言ってはいけないことかと……」
その一部始終を白い目で見ていたリズは呆れ返っているようだった。
外に出て子供達と触れ合う気でもあったのかは知らないが今やそれらをぶっちぎって妖精と競争をしている。
見かねた大人達が止めようとするがそんな追手すらもするりと抜き、妖精に追いすがるくらいだ。
その身体能力だけは感心したが人間性が意味不明なのでリズとしては評価できない。
「やれやれ。この騒ぎに乗じて人通りを操作してスラムや人気のないところに進路変更させようとしている輩もいるね」
「はい、恐らくは」
風見と妖精の進路方向に竹竿や建材を立てた集団が通過したり、市場の物が崩れて道を塞ぐことがある。
それをこそこそと行う者が見え隠れしているのは彼女らの目からも何となく見て取れた。
もしかしたらああいった輩の中にはナイフを持って彼の命を狙う者もいるかもしれない。
「ノーラには笛を使ってあれにぴったり引っ付いておけと命令を出しておけ。それから怪しい者がいたら各自判断に任せて対処。追っている者は定期的に笛で現在地の報告。いいね?」
「了解」
付き添っていた騎士にそれだけ連絡するとリズは走り出した。
道端で人を突き飛ばし、また方向操作をしようとしていた者を見つけたのだ。犯人はさっと路地裏に身を隠し、またどこかに移動しようとしていた。
彼女はそれを捕縛しようと追う。
人通りが多いし、たまに馬車も通るこの場では全速で走れないが、それでも彼女は吹き抜ける風のようだった。
路地裏に飛び込めば逃げる姿を認めた。
即座に追い、サーベルを抜く。
犯人は迷路のような路地裏の角を急に曲がった。追われていることに気付いたのだろう。
逃げられる前に捉えようとリズは速度を上げて追うが――曲がり角に至った瞬間、視界に飛び込んできたのは数本のナイフだった。
タイミングを見計らって両手で投擲したのだろう。相手の勝ち誇った顔が見える。
(バカめ)
しかしリズは落ち着いていた。
相手の虚を突くのはいい。だが、退路すら塞いでいないのに勝ち誇るなんて二流のすることだ。
リズは走る勢いのまま壁を蹴ると三角跳びで身を翻してナイフを跳び越え、さらには犯人の背後を取った。
あとは相手の手足の腱をめがけてサーベルを振るい、断ち切る。
「いぎっ!?」
その場で倒れ込もうとしたところで後頭部を回し蹴りで蹴り飛ばし、完全に意識も飛ばさせた。
犯人は人形のように無様に吹っ飛ぶと顔面から通路の壁面にぶつかり、ずり落ちて倒れる。
「さて、一体確保と」
ピッとサーベルの汚れを振り払った彼女は犬笛を取り出し、周囲の騎士達に連絡を回すのだった。
□
で、風見が至った結末はといえば。
1、子供達がドン引きした。
2、自警団さん、こいつです。
3、「いや、単に妖精に興奮しただけでっ……!」
4、お縄。
つい数分前、風見がとうとう路地へと妖精を追い詰めたところへ自警団の人がやって来て肩を叩いたのだ。
場面を表現するなら“怯えてプルプルと震える妖精――これが女の子だったのもまずかった――を前に、はあはあと息を荒くしている成人男性”である。
はい、どう見ても犯罪現場です。
しかしながら良識のある自警団員は一応、どうしたんですかと彼に問いかけてみた。
もしかしたら襲っているように見えても実は窃盗されていたとか、やむにやまれぬ事情があるかもしれないと斟酌してくれたのだ。
けれど。
まだ言葉がよく判らない風見はたどたどしい言葉で『わた、しは、興奮しました』と答えてしまった。
これではもう言い訳のしようがない。
ちゃんと説明するなら妖精に生物学的な興味を抱いて舞い上がってしまったとでも答えるべきだっただろう。
だがもう遅い。その瞬間に事務所行きが決定してしまった。
「ん~……、おっかしいなぁ」
とりあえず事務所にしょっ引かれ、拘置所に置かれた風見は何が悪かったんだろうと首を捻っていた。
妖精を追っかけたこと=犯罪という認識はない。
目的のための手段として妖精を追っかけてみたという意識だけだ。追いかけている途中で街の生活風景はいくらか見えたので目的は達成という感じではある。
「もしかして往来の邪魔になったか?」
確かに馬車や住居の壁などを使って三段跳びもした気がする。
スクラムを組んで妖精の壁になった成年男子を蹴散らした気もするがなんとなく記憶が曖昧だ。
でもその程度で捕まえられるなんてちょっと酷いものだと風見は考えた。
誰かに勘違いされるレベルの人相なら、一緒の場所に拘置されているこの狼男くらいはないとおかしいだろう。
獣みたいな――訂正。
見た目からして毛むくじゃらな獣であり、鋭い目つきをした彼みたいな感じだったら何らかの誤解を受けてもおかしくない。
しかも彼の場合は本当に何かしたらしく乱闘後のような怪我も負っていた。
向かい側の牢では別の獣人が似た様子で鎮座しているのでそういうことなのだろう。
とりあえずノーラが話をつけてくれるまでは何もできないので、風見はこの人とコミュニケーションを取ってみることにした。
「すいません、ちょっといいですか?」
あん? と視線が寄ってきた。
彼はまだ多少機嫌が悪いように見える。
「Doni é uma pessoa boa?(ドニは良い人ですか?)」
「É uma piada?(冗談のつもりか?)」
ドニといえば領主以外にはないと判ってくれたらしいが狼男の顔を見る限り、マイナスのイメージしかないらしい。
路地裏の方では痩せこけた人が座り込んでいたり、ストリートチルドレンみたいな子供もいくらか見かけた。
やはり良い政治を行っているわけではないのかもしれない。
あの召喚の時だってクロエは眉をひそめていたがドニは何も気にしていなかった。だとすると彼が言った罪人の処分というのも怪しくなってくる。
最初に会った少女だって、とてもそんなことをするようには思えなかった。
「えーと。あぁ、ダメだ。言葉が思い付かない……」
税金のことや飢餓、疫病のことなどもう少しいろいろと聞いてみたかったが今の彼には語彙が足りず、断念するしかなかった。
狼男の方にもふんと顔を背けられてしまい、続けて会話できる雰囲気ではない。
しかし顔を背けられたが故に彼の横っ面についた血の痕や傷が見えた。
さっきまでは向かい合っていて気にならなかったのだが少々酷い傷にも見える。
「何があったかは知らないけどその怪我、放っておいて悪化してもいけないし手当てでもしようか?」
「Quem e voce(てめえは何なんだよ)?」
「おまわりさん、消毒薬ないかな。それがないんなら度数が高い酒でもいいんだけど。できればガーゼとテープみたいなのもほしいな」
酒は消毒に使えるだの使えないだのとよく言われるが、スピリタスくらいの酒なら十分に可能だ。焼酎では20%ほどしかないのであまり効果が高くない。
アルコール度数60~70%ほどの酒なら消毒に十分使える。アルコール度数がほぼ100%なものよりむしろこのくらいの方が消毒力は高いのだ。
理由はいくつか考えられている。
水分があると皮膚によく染みるので深いところの菌でも気化で熱を奪って殺せるとか、親水と親油の具合がちょうど良くなって菌の体を壊しやすくなるとかそんなところだ。まだはっきりとは判っていない。
ちなみに工業用アルコールを酒として飲むのは危険だ。
同じエタノールには変わりないが、あちらは酒にできないようにわざと危険な物質が添加されているので飲むと害が出る。そこら辺には酒税法というものが関係してくるのだ。
「おーい、おまわりさん?」
呼んでみてもやってこない。
どうやらまだノーラと話をしているらしい……と思ったらすぐにやってきた。
「あれ、クロエ?」
「ジューイ様、いつまでも帰ってこないと思ったらどうしてこんなことに!? 私は、私は何かあったのかと本当に心配しましたっ……!」
クロエは鉄格子にしがみ付いて訴えてくる。
よほど心配させてしまったのか彼女の目は潤んでいた。
「う……。ごめん、なんていうか妖精を追っかけるのに夢中になっていたらいつの間にかこうなったんだよな、これが。ほんと、異世界って不思議だ」
「聞きました。何か知りたいことがあるならまず私におっしゃってください。私にできることなら何でもいたしますから」
「ああ。今度からは気をつけます」
クロエとそんなことを話している間にノーラが鍵を持ってきた。
開くとすぐさまクロエがやって来て「どこにもお怪我はないんですよね?」と過剰なまでに心配される。
「ないない。それより怪我っていうとこの人の怪我の消毒をしたいんだけどクロエは薬か何かを持ってないか?」
「それなら神官なので一応持っています」
「じゃ、ちょっと貸してくれ」
「いえ、それなら私に任せてください」
彼女は白のローブから小箱を出すと狼男の治療を始めた。軟膏を塗るだけだったが殴りあったくらいの軽傷ならそれで十分だろう。
そう思って見ていたら何やら狼男はがちがちに緊張していたことに気付いた。
「クロエがかわいいからか?」
狼さんなのにウブだなと笑っていたら反対側にいる男も似たような様子だった。
いや、本当は照れなどではないのだろうか。なにやらあちらはどこか腰が抜けたようにも見えるのだが――
「ジューイ様、こちらは終わりました。私はあちらの方にも薬を塗っておくので外でお待ちください」
「ん? ああ、お疲れ様。俺がやろうと思ってたんだけど悪いな」
疑問が解ける前にクロエの声に注意が向く。
「いえ。私がお力になれるなら幸いです。それに誰にも優しく振る舞っている一面が見られて良かったです」
天使のようにほほ笑むクロエと一旦分かれた。
「ノーラもわざわざありがとう。面倒かけちゃったよな」
「……?」
あははと苦笑しながら言ったがここまでは伝わらなかったらしい。
風見は改めて『ありがとう』とこちら側の言語で言い直した。するとノーラはなぜかその一言に驚いていたものの、すぐに微笑んで返してくれる。
そうして自警団の事務所外で二人は待っていた。
この次はまた勉強かなぁと気楽に考える風見だったが、この脱走を機に鬼の授業がスタートすることを彼はまだ知らない。




