3
「おまたせ」
彼は、私が帰ろうとしたのをとがめもせずに、ジュースを差し出してきた。
その左手の指に、私は鈍く光る指輪を見つける。
「今も、好きだったら良いんだけど。好み変わってたらごめんな」
私は差し出されたジュースを受け取る。
手を見る私から隠すように、彼が手を引いた。そして右手が左手を覆う。さりげない動きだったけれど、指輪を隠したのだろうかと考える。
関係ない、私は目をそらし、それ以上考えるのをやめた。
代わりに手に持ったジュースを見る。イチゴの果実が入ったイチゴミルクだった。イチゴミルクは昔から好きで、今も時折飲む。そして五年前も、彼に買ってもらった事が何度かある。果肉入りを選んだのは、私が「自分で作った方がおいしいんだけどね」と自作のを飲みながらつぶした苺を食べていたのを覚えていたのかな、なんて思わず考える。
そんな甘ったるいの、よく飲むな。
そう言って笑ったあの頃の彼の顔を思い出した。
「……ありがとう」
私はジュースを握りしめて言った。その瞬間、彼がこの上なくうれしそうに、くったくない笑顔で笑った。
どうして、そんな顔で笑うの。
私は目をそらす。
苦しかった。その笑顔を向けられたことがうれしくて、苦しかった。うれしいはずがないのに。なのに、私の心は浮き立つように弾むのだ。
苦しい。こんなのはイヤ。何で、今更私の気持ちをかき乱すように現れたの。
「そこ、すわる?」
彼がコンビニのすぐ近くの植え込みのブロックを指す。
私は自分の気持ちを持て余し、まともに判断できないまま、問われるままにうなずいてしまう。彼が先に座り、私は躊躇いながらも結局、彼の左側に一人分以上距離を置いて座った。
彼は缶コーヒーをあけると私に向けて缶を差し出した。
「五年ぶりの再会に、乾杯」
乾杯なんて、する気分にはなれずに、彼の持ち上げた缶コーヒーを見る。
彼は動こうとしない私を気にかけた様子もなく、わずかに憂いを含んで微笑むと、一人で乾杯をしてくっとコーヒーを一口飲んだ。
缶コーヒーを持ったその手には、さっき見たはずの指輪はない。
外したのだろうか。……何のために?
気になってしまう自分を、私は抑える。関係ない。私には、関係ない。
私もイチゴミルクを一口飲んだ。渇いたのどに、甘いそれは気持ちよかった。
わずかに、沈黙が訪れた。
彼の存在はどこか心地よい。認めたくないのに、隣にいる彼の存在が、当たり前のように私の隣を占領する。なのに、どうしようもない、今すぐにでも逃げ出したい恐怖も同時にあった。恐怖と、居心地が良いが為に感じる居心地の悪さと、そんな自分への不快感とが胸の中でひしめき合う。
そして私がどうしようもない居心地の悪さを感じ始めたときだった。
「五年前の事だけど」
彼が沈黙を破り、私の方を見ずにつぶやいた。
「ごめん」
彼は、静かに、独白するようにつぶやく。
私は震えた。聞きたい衝動と、なにも聞かずに今すぐ逃げ出したい気持ちと。
けれど、私は誘惑に負ける。「なにも聞きたくない」の一言が言えなかった。