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こんな穏やかに微笑んでしゃべる男なんて、知らない。
私は訳も分からずに、言葉を紡ぐ彼を見る。
「……あのときの事、謝らせてもらいたかっただけなんだ。少しだけ、話、出来ないかな。食事とか嫌なら、せめてジュースでもおごらせて。自販機の飲み物でも……留衣が好きだった、イチゴミルクでも……ほら、すぐ近くにコンビにあるし」
知らない人のようだった。五年前のような押しつけがましさも、強引さもない。気遣うように、言葉を選びながら私の気持ちを推し量るような距離感。
本当に彼だろうか、とまず疑りたくなるような、それほどの違いがあった。けれど、彼であることは間違いない。顔も声も確かに彼で、そして話している内容もつじつまが合っている。
じゃあ、どうしてこんなに彼は別人のようなのだという疑問が今度はわいてくる。
私をだますための手口じゃないかとか、なんか裏があるのだろうかと私は迷わずに考える。私は、彼に、そう思うだけの事をされてきた。
けれど別人のような彼に、あの頃とは違う好感を覚えていたのも事実だった。
「少しだけで良いから」
私は懇願する彼を前に、うなずく事も、拒否する事も出来ずに立ちすくんでいた。
ゴクリと唾液を飲み込む。
穏やかで優しそうな、かつては恋人だった男を前に、私はおびえていたのだ。
逃げよう、と、ようやく思い至る。
「……ジュース買ってくるから。……待ってて?」
彼は少し寂しそうにつぶやくと、コンビニへと足を向けた。駆け足で店に向かう彼の背中を見ながら、このまま帰ってしまおうと思った。
もう、過去の人だ。話す事なんてない。待つ必要なんてない。
私はゴクリともう一度唾液を飲み込んだ。のどが、からからだった。
震える手を重ねて握りしめる。足が思うように動かない。
早く、早く逃げよう。
そう思うのになかなか体が動かない。話したいと、謝りたいと言った彼の言葉に興味がないわけでもなかった。私は、逃げるのを心のどこかでためらっていた。
けれど、何とか自分を叱咤し、逃げる決意をする。
私は、コンビニに背を向けて帰ろうとした。
「留衣、待って!」
悲壮とも取れる叫び声が聞こえた。
ためらっている間に、彼は買い物を終わらせたようだった。私はゆっくりと声のした方を振り返る。
駆け寄ってくる彼は、少しほっとした笑顔を浮かべた。
何で、そんな泣きそうな顔をして笑うの。
泣きたくなった。五年も離れていたのに、そんな彼の表情を覚えている自分が嫌だった。
私が泣いたとき、私の機嫌を取ろうとした時していた表情。ほっとして「好きだよ、留衣のことが大好きだよ」と、口先だけじゃない言葉をくれるときの表情。この表情をするときは、本当に彼がほっとしたときだった。そして、この表情を見る度に、彼は私の事がまだ好きなんだと、安堵していた。
五年もたったのに、まだ覚えている。