14
ピンポーン
チャイムの音に、私はびくりと震える。
来た。
私は激しい動悸を覚えながら玄関まで行くと、大きく息を吐いた。
のぞき穴から外を見れば、間違いなく彼がいる。
逃げたい気持ちを抑えながら、私はドアを開けた。
「こんばんは」
躊躇いながらも、何とか私は笑顔を浮かべて言った。笑ってごまかそうとしてしまうのは、日本人の悲しい性か。でも、わざわざ持ってきてくれたわけだし……。
「こんばんは」
なぜか彼はおかしそうに挨拶を返してくる。出会い頭にこんなに丁寧に挨拶をする彼がらしくなくて、ちょっとおかしかった。
さっきまであんなに動揺していたのに、いざ彼を前にして、こんなふうに、どこか冷静に彼を見られる自分の事が不思議だった。
会うことが分かっていたせいだろうか。それとも再会から三度目だからだろうか。思ったよりも普通に対応できている事にほっとしながら、彼を窺う。
「これだよな」
彼はドアの向こうに立ったまま、スケジュール帳を差し出した。
「え、あ、うん。ありがとう」
あっさりと手渡されたそれを受け取り、ペラペラっと中身を確認する。
顔を上げると、彼はどこかうれしそうに見える表情で私を見ている。
「あ、の」
「よかった」
「え?」
「じゃあな、おやすみ」
彼はうなずくように私に合図をすると、そのまま帰ろうとする。
「ちょっ……なんで?」
私は、訳が分からずにつぶやく。
夜中に、自分を避けようとしている女のために、ただ届けて、それだけで帰って行く。彼は何をしに来たのだろう。何か意図があるのだと思った。また無理矢理どこかへ行こうと誘われたり……。肩すかしを食らった気分で、もしかして、と考える。
ホントに、私のためだけに?
そう思ったとたん、顔が熱くなる。さっきまでとは違う意味で動悸が速くなった。
背を向けようとしていた彼は、私の声が聞こえたのか立ち止まり、振り返った。
「押してもダメなら、引いてみな……って」
「え?」
彼がにやりと笑った。
「なんてな」
彼が冗談めかして笑っている。私は力が抜けて、ふにゃっと口元がゆるんだ。
「……そんなの、言ったら意味ないじゃない……」
どこか呆れた気分で笑う私に、彼がにこにこっと笑う。
「いーんだよ。別に、駆け引きしたい訳じゃないし。留衣の顔が見たかっただけだし。顔が見えて、「ありがとう」とか言ってもらえただけで十分」
冗談めかした口調で彼が笑う。つられて、私も笑ってしまった。
「なにそれ……」
「直球勝負? 的な?」
彼の軽く笑いながら話す様子に、私の肩の力は抜けていった。
「やっぱ、来て良かったわ」
「なんで?」
「留衣の笑った顔、久しぶりに見た」
私は「えっ」と、思わず自分の頬に触れる。そんな私を彼が目を細めて見ていた。
「じゃあな、また明日。約束、わすれんなよ」
話を変えてくれた彼にほっとしつつ、私は、こういうところは相変わらずなんだな、と、どこか諦めた気持ちで彼との話しやすさを実感する。
「わかった。ちゃんと、行くね。それから、届けてくれてありがとう。本当に助かったわ」
彼が、本当にうれしそうに笑った。
「それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」
私が手を振ると、彼も軽く手を挙げて、そしてそのまま背を向けて帰って行った。
ドアを閉める。
私は、深く息を吐いた。
心臓は、とくん、とくんと、いつもより早く動いているけれど、さっきまでのように、そんなにひどくはなかった。
あんなに緊張していたのが嘘みたいに、私は、彼のことが怖くなかった。
彼と交わした言葉の一つ一つが、うれしくて、幸せなような気分にさせる。
彼との時間は、どこか幸せで、気持ちよくて、理性が「怖いよ」と、ささやく。また、彼に流されちゃうよ? と。
けれど、私は、この心地よさに流されたい気持ちに傾こうとしていた。
逃げなきゃと思っていた気持ちが揺らごうとしていた。
だって、怖くなかった。
だって、無理矢理私に何かを求めたりしなかった。
ちゃんと距離を取ってくれて、私が怖くなるようなことをしなかった。
私さえ、ちゃんと距離を取っていれば、大丈夫。望まないことはしないって、彼は言ったし。
別に、付き合うわけでもないんだから……。
私は、自分に言い訳をし続けた。