前編・まつりをにらむはやすみ
「この前行ってきた台湾のお土産なの~。みんな食べて食べて~」
甘ったるい、いかにもかわいこぶった声、桜庭まつりの声が職場に転がる。
その声に眉間を寄せるのは白樺やすみ。まつりがこうしてわかりやすく周りにおべっかを使うとき、周りはそんな意図も理解できずににっこにっこと享受し、彼女の評価をあげる。やすみはそれが苛立って仕方ない。ろくに仕事もできないくせに媚びを売ってかわいがられようというしょうもない魂胆と、そのしょうもなさのせいで結局、仕事の『できてしまう』やすみが尻拭いをさせられることが許せないのである。
「白樺さんもどうぞ~。月餅っていうお菓子なの、知ってる?」
一通り土産を配り終えたまつりがやすみの机にも配りに寄ってくる。このまるで人を無知のように扱う言い草も気に食わない。
「あぁ、全然いらないから。お気遣いなくー」
軽く手を払ってあしらう。しかしやすみのその仕草にもまつりは食い下がった。
「えぇ~、白樺さんって甘いの好きでしょ?前に専務のタイだっけ?のお土産おいしそうに食べておかわりもしてたじゃない。あれいつだったっけ……」
こういった昔のことをねちねちと引き合いに出すこともやすみの気に障った。一度うつむいて眉間のしわをほぐすように指で押さえ、しかめ面を作り笑顔に変えて向き直り、まつりの言葉を遮る。
「あーそんなこともあったねー。でも本当にいら……」
「あーっ!」
今度はまつりがやすみの言葉を遮った。
「専務で思い出した!昨日言われた資料まとめてなかったー!あっ、白樺さんの分ここ置いとくから食べてね。はー、どうしよー!」
そう言ってわざとらしく慌てて走ってやすみの席を離れて去っていった。まつりの下に月餅と苛立ちと張り付いた笑顔を残して。
翌日も『できてしまう』やすみの下に溜まった仕事が回ってきてしまった。しかも仕事だけでなく桜庭まつりもおまけで。
「白樺さんお願ぁい。今日、チーフのお子さんのお誕生日でしょ? 任せるわけにもいかないから手伝ってぇ」
両手を合わせて甘ったるい声でやすみに乞うまつり。それが逆にやすみの神経を逆なでする。
「これ結構前に言われてた案件でしょう? なんでまだできてないの」
歯噛みして怒りをあらわにすることをぐっと耐えながらも言葉にトゲが現れる。
「そうなの、いつまで経っても終わらなくて! だからお願いっ!」
頭を下げるまつり。周りはまつりのチーフへの気遣いを優しい、いい子、えらいなどと持ち上げる。
こうして結局やすみが尻拭いをさせられるのである。
職場には仕事ができなかったまつりと仕事ができてしまうやすみだけが残される。
「今頃お誕生日パーティしてるのかなぁ」
まつりが単純な入力作業をしながらのんきなことをのたまう。やすみはというとまつりの穴だらけの書面の修正作業に集中して、集中しようとして聞く耳を持たない。
「……ん-、白樺さんってチーフのこと嫌い?」
一瞬やすみの手が止まる。『嫌いなのはあなたのこと』という言葉をぐっと飲み込んで、一呼吸置く。
「いま集中してるの。あなたも自分の仕事に集中してて」
「はぁい」
まつりは気の抜けた返事をして唇を尖らせて手を動かし続けた。
「終わったぁ~っ!」
まつりが立ち上がって両手を上げて万歳するように身体を伸ばす。といっても最終確認はやすみがしていて、まつりはそれを隣で見ているだけだった。
「……」
対してやすみは机に肘をつき目頭を押さえて深い溜息をこぼす。
「ほーら、白樺さんもうーんて伸びしよ。疲れが抜けてくみたいで気持ちいい~」
この疲れは誰のせいだと思いながらも、終わった安堵感からその言葉に同意するやすみ。椅子に座ったまま机を蹴って下がり、蹴った脚を伸ばし両手も組んで伸ばして前屈するような伸びをする。
「~~~っっ……。ほっ……」
疲れが一気に抜けていく。また溜息をこぼして伸ばした四肢をぱたりと下ろし、疲れ目をつむって顔をあげる。だいぶリラックスして気の抜けた顔をしていたようだ。まつりにはそれがこう見えた。
「…………」
「……っっ!」
やすみが顎にかすかな感触を覚えたのもつかの間、唇に柔らかな圧を感じてあわてて目を開け飛び退る。
「……はぁ!?」
確かに眼前には桜庭まつりの顔があった。そしてやすみが唇に感じていた柔らかさは信じられないがまつりの唇であった。
「あ、あれ……?」
やすみの戸惑い驚く顔を見て戸惑いの表情を返すまつり。
「なにして……一体どういうつもりよ!」
やすみの荒げた声は震えて上ずってしまった。
「お礼のキスくらいしなさいよ、ってことだと思って……。違った?」
まつりは戸惑いながらもちゃっかりやすみの言い回しを真似て答え、笑って誤魔化す。
「なんで私がそんなもの……何考えてるのよ……!」
驚き、戸惑い、怒り、羞恥が頭の中で駆け巡って上手く声が出せない。想定していたものとかけ離れていることをだんだん実感し始めたまつりは人差し指をこめかみに当てながら首をかしげて自分の考えていたことを口にする。
「えーっと、あれー。白樺さんてあたしのこと好きなんだよね……?」
「はぁっ!? なんでそうなるのよ……っ!」
思わず立ち上がって抗議する。しかし足がもつれてバランスを崩してしまう。
「とと……」
まつりがすかさず両腕を差し出してやすみの身体を支える。互いの胸が触れる距離。言葉を失ったやすみにまつりは続けて
「……だって、いつもあたしのこと見てるし、お仕事だっていつもフォローしてくれるし。あと、あたしが近づくとすぐ照れくさそうにツンツンしちゃうところとか」
自分の考えていたことが間違っていたという不安に少し声が震えながらも、愛おしそうに言葉をつむぐ。
「……。ち、……違うわよ!」
やすみは一瞬自分の行動を顧みたが、両手でまつりの身体を突き放して否定する。
「私はあなたが嫌いだから睨んでただけ! フォロー? 私に仕事の尻拭いさせてるだけじゃない! 周りにはおべっか使って自分の評価はあげといて、できなかった仕事はいっつも私! なによ台湾土産なんかみんなに配って。中国語もわからないくせに台湾行って何が楽しかったのよ!」
やすみの中にずっと澱んでいたものがとうとう零れてしまった。その声は怒り、というより嘆きに近かった。
「……」
「はあ……はあ……」
やすみの叫喚にきょとんと目を丸くするまつり。両手で顔を覆ってこれ以上の何かが溢れるのを抑えようとするやすみ。
二人は無言のまま、やすみの肩でする息づかいだけが誰もいない職場に溶ける。
先に、少し落ち着いたやすみが椅子に座って荷物をまとめ始めた。それにつられるようにまつりが動き、やすみの腕をつかむ。
「ねえ、今から飲みにいこ」
「……はぁ?」
声を荒げる気力も失ったやすみが気の抜けた声で返す。
「飲んで全部ぶちまけてよ。あたし、白樺さんがあたしのことどう思ってたかちゃんと知りたい。白樺さんも全部吐き出してスッキリしちゃおうよ、ね? のものも~」
まつりが真剣な面持ちで言葉を切り出す。けれど言葉を連ねるうちに楽しげに顔がゆるみ、いつものあっけらかんとした口ぶりに変わっていく。
「…………」
またやすみの中にフラストレーションが溜まっていく。けれど、これを全部吐き出せるなら。そんなことを無言で考えて、やすみは答えた。
「いいわよ」
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