線香花火の色
塾の夏期講習のバイトを終えた睦月はスーツのジャケットを脱ぎながら玄関のドアを開けた。Lyftのバイトが終わる時間より遅いくらいなのに空の端っこまで昼間の色が残っていて夏だなと睦月は思う。去年の夏までは雨上がりの湯気が立ち上りそうなむわっとした空気に触れると夏が来たと思っていたのに。
睦月の父の書斎のドアの隙間から暖かいオレンジ色の光が漏れていた。最近白髪染めをやめて小学校の教頭らしい貫禄が出てきた彼は白い電気より読書灯やベッドサイドに置くランプのような暖かく柔らかい光が好きなのだ。年々眼鏡のレンズが分厚くなってももう手遅れだからと目元に笑い皺を作ってオレンジ色の光を貫いている。
「何してるの?」
「おかえり。万年筆の手入れだよ。お前も万年筆ちゃんと洗ってるか?」
「……一緒にやろうかな」
睦月は自分の万年筆とコンバータ、水を入れた小さなバケツを持ってきた。
「あれ?こんなにインク持ってたっけ?赤がいろいろあるけど、いつも紺色っぽい黒じゃなかった?」
「テストやプリントの丸付けをしていた頃に季節ごとに変えていたんだ。春はチューリップみたいな色、夏は太陽みたいなパキッとした色。秋は紅葉、冬は暖炉の火やホットワインみたいな色って具合さ」
父はちょっと得意げだ。
「前から棚にあったのに今ごろ気づいたのか。最近バイトから楽しそうに帰ってくるけど、何かあったのかい?」
「……静かな雨の夜みたいなお客さんがいるんだ」
電気の寿命が近いのかオレンジ色の光が一瞬弱まってまた戻った。
「また色っぽい表現だ」
父の声にからかいが混じる。
「……確かにきれいで色気があるひとだとは思うけど」
線香花火のような色味の電気で睦月の頬の赤みは誤魔化せただろうか。
万年筆を手元のバケツの水にさらすと、梅雨の日にカフェで試した灰色がかった青がじわりとにじみ出した。




