■第1章:REC
録画ボタンは、いつから押しっぱなしになっていたんだろう。
画面の隅で、小さな赤い点が灯っている。
——REC。
点滅はしていない。
ただ、そこにあるだけだ。
仲村大輔は、椅子に深く沈み込んでいた。
部屋は暗い。
カーテンは閉め切ったまま。
昼か夜かも、もうわからない。
モニターの光だけが、顔を照らしている。
いくつも並んだチャート。
赤と緑の線。
上下に揺れる数字。
「……」
カーソルが、止まっている。
クリックすれば、注文が通る。
数秒で、金が増えるか、減るか。
以前は、それがすべてだった。
勝てば、世界が広がる気がした。
負けても、次があると思えた。
だが、今は違う。
どこを押しても、同じだ。
減る。
ただ、それだけだ。
「……クソが」
小さく吐き捨てる。
モニターを閉じる。
代わりに、動画編集ソフトを開く。
タイムライン。
短いクリップが並んでいる。
タイトル:
『月10万円稼ぐデイトレ手法』
「……」
自分で書いておいて、笑いそうになる。
稼げていない。
今の自分は。
それでも。
再生数は、金になる。
嘘でもいい。
見せればいい。
信じさせればいい。
「……」
ふと。
別のフォルダが目に入る。
名前は、日付だけ。
開く。
動画がひとつ。
再生する。
ノイズ混じりの映像。
室内。
笑い声。
「だからそれ、絶対おかしいって」
女の声。
軽い。
明るい。
「いや、おかしくないやろ」
自分の声。
今より、少しだけ軽い。
映像の中の自分は、笑っている。
隣にいるのは——
澪。
カメラに気づいて、顔を背ける。
「ちょ、撮んなって」
笑いながら。
「もうええって」
照れたように。
手でレンズを隠す。
画面が暗くなる。
「なんでやねん、ええやろ別に」
「ええくない」
少しだけ間。
それから。
「……なあ」
澪が、ふと真面目な声になる。
「なんば、行かへん?」
「……なんで急に」
「漫才見たいだけや」
軽く言う。
けれど。
どこか、違う。
ほんの少しだけ。
“逃げている”みたいな。
「……ええけど」
深く考えずに、答える。
「ほんま?」
ぱっと、顔が明るくなる。
その笑顔が。
やけに、焼き付く。
「じゃあ約束な」
指を立てる。
「絶対やで」
「わかってるって」
軽く返す。
その軽さが。
今になって、重い。
「……」
映像が、そこで終わる。
暗転。
無音。
「……」
再生バーが、止まる。
そのまま、動かない。
部屋も、同じだった。
音がない。
時間が止まっているみたいに。
「……」
カーソルが、画面の隅に移動する。
録画ボタンの上で、止まる。
——REC。
赤い点。
押せば、記録が始まる。
押さなくても、世界は進む。
「……」
指が、わずかに動く。
けれど。
押さない。
まだ。
このときは。
何も知らなかった。
記録が。
こんな形で、自分を縛ることになるなんて。
見えるようになるなんて。
触れてしまうなんて。
「……」
ふと。
こめかみに、違和感が走る。
ほんの、わずか。
気のせいかと思う程度の痛み。
指で、軽く押さえる。
何も起きない。
ただの疲れだ。
そう思って、手を離す。
「……寝るか」
誰に言うでもなく、呟く。
椅子から立ち上がる。
部屋を出る。
電気は、消さない。
モニターだけが、残る。
暗い部屋の中で。
小さな赤い点が、灯っている。
——REC。
それは、止まらない。
誰も見ていなくても。
触れていなくても。
ただ、そこにある。
記録は。
もう、始まっている。




