■第10章:警察
最初は、ただのイタズラだと思った。
知らない番号。
短い着信。
折り返さない。
それで終わるはずだった。
「……」
スマホが、また震える。
同じ番号。
しつこい。
「……なんやねん」
舌打ちしながらも、画面を見る。
少しだけ考えて。
通話ボタンを押す。
「……はい」
無機質な声が出る。
相手が誰であれ、距離を取るための声。
数秒の沈黙。
それから。
『仲村さんの携帯で間違いないですか』
男の声。
落ち着いている。
抑揚が少ない。
聞き慣れた種類の声ではない。
「……そうですけど」
『奈良県警の者です』
「……」
一瞬だけ、呼吸が止まる。
それでも。
声は変えない。
「……なんかありました?」
『少し、お話を伺いたいことがありまして』
その言い方。
柔らかい。
だが。
逃げ場はない。
そういう種類の言葉。
「……電話で無理なんですか」
『できれば直接』
「……」
断る理由は、いくらでもある。
関係ない。
知らない。
忙しい。
でも——
どれも、使えない気がした。
理由は、わからない。
ただ。
この電話は、切れない。
「……どこですか」
待ち合わせは、駅近くの喫茶店だった。
いかにも、という場所。
人が多くて。
目立たない。
逃げやすくて。
囲いやすい。
「……」
大輔は、少し早めに着いた。
店の前で、立ち止まる。
ガラス越しに中を見る。
普通の客。
特に変わった様子はない。
「……」
深く息を吐く。
中に入る。
ドアベルが鳴る。
席に案内される前に。
声がかかる。
「仲村さん?」
振り向く。
スーツの男。
三十代後半くらい。
特別な印象はない。
だからこそ。
余計に、わかりにくい。
「……はい」
短く答える。
「どうも。こちらへ」
男が、奥の席を示す。
背中を向ける。
先に座らせる気はないらしい。
「……」
従う。
席に座る。
向かい合う。
距離は、テーブル一枚。
近い。
逃げるには、少しだけ狭い。
「お時間、すみません」
「……いえ」
嘘だ。
時間はある。
でも、それを言う必要はない。
「単刀直入にいきます」
男は、そう言ってから。
スマホを取り出す。
画面を、こちらに向ける。
再生されているのは——
自分の動画。
あの事故の映像。
「……」
視線が、一瞬だけ止まる。
すぐに、外す。
「こちら、ご本人の投稿で間違いないですか」
「……そうですね」
否定はしない。
意味がない。
「内容について、いくつか確認させてください」
「……はい」
男は、一度だけ頷く。
それから。
「この映像、どのように撮影されたものですか」
「……再現です」
間を置かず、答える。
用意していた言葉。
「再現?」
「過去の資料とか、聞き込みとかで」
「なるほど」
男は、メモを取る。
ペンの音が、やけに響く。
「では、この“事故の瞬間”についても?」
「……そうです」
「現場に居合わせたわけではない?」
「ないです」
「目撃者からの証言は?」
「……ネットとか、色々」
曖昧にする。
具体的には言わない。
言えない。
「……」
男は、少しだけ間を置く。
こちらを見る。
視線が、まっすぐすぎる。
逸らせない。
「仲村さん」
「……はい」
「あなたの動画、いくつか拝見しました」
「……」
「いずれも、“再現”にしては精度が高すぎる」
「……そうですか?」
とぼける。
それしかない。
「はい」
即答。
迷いがない。
「時間帯、人物の動き、位置関係——」
ひとつずつ、挙げていく。
「偶然にしては、出来すぎている」
「……」
何も言わない。
言えば、崩れる。
「……ひとつ、いいですか」
「なんですか」
「この映像」
男が、再生位置を少し戻す。
あの場面。
澪が、止まるところ。
「ここ」
一時停止。
「この瞬間、被害者は何を見ていたと思いますか」
「……」
喉が、わずかに動く。
あの“何か”。
見えない存在。
でも。
「……わかりません」
答える。
事実でもある。
「……そうですか」
男は、画面を閉じる。
スマホを置く。
少しだけ、前に身を乗り出す。
「仲村さん」
「……はい」
「正直に言ってください」
声は、変わらない。
静かだ。
だが。
逃げ場は、なくなる。
「あなたは、この映像を——」
わずかな間。
「——“見て”作っていますね?」
「……」
心臓が、強く打つ。
でも。
顔は、動かさない。
「……どういう意味ですか」
時間を稼ぐ。
それしかできない。
「そのままの意味です」
男は、視線を外さない。
「“知っている”のではなく、“見ている”」
「……」
沈黙。
数秒。
長い。
やがて。
「……違いますよ」
言う。
いつも通りの声で。
「全部、想像です」
「……そうですか」
男は、あっさり引いた。
それが、逆に怖い。
「では、別の話を」
そう言って、書類を一枚出す。
印刷された紙。
文字。
名前。
「こちら、未解決の事故です」
「……」
「三年前。奈良市内で発生」
地名が、頭に入る。
場所のイメージが、浮かぶ。
「目撃者なし。防犯カメラも不鮮明」
説明が、淡々と続く。
「現在も、原因は不明のままです」
「……」
紙を、こちらに少し寄せる。
「仲村さん」
名前を呼ばれる。
「もし仮に——」
わずかな間。
「“見れる”としたら」
「……」
「この件、どう見えますか」
静かに、置かれる言葉。
冗談ではない。
試しでもない。
確認だ。
「……」
大輔は、紙を見る。
そこにあるのは。
ただの文字。
ただの情報。
でも。
頭の中では、すでに——
“場所”になっている。
「……」
こめかみが、わずかに疼く。
触れれば。
見える。
たぶん。
「……」
ゆっくりと、顔を上げる。
「……無理ですよ」
言う。
「そんなもん」
軽く笑う。
いつも通りに。
「ですよね」
男も、笑う。
ほんの少しだけ。
それ以上は、何も言わない。
書類を下げる。
「本日は、これで」
「……」
終わり。
あっさりと。
だが。
何も終わっていない。
「ご協力、ありがとうございました」
「……いえ」
立ち上がる。
店を出る。
背中に、視線を感じる。
振り返らない。
外の空気。
少しだけ、重い。
「……」
ポケットの中で、手を握る。
じん、とした感覚。
こめかみの奥。
わずかに、熱い。
「……」
さっきの紙。
場所。
事故。
未解決。
「……」
見れる。
たぶん。
確実に。
「……」
足が、止まる。
数秒。
動かない。
それから。
ゆっくりと、歩き出す。
逆方向へ。
現場とは、違う方向へ。
「……関係ないやろ」
ぽつりと呟く。
自分に言い聞かせるように。
でも。
頭の中では。
もう、考えている。
どうやって行くか。
いつ行くか。
どこから触れるか。
「……」
画面の隅。
見えないはずの場所に。
赤い点が、灯る。
——REC。
現実と。
記録が。
ゆっくりと、繋がり始めていた。




