表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷雨の黙示録  作者: 唯野眠子
第11章-並列化
PR
64/68

第11-4話 ガラスの向こう側

時刻: 5月21日 午前8時00分

場所: 太平洋の人工島、到着ゲート

人が来た。

元地球信仰の信者たち。最初の5,000人が、人工島に到着した。ヘリコプター、船、あらゆる手段で。

私は到着ゲートの柱の脇に立って、彼らを観察していた。

年齢は様々だった。

20代の若者も、60代の年配者も。

国籍も様々だった。

アラブ系、アフリカ系、東南アジア系、ヨーロッパ系。

言語が混ざり合っていた。

手荷物の量も、服装も、体格も、何もかもが違った。

ゲートを通過する際の身元確認に、それぞれが静かに従っていた。

警備にあたるIGDEの隊員たちの目は、入島者を「救済の担い手」としてではなく、「潜在的な起爆因子」としてスキャンしている。

いらだちを見せる者も、抵抗する者もいなかった。

証明書を出し、スキャンを受け、次の者に場所を譲った。

審査の列が動くたびに、島の床を踏む足音が増えていった。

私はゲートのガラスに額を押し当て、彼らの瞳の奥にあるものを探そうとした。

共通していたのは、目の色だった。

使命があると思っている人間の目。

私はその種の目を、何度か見たことがある。

探偵事務所で、情報局で、そしてこのプロジェクトに関わり始めた頃の、浩の目の中にも。

「本物か?」

私は自分に問いかけた。

一人一人の顔を見た。

昨夜、浩から聞いた「解明されなかった起爆装置」の感触が、まだ指先に残っている。

長年、人の顔を読む仕事をしてきた。

嘘をついている人間の顔には、特有の緊張がある。

大部分の者の顔に、その緊張はなかった。彼らは来た。

それだけは、確かだった。

5,000という数字は、抽象的だ。

しかし一人一人がゲートを通過するのを見ていると、その数が積み重なっていく感覚がある。

国連の広報担当者が、非公式にこう述べた。

「5000人の統合は、実験的な試みだ。うまくいけば奇跡だが、失敗すれば取り返しがつかない」

奇跡と失敗の間にあるものを、私は今、見ている。

最初の一人が通り、最後の一人が通るまで、私はその場にいた。

記録者として、始まりを見届けるべきだと思った。


時刻: 5月21日 午後2時00分

場所: 中央広場、歓迎式典

歓迎式典が開かれた。

浩が壇上に立った。

「皆さんを迎えられることを、心から嬉しく思います。背景も信仰も異なる皆さんが、同じ目標のためにここにいる。それが、このプロジェクトの精神です」

拍手があった。

最前列に立つ元信者たちの拍手と、その後ろに立つ既存メンバーの拍手は、微妙に時間がずれていた。

私はそれを記録した。

言葉に表れない温度差は、こういう場所に最初に現れる。

浩はスピーチが終わった後、壇上を降りて、最前列に近づいた。

握手を求めたわけではなかった。ただ、立っていた。

それが何かを変えたかどうかは分からない。

しかし、その場にとどまったことは、スピーチより多くの何かを言っていた。

式典が終わった後、食堂での空気は違った。

既存の作業員たちが、新しいメンバーと別々のテーブルに座っていた。

同じ部屋にいた。

しかし、目には見えない一枚の板ガラスが確実に存在していた。

トレイを持ち、列に並び、配膳を受け、席につく。

手順は共通しているが、席の選び方は集団の意志を示していた。

新しい者は、新しい者の隣に、既存の者は、既存の者の隣に座った。

誰も排除しないが、誰も近づかない。

「信用できるのか?」

既存メンバーの科学者の一人が、私に小声で言った。

物理系の研究者で、第一基の建設から関わっている。

名前はレン・ウォン。

私とは何度か話したことがある。

「あの人たちは、つい最近まで俺たちを敵視していたんだぞ。組織が違うとはいえ、同じ源流だ。ザカリアと」

「そうだな」

「なのに、いきなり仲間として働けというのか?」

「すぐには無理だ」

私は答えた。

「ただ、少し時間をくれ」

「何をするんですか?」

「俺も、同じことを考えていた人間だ。昔は。科学を裏切った人間がいると思って、プロジェクトを諦めた。でも、ここにいる」

レンは黙った。

私が「同じ」と言ったことの意味を、少し測っていた。

「先輩は、どうやってここに来たんですか」

「遠回りをした。それだけだ」

私はそれ以上説明しなかった。

研究不正スキャンダルに巻き込まれた経緯も、学界を離れてからたどった道も、ここで話す必要はなかった。

ただ、プロジェクトを一度諦めたことと、それでもここにいるという事実だけを置いた。

私は食堂を見渡した。

二種類の人間が、二種類の椅子に座っている。

しかし、同じ食事を食べて、同じ塩の味を感じている。

それは、最初の共通点だ。


時刻: 5月25日〜6月1日

場所: 人工島、各所

ある日、工具の貸し出しカウンターで、言い争いが起きた。

既存メンバーの一人が、貸し出しリストに名前がないと主張し、元信者の若者が「昨日までは使えていた」と反論した。

二人の声が少しだけ大きくなった。

周囲が静かになった。

私が間に入る前に、別の作業員が言った。

「とりあえず、俺のを貸すよ」

それで収まった。

だが、その場に残った空気は、すぐには消えなかった。

私はその空気を記録した。

信頼は、積み上がるよりも、崩れる方が速い。

それを知っている者たちが、何も言わずにその場を支えていた。

だがそれだけでは足りない。

私は仲介役として動くことにした。

記録者の仕事ではないかもしれない。

しかし、やる必要があることはやる。

そのためのスキルが私にはあった。

双方に混じり込んで、話を聞く。

それは情報局にいた頃から身についた動き方だ。

ただし今回、目的は情報収集ではなく、接触の設計だった。

昼は既存メンバーのグループに混じり、夜は新参加者のグループに混じった。

既存メンバーには聞いた。

「何が不安ですか?」

新参加者には聞いた。

「何が難しいですか?」

答えはほぼ同じだった。

「分からないから、怖い」

言葉が違う。

文化が違う。

祈りの対象が違う。

しかし分からないものへの恐れは、同じ構造をしていた。

私はその構造の一致を、意図的に使うことにした。

両方のグループで、同じことをした。

具体的な仕事の話をした。

「あなたの担当は何ですか。困っていることは?」

仕事の話になると、人は共通言語を持つ。

信仰も出自も、工具の前では脇に置かれる。

「溶接の手順が、こちらで習ったやり方と少し違うんですが」

新参加者の一人、元電気技師の中年男性が、既存の技術者に声をかけた。

私が間に入って紹介した後のことだった。最初は双方とも、やや硬い顔をしていた。

「ああ、それは第一基の時に問題になった箇所です。最初はこうやっていたんですが、このやり方の方が熱歪みが少ない」

「なるほど。試してもいいですか?」

「どうぞ」

それだけだった。

名前の交換はなかった。

しかし、工具を手渡す動作が、確認する視線が、そして「できた」という小さな声があった。

私はその一場面を書き留めた。

別の日には、別の場所で別のことが起きた。

現場の昼休み、既存メンバーの若いエンジニアが熱中症気味になった。

近くにいた元信者の男が、水を持ってきた。

なぜ気づいたのかを聞くと「アルジェリアの現場では、砂漠の日差しで人が倒れることがあった。症状が始まる前の顔を、覚えている」と答えた。

それだけだった。

名乗り合いはなかった。

礼も短かった。

しかし翌日、そのエンジニアがその元信者に「昨日はありがとう」と言いに来た。

五秒の会話だった。

私が観察した場面の中で、最も効率的な接触だった。

食堂のテーブルが混ざり始めたのは、6月1日頃だった。

最初は一人が一人の隣に座った。

それを見た別の誰かが、その隣に座った。

誰かが命令したわけではない。誰かが提案したわけでもない。

ただ、空いている席に座った。

その繰り返しが、板ガラスを溶かしていった。

以前は、タブレットを片手に栄養素を摂取するだけの「作業場」だった場所が、今は多言語が飛び交い、スパイスの匂いが立ち込める「生活の場」と化している。

私は再び、アクリル板という名の「ガラス」越しに彼らを見ていた。

IGDEの技術者と、地球信仰の労働者が、同じテーブルでパンを分け合っている。

「ザカリアのスイッチ」を警戒し続けていた私には、その光景が美しいというより、危ういものに見えた。

信仰という名の異質なコードが、この合理性の要塞を内側から塗り替えていく。

工具の手渡し一つに、彼らは「祈り」に似た感謝を込める。

誰かが転べば、誰かが手を差し伸べる。

ガラスの向こう側にいたはずの「彼ら」は、すでに私たちの内側にいた。


時刻: 6月2日 夜

場所: 食堂

ある夜、一人の元信者が浩に話しかけた。

「堀川博士」

浩が食事を終えかけていた時だった。

「少し、話させていただけますか」

「どうぞ」

浩は椅子を引いて、正面に向き直った。

その動きに一切の迷いがなかった。

時間を取ることへの躊躇も、警戒もなかった。

ただ、聞く準備をした。

私は3テーブル離れた場所で、それを見ていた。

注意しているように見えない角度で、報告書に目を落としながら。

諜報の仕事で最初に学ぶことの一つは、観察していることを悟られないことだ。

しかし今夜は、観察より記録が目的だった。

彼の名はファリド・ベルアミ。

35歳。元は電気技師だった男だ。

来島してから10日、私は何度か彼を見かけていた。

寡黙で、仕事は速かった。

しかしグループの会話には入らずにいた。

先週の溶接問題で既存スタッフと接触して以来、仕事上の会話は増えていたが、それ以上には踏み出していなかった。

「私の妻と子供は、氷雨で亡くなりました。アルジェリアで」

浩は黙って聞いた。

「私もザカリアと同じように考えました。科学が家族を守れなかった、と。宇宙から来るものを予測できなかった、と。だから教団に入った」

「そうか」

「ザカリアが動向不明になった後、私は迷いました。彼が間違っていたのか、それとも私が弱かっただけなのか。答えが出ないまま、イブラヒムの言葉を聞きました」

「何と言っていた?」

「前に進む責任がある、と。亡くなった家族のためにも。怒りを保つことは、誰も救わない、と」

ファリドは少し止まった。視線が食堂の壁の一点に止まった。

「ザカリアが確保されたと聞いた時、私は泣きました。怒りからではなく……何かが終わった、と思ったんです。怒りを保つための理由が、なくなってしまった。それがどういうことなのか、自分でもまだ分かっていません」

「理由がなくなったことで、どうなった?」

「怖くなりました。怒りがある間は、迷わずにいられました。科学や科学者を憎んでいれば、それで一日が終われました。それが消えたら……何が残るのか分からなくなった」

浩はしばらく黙っていた。

この沈黙は、返答を探しているものではなかった。

受け取っている沈黙だった。

「俺の祖母は、『宇宙そのものを演算装置として、意識を遍在させる』ことを目標にしていた」

浩が言った。

「量子神経動態学の研究者で、技術的な根拠もあって、いつか実現できると信じていた。彼女が生きている間には完成しなかった。でも、俺が続けた。それが責任だと思っている」

「彼女は、どこかで見ていると思いますか」

浩は少し間を置いた。

「分からない。ただ、続けることは、彼女に対して嘘をつかないということだと思っている」

「嘘をつかない」

「そう。夢を持っていた人間のそばにいた者は、その夢を知っている。それを知っていながら、別の方向に行くことが、俺には嘘に感じる」

ファリドは頷いた。

二人の会話は短かった。

しかし、この夜が始まりだったと記録する。

二人が、互いに別の種類の喪失を持っていることを、互いに知った夜だった。

私はその会話を、少し離れた席から見ていた。

二人の間に入ることはしなかった。必要がなかった。

ファリドが席を立った後、浩はしばらくそのまま座っていた。

食事には戻らなかった。

何を考えているかは分からなかった。

私は書いた。

6月2日夜、食堂。浩とファリドが話した。

それだけを書いた。この記録が何に役立つかは、今は分からない。

しかし起きたことは、起きた時に書く。

それが記録者の仕事だ。


時刻: 6月5日 午前10時00分

場所: 第二基建設現場

地球信仰メンバーが正式参加してから2週間が経った。

ここ数日、私は自分の記録が“希望に寄りすぎている”のではないかと考えていた。

接触は起きている。だが、それが「解決」を意味するとは限らない。

「作業効率が40%向上しました」

現場統括長が報告した。

浩、洋子、私が同席していた。

「主な要因は人員の充足です。不足していたポジションがほぼ埋まりました。また、地球信仰メンバーの多くが建設経験者で、訓練期間が第一基の時より短くて済みました」

「第一基の建設時、私たちはミリ単位の精度を保つために、全ての工程で自動クレーンの水平待機を義務付けていました。ですが、信者たちは違います。クレーンの到着を待つ間に、自国のインフラ現場で培った独自の足場組みと、人力の滑車システムを組み合わせて、重量物を次々と上層へ運び上げている」

画面の中では、作業服を着た信者たちが、歌のようなリズムに合わせてロープを引いていた。

「精密機械が想定していた『待ち時間』を、彼らの『泥臭い連帯』が埋めてしまった。アトラスが計算した最適解を、彼らの肉体が超えていく。これは技術革新ではなく、適応の暴走です。結果として、資材の搬入速度が劇的に向上し、それが全体の40%という数字を叩き出している」

浩は、その熱気に当てられたように黙り込んだ。

第一基を作ったのが「選ばれたエリート」だとしたら、今、この島を拡張しているのは、過酷な現実の中で「生き延びる術」を磨いてきた者たちだった。

「問題は?」

「言語と文化の摩擦が若干残っています。ただ、日々改善されています。測定できるほどではないですが、現場の空気が変わってきた、と複数の責任者から報告が来ています」

「測定できないものも、起きている」浩が言った。

「そう思います」

洋子が補足した。

「AIアトラスのデータでも、作業ミスの発生頻度が下がっています。人員増加だけでは説明できない数値です。意識の変化が、ミスの減少につながっているとみています」

浩は画面から目を上げた。

「意識は測れない。でも、結果は測れる」

「はい」洋子が答えた。

「それで十分です」

40%という数字は、明確だった。

人が増え、穴が埋まり、速度が上がった。

それは記録できる。

しかし、その数字の背後で起きていることを、私は食堂で見ていた。

工具の手渡し。

視線の交換。

言語が違っても通じる「できた」という声。

それらには数字がつかない。

しかし、それが40%を作っていた。

私はそれを書いた。記録者として、書き残すべきだと判断した。

数字と、数字の裏にあることを、両方。

「この数字は、表に出しますか」

私が浩に聞いた。

「プレスリリースに使えます」

「出す」浩は言った。

「ただし、数字だけではなく、どうやってこの数字になったかも伝えてほしい」

「難しい」

「そうだな」浩は少し考えた。

「じゃあ、記録に残しておいてくれ。いつか誰かが読む時のために」

「分かった」

私は手帳にそれを書いた。

浩が「いつか誰かが読む時のために」と言った言葉も、一緒に書いた。

記録者として、記録を依頼された瞬間を記録することは、二重だが正確だと思った。


時刻: 6月5日 夜

場所: 展望デッキ

洋子が私を探してきた。

会議室でも管制室でもなく、展望デッキだった。

珍しいことだった。洋子が誰かを「探す」という行動を取るのは、何か必要なことがある時だ。

「今日、ファリドさんと浩さんが話しているのを見ました」

「ああ」

「浩さん、変わったと思いませんか」

「どう変わった?」

洋子は少し考えた。

「言葉を選ぶようになった。以前より。正確に言うと、言葉を選ぶ前に、相手を見るようになった」

「それが変化だと思う理由は?」

「以前の浩さんは、問題に対して言葉を選んでいた。今は、人に対して言葉を選んでいる。対象が変わった」

私はその観察を手帳に書き留めた。

洋子の観察は精密だった。

感情ではなく、行動パターンの変化として浩を見ていた。

二人は長い時間を共に過ごしてきた。

互いの思考の癖を、互いが言語化せずに知っている。

「成長したんだろう」

「ええ、そうだと思います。ただ——」

洋子は建設現場の光の方を向いた。

夜でも、至るところにライトが輝いていた。

第二基から第十二基の建設映像がスクリーンにも流れていたが、実際に目で見ると、規模の感覚が違う。

星が落ちたような光の集まりだった。

「私たちは、計算式を杖にして120年先を歩こうとしている。でも、彼らは違う。計算なんてしなくても、120年後のそこに自分の孫が立っていることを、呼吸をするのと同じ当たり前さで信じている。あの眼差しは、希望なんて生易しいものじゃない。もっと、暴力的なまでに純粋な『確信』です」

洋子はしばらく黙っていた。

「記録しておいてください」

「する」

それだけの会話だった。

私たちはしばらく、光を見ていた。

洋子が何を言おうとしたのか、私には分からない。

ゲートを通る時、彼らと私の間にあった見えない厚い強化ガラス。

浩が言った「意識は測れない」という言葉の本当の意味を、私はその時理解した気がした。

彼女が浩について語る時の声と、それ以外の時の声は、私には区別がつかなかった。

そういうことを書くのは、記録者の仕事ではないと思っている。

マリアから連絡が入ったのは、翌朝だった。

「今がそのタイミングです。1週間、東京に戻ってください。記録者も」

私はその連絡を読んで、少し考えた。

緊急の判断が減ってきた今、マリアが言う「そのタイミング」は、たぶんそういう意味だろう。

少しなら休息できる、という。

バーを閉めてから、1年以上が経っていた。

東京の鍵がどこにあるかは、覚えていた。

問題は、戻る理由を探せるかどうかだった。

マリアの言葉が、その理由になった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ