第4-5話 共通の楔
時刻: 3月3日 午前10時00分
場所: 国連本部、予算委員会
ケフィリアンのメッセージ公開から約4日後。
前回否決されたIGDEの予算案が、再審議されていた。しかし、今回は雰囲気が全く違っていた。
委員会室は、前回と同じ顔ぶれだった。しかし、空気が変わっていた。
前回のような敵対的な緊張感はない。代わりに、静かな期待が漂っていた。
委員長のフランス代表が、議事を進めた。
「IGDE次年度予算案、総額1.2兆ドルについて、再審議を開始します」
前回、反対派の中心だったサウジアラビア委員が発言を求めた。
「委員長、発言してもよろしいですか」
「どうぞ」
サウジアラビア委員が、ゆっくりと立ち上がった。数日前までザカリアの支持者だった男だ。
「前回、私はこの予算案に反対しました」
一呼吸置き、委員長ではなく自国席の方へ一瞬だけ視線を走らせた。
「私は、科学技術が人類を傲慢にすると信じていました。軌道エレベータは、神への冒涜だと考えていました」
「しかし...ケフィリアンのメッセージを聞いて、考えが変わりました」
委員会が、ざわめいた。
「タラス船長は、私たちによい人生を願ってくれました。4億年前の友人の言葉に、私は打たれました」
サウジアラビア委員は、一瞬表情を引き締めた。
「しかし、それだけではありません」
彼は、手元のタブレットに視線を落とした。
「我が国の若者たちが、ザカリアの教えを捨て、IGDEの技術研修に殺到しています」
「先週だけで、3万人が応募しました。彼らは、宇宙開発に未来を見出しています」
「さらに、サウジアラムコは既にステラーカーボン製造の技術提携契約を締結しました。投資額は50億ドルです」
委員たちが、メモを取り始めた。
「赤道上の建設地周辺では、不動産価格が3倍に跳ね上がりました。雇用は100万人規模で創出されます」
「もはや、反対は我が国の国益を損なうだけです」
サウジアラビア委員は、マリアを見た。
「私は、信仰を捨てたわけではありません。しかし、現実も見ます」
「タラス船長の願いに応えることが、我が国の繁栄にも繋がる」
「...これは、神の導きではないでしょうか」
パキスタン委員も、同様の発言をした。
「私も、賛成に転じます」
「ただし、条件があります」
「条件とは?」
委員長が尋ねた。
「プロジェクトの透明性を確保してください。予算の使途を、定期的に報告してください」
「そして、途上国にも参加の機会を与えてください」
「このプロジェクトは、先進国だけのものであってはなりません」
マリアが答えた。
「もちろんです。予算の使途は公開しますし、各国へは平等な参加機会を提供します」
「技術移転も、積極的に行います」
採決が行われた。
委員たちが、次々と手を挙げる。
「可決!」
委員長が宣言した。
委員会に、拍手が起こった。
マリアは、深く頭を下げた。
「皆さん、ありがとうございます」
時刻: 3月4日 午前9時00分
場所: IGDE危機管理センター
マリアのオフィスには、壁一面のモニターが設置されていた。
世界25カ所の製造工場、12の建設地、各国の研究施設。全てがライブ中継されている。
「堀川浩博士、プロジェクト・アセンション総技術責任者に任命」
「桜井洋子博士、科学諮問委員長に任命」
マリアが正式に発表した。
浩と洋子は、頭を下げた。しかし、儀式的な任命式はそこまでだった。
「では、現場の状況を」
マリアが言うと、モニターが次々と切り替わっていく。
最初の映像。ブラジル、サンパウロ。
巨大な工場の内部。炭素ナノチューブの紡績装置が、24時間体制で稼働している。
「現在の生産量、1日あたり1800トン。計画を50%上回っています」
工場長の興奮した声。背景には、機械の轟音と作業員の掛け声。
カメラが工場内を映す。数百メートルの生産ライン。黒い繊維が、まるで生き物のように紡がれていく。技術者たちが、品質チェックのために走り回っている。
「24時間シフト、3交代制で回しています。作業員は2000名。全員、地元採用です」
日本、横浜造船所の映像。
ドックに浮かぶ、巨大な海上プラットフォーム。長さ500メートル、幅300メートル。赤道への輸送用だ。
「第一便、来週出航します。太平洋、キリバス沖へ」
造船技師が、巨大なクレーンを背景に報告する。溶接の火花が飛び散っている。
カメラが引くと、ドック全体が見える。数十台のクレーン、数百人の作業員。昼夜を問わず、建造が続けられている。
「この1隻で、ステラーカーボン1万トンを輸送できます。月に4往復の予定です」
その次は、アフリカ、ケニア。
赤道直下の平原。送電塔が次々と建設されている。
「地上基地への送電網、60%完了。来月には全面稼働します」
現場監督の声。重機の音、土煙、数百人の作業員。
カメラがパンすると、地平線まで続く送電塔の列が見える。1基ごとに、数十人の作業員が取り付いている。
「総延長300キロメートル。ナイロビから赤道基地まで、50万キロワットの電力を供給します」
次の映像。中国、深セン。
ステラーカーボン製造工場。生産ラインが、黒い繊維を連続的に吐き出している。
「引張強度190ギガパスカル。設計値を上回っています」
技術者が、サンプルを掲げる。その黒い繊維が、人類の未来を支える。
カメラが工場の全景を映す。東京ドーム5個分の敷地。24時間、機械が休まず動いている。夜景では、工場全体が光の海のように見える。
「この工場だけで、年間50万トン生産できます。世界25工場で、年間1200万トンです」
そして、アメリカ、ヒューストン。
NASA管制センター。巨大スクリーンに、ISSの映像。
「カウンターウェイト、組み立て順調。来月、静止軌道へ」
宇宙飛行士の声。無重力空間で、巨大な構造物が組み上がっていく。
カメラが宇宙から地球を映す。青い惑星。その上空で、人類の未来が形作られている。
「総重量10万トン。小惑星から採掘した鉄とニッケルの合金です。これが軌道エレベータの錘になります」
インド、ムンバイでも。
港湾施設。巨大なコンテナが次々と積み込まれている。
「赤道基地への物資輸送、1日あたり500コンテナ。食料、機材、建設資材」
港湾管理者が報告する。
カメラが港全体を映す。数十隻の貨物船が停泊している。クレーンが絶え間なく動き、コンテナを積み降ろしている。
「世界中から、物資が集まっています。これは人類史上最大のロジスティクスプロジェクトです」
南に飛んで、オーストラリア、パース。
太陽光発電施設。砂漠一面に、ソーラーパネルが広がっている。
「発電量、1日あたり50メガワット。全て赤道基地へ送電します」
エンジニアが報告する。
カメラが空撮映像に切り替わる。地平線まで続くソーラーパネル。太陽の光を反射して、まるで巨大な鏡のように見える。
「再生可能エネルギーで軌道エレベータを動かします。化石燃料はゼロです」
マリアは、全ての映像を見渡した。
「世界中が、一つの工場になったようね」
洋子が呟いた。
「ええ」
浩が頷いた。
モニターから、様々な音が流れてくる。
機械の轟音、溶接の音、重機のエンジン、作業員の掛け声。そして、世界中の言語。英語、中国語、スペイン語、アラビア語、スワヒリ語。
ブラジルの工場では、ポルトガル語で作業指示が飛び交っている。
日本の造船所では、日本語と英語が混ざり合っている。
ケニアの建設現場では、スワヒリ語と現地の部族語が響いている。
マリアは、微笑んだ。
「私は、これも素敵な協奏曲(Harmony)だと思うのよ」
時刻: 3月5日 午後8時00分
場所: シリア、廃墟となった地下施設
かつて軍事施設だった地下バンカー。今は、神の剣の最後の拠点となっていた。
ザカリアは、薄暗い部屋でタブレットを凝視していた。
画面には、世界中の建設現場の情報が表示されている。しかし、それは公式の情報ではない。ダークウェブから収集した、盗まれた内部資料だ。
「教主」
部下の一人が報告した。
「信者数、さらに減少しています。現在、約3000万人」
「そのうち、戦闘可能な者は?」
「約5万人です」
ザカリアは、タブレットを置いた。
部屋を見渡す。かつては数百人が集まっていた。しかし今、残っているのは20名ほどだ。
全てを失った者たち。家族を、仕事を、故郷を。後戻りできない狂信者たちだ。
壁には、襲撃計画のメモが貼られていた。
「3月10日: サイバー攻撃、発電所制御システム」
「3月15日: 物流妨害、輸送船破壊」
「3月20日: 化学兵器、製造工場」
しかし、ザカリアはそれらに目を向けなかった。
彼の目は、別のメモに注がれていた。
「3月6日: キリバス人工島、第一基地上基部破壊」
「これが、最後の機会だ」
ザカリアが呟いた。
「建設開始の今日、基礎を叩き壊せば、人類の自信は二度と戻らない」
部下の一人が尋ねた。
「しかし、警備は厳重です。どうやって...」
「教徒が見つけてくれた、セキュリティの穴を利用する」
ザカリアは、タブレットを操作した。
画面に、キリバス人工島の警備配置図が表示される。しかし、その一部に赤い印が付いている。
「搬入口だ。夜間、警備が手薄になる」
「ここから侵入し、地上基部の基礎に爆弾を設置する」
「成功すれば、建設は数ヶ月遅延する。そして、世界の信頼は崩れる」
ザカリアは、部下たちを見渡した。
「これが、我々の最後の機会だ」
「失敗すれば、全滅する。しかし、成功すれば、人類は科学の傲慢を思い知る」
「諸君...準備はいいか」
部下たちは、頷いた。
時刻: 3月6日 午前3時00分
場所: 太平洋、キリバス共和国沖、人工島
深夜。人工島は、静かだった。
しかし、海の上では、小型ボートが接近していた。神の剣の精鋭部隊、10名。
「目標地点まであと500メートル」
リーダーが囁いた。
ボートは、ライトを消して航行している。レーダーにも映らないステルス仕様だ。
「警備の配置は?」
「情報通りです。搬入口は無人」
部下が確認した。
ボートは、人工島の搬入口に接岸した。
部隊は、静かに上陸した。誰にも気づかれていない。
「よし、侵入開始」
彼らは、搬入口のドアを開けた。ロックは、事前に無効化されていた。
内部に入る。薄暗い倉庫。大量のコンテナが積まれている。
「爆弾設置地点まで、あと100メートル」
リーダーが確認した。
彼らは、コンテナの間を進んだ。足音を殺して。
地上基部の基礎が見えてきた。巨大なコンクリートの柱。
「ここだ」
リーダーが合図した。
部下の一人が、バックパックから爆弾を取り出した。C4爆薬、10キログラム。基礎を破壊するには十分な量だ。
彼が爆弾を設置しようとした瞬間。
周囲のコンテナが、一斉に開いた。
そして、武装した兵士たちが四方から現れた。IGDE特殊部隊。黒い戦闘服、自動小銃、ナイトビジョンゴーグル。
完全に包囲されていた。
「武器を捨てろ」
特殊部隊の隊長が命令した。
神の剣の部隊は、凍りついた。
その時、スピーカーから女性の声が流れた。冷たく、しかし余裕のある声。
「ようこそ。お待ちしていたわ」
サラ・チェンの声だった。
「残念だけど、あなたたちは最初から罠にかかっていたの」
「何...?」
リーダーが呟いた。
「セキュリティの穴? それは私が流した偽情報よ」
「あなたたちの通信は、全て傍受していた」
「ダークウェブの取引も、資金の流れも、全部把握済み」
サラの声が、倉庫に響く。
「あなたたちは、踊らされていたのよ。最初から」
神の剣の部隊は、呆然とする以外、何も思いつかなかった。
時刻: 3月7日 午前10時00分
場所: IGDE危機管理センター
マリアのオフィスで、サラが作戦の報告をしていた。
「キリバスの襲撃は完全に阻止しました」
「他の計画は?」
「全て掌握済みです」
サラは、タブレットを操作した。画面に、神の剣の全襲撃計画が表示される。
「サイバー攻撃、物流妨害、化学兵器。全て、私たちが誘導した偽情報です」
「ハニーポット作戦ですね」
洋子が理解した。
「ええ」
サラが頷いた。
「ザカリアが『見つけた』はずの脆弱性は、全て私が意図的に流したものです」
「彼らの資金源、通信経路、武器調達ルート。全て監視下に置きました」
「そして、最も危険な部隊を、キリバスに誘い込んだ」
「サラ」
マリアは、声をかけながら一度だけ頷いた。
「ありがとうございます」
サラは、資料を閉じた。
「これで、神の剣の組織的な抵抗は終わりました」
「ザカリアは?」
サラの表情が引き締まった。
「まだ捕まっていません。彼の影響力も、もうありません。しかし油断はしません」
時刻: 3月7日 午後2時00分
場所: 国連総会
国連総会で、歴史的な投票が行われようとしていた。
議題: 地球連邦政府設立準備委員会の設置
事務総長が、提案理由を説明した。
「ケフィリアンのメッセージは、私たちに協力の重要性を教えました」
「プロジェクト・アセンションは、その第一歩です」
「しかし、プロジェクトが完了した後も、人類は協力し続けなければなりません」
「そのために、我々は新しい統治機構を必要としています」
事務総長は、一呼吸置いた。
「地球連邦政府」
議場が、ざわめいた。
しかし、その反応は儀礼的なものだった。実際には、既に決まっていた。
マリアが、過去数週間をかけて、各国と協議を済ませていたからだ。
「エレベータ運営権の20%を、北米ブロックに保証」
「宇宙資源の関税を撤廃します。中国も自由貿易圏です」
「技術特許の共有プラットフォームをEUを中心に構築します」
「建設労働の60%を、途上国の地域住民から雇用します」
「ユーラシアの極地開発の優先権を認めます」
マリアは、タラス船長のメッセージを錦の御旗にしつつ、各国の利害を精密に調整していた。
協力は美しい。しかし、協力を支えるのは利益だ。
形式的な議論が、しかし、数時間続き、結局予定通り、
「可決!」
事務総長が宣言した。
マリアは、浩と洋子に囁いた。
「理想だけでは世界は動かない。でも、理想と利益を組み合わせれば、世界は変えられる」
「それが、私の仕事」
時刻: 3月7日 午後8時00分
場所: 無人島研究所、浩の研究室
夕食後、浩と洋子は研究室でケフィリアンのデータを眺めていた。
浩が、三重螺旋構造のDNAモデルを回転させながら、ふと呟いた。
「彼ら、どんな食事をしてたんだろうね」
洋子が、コーヒーカップを置いて笑った。
「何、急に」
「いや、この複雑な生化学システムを維持するには、相当なエネルギーが必要でしょう」
浩は、画面を指した。
「6種類の塩基、三重螺旋、トポロジカルフォールディング。代謝速度は人間の3倍以上だったはずです」
「じゃあ、甘いものが好きだったんじゃない?」
洋子が楽しそうに言った。
「脳をあれだけ使ってたんだから、糖分必須よ」
「タラス船長も、締め切りに追われて甘いものを食べてたかも」
浩が笑った。
「ケフィリアン版の和菓子とか?」
「うーん、青い花のエキスを使った、ゼリーみたいな」
洋子は、想像を膨らませた。
「宇宙船のカフェテリアで、タラス船長が『また徹夜だ、糖分補給しないと』って」
「そして、仲間と『また船長、甘いもの食べてる』って笑われたりして」
二人は、笑い合った。
しばらくして、洋子が窓の外を見た。
「星が綺麗」
浩も窓に近づいた。無人島の夜空は、光害がない。無数の星が輝いている。
「どこかに、ケフィリアの星があるんですよね」
洋子が呟いた。
「342光年彼方。今はもう、暗い星」
浩が答えた。
「でも、彼らのメッセージは生きている」
二人は、しばらく無言で星空を見つめた。
洋子が口を開いた。
「私たち、すごいことに関わってますよね」
「国際政治、テロ、陰謀。毎日が映画みたい」
「でも」
洋子は、浩を見た。
「時々、こうやって普通に笑えることが嬉しい」
浩は、頷いた。
「そうですね。ケフィリアンも、きっとこうやって笑っていたんでしょう」
「甘いものを食べて、星を見て、笑い合える世界で」
今は、ただの二人の人間として、星を見上げていた。
夜空に光る星々。美しい。
そして、明日からまた、世界を変える仕事が始まる。




