第五話 ミュリエル十八歳
ランベルトの下で過ごすようになってから五年の月日が流れ、ミュリエルは十八歳になった。
魔王城――今は旧魔王城と呼ばれる城の一室に、ミュリエルの部屋はある。魔国へ来たばかりのころに用意してもらった部屋であり、ミュリエルが最初に目覚めた部屋でもある。部屋には天蓋付きの寝台とクローゼットが元々あったが、ミュリエルが使うようになってからは、全身が映る鏡と机と椅子が置かれた。
鏡を見ながら指先でちょんちょんと前髪を整える。ここへ来たばかりの頃は長かった髪も、今は肩の位置まで短くなった。日々の手入れが楽で気に入っている。今日も双子と遊ぶため、膝丈のワンピースを身に着けている。もっともミュリエルは貴族ではないので、普段から動きやすさ重視の服を好んで着ている。足元は編み上げブーツにした。鏡の前でくるりと回ると、白金の髪が小さく揺れ、ワンピースの裾がふわりと翻った。
「よし。行こう」
満足気に口角を上げたミュリエルは、部屋を後にした。
廊下に出ると、窓から日差しが差し込んでいた。窓の外の景色はまるでおしろいをはたいたかのように白で覆われている。今日も寒そうだ。
今日はなにをして遊ぼうか考えていると、視線の先に見知った二人の男の後ろ姿を見つけた。途端に心臓は高鳴り、自然と口角が上がっていく。ミュリエルは迷うことなく駆け出した。
「ランベルトさまっ!」
「……ミュリー?」
振り返ったランベルトに向かって、ミュリエルはぎゅっと抱きついた。
ランベルトと出会った頃はまだ背も小さく、ろくに食事を取っていなかったせいで痩せ細っていたが、セドリック監修の栄養たっぷりの食事を摂るようになってからはみるみる成長し、今はランベルトの肩くらいまで背が伸びた。
だが、ランベルトは少しも変わらない。五年経っても美男子のままである。魔力のある人間は老けないというわけではない。ランベルトは出会った当初、今のミュリエルと同じ十八歳だったらしい。十八歳とは思えないほど大人びていたのだが、時折見せる幼さは年齢からくるものだったらしい。
そんなランベルトは王都にある魔法協会から招集がかかることが多々あり、城を空けることがある。基本的に一人で行ってしまうため、ミュリエルはいつもお留守番だ。
すぅ、と鼻から空気を吸い込むと、ランベルトの香りがする。ランベルトを堪能していると、大きな手がミュリエルの肩に置かれた。
「こら! いつも言ってるが、抱きつくな! 特に人前では絶対にやめろ!」
くっついたミュリエルを引き剥がそうとしているが、ランベルトとの攻防に負けるわけにはいかない。より一層抱きしめる手に力をこめた。
「今は人前じゃないもの」
「セドリックがいるだろっ!」
ランベルトの隣では、セドリックが目を細めていた。
セドリックも全然変わらない。エルフは長命のためそうそう見た目が変わることはないのだという。
ランベルトが不在の時は、セドリックが城のことを取り仕切っている。ランベルトが王様なら、セドリックは宰相だ。もっとも、ランベルトは五年経った今もなお仮初の統率者であり、セドリックは補佐官なのだが。
「お気になさらず、続けてください」
「ほら、セドさんもいいって言ってます!」
「セドリック!!」
声を荒げるランベルトに対し、セドリックは涼しい顔をしている。
そうこうしている間もランベルトはミュリエルを引き剥がそうと奮闘している。
「大体人前じゃなくてもダメだ! 俺だからいいものの、こういう行動は勘違いする奴もいるんだからな!」
「ランベルトさま以外にはしてません!」
「そういう問題じゃない!」
というより、ランベルト以外にする理由がない。つまり、そういうことだ。
だが、ランベルトには一向に伝わらない。
「鈍いですねぇ」
「にぶい」
「にぶいだわね」
セドリックの呟きに、いつの間にか来ていた双子が続いた。
ユールバートもエルーシャもちっとも大きくならない。変わらず五歳児ほどの大きさだ。
いつまでも遊びが大好きな幼子だが、彼らに関しては五年経った今でもどんな種族なのかわかっていない。だがどんな種族であったとしても構わないと思っている。ミュリエルにとって双子は、弟妹のような存在だ。
セドリックと双子はミュリエルの気持ちを知っている。気づかないのはランベルトだけだ。
「あっ!」
痺れを切らしたランベルトに無理やり引き剥がされた。
実に不服である。
「本当ランベルト様は鈍すぎるっ!」
セドリックと双子がうんうんと頷いている。
「それは俺のセリフだっ!」
ランベルトの言葉には、この場にいる全員がただじっと視線を向けていた。
「ったく……まあ、いい。魔法協会から緊急の伝達があった。今からセドリックに説明するところだったんだが、お前も来い」
ランベルトは小さく息を吐き居住まいを正すと、ミュリエルに向かって命じた。これは魔国の仮初の統率者ランベルトとしての命令だ。ミュリエルは素直に頷く。
だがそれに異を唱えるように、小さき者たちがざわめいた。
「えー! ミュリーはこれからユールとあそぶ」
「えー! ミュリーはこれからエルーとあそぶだわね」
じたばたと寝っ転がり、不満を露わにしている。
双子の反応は当然のことだ。緊急の伝達など、大人の都合に過ぎない。本来は双子と遊ぶ予定の方が先に入っていたのだ。仕方のないことだが、幼子たちにはまだ理解するのは難しいだろう。
ミュリエルはその場にしゃがみこんだ。
「ユール、エルーごめんね。お話が終わったら、いっぱい遊ぼう?」
双子はぷくっと頬をふくらませたままだ。ごきげんななめである。
ミュリエルはふと思いついて、人差し指を立てた。
「そうだ! たっくさん遊ぶために先におやつを食べるのはどう? おやつを食べながら、なにして遊ぶか考えておいてね。一つじゃすぐ終わっちゃうからダメだよ?」
「わーい! おやつー!」
「わーい! おやつだわねー!」
双子はむくりと起き上がると、手をつないで食堂へと駆け出した。おやつで機嫌が直るのも二人の可愛いところである。「廊下は歩きなさい!」というセドリックの声も聞こえていない。
後ろ姿が見えなくなるのを見届けてから、三人は歩き始めた。
「ミュリエルはいい母親になるでしょうね」
セドリックが眼鏡の奥にある瞳を細めて、しみじみとばかりに言った。ミュリエルとしては双子の姉のつもりなのだが、それでも褒められたことは素直に嬉しい。えへへと頬が緩んでしまう。だらしのない表情を浮かべるミュリエルに、ランベルトは小馬鹿にしたように笑った。
「くくっ。ミュリーが母親とはな。結婚すら早いだろ」
「ランベルト様、ヴィニラゴン王国では十八歳で成人ですよ。それにこの年であれば婚約者がいてもおかしくありません。実際、ミュリエルは美しく育ちましたから、ここのエルフや魔族からも人気です」
「なっ!?」
信じられないとばかりにランベルトは金と赤の瞳を大きくしている。心外だ。
「この間も言い寄られてましたもんね。確か貴族階級の魔族でしたか」
「はい……。でもお断りしました」
その魔族は城に出入りする貴族であり、ミュリエルに一目惚れしたと言ってくれた。容姿端麗で、ミュリエルとの身分差も気にしないと言ってくれた。とてもありがたい話ではあったのだが、丁重に断った。もちろん魔族だからとか、身分差がとかいう理由ではない。
「俺の許可なく言い寄ったのはどいつだ……?」
ランベルトは眉根を寄せ、気迫のこもった低い声で訊ねた。思いもしなかった反応に、淡い期待を抱いてしまう。
「別にランベルト様の許可はいらなくないですか? 誰と結婚しようがミュリエルの自由ですよ?」
ミュリエルの気持ちを知っているセドリックが、くいっと眼鏡の中心を持ち上げ答える。
「なにを言っている! 俺はミュリーの保護者代わりだろう! 俺が認めたやつじゃないと!」
「なっ!? 子ども扱いですかっ!?」
成人したのにいつまでも子ども扱いとは、遺憾である。
「当たり前だろ! 俺はお前に世界を知れと言ったが、結局魔国から出たことないだろ!」
「それはランベルト様にも責任がおありかと」
ランベルトの主張に、セドリックが続ける。
「『王都は危ない』とか、『俺の目の届く範囲にいろ』とか、理由をつけて出さなかったのはランベルト様ですから。ミュリエルが箱入り娘になるのも無理はありません」
「ぐっ……」
そういうことである。決してミュリエルが出不精だったわけではない。ランベルトが魔国の外に出さなかったのだ。意外と心配性らしい。ゆえにミュリエルはイルーヴ村と魔国以外の世界を知らない。
「そういうわけで、ランベルト様も意外と子煩悩かもしれませんね」
「セドさんまでわたしを子ども扱いですかっ!」
「私からすれば、ランベルト様もミュリエルも赤子のようなものですよ」
それを言われてしまえば、さすがにミュリエルも反論できない。エルフと人間では時間の流れが違うのだ。人間よりもはるかに長い時を生きてきたセドリックから子ども扱いされるのは、仕方のないことだと受け入れざるを得ない。だが、五歳しか変わらないランベルトから子ども扱いされるのだけは、どうしたって腑に落ちない。
ミュリエルは歩きながら、ランベルトにじとっとした視線を送ったのだった。
いきなり5年後ですが、この間の出来事は番外編で投稿できたらと思っています。
ここから本格的に物語が始まっていきます。




