2-3 ミュリエルとダン
深紅のロングコートの裾が、風を受け大きく揺らめいている。背にあるのは剣だろうか。
どこか懐かしさを感じさせる雰囲気ではあるが、覚えがない。
「えっ、と……?」
ミュリエルが小首を傾げると、青年は一歩距離を詰めてきた。
「お前、忌み子だったミュリエルだろう?」
「――っ!? どうしてそれを?」
久しぶりに聞いた言葉に、どくんと心臓が跳ねた。
ミュリエルが忌み子と知っているのは、ランベルトとセドリック、それから城の使用人だけだ。双子は理解しているのかどうかわからない。よく城に出入りする業者はおろか、ミュリエルに求婚してくれた魔族ですら知らないことをなぜ、知っているのだろうか。
それに、この青年はどこから入ってきたのかという疑問もある。正門から入れば、たどり着くのは正面玄関だ。城の東側にも入口はあるが、そこは業者の荷下ろしに使われる。
来客であれば、城の北側にまで来ることはありえないのだ。
だとするならば――招かれざる客なのかもしれない。
ミュリエルがわずかに身構えると、青年の顔に動揺の色が走った。
「おいおい、冗談はやめてくれよ……。俺だよ、俺。わかるだろう?」
青年が引きつった笑みを浮かべると、ちらりと八重歯が顔を出しているのが見えた。その瞬間、記憶の奥底に眠っていた思い出が、走馬灯のように駆け抜ける。
イルーヴ村で唯一、忌み子だと知りながらも対等に接してくれた稀有な存在。短く刈り込んだ枯草色の髪の少年は笑うと、八重歯を覗かせていた。その少年と目の前の青年の姿が重なって――ミュリエルは思い出した。
「ダ、ン……?」
「ああ……っ!」
ダンは目元を緩めると顔を綻ばせて、大きく頷いた。
「やっぱり、生きていたんだな」
その言葉に、血の気がみるみる引いていく。心臓が嫌な音を立てていて、吐き気を催したときのような気持ち悪さが胸に広がっていく。
(ダンはやっぱりって言った)
ミュリエルが生きていることが知られたどころの話ではなかった。
ダンの口ぶりは、ミュリエルが生きていることを知っていたかのようだった。
イルーヴ村の大人たちも知っているのだろうか。両親はどう思っているのだろうか。
自然と頭に浮かぶのは、槍を突き刺される自分の姿だった。
魔王が倒されたとしても、両親の大切な子の魂を乗っ取ったことに変わりはない。忌み子であったことは変わらない。災いと憎しみの存在であるミュリエルが、殺されることはあっても愛されることなんて絶対にありえない。
ダンがどういうつもりでここへ来たのかはわからないが――防御魔法を展開するよりも早く背にある剣で斬られてしまえば、ミュリエルは死んでしまうだろう。
ぞくりと身体が震える。
せり上がる気持ち悪さと焦燥を呑み込むように生唾を嚥下した途端、視界が深紅に覆われた。
(え……?)
深紅に包まれ、逃げ場がない。
押し付けられた胸から伝わる体温がやけに熱くて、息が詰まる。
背中に回された腕はあの頃とは違い、太くて力強かった。
ミュリエルは気づけばダンの腕の中にいた。
「お前が生きてて、良かった!」
噛みしめるように言ったダンは、ミュリエルを強く抱きしめた。まるで逃さないとばかりにきつく締め付けられ、息が詰まりそうだ。人のぬくもりはあるけれど、圧迫感に思わず身を引きたくなって――
「くる……し、ぃ」
「わ、悪い!」
ミュリエルのうめき声に、ダンはすぐさま腕の拘束を解いた。
「お前にまた会えたことが嬉しくて……力を込めすぎた」
視線を外し、赤く染めた頬をぽりぽりと掻いている。
抱き潰されるかと思ったが、少なくともミュリエルを害しに来たわけではないらしい。
ダンは気を取り直したようにミュリエルを見つめた。そして再び八重歯を見せ、
「大きくなったな」
笑みを浮かべると、ミュリエルの頭に手を置いた。
ダンもこの五年でずいぶん成長したらしい。元々ミュリエルよりも背は高かったが、見上げるほど伸びており、体格も良くなっている。少年からすっかり大人の男になっていた。
「……ダンもね。誰かわからなかったよ」
「それはこっちのセリフだ。髪、短くしたんだな」
ミュリエルを撫でていた手が、髪を滑っていく。頭のてっぺんから耳を通って毛先まで。優しく撫で下ろすようにゆっくりと。その感触に、長かった髪を切った日のことが頭に浮かんだ。
今から一年くらい前だっただろうか。その日は城の中庭で双子とかくれんぼをしていたのだが、生け垣を盾に隠れたために髪の毛が枝に絡みついてしまったのだ。ただでさえミュリエルの髪はくせ毛で柔らかく、絡まりやすい。どうしても解くことができず、ユールバートとエルーシャに切ってもらったのだ。絡まった部分だけを切ったため、その次の日に髪を整えてもらったのだが――。
「へぇ、可愛いじゃないか」
感想をせがむつもりだったのに、ランベルトが珍しく褒めてくれたのだ。想定外の言葉がもらえてからというものの、ずっと短くしている。
あの時のランベルトの言葉を思い出しただけで、頬が熱くなってしまう。
つい恥ずかしくなって頬を横に向けると、ダンの指に掬われていた毛先がはらりと落ちた。
「……短いほうが好きなの」
「そうか? 俺は長いほうが、その……好き、だけどな」
ダンは視線をそらし、どこか照れくさそうに言った。多分、長かったころの姿に目が慣れていたからだろう。ダンの言葉に他意はなく、ただ今の姿に違和感があるのかもしれない。
再会の挨拶もそこそこに、ミュリエルは本題に入った。
「それで、ここにはどうして?」
いくら昔なじみと言えど、不法侵入疑惑をそのままにしておくわけにはいかない。それに、わざわざ魔族が出ると恐れていた森を抜けてやってきた理由が知りたかった。
ダンは視線を戻すと、淡い栗色の瞳にミュリエルを映した。そして真剣な眼差しをミュリエルに向け、
「俺はお前を助けるためにここへ来た」
「へっ!?」
思わず声が裏返る。
だがダンは気にも留めず、今度はミュリエルの周囲に視線を向けると、顔を歪めた。
「か弱い女に、こんな重労働をさせてるのか。あの化け物に酷い目に合っているんだな」
――化け物?
ぱっと思いつくのは魔王だが、すでにランベルトの手によって討伐されている。それに魔王が倒されたことを知ったからこそ、ダンはミュリエルの生存を確信していたとばかり思っていたのだが――。
「聞いて、ダン。魔王はもう――」
「五年前に討伐されたって話なら、知ってる。と言っても、ついこの間知ったんだけどな」
やはり知っていたらしい。だとすると、化け物とは一体――。
「俺の言う化け物は今までいた魔王じゃない。左右で異なる瞳を持つ男のことだ」
この魔国でその特徴に合う男は、一人しかいなかった。




