幕間 勇者『ダン』
ダンはあることをきっかけに、勇者になる決意をした。
そうは言っても、勇者になるにはどうすればよいかわからなかった。
なにせダンの故郷はヴィニラゴン王国の辺境にあるがゆえ、情報が少ないのだ。故郷は山に囲まれており、山には魔物も生息しているため、危険を冒してまで旅人が訪れることはない。
逆もまた然りだ。基本的にダンの故郷で生まれ育った者は、外に出ることなく一生を終える。極稀に故郷から出る者もいたが、帰ってきた者は誰一人としていなかった。王都まで無事に行けたのか、それとも山で死んだのか、その生死はわからずじまいだ。
結局、ダンの疑問を解決してくれる人はいなかった。
だからまずは王都へ向かうことにした。
両親には猛反対を受けたが、ダンの決意は固かった。
剣一本で、山を越えた。道中は吐き気を催しつつもなんとかやり過ごし、時折魔物にも襲われたが、退治しながら旅を続けた。
しばらくして王都へ辿り着いたダンは、立ち寄った寄合所で思いもよらぬ言葉を言われた。
「魔王が倒された……?」
それも最近のことではない。
五年も前のことだという。
だがダンは、「魔王はもういない」と言われて、「はい、そうですか」と素直には受け入れられなかった。
(だって、そしたら、あいつは――)
酒場に立ち寄ったダンは、一気に酒を呷る。
(あいつは、生きてるはずだろう……っ!)
やり場のない感情も、酒と一緒に流し込む。
けれど、いくら酒を流し込もうと、胸に渦巻く感情は消えてはくれない。
ダンはこの五年間、魔王が倒されたとは知りもしなかったのだ。ダンだけではない。村人もみんな知らなかったと思う。いくら情報が少ない村といえど、魔王が討伐されたのであれば報せくらいあってもいいものだ。それが五年間、一度たりともそんな報せは来ていないのだ。
そんな状態で、信じろという方が無理な話だ。
「……俺が、倒すはずだったってのに……」
ダンがぼそっとごちると、向かいに人の気配がした。
テーブルには空になったジョッキが溢れているというのに、わざわざダンの目の前に座ることはないだろう。そもそも相席を許した覚えはない。
ダンは目の前の人物に視線をやることなく、酒の入ったジョッキに手を伸ばしたが――。
「お前さん、お上りさんだろ?」
ジョッキはひょいと逃げ、代わりに低くしわがれた声が耳朶を打った。
ダンは不快感を隠すことなく睨めつけるように男を見る。
男は声の通り老成しており、頭は白く、顔には皺が刻まれていた。そしてその瞳は――金色だった。
「お前さんだろう? 魔王が討伐されたことも知らず、勇者になりにきたって奴は」
「だったら、なんだよ」
男は酒の入ったジョッキをダンから遠ざけると、目尻に皺を寄せた。
わざわざ笑いに来たのだろうか。だとしたら、よほどの暇人である。
「いやあ、久しぶりに面白い話を聞いたと思ってな。どんな面してんのか見に来たんだ」
男は悪びれることなく快活に笑うと、ダンの飲みかけの酒を口にした。やはり冷やかしだったらしい。そして勝手に飲まないでほしい。
ダンはふんっと鼻で笑う。
「王都の奴らは平和ボケしてんだな。魔王の亡骸を見せられたわけでもないのに、討伐されたって信じ切ってるんだもんな」
「……確かに、亡骸は見てないな。だが、魔王は確かに討伐された」
「なぜ、言い切れる?」
妙に含みのある言い方に、ダンは片眉を上げた。
「そりゃあ、俺の息子が殺ったからな」
人類の悲願を成し遂げたと言っても過言ではないはずなのに、さも当然のことだと言わんばかりの態度だ。
その軽さが、魔王討伐の信憑性を低くしていく。
「魔に魅入られた者の言う事を信じろと?」
「魔に魅入られた?」
「その瞳だ。俺の故郷では金瞳は魔に魅入られた者と言われているんでな」
王都に来て魔王が討伐されたという情報は衝撃的だったが、さらに驚いたことと言えば、金や緑、紫といった瞳を持つ者が多くいたことだ。それらは忌避されるどころか、小綺麗なローブを身にまとい、王都を闊歩していた。
そしてどうやらこの男もそうらしい。紺のローブに身を包んだ男は一見すると地味だが、体格の良さと威厳のある雰囲気が滲み出ていた。
そうは言っても――ダン自身は、金瞳に対して故郷の者ほど忌避感があるわけではない。ただ、この金瞳の男の話を信用できるかどうかはまた別の話だ。
「ほぅ……? どこかで聞いた話だなぁ」
金瞳の男は顎に手をやると、にやにやと表情を緩めた。
その動作がどうにもわざとらしく、ダンの不快感が増してゆく。
「仮にアンタの言うことが本当だったとしよう。俺はその魔王を倒したという息子に会いたいんだが」
「会ってどうする気だ?」
「聞きたいことがある」
魔王討伐が本当の話なら――ダンには是が非でも確認しなければならないことがあった。
「会ってなにを聞くんだ?」
「……アンタには関係ない」
この男に言ったところで、ダンの欲しい答えは持っていないだろう。
だったら言うだけ無駄だ。
「生憎とあいつは忙しい身の上でな。今は王都にはいない」
やっぱりな――とダンは大きく息を吐いた。
「……そうか。本当はアンタの息子が倒しただなんて嘘だろう? 俺は両親の反対を押し切ってでも勇者になるために、険しい山を越えて王都までやってきたんだ。それなのに、実は魔王はもういないなんて言われて、黙って帰るわけには行かないんだ」
酒場での会話など、所詮酔っぱらいの戯言に過ぎない。
目の前の男が飲んでいるかどうかなんて、この際どうでもいい。ただの作り話でも、酒のつまみになればいいと思う人間もいるだろう――まあ、ダンは違うが。
どこの誰かは知らないが、暇人の相手をしているほどダンは時間を持て余しているわけではないのだ。
それなのに男は空気が読めないのか、不愉快な笑みを浮かべたまま続ける。
「じゃあ、お前さんは俺の息子に会うまでは帰らないと?」
「そうだな。魔王を倒した者に話を聞くまでは帰れないな。なんとしてでも探し出す」
勇者になるべく王都へ来たが、魔王討伐が本当の話なら目的を変えなければならない。
せめて直接聞くまでは、諦めきれない。
男は「そうか」とだけ口にすると、胸元から取り出した手帳になにかを書き、それを破いてダンに押し付けた。
「……明日の午後、ここへ来い。息子を呼びつけておく」
男はそう言うと、胡散臭い笑みを残して去っていった。
「酔っ払いの言葉を信じられっかよ……」
ダンは押し付けられた紙切れを見る。
紙には顔に似つかしくない綺麗な字で『ヴィニラゴン王国魔法協会 グレゴワール』と書かれていた。
*
どうせ嘘っぱちだ、と思いながらも魔法協会を訪れたダンだったが――。
「おっ、来たな」
昨日酒場で会った金瞳の男が、身なりの良い衣装に身を包んで待っていた。
(本当に、いた)
応接室に通されたダンは目を丸くしつつ、男の向かいの長椅子に腰を下ろした。
どうやらこの男は、王都でもそこそこの地位にいる人間らしい。いや、人間なのだろうか。男はこの魔法協会の会長をしている、魔法使いだと言った。
会長は”息子”が来るまでの間、魔法協会について話し始めた。
魔法協会とはヴィニラゴン王国の魔法使いを取りまとめる団体なのだという。
そして魔法使いとは、魔法を使うための魔力を宿した者の総称であり、魔族や魔物から人々を守るために行動しているのだと言った。故郷では、魔法使いは魔の者に魂を売った引き換えに得た能力者だと教えられていたが、そうではなかったらしい。
それから金瞳や緑瞳、紫瞳は、魔族や魔物だけの瞳ではなく、むしろ魔力を宿した特別な人間だと言った。かつては金瞳の聖女もいたと言い、本棚から一冊の本を取り出すと、ダンに渡した。
ぱらぱらと本をめくり、内容をかいつまんでいく。
ふと脳裏をよぎるのは、勇者になるきっかけとなった幼馴染の姿だった。
――かつては金瞳の聖女もいた。
それが故郷にも広まっていれば、違う未来があったかもしれない。そんなもしもを想像して――ダンは小さくかぶりを振った。過去は変えられない。もしもを考えたところで、なにも変わらないのだ。
「それで? アンタの”息子”ってのは本当に来るんだろうな?」
話を元に戻す。そもそもダンの目的は、魔王を討伐した者に会うことだ。ここでこの男と話をすることじゃない。
「あぁ、もう来る」
会長が得意げに笑みを浮かべたその瞬間だった。
応接室に目もくらむほどの光が視界を覆った。あまりの眩しさに思わず手をかざすと、その光の中から一人の男が現れた。
男が現れた瞬間、ダンの背筋に戦慄が走った。
「こいつが”勇者”か」
男は現れるや否や、煩わしいと言わんばかりにダンを見下ろした。
魔王を倒したという男は、艶のある黒い長髪が特徴的で、背も高く綺麗な顔立ちをしていた。会長は息子だと言っていたが、全然似ていない。
似ていると言えば、片方の瞳の色だけだろう。黒髪の男は左右の瞳の色が違った。片方は会長と同じ金瞳だが、もう片方はまるで誰かの返り血で染まったかのような赤い瞳をしていた。
いや、それ以上に――ダンは胃の中身をぶちまけそうになるのを必死に堪える。
「なんだ、どうした?」
「……っ、……う……!」
「あ?」
「アンタが、魔王……だろう!」
ダンは黒髪の男を指さした。
会長はげらげらと腹を抱えて笑っているが、男は柳眉をぴくりと上げると、不愉快そうな表情を浮かべる。
「ったく、どいつもこいつも俺を『魔王』だと呼びやがって……。俺はその『魔王』を倒した大魔法使いランベルト様なんだよ!」
ランベルトと名乗った男はダンを見据えながら、会長と同じ長椅子に間隔を空けてどかっと座った。
「――で、俺になにが聞きたいって?」
魔王を倒したというこの男は態度は大きいが、傲慢不遜とまではいかないようだ。
今、ダンの身に起きている異変を考えれば、すぐにでもここを出るべきではあるのだが――。相手が話をする気がある内に、ダンの欲しい情報を聞き出しておきたい。
ダンはせり上がる酸っぱいものを必死で抑え込みながら、訊ねることにした。
「俺には幼馴染がいてな。そいつは魔王に喰われた――」
「そうか、残念だったな」
ランベルトは、そんなことなど珍しいことでもないと言わんばかりの反応だが、ダンは話を続ける。
「――喰われたはずだったんだ。でも、それは魔王が生きていたらの話だ。アンタが魔王を討伐したというのが本当なら、あいつは喰われず、生きているはずなんだ」
もし本当に魔王が倒されたというのなら、幼馴染が喰われたのは魔王討伐から半年後になる。いもしない魔王に喰われたというのはおかしな話になる。それに魔族はともかく、魔物に喰われたというのは考えにくい。それだけは断言できる。
ランベルトは話の脈絡がわからないのか、訝しげな表情を浮かべた。
「なにが言いたい?」
「なあアンタ、金瞳の娘を見なかったか?」
「さあ、お前の幼馴染など知らないな」
ランベルトは興味なさげに、ふいと視線を逸らした。
むっとしながらも、ダンは再度確認する。
「本当に知らないのか? 髪は白金で――」
「知らないと言っているだろう!」
今度は食い気味に否定した。
そこにはどこか苛立ちのようなものが滲み出ていた。
「仮に知っていたとしても、お前には教えない」
「――っ! なぜ!」
苛立ちから、思わず身を乗り出した。
だがランベルトは気にも留めず、さらに煽るように卑劣な笑みを浮かべた。
「じゃあ聞くが、お前はその子にどうしてほしい?」
「そんなの決まってる。俺のもとに帰ってきてほしい」
ダンの切なる願いを、ランベルトはあろうことか鼻で笑った。
「馬鹿馬鹿しい。お前は心配しているように装っているが、その子の気持ちは考えないんだな」
その瞬間、吐き気は鳴りを潜め、カッと頭に血が上った。
(俺の思いも知らないくせに……!)
見ず知らずの他人が、わかったような口で偉そうに言われるほど、ダンと幼馴染の関係は浅くない。
拳を握りしめ、怒りで全身を震わせたまま、激昂する。
「あいつには行く場所がないんだ! だから俺が守らないと……。もし魔王に喰われていたとしても、敵を討ってあいつの魂を故郷で眠らせてやりたくて……だから俺は勇者になろうと思ったんだ!」
「そうか。だが、魔王はもういない」
「いや、アンタが魔王だ!」
ダンは立ち上がると、ランベルトを指さした。
「だから、俺は魔王じゃないって何度言ったら――」
「アンタから血の臭いがする。それも人間の血の臭いだ!」
「……なんでそんなことがわかる?」
どうしてかはダンにも分からない。ただ、幼い頃から血の匂いには人一倍敏感だった。自傷やかすり傷程度では吐き気は起きないが、誰かに傷つけられた血は臭う。それも返り血を浴びた人間はよりきつく臭うのだ。
その臭いが、この男が現れた瞬間から漂っていた。それも今まで嗅いだこともないほど、血が腐敗したような酷い臭いがしていた。
「アンタに教えてやるもんか」
さっきの意趣返しだ。
結局、この男が幼馴染を知っているかどうかはわからなかったが、一つだけ確かなことはわかった。
「アンタは魔王を討ったと言うが、この臭いだけは誤魔化せない!」
「だから、俺は魔王ではない!」
往生際が悪いランベルトに、ダンは決定的な言葉をぶつける。
「口ではなんとでも言えるけどな。アンタから、大量の人間を殺した臭いがしてんだよ!」
そうでなければ、この臭いの説明がつかない。何年も何年もかけて蓄積した臭いがこびりついているのだ。
「それが、俺を『魔王』とする理由か?」
ランベルトがそう言った瞬間、場の空気が一変した。
目には見えないのに、黒く蠢くなにかが部屋を覆うようなイメージが頭の中で再生された。
途端に身の毛がよだち、背筋が凍りついていく。
背にある剣のグリップに手を伸ばそうとして、けれど上手く握ることが出来ない。気づけば、手ががくがくと震えていた。まるでランベルトに支配されたかのように、ダンはその場に膝をついた。
その時、快活な破裂音が部屋に響く。
「ランベルトっ!」
それは魔法協会の会長が両手を打った音だった。
どういうわけかわからないが、ダンは身体の自由を取り戻した。
「一般人への魔力行使は、危険が及ぶ場合を除き禁止されているだろう!」
「こいつは”勇者”だ!」
ダンは二人が言い争っている隙に外へ出た。
そこからはとにかく遠くを目指し、全力で走った。ランベルトのあの禍々しい雰囲気に呑まれてしまえば、また自由を奪われてしまう。
ただひたすらに足を踏み込み、駆けていく。
しばらく走って追手の気配がないことを確認すると、路地の影に腰を下ろした。上がった息を落ち着かせながら、ダンはこれからのことを考えた。
正直手も足も出なかった。あの時会長が介入しなければ、ダンは今頃殺されていたかもしれない。
ばくばくと脈打つこの鼓動は、走ったからか、それとも――。
いずれにせよ、このまま王都にいるのは危険だろう。
旅を続けて、魔王を討つための力をつけるのもいい。
だがダンは、ランベルトが魔王であるという確証が欲しかった。それもダン以外の人にもわかるような確証が。ランベルトは頑なに魔王ではないと言い張っていたが――それは魔国に行けばわかる話だ。それが明らかになれば、幼馴染の生死もわかるはずだと、そう思った。
そのためにも一度故郷へ戻ることにした。
行きは歩きだったが、今度は途中まで馬車に乗り時間を短縮させた。とはいえ、さすがに険しい山は越えられないらしく、ダンは歩いて山を登っていた。
その時、信じられない姿を目にした。
「ミュリ、エル……?」
髪は短くなっていたが、白金の癖のある髪に金の瞳を持つ彼女は、間違いなくダンの幼馴染だった。
生きていた――。
胸にこみ上げる熱い思いに、鼻がつんとする。
ダンはミュリエルが捧げられた翌日、魔物の森を訪れていた。だが辺りには、血痕はおろか縛り付けていた縄すらも残っておらず、 ミュリエルはあの日、間違いなく魔王に捧げられたのだと、そう思っていた。
けれど――生きていた。
ダンは疲労を訴える足を叱咤し、ミュリエルのもとへ歩みを進めようとした。だがその時、酷く臭う腐敗臭が風に乗りダンの鼻を突き刺し、咄嗟に鼻を覆った。
まさか――と思ったダンはもう一つ、信じられない光景を目の当たりにした。
「なん、で……」
ミュリエルの側に、人殺しの臭いを漂わせるランベルトがいたのだ。
ふいに、ランベルトの視線がこちらを向いた。
ダンは咄嗟に岩陰に隠れ、息を殺す。まるで睨めつけているような鋭い視線を感じ、冷たい汗が背を伝う。嫌な音を立てる鼓動と嘔吐感が入り混じり、えずきそうになるのをぐっと堪える。
するとあの時と同じようにまばゆい光が視界を覆い――ランベルトとミュリエルの姿は消えたのだった。
なぜミュリエルが、あの男と一緒にいたのかはわからない。
だが――――。
ダンは奥歯を強く噛み締めた。
「ひとまず村に帰ろう」
いずれにせよ、魔国へ向かうには村にある魔物の森を通らなければならない。
ダンはイルーヴ村に向かって歩き出した。




