第九話 雪の精霊王
「とう、ちゃーく」
「とうちゃくだわねー」
ミュリエルたちが辿り着いたのは、イルーヴ村からほど近い山の頂だった。
山頂は雪ですっかり覆われている。空気は薄く、寒い。
肌を突き刺す冷気に、身体をぶるりと震わせた。
ぎゅっ、ぎゅっ――。
セドリックのおかげで、ミュリエルはほとんど魔力を消費することはなかった。杖なしでの飛行は高度なはずだが、セドリックや双子にとっては朝飯前なのか、疲れはほとんど見られない。双子にいたっては、小さな雪玉をいくつも作って遊び始めてしまった。
「ちょっと、ユールにエルー。魔物が来ちゃうよ」
「だいじょうぶー」
「だいじょうぶだわねー」
こちらの心配には目もくれず、もくもくと雪玉ばかり作っている。
ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ――。
「ユールバートとエルーシャは好きにさせても大丈夫です。それよりもミュリエルは気を抜かないように。杖は出したままにしておいてください」
「わかりました」
セドリックの言葉通り、ミュリエルはいつでも魔法が使えるよう杖を構えた。
ぎゅっ、ぎゅっ――。
雪が鳴る。
その音に気づいた瞬間だった。
ギイィィ、と獣のような声を上げ、一匹の魔物が襲いかかってきた。
それは人間のように二足で歩いているにも関わらず、頭は獣のようで、大きく開いた口からは鋭い牙が見えていた。
魔物はぎゅっ、と雪を踏みしめ、勢いのまま鋭利な爪を振りかざす。
ミュリエルは咄嗟に防御魔法を展開する。
「――なるほど」
セドリックが感心したように呟いた。
襲いかかってきた魔物は、セドリックに触れる直前で動きが止まると、足元から凍ってゆく。
「これは骨が折れそうですねぇ」
ミュリエルの防御魔法に触れるまでもなく、魔物はセドリックの魔法で完全に凍りついた。
けれど、凍ったのはこの一匹だけだ。
おびただしい数の魔物が、ミュリエルたちを取り囲むように迫ってきていた。
「ミュリエルは、我々の防御を全方位に広げてください」
「はいっ!」
セドリックの指示に、ミュリエルはすっ、と杖を向けた。
双子とセドリックの全方位に防御魔法を展開する。
「ユールバートとエルーシャは攻撃準備を」
「あいあいさー!」
「あいあいさーだわね!」
双子は手を繋ぐと、そのまま宙に浮かび上がった。
赤と金の瞳が怪しく光る。
二人は空いた方の手を、さっきまで作っていた雪玉に向ける。幼子たちの手により、雪玉はふわりと宙に浮かび始めた。
「私は――雪の精の力を借ります」
セドリックはそう言うと、手の平を上に向けた。雪からぽうっ、と白くて丸い光が現れると、それはセドリックの手の上に収まった。
きっとあの光が精霊なのだろう。
精霊は適正のある者にしか見えないらしく、ミュリエルにはその姿までは確認できない。意外なことに、ランベルトも精霊は見えないのだという。
「さあ、殲滅しますよ」
セドリックが眼鏡を上げた。
それを合図に、三人は攻撃を始めた。
ユールバートとエルーシャは浮かせた雪玉を操ると、魔物に勢いよく放った。
普通、雪玉など当てたところで、大した攻撃にもならず儚く弾けてしまうだろう。
だが双子が放った雪玉は、閃光のような眩い光で弾けた。
雪玉が当たった魔物は、頭部が爆発したかのように消滅しており、その部分からほろほろと灰になっていく。それはその魔物だけではなかった。近くにいた魔物も次々と灰化し、消えてゆく。
魔物は致命傷の攻撃を受けると、基本的にはこうして灰となって消滅する。ただし、聖女の場合は少し変わる。力の度合いにもよるが、聖女の力に触れた魔の者は、その部分が光の粒子に変わり天に登ってゆくのだという。
もっともミュリエルはまだその域には到達していないのだが。
「ボールなげー!」
「ボールなげだわねー!」
双子はまるで遊んでいるかのように、きゃっ、きゃしながら次々と雪玉を投げつけていく。
けれどその威力は、幼さを微塵も感じさせないほど力強いものだった。
着実に、おびただしいほどいた魔物の数を減らしている。
だが、魔物だってやられっぱなしではない。
地面を鋭い爪で抉り取ると、雪玉の威力を相殺するようにぶつけてきた。
そうなれば、魔物にダメージは入らない。
ただむやみに雪玉を消費していく。
こんなことならば、ミュリエルも一緒に雪玉を作っておけばよかったと唇を噛みしめる。
だが、後悔したとてもう遅い。
ならば――とミュリエルは、防御魔法を展開している魔法陣から二人に加護を与えた。
「おらぁあーっ!」
「いくだわねーっ!」
加護により威力を増した雪玉は、魔物が投げつける地面や岩とぶつかると、その弾けた破片までも双子の力に変えた。破片は地にいる魔物に突き刺さり、さっきよりも多くの魔物を消滅させていく。
一方セドリックは、より図体の大きい魔物を相手にしていた。
雪の精の力で自在に雪を操り、攻撃を繰り出す魔物の腕を凍らせる。
けれど初手の攻撃ほど上手くはいかない。魔物の力が強いのか、数秒で氷を割ってしまうのだ。
(いや、違う――)
ミュリエルは、セドリックの攻撃があまりにも弱いことに気が付いた。
それこそ、双子よりも威力がない。
セドリックはただ攻撃を受ける際に、威力の弱い魔法でその腕を凍らせるだけ。
自ら攻撃を仕掛けることはしておらず、常に受け身で魔力を消耗しないような戦い方をしている。
その戦い方に焦れったくなったのか、はたまた弄ばれているように感じたのか、魔物の考えることはわからないが。セドリックと対峙している魔物が、これまで以上の勢いで牙を向いた。
セドリックはまた弱い魔法でいなそうとする。
ミュリエルは瞬時に、セドリックの防御魔法を切り替えた。
「――っ! ミュリエル、助かります」
セドリックは攻撃をいなすのを止めた。
どうやら正解だったらしい。
ミュリエルは双子を全方位から守りながら、セドリックには攻撃が向かってくる一点に防御魔法を展開させた。
同時に同じ魔法を複数展開するだけでなく、それぞれで違う性質を加えるのは精緻な魔力コントロールを必要とする。
ミュリエルはこの四年間で魔力コントロールに特化する特訓をしていた。
金瞳であり、ランベルトにも素質があると言われたにも関わらず、ミュリエルはどういうわけか、防御魔法と一部の加護意外の力を奮うことができない。聖女の力を持ちながらも、王都で活躍する聖女の条件を満たす力は奮えないのだ。
そのことに気づいたランベルトは言った。
『ならば、技の精度を上げろ』
その言葉通り特訓方法を切り替えたミュリエルは、より精緻に魔力をコントロールする術を身に着けた。
聖女としてやっていけなくても、時間稼ぎはできる。
そして、ようやくセドリックの準備が整った。
いつの間にかセドリックの周りには、雪の精らしき白い光がいくつも浮かんでいた。それらは一つに合わさると、大きな光になった。
ごお、と雪がうねりを上げ、空は暗灰色の雲で覆われていく。
「雪の精霊王の裁きを――『キオン・クリシス』」
セドリックが唱えた瞬間、大きな光は巨大な雪像に変わった。雲に届いてしまうほどの大きさのそれは、上半身しかない。頭に冠を載せ、手には氷の剣が握られている。
王の名に恥じない堂々たる存在感を放つ雪像は、剣を横に構え、一振した。
途端に強い風がびゅう、と吹き、ミュリエルの白金の髪が露わになる。フードが外れ、冷たい風が突き刺さる。
たった一振りで、周囲の魔物が真っ二つに斬られていく。
さっきまで対峙していた魔物も、双子が倒していた魔物も、多くの魔物を斬り裂いていく。
「すごい……」
セドリックは精霊王を呼び出す力がある。だが、条件は色々と複雑らしい。
まず、精霊たちを集めなければならず、それに時間がかかる。それから魔力の消費が多い。精霊の力を借りるだけならば、そこまでではないが、精霊王となると変わってくる。代価が必要なのだ。そして呼び出せたとしても、どの程度顕在するかはその精霊魔法の使い手次第なのだという。
セドリックは雪の精霊王を呼び出した。
それも天に届きそうなほど大きく、半身も顕在させた。相当な魔力を消費しているに違いない。
次々と薙ぎ倒す雪像の姿に、ただただ圧倒される。
雪像はぐるりと一周したところで、崩れてしまった。まるでただの雪だったかのように、そこには雪像の痕跡は一つも残っていなかった。そして魔物の姿も――。
雪玉がなくなった双子は、その場で片膝を付いたセドリックの側に降り立った。
ミュリエルだけでは、この数相手に足止めにもならなかっただろう。
ユールバートとエルーシャ、そしてセドリックがいてくれなかったら、魔物の脅威から村を守ることはできなかったし、今度こそミュリエルは魔物に喰われていただろう。
(本当に、ありがとう……)
ミュリエルは三人の元へ駆け寄ろうとした。その時――。
「ミュリエル、後ろっ!」
「――――っ!」
セドリックの鬼気迫る叫び声に、振り返る。
雪像の攻撃から逃れた魔物がいたらしい。
ミュリエルは背後に忍び寄るそれに気付かなかった。
咄嗟に防御魔法を展開しようとする。
けれど――。
(――っ! 間に合わないっ!)
セドリックが魔法を放つが、それも間に合わない。
ミュリエルはこの先に訪れる未知の痛みに、思わず目を閉じた。
魔物の鋭い爪が空気を切る音がして、その直後のことだった。
「目ぇ閉じたら、死ぬぞ」
ずっと聞きたかった声が耳朶を打った瞬間、目の前の魔物が黄金色の光線で貫かれていた。
そして――。
「お前たち、言い訳の準備はできているだろうな?」
空には黒い長髪を靡かせた大魔法使いが浮かんでいた。




