第四話 そして彼らは、吐血しながら地を這う
王都にある『聖ルミナス治療院』の一室。
消毒液と、腐った果実のような独特の異臭が混ざり合う病室に、絶望的な沈黙が流れていた。
ベッドに横たわっているのは三人。
かつて飛ぶ鳥を落とす勢いだったSランクパーティ『銀の翼』のメンバーたちだ。だが、今の彼らに往時の輝きは微塵もない。
「……先生、嘘だろ? 魔法が使えないって、どういうことだよ」
包帯でぐるぐる巻きにされた右腕を抱え、勇者グランが医師に食ってかかった。
その声は震え、瞳には隠しきれない恐怖が張り付いている。
対する白衣の老医師は、冷徹にカルテを見下ろしながら告げた。
「嘘ではありません。診断結果は『重度急性魔力中毒』および『魔力回路の壊死』です」
「壊死……!?」
「ええ。あなた方は、通常の人体が許容できる限界を遥かに超えた『毒性魔素』を、短期間に大量に取り込みすぎました。その結果、体内の魔力変換器官――いわゆる『回路』が焼き切れてしまっているのです」
医師は淡々と、しかし残酷な事実を突きつけた。
「右腕の神経と筋肉は、毒素によってドロドロに溶解しています。切断こそ免れましたが、今後、箸を持つことすら困難でしょう。ましてや、大剣を振るうなど夢のまた夢です」
「そ、そんな……俺は勇者だぞ! 選ばれたSランク冒険者なんだぞ!」
「ランクなど関係ありません。毒は身分を差別しませんから」
医師は視線を隣のベッドへ移した。
そこには、全身に赤い斑点が浮かび上がり、うわ言を漏らしている魔導士ヴォルフがいる。
「こちらの魔導士さんはさらに深刻です。強力な攻撃魔法を行使した際、脳に近い血管が魔力の負荷に耐えきれず破裂寸前になっています。命が助かったのが奇跡ですが、今後は少しでも魔力を使えば、即座に脳出血を起こして死に至るでしょう」
「あ……うう……僕の、杖……」
ヴォルフは虚ろな目で天井を見つめ、痙攣するように指先を動かしている。
「そして、聖女のエリナさん」
「は、はい……!」
名前を呼ばれたエリナが、ベッドの上で身を乗り出した。
彼女の外傷は、他の二人ほど酷くは見えない。肌荒れと倦怠感がある程度だ。
だから彼女は、まだ希望を持っていた。自分だけは助かるのではないか、と。
「私は回復魔法の使い手ですの。自分の体くらい、自分で治せますわ。だから早く退院させて……」
「それが不可能なのです」
医師は無慈悲に首を横に振った。
「貴女の場合、内臓――特に子宮と肝臓に毒素が沈着しています。回復魔法を使おうとすれば、その毒素が活性化し、貴女自身を内側から腐らせるでしょう。今後、魔法を使うことはおろか、激しい運動も控えてください。一生、ベッドの上で安静に過ごすことになります」
「――っ!!」
エリナの喉から、言葉にならない悲鳴が漏れた。
一生、寝たきり。
華やかなドレスを着て、パーティーで称賛を浴びる日々は、もう二度と来ない。
「そ、そんな……どうして……」
「原因は明白です。あなた方は『フィルター』を通さずに、生の魔力を摂取しすぎた。まるで汚染水をそのまま飲み続けたようなものです」
医師はため息交じりに眼鏡の位置を直した。
「聞けば、専属の『魔力供給係』を追放したそうですね? おそらく、その彼が命がけで毒を除去していたのでしょう。彼というフィルターを失った時点で、あなた方の冒険者生命は終わっていたのです」
その言葉は、鋭利な刃物となって三人の胸を抉った。
レイン。
あの顔色の悪い、無口な荷物持ち。
彼が言っていたことは、すべて真実だったのだ。
『俺がいないと内臓が焼かれるぞ』
『警告したからな』
「くそっ……くそぉぉぉっ!!」
グランは健康な左手でベッドの柵を殴りつけた。
後悔? いや、それよりも強いのは、理不尽な現実への怒りと、レインへの逆恨みだった。
「なんでだよ! なんであいつはもっと強く止めなかった! 俺たちがこうなることを知ってて見捨てたのか!?」
「グラン様、今はそんなことを言っても……」
「うるせぇ! 治療費はどうすんだよ! 俺たちの蓄えじゃ、入院費だって払えねぇぞ!」
Sランクパーティの浪費癖は凄まじい。稼いだ金はすぐに装備や遊興費に消えていた。
唯一の資産だった素材や装備も、ダンジョンに捨ててきてしまった。
彼らに残されたのは、ボロボロの体と、高額な治療費の請求書だけだ。
「おい、退院だ! こんなヤブ医者のところにいてたまるか!」
「で、でも体が……」
「レインを探すんだよ! あいつなら治せるかもしれねぇだろ!」
グランは狂ったような目で叫んだ。
「あいつは『毒を濾過する』能力があるって言ってた! なら、俺たちの体に入った毒も抜けるはずだ! 謝ればいいんだろ、土下座でもなんでもしてやるよ! 元通りになれるなら安いもんだ!」
浅はかな希望。
だが、今の彼らにとってそれは唯一の蜘蛛の糸だった。
三人は痛む体を引きずり、逃げるように病院を後にした。
◇
王都の中央広場。
午後の日差しが降り注ぐ石畳の上を、一組の男女が歩いていた。
行き交う人々が、思わず足を止めて振り返るほどの存在感を放つ二人組。
「レイン様、あのお店のお肉、とっても美味しそうだったわ!」
「ああ、あとで買っていこうか。晩飯は串焼きにする?」
「んふふ、レイン様の手料理! 楽しみ~!」
新品の漆黒のコートを身に纏った青年――レインと、その腕にぴたりと寄り添う、燃えるような赤髪の美女――シルヴィア。
レインの肌は以前の土気色が嘘のように血色が良く、その瞳には自信に満ちた光が宿っている。
ダンジョンで獲得した高純度の魔石やレア素材をギルドで換金したところ、目が飛び出るような大金になった。その金で装備を整え、宿を取り、こうして王都を散策している最中だ。
「それにしても、すごい人だかりだったな」
「当然よ。私が『竜』の気配を少し漏らしてあげたんだもの。有象無象の人間たちが怯えるのも無理ないわ」
「ほどほどにな。目立ちすぎるのは好きじゃないんだ」
「え~? 私はレイン様の凄さを世界中に見せびらかしたいのに」
シルヴィアは不満そうに頬を膨らませるが、その尻尾は嬉しそうに左右に揺れている。
レインは苦笑しながら、彼女の頭を撫でた。
平和だ。
体の痛みもない。理不尽な罵倒もない。
ただ、自分を必要としてくれるパートナーと、美味しい食事のことを考えていればいい。
これが「幸せ」というものなのだろうか。
その時だった。
「レ、レイン……!!」
雑踏の中から、聞き覚えのある、しかし酷くしゃがれた声が聞こえた。
レインが足を止めて振り返る。
そこには、まるで亡霊のような姿をした三人の男女が立っていた。
泥と血に汚れた包帯。土埃にまみれた服。焦点の合わない目。
かつて『銀の翼』と呼ばれ、栄華を極めていたグラン、ヴォルフ、エリナの成れの果てだ。
「……グラン?」
レインが眉をひそめると、グランはよろめきながら近づいてきた。
周囲の人々が「なんだあの浮浪者は」「臭いぞ」と眉をひそめて道を開ける。
「レイン、探した……探したぞ……!」
「何の用だ。俺はもう、君たちとは関係ないはずだが」
「か、関係ないなんて言うなよ! 俺たち、仲間だろ!?」
グランは必死に笑顔を作ろうとしたが、顔面が引きつり、見るも無残な表情になった。
「悪かった! 俺が悪かったよ! お前の言う通りだった、あの石はインチキだった! やっぱりお前がいなきゃダメなんだ!」
「そう、ですわレインさん……! 私たち、幼馴染じゃありませんの! 喧嘩することもありますけれど、やっぱり四人で一つですわ!」
エリナも縋るように声を上げる。彼女の肌は老婆のように乾燥し、かつての美貌は見る影もない。
「お願い、戻ってきて……! 私、反省しましたの。これからは貴方の言うことを聞きますわ。荷物持ちなんてさせません。パーティのNo.2として扱いますから……!」
「僕からも頼むよレイン! ほら、この通りだ!」
ヴォルフが地面に額を擦り付けた。
「治療してくれ! お前の『濾過』の力で、僕たちの体から毒を抜いてくれ! 医者にはもう手遅れだって言われたんだ。でも、お前ならできるだろ!?」
三人の視線がレインに集中する。
その目にあるのは、純粋な謝罪ではない。
「自分たちが助かりたい」というエゴと、「こいつなら押し切れる」という侮りだ。
彼らはまだ、レインを「便利な道具」としてしか見ていない。
レインは深い、深い溜息をついた。
怒りすら湧いてこない。ただ、呆れと哀れみだけが胸を去来する。
「……断る」
レインの言葉は短く、冷たかった。
「は……?」
「断ると言ったんだ。俺は二度と君たちの元には戻らないし、治療もしない」
「な、なんでだよ! お前、俺たちがこんなに苦しんでるのに、見殺しにするのかよ!」
「見殺し? 違うな」
レインは一歩、彼らに近づいた。
その瞬間、彼から放たれた冷徹なプレッシャーに、グランたちが息を呑んで後ずさる。
「君たちは、自ら毒を飲み干したんだ。俺が警告したにも関わらず、嘲笑い、俺を追い出した。その結果がこれだ。自業自得という言葉を知らないのか?」
「だ、だけど、償いはする! 報酬も弾む! だから!」
「金の問題じゃない。それにね」
レインは、グランの腐りかけた右腕を冷ややかに見下ろした。
「勘違いしているようだが、俺の能力は『これから入ってくる毒』を濾過するものだ。『既に入って壊れてしまったもの』を直す力じゃない」
「え……?」
「お前たちの内臓や神経は、もう毒で焼かれて炭になってるんだよ。高性能なフィルターを通したガソリンを入れたところで、エンジン自体が焼き付いてたら車は動かない。それと同じだ」
レインは淡々と事実を告げた。
それは、彼らにとって死刑宣告に等しかった。
「そ、そんな……嘘だ……」
「嘘じゃない。俺は毎日、その毒と戦ってきたからわかるんだ。お前たちの体からは、腐敗の臭いがプンプンする。もう手遅れだ」
手遅れ。
その言葉が、重い鉛のように彼らの希望を粉砕した。
グランが膝から崩れ落ちる。
「じゃあ……俺は……俺たちは、どうすればいいんだよ……」
「知るか。冒険者を引退して、地道に働けばいいんじゃないか? 魔法が使えなくても、生きてはいけるだろ」
レインは踵を返した。
もう、話すことは何もない。
「ま、待てよ!!」
錯乱したグランが、立ち上がってレインの背中に飛びかかろうとした。
「ふざけるな! 俺はSランクだぞ! こんな惨めな姿で終われるか! お前だけ幸せになるなんて許さねぇ! 殺してやる、道連れにしてやるぅぅぅ!!」
残った左手で隠し持っていたナイフを振りかざす。
その凶刃がレインに届く――その直前。
「――身の程を知りなさい、下等生物」
ドォォォォォンッ!!
凄まじい衝撃波が、グランの体を吹き飛ばした。
レインではない。シルヴィアだ。
彼女はレインを背に庇い、冷酷な金色の瞳でグランを見下ろしている。
その背後には、陽炎のように揺らめく巨大な竜の幻影が立ち昇っていた。
「ひ、ひぃぃぃっ!?」
「私の愛する夫(予定)に指一本でも触れてみなさい。この王都ごと灰にしてあげるわ」
「り、りゅう……ドラゴン……!?」
ヴォルフとエリナは腰を抜かし、失禁して震え上がった。
本能的な恐怖。生物としての格の違い。
目の前にいる美女が、人ならざる災害級の怪物であることを理解してしまったのだ。
「行くわよ、レイン様。こんな汚いゴミの近くにいたら、空気が不味くなるわ」
「ああ、そうだな」
レインは、地面に転がり、恐怖に歪んだ顔で震えるかつての仲間たちを一瞥した。
「さようなら、グラン、エリナ、ヴォルフ。俺がいなくても大丈夫なんだろ? 精々、長生きしてくれ」
それが、最後だった。
レインとシルヴィアは、夕日の中に続く大通りを歩き去っていく。
その後ろ姿は、あまりにも眩しく、そして遠かった。
「あ……あぁ……」
取り残された三人は、呆然とその背中を見送るしかなかった。
痛み。絶望。後悔。
それらが波のように押し寄せ、心を蝕んでいく。
周囲の人々の冷ややかな視線が刺さる。
「あれ、銀の翼じゃないか?」
「なんかボロボロだぞ」
「魔法が使えなくなったって噂だぜ」
「じゃあただの役立ずじゃん」
「借金取りが探してたぞ」
囁き声が聞こえる。
栄光のSランクパーティは、一夜にして地に落ちた。
魔法も、名声も、金も、そして唯一の命綱だったレインも、すべて失った。
残ったのは、一生消えない激痛と、終わりのない後悔だけ。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
グランは石畳に顔を埋め、獣のように泣き叫んだ。
その慟哭は、誰の心にも届くことなく、王都の喧騒の中に虚しく消えていった。
◇
数日後。
俺とシルヴィアは、王都を出て新たな旅路についていた。
目指すは、まだ誰も見たことのない未踏の地。
この『濾過』の力があれば、どんな過酷な環境でも生存できる。
シルヴィアという最強の相棒もいる。
「ねえレイン様、次はどっちに行く?」
「風の吹く方へ。……なんてな」
俺は青空を見上げた。
空気は澄んでいて、どこまでも自由だ。
過去の重荷はもうない。
俺の物語は、ここから新しく始まるのだ。
最高に爽快で、とびきり楽しい冒険の物語が。




